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(短編集)
春、バーニーズで
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春、バーニーズでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 1~20 1/2ページ
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吉田の軽妙な筆力、ついあの日の事を思い出させてくれる。そんな作品。「最後の息子」を読んだ後に読むのをお勧め。 | ||||
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素敵な内容 | ||||
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短編集。「春、バーニーズで 」のみ、読み応えがあったが、それ以外は書く意味があるのかよく分からなかった。 サラリーマンが日常ふと思いそうなことを書きました、という感じ。 特に何も起こらない系ならば、日常の体験により深みが増すような方向性が妥当な気がするけれど、描写は薄っぺらく、内容は単純だし、これを読んでも私の日常体験に深みが増すことはない小説だなと思った。 あと、カバーはいいけど、中身のデザインセンスが悪い。予算と時間がなかったのかな。装丁と写真と文体の統一感のなさが、余計に三文小説を演出している。ここで、この大きさで、この写真でてくると想像力がかき消されてしまうな、、、という体験がしばしば。 むしろ写真がないか、もう少し考えられた装丁であればより良かったかもしれない。 文はすらすら読めるので、暇つぶしに最適。 春、バーニーズで は、男女の間に中性的な存在が入り込むことで、日常から宙に浮いたような、説明できない不思議な体験。シンプルな話なのに、中性的な存在がいるだけで話の構造が複雑になる感じがおもしろかった。 | ||||
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平凡だが幸せな日常を過ごす主人公。簡単に人には言えないような過去を抱きながらも、それを受け入れつつ毎日を消費している彼だけど、ふと「今とは違う人生があったのでは…」という考えに取り憑かれ、日常から逃避する様子が極めて自然に、さり気なく書かれている。このような「さり気なさ」が吉田修一の凄さだと思います。誰しもが抱いたことのある日常からの逃避を求める気持ちや、ふと襲ってくる一抹のセンチメンタルな感情が刺激されます。 個人的に、最終章の楽園が大好き。明確に誰とは書かないので読者はさまざまな解釈ができます。私も、かつて心を通じ合ったものの、今では別の時間を過ごしている誰かに思いを馳せてしまいました。 ホントに吉田修一はすごい作家です…。良質な読書体験が味わえました。ありがとうございます。 | ||||
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最後の息子といい吉田センセの初期のフワッとした東京のお洒落感漂う文章は、なんともいえず江國さんのようなバブル臭がしてきます。 | ||||
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ということで、前康輔さんのモノクロ写真入りの本で大変美しい作りになっています。所有欲が掻き立てられます(kindleではなく文庫を買いました)。 同じ登場人物による連作短編集になっていて、どこから読んでもいいのですが、ゆるい繋がりもあって、全体としてひとつの雰囲気を作っています。その雰囲気というのは「人との偶然の出会い、そして別れ。いつか、その出会いを思い出す」ことによって作られるもので、ひとことで言うならば「せつなさ」でしょうね。「いつ、どこで」を表すタイトルは、その後に続くはずの「誰と」「何を」を暗示しているようです。「誰と」が邂逅と別離、「何を」がその人との思い出につながります。本の作りの良さと相まって、「せつなさ」は「美しさ」である、ということを訴えかけているように感じました。 星は5つ付けたいところですが、最後の2章「パーキングエリア」と「楽園」がいただけません。作為的になりすぎていて、私の好みではありませんでした。 ところで、このタイトル。『去年マリエンバードで』『あの頃、ペニーレインと』を彷彿とさせますね。 | ||||
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思うに、村上春樹よりずっと吉田修一の方がお洒落ではないだろうか。 プラス吉田ワールドには、足に地の着いた切なさが在る。 ウィットに富んだ会話に、ゾクっとするスリル。クールで身近なサスペンスと、どこかバタ臭いヒューマンドラマが同居し 読後に残る余韻も深い。 やはりこの作家の魅力は未知数だ。 | ||||
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『春、バーニーズで』は、『最後の息子』の登場人物 筒井が主役の連作短編集である。『最後の息子』の筒井は、新宿のオカマ閻魔ちゃんと同棲していた。閻魔ちゃんに愛想をつかされるように、金をくすねたり、足蹴にしたりで気を引く、なんとも物哀しさが漂う自堕落でモラトリアムな男だった。 10年後の筒井は、会社に務め、子連れの女性 瞳と結婚し、まっとうな人生を歩んでいるようだ。多少のぎくしゃくはあるとして、連れ子の文樹とも、瞳の母とも上手くいっているし、幸福とよべる日々を過ごしているのだ。 本短編集の「春、バーニーズで」、「パパが電車をおりるころ」、「夫婦の悪戯」は、筒井の目から見た日常が活写されている。10年前に比べると、あまりに平々凡々たる日々。そんな中にも、違う人生が、染みのように影を落としていくようだ。 「春、バーニーズで」の再会した閻魔ちゃん、「パパが電車をおりるころ」のマックで隣り合わせた女性、「夫婦の悪戯」のはからずも告白してしまった男性との同棲生活。ついに「パーキングエリア」で筒井は、出勤途中、誰にも行方を告げずにふらりと遠出をしてしまう。別な生き方があったことにふと思いいたり、今のレールから外れてみたくなる というところだろうか。このあたりの感情的な動きは、「最後の息子」を読んでいた方がわかりやすい。最後の短編「楽園」では、”二つの時間を同時に過ごしている”ことを楽園として示唆している。 本短編集は、モノクロ写真のページが挿入されていて、フォトブックのような体裁だ。筒井が見たり、感じたりするものを表しているのかな。筒井の揺れ動いている感情を、つかむことはできると思う。 | ||||
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映画を観てとてもよかったので原作も読みたくなり購入。映画が原作の世界観をそのままに作られていることを確認できた。原作は、どこか読み手を突き放すような乾いた文体の中に、胸がヒリヒリするようなフレーズが溶け込んでいる。この感じ、すごく好き。間に挟み込まれた写真も気分を盛り上げる。この作品を読んで吉田修一さんの他の著作も気になり、次々読み始めているところ。でもいまのところ、バーニーズを超える作品はない。 | ||||
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デビュー作の主人公のその後を描いたものだが、すでにして懐かしく感じさせるのは巧みさゆえか? ハンドルを反対に切ってしまったゆえに、そのまま失踪してしまう男の心理が、いつもながらのありえないリアリティーでさすが! しかし、そのラストのキレは予想通りだといえ、ほっとさせる。ラストエピソードは、長さのために入れたのかもしれないが、この話には不要。面白いが…… | ||||
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妻と幼い息子を連れた主人公は、むかし一緒に暮らしていたその人と、偶然バーニーズで再会する。 氏のデビュー作である「最後の息子」における主人公のその後が綴られています。 「…なんていうのかな、二つの時間を同時に過ごしてるみたいなんだ」 | ||||
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散逸する社内での思考が描かれていて うまいなと思わせる(2作目) 短編と短編が連なり、軌道に乗り始めてきた時に、 突如おわる。 どういう構成??? この作品の価値は すばらしい タイトルにあると思う | ||||
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人生を生きていく中で、ときおり本道から外れて横道にそれそうになるときが、誰しもあると思う. この本の主人公筒井は本道からそれないように、きちんとまじめに生きようとしている. 妻の瞳と向き合い、血のつながらない子供の文樹とも向き合い、日々を過ごしている. だが、どこかで横道にそれる勇気がない自分をいくじがないように感じている. かつていっしょに棲んでいた相手とバーニーズでばったり会ったり、夫婦で嘘つき遊びをしてみたり、通勤途中に衝動的に日光にむかってみたり、、. 日常の中のふとした瞬間にその気持ちが見え隠れする. 読み進むうち、特に後半から、筒井のそんな気持ちがしんみりと伝わってきて切ない気持ちになる. 私にもあるよ、そんな時が!と筒井を励ましたくなってしまう自分がいた. | ||||
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誰でも年を寄りますが 最後の息子を読んでこの本を読むと少し悲しくなるかな。 そして夫婦で交わす質問 ちょっと きついかも。 | ||||
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同氏の小説「最後の息子」の続編。 結婚し、子供をもった30代男性の日常を上手く描いている。 吉田修一の作品のほとんどに言えることだが、リアリティに富み、主人公が身近に感じられ、作品に入り込んでしまう。 「最後の息子」を読んだ人には、是非とも読んでいただきたい。 | ||||
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読後は、期待していたような内容とのあまりのギャップに拍子抜けしました。でも、その後じわじわと主人公の気持ちに共感できるようになっていきました。誰もが持っているであろう、自分を「大人」にしてくれた出会い。短編だからこそ解釈は読み手に委ねられ、短編小説の醍醐味を存分に味わうことができました。 短編小説は少ない情報量で読者を物語の世界へと誘わなければならず、長編小説よりはるかに難しいと言われます。それだけに、タイトルも重要な要素。この作品は、「春」「バーニーズ」という一部の人なら確実に胸がときめくであろう記号を巧みに盛り込んだことで、勝負ありです。広告のキャッチコピーのように一瞬で読者を射抜く、優れたタイトルだと思います。 | ||||
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著者の「最後の息子」の「その後」ということで興味を持って覗きたくなった。 最後の息子ほどの新鮮さはもう感じられない。 何処にも属さずモラトリアムな生活を送っていた主人公も今や妻子持ち。 バツイチの妻の家に暮らす子煩悩なサラリーマン。 ある日、新宿のバーニーズで若い頃同棲していた相手(おかま)に出会う。 その時から自分の中の何かが動き出す。 自分がどこかに置き忘れてきたものをもう一度探してみたくなる。 今まで、意識的に探すことを封印してきた自分が見えてくる。 探すこと、見つけることで新しく失うものがあると分かっていながら。 一歩踏み出すか、そこに留まるか。 思い切って踏み出してほしいと思う気持ちと、止めるべきだと思う気持ち。 そんな、読む側の微妙に揺れ動く心情がそのまま作品にシンクロされる。 そして結末。。。。 もう、これで終わりにしたい。この後は読みたくない。 この主人公の人生をこれ以上覗いてみたいと思わない。 | ||||
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青年時代を通り抜けて、何気ない毎日に埋没しつつある夫婦の一瞬を切り取る。 買い物に出かけたデパートで気づく視線。その先にあるのは20代を一緒に過ごした人がいる。 その過去に懐かしさを覚えながらも今の自分とは相容れないことも感じている。 主人公夫婦の過去を少しずつ垣間見せながら、 今の日常生活がふっと崩れる瞬間を切り取っている。 | ||||
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東京郊外の妻の実家で日常生活を送るサラリーマンを主人公とした連作短編。 吉田修一は日常のスケッチが上手い。通勤風景ひとつを取っても、売店でスポーツ紙を買う若い女、口元から矯正器の覗く女子高生、下品な花柄の大きなバッグを抱えたおばさん...と、存在はしているのにこれまでの文学が見過ごしている風俗を活写している。 この小説は日常生活、自分という存在、他者との関係、そういったもののあやうさを描いている。場所を聞いていたわけじゃなくても駐輪場ですぐに妻の自転車を見つけられたり、唇の動きだけでお互いの言いたい事が伝わったり、少なくとも主人公夫婦はそういう関係にある。それでも、この主人公は、会社に車で向かう途中で、“衝動的に”ハンドルを左に切り、日常からの逃避行を図るのだ。そして、行き先として、高校の修学旅行で時計を置き忘れた日光東照宮を思いつく。それは置き忘れてきた時間、あったかもしれないもう一人の自分の人生に思いを馳せる小旅行だ。 日常生活の危うさは「狼少年ごっこ」と名づけられた夫婦の遊びにも象徴されている。お互いに嘘を付き合って、衝撃的な嘘を言ったほうが勝ち、という他愛の無い遊びだが、絶対に嘘に限るというルールなのに、主人公は「昔、オカマと同棲していた」と事実を語る。妻は「昔、オジサンに体を売ったことがある」と話す...みんな嘘のような過去を抱えながら、今は今の関係の中で生きているのだろう。 この連作短編は吉田修一のエッセンスは感じられるが、この作品から入ることはあまりお勧めできない。他の作品で吉田修一の魅力を感じてから、この作品を手に取ったほうがより味わえる、そんな小品である。 | ||||
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吉田修一さんの文というのは変に癖がなく、シンプルで読みやすい。読みやすいが故に、自分の中にすっと、登場人物たちの感情が入り込んでくる。 『春、バーニーズで』の最大の特徴は、その文字(言葉)の巧みな少なさではないだろうか。 夜、例えば夕食をとってしばらく、ふと何か本が読みたくなり、本屋へ足を運ぶとしよう。そこで手に取る作品。選定基準は、ざっとページを手繰ってみて、就寝までにさっくりと読みきってしまえること。 本書を構成する5つの短篇のうち、「パーキングエリア」までは連作として扱って良いかと思われる。 表題作「春、バーニーズで」、「パパが電車をおりるころ」、「夫婦の悪戯」と読み進めてきての「パーキングエリア」。この小説の最大の読みどころである。小説の雰囲気を象徴するシンプルな黒いカバー、そしてそれを包み込む藤色の帯。その帯の裏表紙側には『ふとしたはずみに、もうひとつの時間へ』とコピーが打ってあるが、主人公筒井はこの「パーキングエリア」で、『ふとしたはずみ』でもって『もうひとつの時間』へと流されてしまう。日中、周囲の心配に抗い一切の連絡を絶つ筒井。夕方、筒井は妻瞳にとあるホテルからその日の行動を詫びるのだが、そこでの瞳の返答『「……あ、文樹がね、今日幼稚園できゅうり食べたって」』には吉田修一さんの巧さを痛感させられることだろう。まるで頓珍漢なこの科白ひとつで前章までに描かれてきた筒井夫妻の日常があふれるような気がした。 逆接助詞を比較的使うのが唯一吉田修一さんの癖らしい癖だと私は思うが、「……だが、……」や「……。ただ、……」を使う効果は、この小説の読後に訪れる心が均されたような切なさに顕れているのではなかろうか。いや、「パーキングエリア」の後、一人称で描かれる独立したリリカルな短篇「楽園(Paradis)」への雰囲気作りともとれるだろうか。何れにせよ、小説の空気は最後まで乱れることがない。 すばらしい。 それから最後に。例の藤色の帯には表側に『小説を、贈る。』とある。私が誰かに本をプレゼントするとしたら間違いなく、本書を最有力候補とするだろう。 | ||||
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