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悪人
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悪人の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.01pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全301件 101~120 6/16ページ
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| 本当の悪とは何だろうかと深く考えさせられました。 人は誰でも「幸せになりたい」と思って生きている。 そのために誰もが見栄をはったり、日々、小さな嘘や小さな裏切りを重ねている。 ただそれが殺人事件へと変わった時に物語は大きく入れ替わる。 いわゆる一線を超えてしまうってことですが・・・。 ちょっとむしゃくしゃしてたり、つい、カッとなってしまったり、きっかけは些細な事かもしれない。 一つ言えるのは、すべてが「さみしさ」がもたらしたものの一つだという事。 さみしい気持ちにはつけいるすきがある。 読み進んでいくうちに殺人を犯した主人公祐一と殺された被害者である佳乃との立場が入れ替わる瞬間がある。 被害者が実は加害者で加害者こそが被害者なのではないかと・・・・。 「悪人」とははたして誰の事を指すのか? 見栄っ張りでひたすらどん欲な被害者佳乃、 そんな娘を信じて真面目一筋で生きて来た父、 裕福な家庭に生まれ育ち、やりたい放題生きて来た第一容疑者の増尾、 対照的に両親の愛情にも、めぐまれた環境にも容姿以外「持たなすぎた」主人公祐一、 ひいては、貧しいなかで贅沢もせず、祐一を育て上げた祖母の房枝、 その祐一が起こした事件によりマスコミや周囲に苦しめられる事になり二次的被害者とも言える その祖母を食い物にする悪徳業者。 同情しながらも今一つ腑に落ちなかった心を閉ざしたままの祐一の性格や行動・・・。 祐一が光代に出会う事で一気に共感へと変わる。 もっと早く二人が出会っていればこんな事にはならなかったのにと誰もが思うだろう。 誰もが幸せになりたいと願う。 誰しもが幸せになる権利がある。 特に真面目に日々生きている素朴な人々の明日を私達は願わずにいられない。 最愛の娘を失っての夫婦の再出発や 無愛想なバスの運転手が追いつめられた主人公の祖母房江に投げかけるエールの言葉、 その祖母を元気にするたった一枚のスカーフ。 この物語はそんな人々の小さな希望をうまく書き出していたと思います。 | ||||
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| 映画化よりかなり前に読みました。映画はまだ見てません。 殺人を犯した青年は恵まれない境遇で育ち、衝動的に女性を殺しますが、 悪人というイメージは全くありませんでした。 どちらかというと殺された女性を含め、周りの人間の方が悪いような・・・ 作品としては映画化されるだけあって、良い小説です。 | ||||
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| 以前に読んだ2つの作品で、この作家さんはメロドラマの人だと決めつけて、 「悪人」も気になりつつ避けていましたが、勧めてくれる人がいて読んでみました。 想像とはまったく違って、読みはじめはノンフィクション小説の雰囲気ですね。 たんたんと事実が語られていき、登場人物の一人一人がくっきりと浮かび上がっていく。 作品世界にぐいぐい引き寄せられました。 なぜその人がそんなことをしたか、という背景をきちん、きちんと描いていっているので、 ものすごく納得して読めました。なんだ、こいつ、みたいな人物がいない。 最後はすべてをここまできれいにまとめなくてもいいんじゃないかなと思いましたが、 とにかく読み応えは充分でした。 なんといっても、登場人物たちの使う方言や、地方の情景の描写が作品世界にあっていて、 そこが味わい深く、素晴らしくよかったです。 ボリューム的に上下巻にしなくてもいいかなとは思いましたがw | ||||
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| 悪人とはいったい誰なのでしょうか。 悪事を働く人でしょうか。心のよくない人でしょうか。悪人はずっと悪人でしょうか。誰にとっても悪人でしょうか。何で量るのでしょうか。誰が決めるのでしょうか。主観でしょうか。 私は悪人でしょうか。 | ||||
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| 結局「悪人」とは一体全体何なのか… というのがテーマなんだろうか。みんな誰しもが悪人になりえるだろうというのが伝わってくる。結局その時の状況々でついてくるものは変わってくるし、その行動がいい方に転ぶか、悪い方に転ぶかも十人十色で考えさせるものがある。結局、この人にとって「悪人」と、この人にとっては「いいひと」でほんとのとこわからない。 結局は運なんじゃないでしょうかね。「もし」、とか「たら」とか使えばキリないでしょうけど、もしあそこで佳乃がベラベラ喋らなくてとか、もしあそこで運悪くバンパーに手を挟まなかったらとか。 最悪の真相心理と状況で人ってどう転ぶかわからないですね。 | ||||
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| 言い方は非常に悪くなりますが、殺害された人が一人とその後の犯人の逃亡劇ですから、ドラマ的な要素は少ないのですね。これが、地域や季節などの状況の描写、例えば、冒頭の事件現場の描写、人や車の往来のない山の峠道の描写の1,600字程度を費やすことで、映像が立ち上がるような感覚をもつことができます。 人の心情はモノに色濃くでます。それは、お正月のおせちの重箱のなかの真っ赤なエビに、また、洋服を何年も買った覚えがないおばあさんの久しぶりに買ったセールで3,800円のオレンジ色の明るいスカーフに現れます。 また、被害者の心情と、状況が絶妙だなぁ、と思います。若い女性の同年代の仲の良い女性に対する相手への考え方、本人はそれほど派手ではないが、生活の状況を飾り立てるような自分の見せ方、地方都市の若さを閉じ込めるような息苦しさが伝わってきます。 少し本文の引用を。被害者の父親が、事件現場に被害者を導いた男に接触する場面での言葉 「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」 これがでてきたときに、すべてがハラハラと解けるように判った気がするんですね。つまり、人を3つに分類すると、誠実に生き大切なものを持つ人間と、誠実に生きているがまだ大切なものを持ったことがない人間と、大切なものを持たない人間。 事件は、大切なものをまだ持たない人間が起こしたもので、周りの大切なものを持った人間は、大切なものを持たない人間の持たないが故の言動に心を痛め、大切なものをまだ持たない人間が大切なものを見つける過程である、と集約できるのではないかということです。 そうすると、大切なものがない人間の言動が、それが本人が誠実に生きていたとしても、例えば、テレビのコメンテータの全く当事者たり得ないが故の言葉、ネットでの無名性に守られた中傷のような言葉、近所や周りの人間の当事者でありえるにもかかわらずただの迷惑であるとするような言葉や視線に「悪人」が宿るのではないか、と思えてきます。つまり、加害者や、軽薄であるため嫌悪感を感じる人間から、相対する人間に「悪人」を反転させている感覚をもたせる、その感覚に心を痛めるわけです。 ただし、実際には、もうすでに「悪人」たり得る、もしくは、既に「悪人」であるのにもかかわらず、そのときには、心を痛めない現実を認識することができるのです。 | ||||
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| 女性2人のキャラクターに、救われていると思います。 佳乃は、裕福で誰もが羨む圭吾と交際していると同僚たちに話しますが、実際につきあっているのは、出会い系サイトで知りあった無骨で面白くない土木作業員の祐一です。同僚たちに見栄を張り、ついてしまった嘘をとりつくろうために、嘘を重ねていきますが、なぜか憎めません。 私は映画は見ていないのですが、満島ひかりさんが佳乃を演じています。そういえば、NHKの連続テレビ小説「おひさま」で彼女が演じている筒井育子と、イメージが少しダブるような気もします。 光代は紳士服量販店の店員で、お客の男たちの中に未来の夫がいるのかもしれないと思ったこともありましたが、「いくら裾上げしながら見上げたところで、そこに未来の夫の顔などなかった」 彼女は、やはり出会い系サイトで祐一と知りあい、3カ月ぶりにメールを送ります。そのときには、祐一は殺人を犯してしまっていたのですが。 躊躇しつつも、本気で誰かと出会うほかない、そうしなければ空漠とした孤独がつづくだけ。光代の思いには、現代社会における人間関係の困難さの何ほどかが表わされているのでしょう。 彼と逃げるほかない、その後に何が待っているとしても…光代の一途さが胸を打ちます。 登場人物たちの内面が反響しあい、重畳な影を落としながら終局へと突き進んでいく描写はみごとです。 ただ、題名から哲学的、宗教的なものをあまり期待すると、当てがはずれるかもしれません。 甘くて辛い現世を生きるほかない男女の、せつなく苦い物語です。 | ||||
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| 映画化され、日本アカデミー賞もほぼ独占状態だっただけに、興味を持ち、まずは原作から、と思い、読んでみました。 正直、期待以上の作品でよかったです。 内容は非常に重く、辛い物語なのですが、これだけ人間を描いた小説は無いんじゃないでしょうか? 登場する全ての人物が、窓を開ければすぐそこを歩いていそうな、普通の人ばかりです。 今作では、そんな普通な人間である祐一が、殺人を犯してしまいます。 本の帯にも書かれていましたが、 「誰が悪人か?」 これが大きなテーマになっています。 僕は正直、祐一が一番かわいそうでした。 一見普通に見えていた人たちが、実は内ではこんなことを思っていたんだと、解き明かされていくたび、言い知れぬ恐さを感じました。 世の中こんなに悪人だらけだろうか?と疑問に思うけど、違うとも言い切れないのがまた辛いです。 いずれ捕まってしまうことを覚悟しての光代と祐一の逃避行は、切なすぎて涙が出てきたほどです。 最後の祐一の行動も、考えれば考えるほど切ないです。 読んだ後は、誰が悪人だとしても、登場人物全員が報われることを祈ってしまいました。 | ||||
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| 映画を見たあと、 祐一という人物をもう少し知りたくて小説を手に取りました。 読んでみて感じたのは、 祐一という人物の、悲しくなるくらいに優しい部分や純粋な部分でした。 「どちらも被害者になれない」 そのつらさを知る祐一は、 自分を捨てたことを泣いてわびる母には金をせびり酷い息子を演じ。 殺人犯である自分を愛してしまった光代には、本当の殺人者になってみせました。 そうして愛する人に憎まれてでも、 愛する人に泣いてしまうほどつらい思いはさせたくないと 祐一は思うのだろうと思いました。 その優しさが、悲しかったです。 ただ・・・そんな祐一も 光代が警察から逃れ灯台に戻ってきたとき 母親に置き去りにされた、幼いころの孤独な心が救わたように思います。 だから、自分とのことを忘れて生きる光代の幸せを心から願えたようにも思います。 祐一は、光代を守れて幸せだったと信じたいです。 ただ映画に登場しない女性が 最後光代に会いたがっている場面で 光代が、祐一の心をいつか知るのかもしれない 淡い可能性を感じたりもしました。 もし光代が、祐一の不器用な優しさに気がついたら・・・ 日常に戻った光代は再び祐一を愛し求めるのか? そこが気になりもしました。 | ||||
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| 読みながら本当に引き込まれ、読み止めるのが難しかった。 だけど… どこかで読んだことがある、と思ってしまった。 宮部みゆきの「模倣犯」とか? 読み比べたら全然違うと思うんだけど…。 題名は出てこないんだけど、なんかこう、もどかしい感じ。 本当に面白かったんだけど、それがどうにも引っかかってしまった。 | ||||
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| 「悪人」 そのタイトルからどんな残酷な人間像が描かれた作品なんだろうかというのが最初の印象だった。 主人公の「清水祐一」はある一人の女性を殺してしまう。 殺人は決して許されるべきことではない。 その殺人を犯してしまった「清水祐一」は悪人なのか。 「悪人」と「清水祐一」という人物のギャップが切なさを大きくするのかもしれない。 読み終えて何とも言えない哀しい気持ちになった。 だからといてこの作品が悪いものでは決してない。 この作品には読み手の心を捉える大きな力があると思う。 | ||||
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| 祐一(妻夫木聡)と光代(深津絵里)の話はまだちょびっとだけで、殺された佳乃(満島ひかり)の物語を中心に描かれている。 殺した犯人は祐一なのか増尾(岡田将生)なのか。続きが気になる。 | ||||
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| 福岡・佐賀県境にある三瀬峠で若い女性の絞殺死体が発見される。被害者は福岡の保険外交員で、犯人は長崎の土木作業員である。二人は出会い系サイトで知り合った。 こう書くと週刊新潮の名物読物「黒い報告書」(その時々に実際にあった痴情事件を基にしたフィクション)からピックアップしたものを長編化したと思われがちだが、底は浅くない。 死体という表層面的な事実の背景に、犯人・被害者の裡を事件に関わった者が多層面的に捉える。 この構成が巧い。ミステリー度は弱いが、その分ノンフィクションを読んでいる錯覚を持ってしまう。 犯人は本来的な意味での悪人だったのか? この謎を問うのであるが、神のみぞ知るだ。 | ||||
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| 私にとって、容疑者Xの献身(東野圭吾著)以来の感動する小説でした。 登場人物の多くが社会的弱者で、みな戸惑いながらも必死に人生を生きている様子がひしひしと伝わってきました。 主人公の清水佑一の、育てられた環境の複雑さゆえの心の弱さと、おそらく生まれつき持っている、自己犠牲を払ってでも他者を思いやる優しさが、この作者の巧みな描写によって、みごとなまでに切なく心に染み入ってきました。とくにラスト2行を読み、涙がとまらくなってしまい、また読み返し、佑一の愛のかたちの哀しさに深く胸を打たれました。 また、どうしようもない馬鹿娘の佳乃を思う父の愛情、佑一の祖母の愛情、イケメンボンクラ息子の増尾の軽薄で自己中な態度など、どの登場人物もあざやかに描かれていると思いました。 重たい話ではありますが、非常に人物描写が豊かな深い小説だと思います。 | ||||
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| 1回目は古本屋で見つけて悩んだあげく購入しました。読んでみて買ってよかったと思いました。古本屋で悩んでたのがばかみたいに。 そして読み終わったら他の単行本やまんがと一緒に古本屋に売りました。 で、やっぱりまた何時でも読めるように、綺麗な状態のを手元に持って置きたくてamazonさんで購入しました。 もう手放さないと思います。 今迄読んだ小説の中で私はいちばん好きです。 読んでると深津絵里さんの声が聞こえます。 吉田修一さんのこれだけの発想力は素晴らしいです。 | ||||
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| 吉田修一の作品は、デビュー作から数冊読んだが、軽いという印象が拭えず、読後もあまり印象に残らない作家だったので、ずっと読んでいなかった。映画化にあたり、深津絵里が出ているということで彼女ファンである僕は映画を見ようと思い、念のためにその前にこの作品を読んでみた。 平坦なキャラクター設定や描写が彼の持ち味であるが、一歩間違うと印象の薄い作品になる。しかし、この作品ではそれらの表現方法が、かえって作品に凄みを持たせている。 地方都市の典型的な現象、若い人が少ない、仕事はない、金もなければ、遊ぶ場所もないという地方のやるせなさと、そこに住まう人達の生活や思いを見事に描いている。 自分を信じ、他人を守る強さが現代において如何に複雑で困難なことかを考えさせる作品である。 | ||||
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| 良かった。映画で理解し切れなかった全てが読み解けた。 小説の方が素晴らしいと思える部分と、映画の方が凄いと思える部分が、それぞれあって、どちらも完全ではなく、両方を経験するのがベストだと思える、不思議な作品だった。 映画のラスト近くになって、追いつめられた祐一が光代の首を絞めるところが、どっちの意味か、はっきりと分からなかったので、すぐに小説を買って読んだ。 「やっぱり」というか何と言うか、私が、そうであって欲しいと思っていた方の理由だった。いや、そうとは書いてはいなかったけれど、私は、はっきりとした確信を持ってそう読みとった。 光代を大切に思うからこそ、彼女を「殺人犯と逃走したバカな女」ではなく、「完全な被害者」として、自分のいない現実社会に返してやったのだ。 あの瞬間、狂おしく愛した女のために自分ができる最後のことを、力の限り、してやったのだ。 光代の最後のモノローグからは、祐一の偽りの証言に揺れる彼女しか見えず、「そうじゃないんだ!なぜわからないんだ!」と叫びたくなるような歯がゆさしか感じられない。後味が悪くてどうにもいけない。 性善説を信じる甘ちゃんの私は、映画のラストシーンの方を強く支持する。 祐一が実母にお金をせびるエピソードは、ラストに繋がる重要な伏線となっているんだけど、ちょっと出来過ぎの感があって、あまり好きではない。そんなに気の利く男なら、こんなことにはなってないよ。 祐一が風俗嬢に手作りの弁当を差し入れる場面では、不覚にも泣いてしまった。 風俗嬢の戯れ言を真に受けて、2人で住むためのアパートを借りる、という、わけの分からない痛さと唐突さが、友人が語るところの「起承転結の間がなくて起と結だけいきなりある」という祐一の全てを物語っていると思う。 この風俗嬢との一件が、祐一という人物を語る上で、何よりも重要な鍵だと思う。 祐一は、出会う全ての女に、乱暴なほどに、心も身体も、恐ろしいほどに、全てを全力でぶつけることしかできない、どうしようもなくバカで不器用な男なのだ。 そんな男が、母の罪悪感を軽減するために要りもしない金をせびり続ける、というのは、どうにも矛盾していて受け入れがたい。そんな器用な男であるはずないじゃん。 一方、被害者の佳乃は、父親の姿が切ない。 佳乃は、無惨に殺された上に、不名誉な事実を晒されてしまった。 嫌な思いさせてごめんと言う佳乃と、嫌な思いなんてしとらん、おまえの為ならどんなことも我慢できる、と言う父。 殺されても仕方のないような軽薄なビッチ、という見方に捕われた読者の心を、「あ!そうだようね。大切なひとり娘だよね。被害者だよね。ごめん、ごめん」と引き戻す、良い場面だった。 どのような娘でも、「お前は悪くなんかない」と全力で守ってくれる親がいることを、生きているうちに知れたなら、彼女だって、違う生き方をしただろう。 それまでの自分を悔いるチャンスが与えられていたなら! 心をいろんな方向に揺さぶられて、どうしたら良いのかまだ整理がつかない。そんな作品だった。 | ||||
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| 殺人を犯した犯人と、出会い系サイトで出会った女性が一緒に逃亡生活をするという現実にはあり得ない出来事に至るストーリーである。しかしながら、登場するキャラクターのディテールがしっかりと描かれており、彼らは実際に存在していてもおかしくないリアリティがあるのである。 九州の片田舎の国道沿いの生活。将来になんの明るいものがない生活を送る登場人物達...なんとも言えないリアリティがストーリー全体に流れており、上下巻聞き込まれるように読み終えることが出来ました。 映画、まだ、観ておりません。是非、映画ではどのように描かれているのか?興味!観たいです。 | ||||
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| 悪人とは‥? 作者はその判断を 読み手それぞれの解釈でよいと取れる帰結をしている。 私たちが一つの事件をニュースとして知る時、 それは報道による情報から得た、一面的なイメージでしか 犯罪者を捉えることはできない。 殺人を犯した悪人が、実は心やさしい善人であったとしても、 犯罪に至るまでの過程や犯罪時の心理、 そして生育歴や背景が詳細に伝わらない限り、 殺人犯に情状酌量の余地はない。 作者はそこに焦点を当てたのだと思う。 犯罪者の周囲にいた者を正確に描くことで、 また犯罪者の人間像や背景を丁寧に描くことで、 読み手の中の「悪人」の定義に揺さぶりをかける。 そして“最も悪いヤツ”をあぶり出す。 そして、悪人も、最も悪いヤツも、 周囲にいる多くの善意ある人びとに 支えられているということに気づかされる。 犯罪者を愛した光代、そして見守り続けた祖母の房枝、 被害者の父親や、彼を助けた大学生の鶴田のように まっとうな人びとの良心に‥‥。 かつて推理小説の巨匠松本清張氏を、田宮虎彦氏が解説した時、 「松本清張氏の用いた手法は人間の影の落ちている周囲から描き 中心にあるものを際立させる」と解説した言葉をふと思いだす。 だからこそ映画になり、TVドラマに起用されるのだろう。 清張作品に通ずるこの「悪人」も然り。読み応えのある秀作。 《第34回大佛次郎賞》《第61回毎日出版文化賞》 . | ||||
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| 上巻は普通の推理小説として楽しんだ。 下巻はひたすら、祐一のささやかな幸せが一分一秒でも長く続くことだけを祈って息を潜めて読み進めた。 読み終わって、少ししてからズンと来る。 地方の閉塞感。若さの価値と幸せの定義。性欲と孤独。 どうして祐一はこんな風に育ったんだろう。 こんな風に生きられたんだろう。 彼の強さ、彼の弱さ、彼の中で毎日はどんな風に過ぎていったのか。 想像するだけで滅入って来る。 簡単に道をはずせる者の方が幸せなのだ。 狂うほどの日常をただ重ねて老いていくことがどれほど難しいか。 孤独の中で人知れず足掻いていた「悪人」。 その手にかける価値もない人間のためにすべてを失った「悪人」。 その手に残ったただひとつのものを守るためにすべてを捨てた「悪人」。 お見合いシステムが残っていれば、過不足ない夫として平穏無事に一生を送れただろう「悪人」。 出会い系がもはや社会の片隅に堂々と市民権を得て何もかもが自己責任の旗の下に野放し。 醜い幻想と隣り合わせの現代のローカル恋愛市場の暗部を目の前に突きつける佳作だと思う。 | ||||
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