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疾走
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疾走の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全215件 61~80 4/11ページ
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一気に読みました。 何ともいえない苦しさが残りました。 この本は何を伝えたいのか? ただ、自分の子供たちを暖かく抱きしめたくなりました。きっとその安心感は魂に刻まれるのだと思えたから。そして、もう一つ、寂しいと言えない寂しさがあるんだということ。 性描写も随所に出てきますが、いやらしさは感じず、主人公の温もりを求める悲しみが一層突き刺さってきました。 今はまだ無理ですが、いつかまた読み返すと思います。 | ||||
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上下巻読み終えてのレビューです。 青春というものは残酷で薄情で、なんと危ういものかと、背筋を寒くしながら読みました。 不条理や無力にあらがえず、行き先も見えずにただただ苦しむ「こども」と闘うことすら放棄し、ただ逃げ惑う「おとな」たち。 「何のために生きているのだろう」呟きながらも答えを見出せません。 例えばシュウイチと神父の対峙するシーン、もしくは死刑囚とシュウジが対峙するシーンなど。 生きてく意味を見いだせない人の心の叫びがこれ以上ないほど鮮明に、絶対的な神の視点を持つ「語り手」によって描かれます。 これほどまでに魂に呼び掛ける作品はそうそうないと思います。 上巻、下巻それぞれ3時間ほどで一気に読み切ってしまいました。 上巻は中学生でも読んで欲しい内容ですが、後半の描写はあまりに過激で、大学生以上にしか勧められません。 殺人や性交シーンの過激さに目を奪われ、高校生ではちょっと本質が読み取れないのではないかと思います。 とはいえ本当に「面白かった」小説です。 ★5つです。 | ||||
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上下巻読み終えてのレビューです。 青春というものは残酷で薄情で、なんと危ういものかと、背筋を寒くしながら読みました。 不条理や無力にあらがえず、行き先も見えずにただただ苦しむ「こども」たちと 闘うことすら放棄し、ただ逃げ惑う「おとな」たち。 「何のために生きているのだろう」呟きながらも答えを見出せません。 全編を通し、生きていくこと、一人でいることの意義をリアルな描写をもとに問い続ける作品です。 それはのど元にナイフを突き付けられたような恐怖にみちた旅でした。 下巻においてはホテルでエリと対峙するシーンの「救いのなさ」は絶筆に尽くしがたいものです。 また神のごとき視点をもった語り手の存在もこの小説の大きな特徴のひとつです。 まさしく海鳥のように高い場所から、語り手は主人公を見守り続けます。 無垢な視線で故郷を眺めていたころから、岸辺に打ち上げられるその日まで。 上巻は中学生でも読んで欲しい内容ですが、後半の描写はあまりに過激で、大学生以上にしか勧められません。 殺人や性交シーンの過激さに目を奪われ、高校生ではちょっと本質が読み取れないのではないかと思います。 とはいえ本当に「面白かった」小説です。 ★5つです。 | ||||
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最後まで、本の中で「おまえ」と言っている人物が誰かわかりませんでした。 タイトル通り、短い一生を走り続けた少年の物語。 内容は悲しかったです。 日本語が生き生きとつづられていて、 本作はその文章に大変引き付けられました。 一方で内容は、波乱万丈という意味で刺激が強いので、 私は朝読むと気持ちが沈むことがありました。 ですが、これは友人にすすめたい本の一冊です。 | ||||
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私は重松清さんの作品は過去に何度か読んだことがなく、このインパクトのある表紙も気になり興味本位で買いました。 読み始めてみたらもう時間を忘れました。 これでもかってほど酷い人生が痛々しくリアルに書かれています。 どこか生々しい書き方だなと私は感じました。 世代を問わずに見て欲しい作品です。 おまえ、という問いかけはシュウジに対してだけ言っているわけではないはずです。 | ||||
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人生を駆け抜けに駆け抜けた少年の物語。生きるってのは大変なんだなぁ、でも生きることをさまたげるのはにんげんで、そいでもって、生きるのに必要なのもやっぱりにんげんなのだよなぁ。疾走したシュウジの人生の後はなぜか爽快感や達成感さえ残る風景で終わっていた。しかし、最近やたらと「シュウジ」って名前を聞くな・・・はやり??自分の周りだけ??映画化するとのこと。監督はSABU監督らしい。SABU監督ならあの疾走感と最後の爽快感を再現してくれるだろう。期待大である。 | ||||
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先の見えない展開。主人公シュウジはどうなってしまうのだろうか。一気に読み終えました。 そして読みながら「ひとり」とは一体なんなのだろうか。にんげんてなんなんだろうか、とシュウジが様々な人間と関わりそして悩み苦しむ様を見ながら読者である私も考えていました。著者は問いかけてきます。非常に考えさせられる作品なのではないでしょうか。 読み終えたあとに、更にもう一度という具合に深く文章を味わいたい。そう思わせる作品です。 | ||||
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人が孤独であること。人は人と繋がりあうことなど実は決してないこと。人の一生には救いもなければ、絶望もないこと。いかなる宗教も答えは示してくれないこと。 自明のことでも、こうした作品にされるととても悲しく、辛い。普段のリアルな人生だって十分悲しく辛いのに、読み出したら痛みが伴う。涸れたはずの涙まで出てくる。 深い悲しみや辛さを知っている人は読むのは控えられた方がいいかも知れません。 逆にそうした感情をこれまで抱いたことがない、ハッピー人生の方には一読することをおすすめします。 救済のない孤独ってどんな感じか、シミュレーションできます。 地獄ですよ、ホントに……。 | ||||
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「おまえは・・」と二人称で表現される文章。神父が語り部となり、ある少年の 己の生涯に対しての「疾走」を回顧していく形で物語は進んで行きますが、この 手法が少年のギリギリの生や躍動感を増幅させる形となり、非常に響いて来ます。 悲劇的、刹那的で焦燥感にすら駆られる本作品を読んで、心を震わせて下さい。 読み進めるうちに、断崖絶壁にいるような、刃物の上に立っている様な、キリキリ と胃が痛み、身悶えするような衝撃を受けると思います。 良作です。 | ||||
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田舎町の平凡な家庭に生まれた少年の物語。 平凡な街の、平凡な家庭に育ったのに、歯車が少しずつずれて、気が付いたら彼がいるところは、 本来の場所とは遠くかけ離れたところに、 そしてそこには彼の家族はいない。 少年は、15年間の人生を、疾走する。 作品としては、少年の絶望と、でも、誰かと生きていたい、つながっていたいという 心の叫びを一貫して描いており、優れていると思う。 ただ…とても残酷な描写が多くて、私の好みではありませんでした。 残酷で残酷で…いろんなめに遭っても、少年は誰かとつながっていたかった。 その少年の想いが、読者として、唯一の救いでした。 | ||||
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「疾走」というタイトルの通り、駆け抜けるようにストーリーが展開していきます。 遅れ気味のスタートから、いつの間にか速度を上げていき、やがてトップスピードにのり、いつの間にか読了している、そんな小説でした。 毎度のことながら、著者の筆力、読ませきる力には、ただただ、感服です。 ただ、あえて苦言を呈するなら、下巻からの目まぐるしい展開に多少の違和感を覚え、市井の生活をリアルにあぶりだす力に長けた著者にしては、珍しく、作られた感が否めないことも事実です。 余談ですが、登場人物の“エリ”を想像するとき、常に沢尻エリカが頭に浮かんでいました。映画化の際には、ぜひ演じてもらいたいです。 | ||||
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『疾走』がごとく、 先の読めない展開に、一気に読みきってしまった。 重松さん独特の温かさは残しつつ、 どちらかというと熱さ、刺々しさが強い。 私が読んできた重松作品の中では、 異色の部類に入るのかもしれない。 ラスト。 大好きな別作家にはなるが『白夜行』を思い起こした。 きっと、主人公へ贈る、雪が思い出の干拓地を白く染めたにちがいない。 | ||||
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もっと早くこの本に出会いたかった。できれば高校生くらいの時に。 シュウジ達に近い学生の時に読み、20代に読み、子供を持って30代・40代に読めば、その時々でまた思うことが違ったり見えないことが見えたりする本だと思う。 残念ながら学生時代を過ぎてしまった私は、シュウジに近いところまでは気持ちを重ねられない。 しかし逆に、シュウジの両親の脆さとずる賢さには腹立たしい。浜の大人たち・神父も同様だ。何故見て見ぬふりをするのか、シュウジを受け止めてやらないのか。彼はこんなにも自分に真っ直ぐで寂しい人なのに。 色んな思いが交差して心苦しいけれど、出会えてよかった一冊。 | ||||
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読むと苦しい。あまりにも救いがなさすぎる。 それなのに、最後まで目をそらせなかった。そうしてはいけないような、気持ちになった。 実は表紙が怖くて、買ってから長いこと読んでいなかった。 重松さんの本は、あたたかくてせつなくて、泣けてくるのもあれば、この本のように、ほんとに、読んでて苦しくて、たまらなくなるものもある。私が初めて読んだ重松さんの本も、どちらかというとそうだった。この人は、人が見たくなくて目をそらしたくなるような心の奥底の、決してうつくしいとは言えない部分も、しっかり描き出すひとだなあと思う。だから、読みたくないときもある。とくに、この本は、なんでここまで・・・と思わずにいられなかった。架空のものがたりに思えなくて。だから、このあまりの悲惨さに、シュウジが架空の人物だと思いたくても思えないくらいの悲惨さに、息苦しくてつらかった。 それでも、そんな中に、光る、人の心の中のうつくしい部分が描かれて、惹きつけられる。 すごい本だと思う。・・・でも、もう一度読みたいとは、ぜったいに、けっして、思わない。 | ||||
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小説内でも何度も引用されて出てくるけど、 自分も「ヨブ記」を連想しながら読みました。 なぜ神は、ここまでこの人に試練を与え続けるのか。 ヨブ記を読んだ人も、これを読んだ人もきっとそう思うでしょう。 そうして、作中で問われたように 「本当に人間は平等なんだろうか?公平なんだろうか?」と思う。 作中に答えはあるが、でも、読めばやっぱりそう簡単には答えられない。 主人公の背負わされた家族の、最終的には街ひとつ分の (エリ風に言えば)人間の弱さの重さを思えば なぜ、この子だけがと思う。最後に重たさが強烈に残る。 全体として重松作品の中ではすごく異色だけど 家族というテーマや、現代人の苦しみに「つながり」を選んだとことか やっぱり、この人らしくも感じた。 軽々しくは読めないけど、読んでよかったなと思える作品だと思います。 | ||||
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重松清は語っている。「自分の小説が誰かの救いになるとは思えない」。 そう語る理由は、重松自身が「救い」「救われる」ことの難しさを知っているからだと思う。 重松清はずっと、「救い」について描いてきた作家である。 ときにユーモラスに、ときに救いを描かぬ形で、物語に「救い」を浮かび上がらせてきた。 ご都合主義的な「救い」ではなく、希望の光が差し込むか否かのリアルな「救い」を狙って。 「ナイフ」にせよ「ビタミンF」にせよ、「見張り塔から」でさえ、そうだ。 それでも、いやだからこそ「疾走」以前の重松は、究極の「救い」を描かなかった。 究極の「救い」を描くなら、救われる前の困難が本当の地獄でなければならないから。 その地獄を描くことは、時には嘔吐をもようすような、険しい道だから。 またたとえ地獄が描けても、それに見合った「救い」を描けなければ失敗となるから。 重松は、鋭敏な嗅覚で、それらのリスクを十分に知り尽くしていたに違ない。 そんな重松が、ついに究極を描こうとした。それがこの小説、「疾走」である。 なぜ描こうとしたのか。理由は、ただ一つだと思う。重松は、覚悟を決めたのだ。 では、果たして重松清は「疾走」を描くことで、究極の「救い」にたどり着けたか。 作中、主人公の心情の折り重なりが、ところどころぶれているように感じる。 そこまで上手く出来事が積み重なってなるものか、という部分もある。 それでもこの作品が相当の高みに達していることは間違いない。 おそらく重松清は、ギリギリまで自分を追いこんで、この作品を生み出したに違いない。 究極の「救い」が描かれているのかどうか、それは読んでみて、確かめてほしい。 日本屈指の手練である重松清の最高傑作に、私は「疾走」を推す。 | ||||
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読んでいる間中、多分誰もが目撃したり体験したことのある不幸な大小の傷を ひとつに集め生傷のまま手加減なしに、「それを見続けろ」と言われてるような感覚でした。 あまり若いときに読んでしまうと、リアリティがありすぎるのと、消化方法がわからず、 ただただつらくなるかもしれないと思いました。 女性たちの内面描写でほんの少しの違和感を感じる部分もありましたが、暗くて救いがない話を軽々しく次々とページをめくることができたのは、全体を通したスピード感に飲み込まれていたからだと思います。 読後は「すっきり」というわけにはいきませんが、それぞれの登場人物のそれからを、祈りのような想像で余韻にひたる時間になりました。 | ||||
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初めて本を読みながら泣きました。 これまではどんなに感動しても目が潤む程度だったのですが、この作品は自然に涙が眼から零れおちました。 主人公たちが使う方言も物語の見どころの一つだと思います。 是非、子供たちに読んでほしい作品です。 | ||||
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重松清『疾走(上・下)』角川文庫 前半は崩壊の話です。家族の崩壊、学校の崩壊、町の崩壊、シンボルタワーの崩壊、にんげん関係の崩壊、そして、おまえ自身の崩壊…。 どうしてこんなことになってしまうのだろう? おまえの周りに広がる景色は、哀しいことに、とても荒んでいる。絶望的に、と言ってもよい。中学生のおまえには、たしかに、きびしいだろう。おまえの頭が壊れても、仕方がない。それでも…。 そもそもの始まりから、なにかが間違っている、のだと思う。 でも、間違ってない世界なんか、ない、とも思う。 『疾走』は、とても息苦しい小説です。そしてきっと、悲しいけれど、ものすごく現実的な物語でもあるように思います。この息苦しさは、きっと、ぼくらがみんな、味わっているものでもあるように、感じるのです。 そして後半は、壊れたものを直そうと、ただひたすらに疾走するおまえの話です。でも、壊れてしまったものは、もとには戻らないし、あらたに作り上げることなんか、おまえには、できっこありません。だから、今度はおまえが、世界を壊す番なのです。おまえがひとを殺す番なのです。 だから『疾走』は、ほんとうに怖い小説でもあります。なんど目を伏せようとしたか。知らないふりをしたことか。やり過ごそうとしたことか。そしていま、それを忘れようとしていることか。そんな卑怯な自分を、まざまざと見せつけられる小説です。 だからいま、これは何かの間違いなんだと、むなしくも、願うだけです。ほらまた、目をそらしました。 そうでなくて、神父さんにならって、おまえのことを、ただひたすらに祈りたいと思います…。 でも、ぼくにそれができるだろうか…? | ||||
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こんな…信じられない…衝撃的です!こんなに本の主人公に引き込まれたのは、私の中で疾走が一番です。しばらく「シュウジ」がずっと離れません。 私はこの本を読んで重松清の大ファンになりました! | ||||
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