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アンチェルの蝶
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アンチェルの蝶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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久しぶりに遠田さんの小説を読んだけど、相変わらず基本重い。主人公は暗い過去を背負ってる男の人のことが多く、今回の藤太もそう。 過去と現在が同時に交互に書かれ、過去に何があったのか、はっきりわかるのが後半になってから。気になってどんどん読んでしまった。 最後、もう少し明るい未来が見えるところまで書いてほしかったので、マイナス1。でも、とてもしっかりできあがっていて、さすが遠田さんといったところ。 | ||||
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この著者の作品の中で一番つまらなかった。 期待していただけにガッカリした… | ||||
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時間を忘れるほど没入できる小説に出会うと、もっと先を知りたくなってページをめくるペースが上がります。しかしそれと同時に、いつまでもこの世界に浸っていたくてページをめくることが惜しい気持ちにもなります。そんなジレンマに陥らせてくれる作品でした。現在と過去の出来事を交錯させながら少しずつ物語の輪郭を明らかにしていく書き方は、もどかしく感じる方もいらっしゃるかもしれません。それでも我慢して読み進めてほしいと思います。後半は息苦しさを覚えるくらいのつらい内容もありますが、それだけラストの感動も大きくなります。途中、さりげなく記される「消火器」「グラン・ジュテ」などの言葉も終盤で活かされるようになっており、作者が綿密に計算して執筆した作品であることがうかがいしれます。遠田潤子さんの小説は『雪の鉄樹』に続いてまだ二作目ですが、そちらよりも完成度は高いと思います。他の作品も早く読んでみたいと思いました。 | ||||
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子供と親の関係。暴力的でインモラルな親を持った子どもたちの救いの無さが随所に現れる。 圧倒的な支配力を有する親という大人。子供時代には、まさに、神のような存在である。 良い神に出会えるか、邪悪な神かを子どもは選べない。全編を通して感じるこの無力感は半端ではなかった。 一筋の光としてのかつての想い人の娘。被虐待の記憶と犯罪の記憶を持ちながらも、 一瞬の光を夢見た主人公の悲しい物語であった。 子供時代の強い絆が最終的にぐらぐらと揺らぐのだが、なんだか最終局面で物語が少し安易な方向に傾いた気がするので、ちょっと残念だった。 | ||||
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冴えない呑み屋を営む持つ男のもとに、友人の男が幼い娘を連れてきて、面倒をみることになるところから話は始まる。この娘は誰だ?友人はどうなったのか?男の過去は何だ?事故なのか事件なのか?暗い暗い過去が徐々に明かになるが、イヤな感じが増えていくイヤミス。ラストくらいハッピーになってほしいいものです。 | ||||
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どこにも救いのないストーリー。 前半は過去の出来事を伏せて進むので、何がどうだからこうなっているということが理解できない状態が続き、イライラ感あった。 それがこの作品のよさなのかもしれないが、私には合わなかった。 | ||||
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「雪の鉄樹」、「冬雷」、「オブリヴィオン」に続き、本書を読みました。 あともう少しで羽化しきれなかったアゲハチョウ。 非情の切なさ。 そんなアゲハチョウにもいのちがある。 家族全員が強制収容所に送られたチェコの指揮者カレル・アンチェル。 ドヴォルザークの交響曲第9番、新世界より。 厳しく愁いがありつつも、穏やかに心が落ち着いてくる。 歩んできた人生の流れとともに、いのちある光が見えてきそうだ。 生き生きとし、しあわせいっぱいでロマンチックだったころ。 切ない清純な愛に心がうたれる。 どろどろしたなかで、うごめく。 希望のグランジュテは高く跳躍する。 | ||||
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著者の遠田さんの新作「冬雷」を読み、他の作品も読んでみたいと思い、本書を選びました。 「冬雷」とも通じるのは、大人達の身勝手に翻弄され続ける子供達の悲劇です。親のギャンブル狂い、宗教狂い、暴力等々で、人並みな生活を送れない子供達。同じような境遇の同級生、藤太、秋雄、いづみの3人は、庇いあい、励ましあい、寄り添うように生きていきます。しかし、今のような最低の生活から脱したい、新しい未来が欲しいと切望し、思い詰めて起こした事件がもとで、3人は中学卒業後それぞれの道を進み、会うこともなくなります。 ところが25年後のある夏の日に突然、藤太のもとに、いづみの娘・ほづみという10歳の少女を伴った秋雄が訪れ、「夏休みの間、ほづみを預かってほしい」と、詳しい説明もなく去っていき、そこから新たな事件が起こり、過去の秘密も明らかにされていきます。 過酷な環境で育った子供達は、頑なになってしまい、本音も漏らせず、気軽に大人に頼るということもできず、何事も自分ひとりで抱え込み、更に事態を泥沼化させてしまいます。大人になっても本質的にはその気質は変わらないようで、彼らの思い込み、意固地さ、過度の執着心が新たな悲劇を引き起こし、読んでいてこちらも息詰まるような思いになります。 物語の中で唯一救いなのが、ほづみの存在なのですが、彼女のこれからが、「夏休み」が終わった時にどうなるのかがわからないまま終わってしまい、心配で切なく思いました。 | ||||
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大阪の港町で居酒屋を経営する藤太(とうた)の元へ、中学の同級生・秋雄(あきお)が少女ほづみを連れてきた。奇妙な共同生活の中で次第に心を通わせる二人だったが、藤太には、ほづみの母親・いづみに関する二十五年前の陰惨(いんさん)な記憶があった。少女の来訪をきっかけに、過去と現在の哀しい「真実」が明らかにされていく――。絶望と希望の間で懸命に生きる人間を描く、感動の群像劇。 | ||||
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この人の本はどうしてこうも切なく苦しくなるのか。 登場人物が実に味わい深いですが、 「おもしろかった」といってはいけないような本です。 著者の経験?体験?背景が気になるなぁ~。 でも、最後は前向きなので、救われました。 | ||||
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ずしっ、と来る作品でした。早く、先が読みたくて、次の日仕事なのに、夜中過ぎまで、読んでいました。重い内容でしたが、ラストは、さわやかで、私向きの作品でした。また、遠田さんの本を読んでみたいと思いました。 | ||||
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父親たちの短慮で壮絶な暴力、唾棄すべき劣情の表現はすごい。新堂冬樹の一連の作品(もちろん「黒新堂」のほう)を想起させる。大阪弁とあいまって、とにかくえげつない。自分の糞尿を舐めさせられるように、とことん醜悪の最底辺まで連れて行かれる。そして息子たちの決意と実行に至るまでの回想部分は圧倒される。――のだが、25年後の展開をこんなふうにしちゃって、ちょっとなあ。圧倒されるままに読み終えたかったなあ。というわけで、星ひとつ減。 | ||||
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もうすぐ4作目が出るとはいえ、デビュー以来4年強で3作しか上梓されていない寡作な作家だが、作品はどれも大変素晴らしい。 本作は2作目だが、3作目の「鳴いて血を吐く」と甲乙つけがたい秀作である。 「鳴いて血を吐く」でも書いたと思うが、作風は連城三紀彦を現代的にした感じもあり、ミステリとしても、ハードボイルドとしても非常に上手くまとめられていると思う。 次作も大いに楽しみである。 ちなみにアンチェルといってもなんのことだかわからない方が多いと思う。 私も最初タイトルを見たとき、自分も知っている、まさにその「アンチェル」のことだとはまさか思わなかった。 まったくネタバレではないのでヒントだけいうと、アンチェルとは蝶とはまったく関係のない「人名」であり、 ああ!と思った人はそれが正解である。 (多分それでわかる人は世の中で10%いるかいないかだろうが、ググればすぐわかる) 興味がある人もない人も、是非ご一読を。 | ||||
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鳴いて血を吐く→月桃夜→アンチェルの蝶と読み進みました。 三作ともに流れる哀しみ。 この世に生を受けるのは、その時点で「運」ということ。 生まれる時・場所・親・・・ 自分で選んだわけじゃない。 自分でどうしようもないことに翻弄されつつ、 そこから逃げ出したくても逃げるすべもなく、 その中で「この人でなければ」という人との出会い。 その出会いがまた、周りも自分も傷つけて・・・ 切ないとかそんな言葉じゃ表しようもない。 そして、圧倒的な暴力 長い歴史の中で繰り返されてきた男の暴力 中学生の娘を借金の肩に売る男がいて、 息子の同級生の中学生を廻す父親たちがいて、 愛する女を守っているつもりが反対に守られていたことに傷つく男もいれば、 愛する女がどうしても振り向いてくれなくて憎さ百倍になる男もいて。 そして息子を捨てていなくなる母親がいれば、 娘がどんなひどい目に合っていても見ないふりの母親がいて。 それでも親を殺してはいけないのですか?という問いかけと、 それでも親を殺した重みを背負うのはつらいという思いと。 この小説を読んで こんなのどうせフィクションだしw これくらいの暴力はよくある話だしw これくらいの暴力描写は物足りないしw などという人とは絶対に平行線だろうな。 確かに世の中にはもっと悲惨な事はたくさんあるのかもしれないけど。 それでもやはりこの小説の中の世界は本当に切なかったです。 | ||||
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予備知識も無く、何となくタイトルに惹かれて手にした本書であるが、哀しみに満ち溢れた何とも言えない深い余韻を残す、素晴らしいノワール小説であった。 大阪で鄙びた居酒屋を営む主人公の藤太の元に25年間交流の無かった中学の同級生・秋雄が訪れる。秋雄に同行して来たのは少女・ほづみ…25年間封印してきた少しづつ事実が明らかになり… かつて北方謙三の初期のハードボイルド小説、馳星周のノワール小説、或いは天童荒太の小説にも雰囲気が似ている。女性作家だと海野碧が同じような作風の小説を書いているが、海野碧の文体がドライなら、遠田潤子の文体はウェットである。行間から滲み出す絶望と哀しみ、僅かな光が少しづつ物語を盛り上げていく。 解説によると、この作品は遠田潤子の長編二作目であり、第一作はファンタジー小説だったようである。 | ||||
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よくある話っちゃあ話なのですが、 圧倒的な筆力で読ませる読ませる。 女性作家の著であるのに、(いい意味で)女性臭さを感じさせない、骨太な仕上がり。 かといって登場人物たちの細かな心理描写も決して怠っていないし、 安心してその世界に身を委ねられる物語だった。 ただひとつ難をいうなら、構成力の甘さ。 あまりに障害なく淡々と進む物語に、退屈とまではいかなくてもどことなく物足りなさを感じた。 謎の真相も意外というほどでもないし。 あ、それと何よりいやだったのは、魅力も人望もある人物が実は事件の黒幕だった、 という展開が二度も出てきたこと。 そういうのは一度だけで十分。 しかも「そうだったのかー騙されてたぜ!」的高揚を抱かせるような描写はされていないので、 ただただ幻滅しそのことがひたすら残念だった。 十歳の少女ほづみちゃんがひたすら可愛くて癒されましたが。 おすすめ。ミステリ初心者には特におすすめ。 主人公がやたら「くそ!」を連発するけれど慣れれば(笑)気になりません。 ちなみに「グラン・ジュテ」とはバレエ用語で「跳躍」を意味するそうです。 | ||||
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