■スポンサードリンク
黒死館殺人事件
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
黒死館殺人事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全95件 41~60 3/5ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
どうやってこの中で述べられているような知識を仕入れたのかが永遠のミステリーである。 言うまでもなく『黒死館殺人事件』は収録されているし,塔晶夫による解説,松野画伯による挿絵などの理由からこの創元推理文庫をおすすめする。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この時代にこの知識を持っていること自体が一番のミステリーな気がするペダンチックな作品です。 そして、事件と探偵の推理が噛み合ってない珍しい推理小説でもあります。 アンチミステリーの原点、三大奇書なだけあって、斜め上の方向で、推理を拒みすぎです。 そこが、この作品のいい点なのは、やっぱりおかしいのでしょうか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
事件の展開などが良くできている本だと思う。他の殺人事件と比べ面白かった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
無料で読める電子本なのでダウンロードさせていただきました。とても満足しています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白いといえば面白いんだけど、結局何が起こって、誰が犯人だったのかが、読了後しばらくすると記憶から遠のいてしまっている。それだけこねくり回された論理が張り巡らされているストーリーってことかな? まあ、単純ではないですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
つごう三度目の完読。 最初に読んだのは十代のときだった。 めくるめくペダントリーに圧倒されたものだった。 三十代で再読し、登場するペダントリーの半分弱程度は知識があったが、相変わらず意味不明だった。 ただし、ストーリーは初読時と比べれば理解できた。 そのうすっぺらさに残念な思いもした。 さきごろ、五十代も後半になって三度目となったが、意外とこれが楽しめた。 なにしろ、ペダントリーのかなりの部分が理解でき、また頻繁に登場するルビのいいかげんさも分かるようになっての完読である。 著者の気分になってこのいいかげんさを楽しむ、というのが人生の後半になってようやくできるようになった。 そう、本作は著者がそのペダントリーを虚実ないまぜにして露出することで、読者をだまし煙に巻くというスタンスの、つまりは作者が読者に仕掛けた作品なのである。 ある意味、最近の作家が読者に仕掛けるミステリの先駆といっても良い作品なのである。 そこが楽しめる人にとっては、読んでいてニヤニヤが止まらない作品といえるだろう。 ただし、登場人物にまったく魅力や人間味がない、というのは何度読んでも変わらない感想だ。 まったく頭の中に登場人物のイメージが浮かばないミステリというのは、同時代の作品にはけっこうあることは確かなのだが。 ただし、三度目になってようやく真犯人だけは少しイメージできるようになった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミステリとは何だろう? 若い頃から断続的にミステリを読んできた者にとって、ミステリに何を求めるべきか、ふと考えてしまう。殺人事件があり、誰がどうやって犯罪を実行したかの謎解きをしていく過程を描いた小説と定義づけはできる。しかし、わたしがこれまで読んできたミステリで特に記憶に残る諸作を振り返ってみると、必ずしもいわゆるトリックが意表を突いた鮮やかなものだったわけでも、犯人が意外な人物だったわけでもないのである。では、わたしにとって、すぐれたミステリとはどういうものなのであろうか。前置きはここまでにして、『黒死館殺人事件』である。今から30年ほど前、歌人の塚本邦雄が新聞の文化欄の小さなコラムでこの作を激賞していたのを目にして、当時刊行中だった現代教養文庫を購入して一読したのが最初だった。まだウンベルト・エーコの『薔薇の名前』が一世を風靡する前の時代に、このようなペダントリーに満ち溢れた絢爛豪華なゴシック調のミステリは存在しなかったはずで、世界ミステリ史上特筆に値する。謎解きの過程で探偵法水が展開していく抽象推理は現実的にはありえないものであり、犯人特定には何ら有効ではないにもかかわらず、なぜかわたしにはまるで気にならなかった。それどころか、いまだかつて読んだことのない装飾過剰で異様なその世界に幻惑され、翻弄され、心地良く眩暈に襲われるという前代未聞の体験を味わわされたのだった。その後、日本ミステリ史上に名高い『ドグラ・マグラ』や『虚無への供物』も読んだが、中では『黒死館』の醇乎一徹ぶりが一頭地を抜いており、「終生忘れない」との塚本の激賞がわたしには当然だと思われた。『黒死館殺人事件』こそがミステリの極北であり、甘っちょろい読者をたじろがせ、容易にその登攀を許さぬ険しい高峰として今後も屹立し続けるであろう。わたしにとってすぐれたミステリとは何かと問われれば、この作品の名をためらうことなく挙げる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読んでいて、全く内容が解りません(笑)。漢字が難しいだけでなく、法水の状況説明も理解出来ません。更に意味不明な宇宙論やら…???が続き、解読不能になります。しかし、「何が起きているのか良く解らない」これこそが作者の仕掛けた最大のトリックではないでしょうか?普通に記述すれば誰でも解る簡単な事件を、意味不明な文章で着飾り、何が起きているのか解らなくする究極の大トリック(笑)だと。ですから、諦めずに読破することをオススメします。「ミステリー史に残る名作」とまではとても思えませんが、一読の価値はあるかと思います。『国死館殺人事件』を読破する人、ミステリーマニアと言うか変人の証明です(笑)。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
日本推理小説の中で、「三大奇書」と呼ばれる本作品を、オジサン化した今年(2013年)、完読しました。 「虚無への供物」「ドグラ・マグラ」は既に読んでいるので、これで、三大奇書を全て読み終えたことになります。 三大奇書のうち、一番推理小説的なのが、「虚無への供物」、もっとも推理小説らしくないのが、「ドグラ・マグラ」で、本作品はその中間に位置すると考えています。 探偵役は「法水麟太郎」という刑事弁護士で、黒死館という、西洋文化を取り入れた、いわば「洋館」での事件発生に駆けつけ、独自の推理を披露していくという物語。 体裁は、発表当時(1935年[昭和10年]に単行本が発刊)の探偵小説の王道を行くもので、いわば「本格推理」と言えると思われます。 ところが、実際読んでみると、「本格推理」は表面上のことで、探偵役の法水の推理に、多くの読者は幻惑されることになるでしょう。 とにかく、○○学と称されるような知識を駆使しての推理で、一見すると、合理的に思われるのですが、真犯人が、そんな学問的な暗示どおりに犯罪を行うとは考えられず、「じつは真相究明からかけ離れた推理」が展開していきます。 ここが、評価の分かれ目でしょう。 「単なる衒学趣味だ」とマイナスに評価するか、「独特の作品世界を構築している」とプラスの評価をするか、読者の評価は、二極化すると考えられます。 私は、後者寄りの意見です。あくまでフィクションなのだから、独自の作品世界に引き込んでくれるのは嬉しい。 そのため、推理小説(ミステリ)としての評価は、それほど高くはありませんが、さすが「奇書」と呼ばれるだけのことはあると、感じられます。 ミステリ好きなら、読んで損はない作品。 何しろ、現在は著作権消滅により、無料で読めるのですから…。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
買ってはみたものの、長らく放置していた小栗虫太郎集。少し読んでは放り、思い出しては再び手に取り、を繰り返してやっと読了した。これを一気に読んだ人は、こらえ性があって偉いと思う。収録されているのは、堂々たる代表長篇『黒死館殺人事件』のほか、『完全犯罪』『後光殺人事件』『聖アレキセイ寺院の惨劇』『オフェリヤ殺し』の短篇4作。 恐るべき衒学趣味を縦横無尽にちりばめ、複雑怪奇な舞台設定をこしらえ、変わった名前の外国人もたくさん出てきてややこしい。これらを多くは名探偵・法水麟太郎が解決するのだが、正直すべてをつぶさに理解するのは不可能に近い。ここで展開されるのは、超絶トリックであり超絶推理である。すごいことをやっているのだけれど、そのすごさがピンとこないようなもどかしさがある。快刀乱麻を断つ、というようなすっきり感がない。 すっきりしないミステリってどうよ、という気もするが、「まあこういうものなんだろう」という鑑賞態度が一番正しいように思う。とりわけ『黒死館殺人事件』はミステリファンとして踏破せずにはいられない高峰のひとつであることは間違いないわけで、もはや教養として読んでおくべき類のものだろう。でも実際やっていることは、ヴァン・ダインなど当時流行していた海外ミステリを手本にした、壮大なバーレスク(文芸パロディ)という気がしないでもない。それを大真面目にやっている印象だ。探偵の防御率がゼロ、なんてのもジョークのよう。 巻末には、『虚無への供物』の作者である中井英夫による解説や、中島河太郎による小栗虫太郎年譜などが付いている。意外に面白く読んだのは、虫太郎の次男・小栗宣治が書いた「小伝・小栗虫太郎」。虫太郎の人となりがよく分かるだけでなく、文章そのものに読ませる力がある。この宣治という人のことをネットで調べてみたが、筆で生計を立てた人かどうかは分からなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
わが国におけるミステリの三大奇書の一つ、なんてことは今さら説明のいらない歴史的名著である。ミステリファンならば避けて通れない高峰であることは間違いない。正直いうと、僕はこの手のうんちく系ミステリが苦手。気が進まないまま読んでいたのだが、途中で「どうもこれはメタミステリではないか」と気づいた。メタやアンチとして鑑賞する態度が正しいとすれば、「訳の分からない」内容も「まあそういうものなんだろう」と消化不良のまま受け入れることができる。 いま読み終えて思うのは、「大まじめにやってるけど(超絶技巧を駆使して、いい気持ちだったろうなあ作者は)、これは一種の壮大なバーレスクではないか」ということ。もちろんお手本にしていたのは、当時流行していた海外ミステリだ。とりわけヴァン・ダインのことはすごく意識していただろう。僧正〜とかグリーン家〜の名前が繰り返し出てくることからも、それが分かる。名探偵・法水麟太郎が能書きを垂れている間に次の殺人が起こって、探偵としての防御率はゼロ、というのも大きなジョークのよう。 ところで、江戸川乱歩の知り合いが、小栗虫太郎の作品を評して「文学以前の感じ」といったことがあるとか。乱歩はその発言を「如何にも夥しい素材の羅列であって、評者はこの作品(注・黒死館のこと)の一面の真実を語っていた」と好意的に解釈しているが、実際には「こんなもん文学とはいえないよ」という、もっと手厳しい意見だったのではないかと思う。結局、本書に出てくる膨大なペダントリーがどこへ収斂していくかといえば、機械的なトリックだったりするわけで、がっかりしてしまうことは正直あった。 思うに、文学とは物理的な現象を並べるのではなく、心理的な現象をすくい取っていく作業なのかもしれない。だとすれば、ミステリがそれなりの質量を持った文学作品として評価されるのは、松本清張の登場をまたなければならないことになる。一方、それより早く本格物はエンタテインメント方面へと大きく舵を切っていく。こちらはやはり横溝正史の功績が大きかった。今はいろんな枝別れやクロスオーバーを経て百花繚乱のミステリ界だが、まだ黎明期だった戦前に本作が産声を上げたと考えると、好むと好まざるとにかかわらず「よくやったな」の感はある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初期の傑作「完全犯罪」から一大奇書「黒死館殺人事件」に至るまで、虫太郎氏の代表作を網羅したお得な文庫。 ペダントリーが数多とちりばめられた文章の難解さといい、極度に知的で論理的に展開される迷宮のようなストーリーといい、読み手にかかる負荷は生半可なものではない。とりわけ、虫太郎氏の天才的頭脳が臨界点に達した「黒死館〜」に至っては、もはや言葉を失う。「古今東西の材料を調理せずにそのまま大陳列した」かのようと評した江戸川乱歩に倣い、そのペダントリーの大伽藍をただ見上げるのもひとつの読み方かも知れぬ。 一方、「完全犯罪」のような取っ付きやすい作品もある。虫太郎氏の文章は名文・悪文の評が割れるが、本作の文体は名文の類いであろう。もっとも、芸術性を追求した殺害方法と真犯人の動機には背筋が寒くなるのだが。 ミステリがある種の知的遊戯だとしても、江戸川乱歩や横溝正史の作品には智と情が複雑に絡まり合っていた。虫太郎氏の緒作品は、無機質な智のみが不気味に自律していると感じる。それこそがこの特異な作家の骨頂であり、読む価値なのではないか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まさしく奇書!全く理解できない!おいてきぼり!でも、最高です! 誰か注釈本を書いてください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
古いけど新しい。元祖お館物という感じ。 個人的にはめっちゃ好きです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最後まで読み通せたら、もうそれだけで偉い! 褒めてあげます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
思いついたとき、どこでもいつでも読める…そんな気がしてダウンロードしました。 一生読んでいける本だと、初めてのときも、40年経った今も感じます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小栗虫太郎作品をネット検索して見つけました。迅速に配送されてきました。程度は新品同様で満足満足(中身は難解ですが…) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
難読書だとかなんとか言われますが……そんなことはありません。海外文学などを読めば分かります。世の中は寧ろ不親切な小説の方が多い。 この作品はどちらかといえば、 ・文章のテンポ、全体の構成が良い。最後まで一気に読ませてくれる。 ・沢山の登場人物、変な言い回しなどで読者の頭を混乱させること、が無い。 ・相性がぴったり合えば本当に楽しめる作品。いや、大体、誰でも楽しめる作品の方が珍しくないだろうか。 ペダントリーがどうとか言われるが、そもそも世の中そういう小説の方が多くないか。ストーリーの進行を遅くさせる(余計な)感情、情景の描写はペダントリーの一種だと言えないのか。一つのことだけにこだわる作品が必ず名作なのか。9割がストーリーとは関係のないペダントリーと言う人は多分wikiの見過ぎ。ちゃんと予告にもなっている。全く意味のない文章ばかり並べてあるわけではない。大体、他人ん家の家庭事情なんて簡単に分かる筈が無いのだ。寧ろこの展開は当然と言える。 などの点で親切丁寧な小説です。 “日本三大奇書”“アンチ・ミステリー三大傑作”の内の一つと言われますが、夢野久作「ドグラ・マグラ」、中井英夫「虚無への供物」とはジャンルが全く違うと思います。「虚無への供物」は 冗談小説+黒死館のオマージュ入ってる から良いとして、「ドグラ・マグラ」とは一緒にされたくない。この中で本当に(良い意味で)ミステリーの枠から外れている(アンチ・ミステリー自体がそれを狙っているとは思ってませんが)のは「黒死館殺人事件」だけです。 と、「黒死館殺人事件」は悪評も多いので、ここまでそれを否定することばかり書いてしまいましたが、 ここでチョット、文章の気になったところを。 qlikjyikkkiubiじゃなくて qlikjyikkkjubi、 pqrstvwxyzbnmlkhgfdcじゃなくて pqrstvwxyzbnmlkjhgfdcと思いますが……。 作者のミスなのか、河出文庫のミスなのか、それとも私の持っているものがたまたまそうなっていたのか分かりませんが(青空文庫ではqlikjyikkkjubi、pqrstvwxyzbnmlkjhgfdeとなっていました)、作者のミスだったとしても、訂正しても問題ないと思います。 私は、河出文庫の紙の質や、澁澤龍彦さんの解説、細谷正光さんの解説がすごく好きなので河出文庫版をおすすめします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦地に赴く一兵士が本書を携えた、という乱歩の随筆で有名であるが、はたして何割の読者が完走をはたし得たであろうか。途中での挫折の割合は、夢野「ドグラマグラ」よりも高いんじゃないか。そう思わせる非常に読みにくい小説である。では、高尚か?というとそうではない。とにかく、あらすじだけ見れば分かり易いミステリである。 私が最初に本書を読んだのが中学生のとき。目眩がするような文章とペダントリィに酔いしれたが、実はペダントリィはほとんど理解していなかった。正直なところ、なんじゃこりゃ、というのが感想であった。社会人になって再読する機会があり、当方もかなりオカルト等のペダントリィに詳しくなっていたせいもあるが、恐る恐る読んだのにもかかわらず、実に楽しく面白く読めた。文章の読みづらさは相変わらずであったが、ペダントリィがスラスラと理解できた分、ストーリーがすんなりと読み取れた。 実は、まごうことなき本格ミステリなのであった。小栗は、きちんとミステリ作家をしていたのである。 都合、三度も読んだ。読むたびに発見がある。しかし、ストーリーだけを追って読んでは、本書の真の面白さは分からない。ストーリーは実に単純なのだから。 本書は、ぜひペダントリィを解釈しながら読んで欲しい。かなりいいかげんなペダントリィも多いようだが、それもご愛敬というものであり、また、執筆当時の科学を考えれば、いたしかたのないものであるとも言える。 本書は、まちがいなく日本ミステリ界の三大奇書のひとつである。傑作であるかどうかの評価は、読者によって分かれるとは思うが。私は傑作だと思う。しかし、ミステリとしては評価しにくいのも確かではある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦地に赴く一兵士が本書を携えた、という乱歩の随筆で有名である。 しかし、はたして何割の読者が完走をはたし得たであろうか。 途中での挫折の割合は、夢野「ドグラマグラ」よりも高いんじゃないか。 そう思わせる非常に読みにくい小説である。 では、高尚か?というとそうではない。 とにかく、あらすじだけ見れば分かり易いミステリだ。 私が最初に本書を読んだのが中学生のときだ。 目眩がするような文章とペダントリィに酔いしれたが、実はペダントリィはほとんど理解していなかった。 正直なところ、なんじゃこりゃ、というのが感想であった。 社会人になって再読する機会があり、当方もかなりオカルト等のペダントリィに詳しくなっていたせいもあるが、恐る恐る読んだのにもかかわらず、実に楽しく面白く読めた。 文章の読みづらさは相変わらずであったが、ペダントリィがスラスラと理解できた分、ストーリーがすんなりと読み取れた。 実は、まごうことなき本格ミステリなのであった。 小栗は、きちんとミステリ作家をしていたのである。 都合、三度も読んだ。 読むたびに発見がある。 しかし、ストーリーだけを追って読んでは、本書の真の面白さは分からない。 ストーリーは実に単純なのだから。 本書は、ぜひペダントリィを解釈しながら読んで欲しい。 かなりいいかげんなペダントリィも多いようだが、それもご愛敬というものであり、また、執筆当時の科学を考えれば、いたしかたのないものであるとも言える。 本書は、まちがいなく日本ミステリ界の三大奇書のひとつである。 傑作であるかどうかの評価は、読者によって分かれるとは思うが。 私は傑作だと思う。 しかし、ミステリとしては評価しにくい、というのも確かではある。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!