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悪人
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悪人の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.01pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全301件 281~300 15/16ページ
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| 現実の事件を取り込んだり 現実にあった事件を連想させたりして ”これ フィクションだよな?” 何度か確認してしまった。そのくらい 現実味のある作品。タイトルは悪人だが 実際には悪人は出てこない。全くの善人とはいえないが 普通のひとだ。 その普通のひとが 何かの間違いで(?)殺人事件に絡んでいく。重なる偶然(?) 少しずつずれて 間違った歯車が噛み合い 事件に突き進む。それぞれの立場から見た真実。 ほんのわずか 何かが違えば起きなかった事件。現実の事件も きっと そうなんだろう。それぞれの真実・思惑の違いが 取り返しのつかない大きな溝を生むのだろう。心理学者は 現実世界を生き抜くために人間は嘘をつくという。直接の嘘でなくとも真実を言わないことで 結果的に嘘をつくという。嘘をつく負担から逃れるために 知らないうちに自分で自分に嘘をつくという。作品に登場する人物の嘘。 自分を守る(?)ための嘘が自分を追い詰める。読み終わって 重苦しいものが残る。 著者から たくさんの宿題を受け取った気がする。重い作品には救いを求めたくなるのだが この作品にはそれがない。甘さを拒否したのだろう。その分 読後感が悪いのは否めないが 面白いことは確かだ。事件というのはすぐ其処にあり 他人事ではない。 | ||||
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| ありそうな話だったので、感情移入ができました。 そんな中で健気に生きている人々に共感を得ることも出来た。ストーリーの中で体感出来た人生は、良い経験になりました。 | ||||
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| 正直なところ、読後感があまりよくなかった。この作者特有の、ただ通りすぎていったに過ぎないような余韻を残す作風を好んでいた自分にとって、この「悪人」は人物の描写がまるでデッサンのように生き生きしていてそれぞれの孤独感や焦燥感が痛々しいほどに感じられてしまった。それは、過去に見た「君と僕の虹色の世界」という映画に少し似ている気がした。でも読んでいて全く飽きることなく一気に読めたので好みではないが面白かったと思う。 | ||||
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| 初めて読みました、吉田修一、凄い作家さんです。しかし、娘が殺されて、怒り狂う父親とわんわん泣いて泣いて、でも最後は立ち直る母親、母親に捨てられた孫を一生懸命育てたお婆チャン、私に言わせれば、あとの登場人物は、「悪人」です。特に金持ちのボンボン野郎、スパナで一発殴ってやりたい!出会い系で殺されてしまう娘さんも、いったい何で出会い系なんだよ!ほいほい変な男について行くな!若い時は恋愛で見栄をはりたくなるのだろうけれども、そういう恋愛は幸せに結びつかないとみんなにわかってほしいと思いました。祐一だって、こんなに優しい子だったら、もっといい人生があっただろうに。というところで一番の悪人は子供をおきざりにして、男と逃げた母親か! | ||||
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| 吉田修一の小説を読むのは初めて。ぐいぐい引き込まれ、2日で読了しました。冒頭で殺人事件が起こり、その一点へ向けて関係者がそれぞれ自分の視点で語り出すという方法論はさほど新しくはないのでしょうが、「出会い系」を介し、つながりのなかったはずの人間関係につながりを見るという現代的な切り口や、地方に住む若者のいいようのない絶望感、なにが「悪人」なのか、というタイトルへの疑問も含め、最後の頁まで目を離せませんでした。ほかの作品もぜひ読んでみたいと思います。 | ||||
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| “吉田修一はエンタメでも充分通用する”ってことが証明された作品。この力量は、桐野夏生、宮部みゆきに比肩する。しかもエンタメとして閉じていない。これまでの短編にも見られたように、吉田修一には“時代を写し取る力”がある。それは、本作で言えば、病棟の廊下のサイン、サウナの男たち、岸壁に打ち寄せられたゴミ...といった現実の断片の秀逸なスケッチだったり、一主人公ではなく複数の登場人物たちの叙述から現実の関係性を浮かび上がらせる手法だったりするが、この長編は、こうしたリアリティーをベースに、万人が満足できるような読み物としての面白さが加わっている。 メディアで表面的に日々消費されていく事件、あるいはメディアを賑わせることなど一生ない市井の人々、そこにピンスポットを当てて深く掘り下げているのが、この小説の魅力だ。「一人の人間がこの世からおらんようになるってことは、ピラミッドの頂点の石がなくなるんじゃなくて、底辺の石が一個なくなることなんやなぁ」「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。(中略)失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる」といった言葉が心に突き刺さるし、「人の匂い」が「情報」に置き換えられないってことこそが人間の可能性なんだと思う。 「事件に至る」のではなく「事件から始まる」という構成も、ニュースで取り上げたらおしまいっていうメディア発想のアンチテーゼになっているし、“冒頭で女が死んじゃってこの先どうなるの?”って読者の戸惑い、興味に十二分に答えていく手腕も見事。 それにしても福岡、長崎、佐賀のロケーション、距離感がうまく書き込まれているよなぁ(長崎出身の福山雅治を出す小技とか)。これ、西日本新聞(=ブロック紙三社)の連載小説だったらドンピシャだったね。 | ||||
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| 悪い人っていないと思うんだ。いい人もいないんだ。犯罪をテレビのニュースで見ていてもわたしは最近そうおもう。ひとりの人間が、イコール、オール・悪い人もしくはオール・いい人か?自分で自分を100パーセントいい人、と言えますか?いえないでしょ?ひとりの人間のなかに、いい人のときと悪い人のときがあるんだと私は思ってる。ひとりの人間の染色体に、いい人の染色体と悪い人の染色体があるんじゃないかなーあ。そういうのを書いてくれたのかなー、あたしの代わりに。とさえ、思ってしまう。かゆいところに手が届く小説を、書くね、ヨシダシュウイチさんは。かいてしまうから余計にかゆくなるんだけどね。九州弁が、両親の実家を思い出せてGOOD。 | ||||
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| ヘルス嬢、出会い系の女の子、世間体を考えると少しためらってしまうような相手に対して、そんな事まったく関係なく突き進む主人公祐一。もう娘が殺されてるのに、殺した相手は出会い系でない事を祈る父親。私も普段、見栄や世間体に流されてるので、この本には本当に考えさせられた。祐一の最後の行動は最高の愛の形ですよね。 | ||||
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| 不条理、不義理、無秩序などの言葉があふれる今日、自分が正しいと思ったことを実行できる人がどのくらいいるのだろうか。私は・・・どうだろう?自信がない。この小説には正しい人が沢山登場する。そして、己が正しいと思った行動を取る。羨ましいと思った。 | ||||
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| 私は、この作品を朝日新聞の連載で読んでいました。元保険会社勤務の私は『保険外交員』という言葉を見た瞬間に「あー、殺されちゃうんだろうな」と思いながら読み始めたのを思い出します。読み進めるうちに『祐一』のイメージが私の大好きな俳優の谷 和憲さん(JUNONボーイ)に似てるなと思い、そう思うと一番『悪人』に近いであろう『祐一』に恋に似た気持ちを抱き毎日夕刊が届くのを楽しみにしてました。特に『光代』が初めて『祐一』と会うときに自ら声をかけられず目が合ったのだから・・と相手が声をかけてくるかに身を任せそして声をかけてくれた・・という瞬間がまるで『私』を選んでくれたと思う位の胸の高鳴りを覚えました。だからと言って自分が『光代』に感情移入したのかというとそうではなく、誰か一人に感情移入するのではないが何故だか引き込まれる・・というのがこの本の特徴ではないかと思います。是非、映画化して『愛ルケ』を超えて欲しいと思います!! | ||||
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| 九州北部で起こった1つの殺人事件をめぐって、物語は淡々と進行していきます。この本の登場人物に極悪非道な人間は一人としていません。本当にどこにでもいそうな人が、ほんのちょっとした見栄やお金や欲望のために、殺してしまう、殺されてしまうという日常の中に潜む危険性をつよく感じます。一体、何が悪かったのでしょうか?敢えていうなら、間が悪かったとしか言えないむなしさがあります。しかし、最後にみせる主人公のやさしさに一条の光が見えます。 | ||||
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| 芥川賞受賞作を読んで以来、吉田修一は大好きな作家の一人だったが、あれ、こんなおもしろい、というか、すごい作家だったけ?と驚きながら一挙に読んだ。。多様な視点が交差する長編、といえばやはり『パレード』が想起されるが、本書で展開された視点=語りの活写ぶりの見事さやプロット構成の卓越した技術を知った後では、あれは実に不器用な小説だったなと感じてしまう。恐ろしくスピーディな「カメラ・ワーク」でありながら物語の進行を追うのに苦労することのない鮮明な、どころか読み出したらとまらない身震いするような場面が次々と続き、重厚な記述ではないのにもかかわらず、なぜか個々の人物の行動や心理や訪れる出来事が非常に詳細にリアルに描かれている。ケータイから始まる物語、といえばやはり『東京湾景』が想起されるが、しかしケータイから始まる「事件」や「純愛」を説得的に構築する創作力は本書ではじめて達成されたのではないか。結局のところ「トラウマっ子」とか「負け犬」の空騒ぎじゃん、と解読されかねない(説明)要素をふんだんに盛り込みながら、しかしそのような「社会問題」とは違う小説的な次元において著者は人間模様の美醜や幸福や悲哀を書き綴った。本当にすばらしい。「悪人」。本書の主題であるそれはカッコつきであるべきだろう。カッコつきではないベタな悪人も少なからず登場し、また様々な成り行き上、悪人である一面を見せてしまう普通の人びともたびたび姿を見せるが、しかしメインの悪人はあくまでも「悪人」である。そのカッコのつき方が本書の読後に圧倒的な余韻をもたらす。私たち「善人」の「善」はどこかにいるはずの「悪人」の「悪」によって何とか成り立っているのかもしれない。そんな風に想像した。 | ||||
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| 新聞連載小説など近頃は読んだことがなかったが朝日に本作と桐野夏生の「メタボラ」が夕刊、朝刊に連載されていてたまたま読み出したらこれが面白くて毎日、新聞を開けるのが楽しみであった。新聞の連載期限のせいなのか両作とも結末はあっけなく終わってしまったような感じだったが、これを機に吉田修一の「最後の息子」「パークライフ」と読んでみた。 まあなんと「悪人」は作家としての腕を上げたことか。とても同じ作家とは思えない。ほんとうに新境地をひらいたのかもしれない。今までのふわふわした捕まえどころのないような感じが本作でついに、地に着いた表現を獲得したのではないか。 新たに単行本となったので再度読み直してみたいとは思うが、新聞連載時の見事な挿絵がない「文章」だけで読むのがちょっと不安ではある。「メタボラ」も同。 | ||||
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| 「最後の息子」を読んだときは衝撃でした。「悪人」は「最後の息子」のときほどのインパクトはなかったけれど、今までのいくつかの作品と同様、九州弁があたたかくてぐいぐい読んでしまいました。謎解きの手法は古いけど、表現はとても新鮮だ、と思います。 | ||||
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| 悪と思うことは、こうも相対的なものなのか、と思う。悪人は誰なのか?殺した人間か、殺された人間か。それとも殺した人間を憎む人間のことだろうか、またそれをあざけ笑う人間のことか。殺した者を庇う者、殺された者を中傷する者、またそんな人間たちを追い詰める者、賛同する者・・・・悪人は誰なのか、わからなくなる。ただ、殺した者に救いを、殺された者に殺されて当然だ、と思ってしまった一読者である私自身も悪人なのだと思った。物語の登場人物+読者、いったい誰が悪人なのだろうか? | ||||
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| 吉田修一作品が好きで、ミステリーも好きなら、これはちょっと興奮してしまう一冊です。この作品を前半・中盤・後半と分けると、前半あたりですでに犯人が分かり、後に残ったこの大量のページにはいったい何が書かれているんだろうと、訝しく思いました。犯行までの詳細が、ちょっと退屈になるくらい丁寧に書き込まれているくらいかなと思いながら期待せず読んでいたのですが、逆にどんどん引き込まれていきました。生きていると「知人」と呼ばれるひとが周りにたくさんできてくるけど、自分はそのひとたちをどれだけ知っているんだろう、とちょっと考えさせられました。また、メディアが一方的に発信する情報をただそのまま受け取る怖さにも改めて気づきました。多面的で複雑な要素で成り立っている人間性を果たして他人が断じることができるのか、断じていいものか、とても深いところが書かれていると思います。おすすめです。 | ||||
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| これまでの吉田修一とは、明らかに違う。峠。殺人。ハイウェイ。灯台。逃避行。驚くほど面白くて一気に読んだ。凡百のミステリーよりもドキドキさせられたのは、作者が「事件」ではなく「人間」を描き切っているからか。失意の中での勇気。殺された娘を憶う父親の台詞が哀しく、そして強い。読後、ガツンとくる傑作。 | ||||
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| 読書は自己完結するほうなので、他人の感想とか、あまり興味がない。なのに、この本を読んだ後、無性に誰かと、この本について話がしたい、と思った。なぜ、この物語のタイトルが「悪人」なのか?途中まで浮遊したままだった、この「悪人」というタイトルが、最後にずっしりと、自分の中に沈澱してくる。そして聞きたいのです。この物語で締め括られる「?」のように、誰かに聞きたくなるんです。 | ||||
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| 朝日新聞を読んでいないため、新聞に連載されていた小説ということは本を手にとって初めて知ったのですが、作者が「ようやく代表作(?自信作?)といえるものが書けた」というだけあって、非常に楽しめました。関係者の供述が其処此処に入るという組み立てられ方をしていることもあり、小気味よい展開と相俟って、あっというまに読んでしまいましたが、読み終わって、そのタイトルの意味するところ、非常に考えさせられました。読んだ方と内容について語りあいたくなる本です。 | ||||
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| 吉田修一の作品は全て読んでいるが、今までの作品とは全く違う作風となっている。さりげない一瞬の描写、人物描写、そして言葉で多くを語らない。無駄な言葉がないため、あっさりとした印象を持つ人も多いかもしれないが、描かれている情景を想像させるには十分すぎる重みがある。ただこの作品は違う。内容、構成としては宮部みゆきの「理由」に近い。新しい分野でここまでの作品を仕上げてしまう作者の才能はすばらしい。もともとの作風が加われば、更に深い作品が仕上がるのではないだろうか。最後に内容について少し。人の心の中にある見栄や欲望が人を傷付ける。悪人などそもそもいない。もしそれが悪と言うのであれば、善人なんて皆無に近い。羊の群れに1匹の狼を放てっも大多数の羊は助かる。狼の群れに1匹の羊を放てば羊が助かることはない。精一杯足掻く、それだけだ。 | ||||
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