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(短編集)
春、バーニーズで
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春、バーニーズでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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デビュー作の主人公のその後を描いたものだが、すでにして懐かしく感じさせるのは巧みさゆえか? ハンドルを反対に切ってしまったゆえに、そのまま失踪してしまう男の心理が、いつもながらのありえないリアリティーでさすが! しかし、そのラストのキレは予想通りだといえ、ほっとさせる。ラストエピソードは、長さのために入れたのかもしれないが、この話には不要。面白いが…… | ||||
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妻と幼い息子を連れた主人公は、むかし一緒に暮らしていたその人と、偶然バーニーズで再会する。 氏のデビュー作である「最後の息子」における主人公のその後が綴られています。 「…なんていうのかな、二つの時間を同時に過ごしてるみたいなんだ」 | ||||
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散逸する社内での思考が描かれていて うまいなと思わせる(2作目) 短編と短編が連なり、軌道に乗り始めてきた時に、 突如おわる。 どういう構成??? この作品の価値は すばらしい タイトルにあると思う | ||||
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人生を生きていく中で、ときおり本道から外れて横道にそれそうになるときが、誰しもあると思う. この本の主人公筒井は本道からそれないように、きちんとまじめに生きようとしている. 妻の瞳と向き合い、血のつながらない子供の文樹とも向き合い、日々を過ごしている. だが、どこかで横道にそれる勇気がない自分をいくじがないように感じている. かつていっしょに棲んでいた相手とバーニーズでばったり会ったり、夫婦で嘘つき遊びをしてみたり、通勤途中に衝動的に日光にむかってみたり、、. 日常の中のふとした瞬間にその気持ちが見え隠れする. 読み進むうち、特に後半から、筒井のそんな気持ちがしんみりと伝わってきて切ない気持ちになる. 私にもあるよ、そんな時が!と筒井を励ましたくなってしまう自分がいた. | ||||
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誰でも年を寄りますが 最後の息子を読んでこの本を読むと少し悲しくなるかな。 そして夫婦で交わす質問 ちょっと きついかも。 | ||||
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著者の「最後の息子」の「その後」ということで興味を持って覗きたくなった。 最後の息子ほどの新鮮さはもう感じられない。 何処にも属さずモラトリアムな生活を送っていた主人公も今や妻子持ち。 バツイチの妻の家に暮らす子煩悩なサラリーマン。 ある日、新宿のバーニーズで若い頃同棲していた相手(おかま)に出会う。 その時から自分の中の何かが動き出す。 自分がどこかに置き忘れてきたものをもう一度探してみたくなる。 今まで、意識的に探すことを封印してきた自分が見えてくる。 探すこと、見つけることで新しく失うものがあると分かっていながら。 一歩踏み出すか、そこに留まるか。 思い切って踏み出してほしいと思う気持ちと、止めるべきだと思う気持ち。 そんな、読む側の微妙に揺れ動く心情がそのまま作品にシンクロされる。 そして結末。。。。 もう、これで終わりにしたい。この後は読みたくない。 この主人公の人生をこれ以上覗いてみたいと思わない。 | ||||
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東京郊外の妻の実家で日常生活を送るサラリーマンを主人公とした連作短編。 吉田修一は日常のスケッチが上手い。通勤風景ひとつを取っても、売店でスポーツ紙を買う若い女、口元から矯正器の覗く女子高生、下品な花柄の大きなバッグを抱えたおばさん...と、存在はしているのにこれまでの文学が見過ごしている風俗を活写している。 この小説は日常生活、自分という存在、他者との関係、そういったもののあやうさを描いている。場所を聞いていたわけじゃなくても駐輪場ですぐに妻の自転車を見つけられたり、唇の動きだけでお互いの言いたい事が伝わったり、少なくとも主人公夫婦はそういう関係にある。それでも、この主人公は、会社に車で向かう途中で、“衝動的に”ハンドルを左に切り、日常からの逃避行を図るのだ。そして、行き先として、高校の修学旅行で時計を置き忘れた日光東照宮を思いつく。それは置き忘れてきた時間、あったかもしれないもう一人の自分の人生に思いを馳せる小旅行だ。 日常生活の危うさは「狼少年ごっこ」と名づけられた夫婦の遊びにも象徴されている。お互いに嘘を付き合って、衝撃的な嘘を言ったほうが勝ち、という他愛の無い遊びだが、絶対に嘘に限るというルールなのに、主人公は「昔、オカマと同棲していた」と事実を語る。妻は「昔、オジサンに体を売ったことがある」と話す...みんな嘘のような過去を抱えながら、今は今の関係の中で生きているのだろう。 この連作短編は吉田修一のエッセンスは感じられるが、この作品から入ることはあまりお勧めできない。他の作品で吉田修一の魅力を感じてから、この作品を手に取ったほうがより味わえる、そんな小品である。 | ||||
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若い頃には、確実な道が安楽な道に見えることがある。しかし若くなくなると、 その安楽な道に必死に引き返そうとしている自分に気づく。 なるほどなあ〜〜と思った作中の文章であります。 | ||||
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小説にも、主食 副食 橋休め デザート ジャンクフード と、色々タイプがありますが、 これは、ワインにあう軽食といった感じ。 短編集で、気軽に読めます。 ほんと、お風呂上りにお酒を飲みながら、ゆっくりかる〜く 読むのにお勧め。後読感も悪くない感じ。 20代後半〜30代にお勧めの一冊です。 | ||||
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東京郊外の妻の実家で日常生活を送るサラリーマンを主人公とした連作短編。 吉田修一は日常のスケッチが上手い。通勤風景ひとつを取っても、売店でスポーツ紙を買う若い女、口元から矯正器の覗く女子高生、下品な花柄の大きなバッグを抱えたおばさん...と、存在はしているのにこれまでの文学が見過ごしている風俗を活写している。 この小説は日常生活、自分という存在、他者との関係、そういったもののあやうさを描いている。場所を聞いていたわけじゃなくても駐輪場ですぐに妻の自転車を見つけられたり、唇の動きだけでお互いの言いたい事が伝わったり、少なくとも主人公夫婦はそういう関係にある。それでも、この主人公は、会社に車で向かう途中で、“衝動的に”ハンドルを左に切り、日常からの逃避行を図るのだ。そして、行き先として、高校の修学旅行で時計を置き忘れた日光東照宮を思いつく。それは置き忘れてきた時間、あったかもしれないもう一人の自分の人生に思いを馳せる小旅行だ。 日常生活の危うさは「狼少年ごっこ」と名づけられた夫婦の遊びにも象徴されている。お互いに嘘を付き合って、衝撃的な嘘を言ったほうが勝ち、という他愛の無い遊びだが、絶対に嘘に限るというルールなのに、主人公は「昔、オカマと同棲していた」と事実を語る。妻は「昔、オジサンに体を売ったことがある」と話す...みんな嘘のような過去を抱えながら、今は今の関係の中で生きているのだろう。 この連作短編は吉田修一のエッセンスは感じられるが、この作品から入ることはあまりお勧めできない。他の作品で吉田修一の魅力を感じてから、この作品を手に取ったほうがより味わえる、そんな小品である。 | ||||
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