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悪人
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悪人の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.01pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全301件 261~280 14/16ページ
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| 間違いなく昨年のNo.1小説。二つ賞を取りましたが、「谷崎潤一郎賞」を取って欲しかった。感想は「モワノンプリュ」さんのが秀逸だと思いました。「類型と対比が全てを駆動している」、「鶴田が作品世界と作者自身との蝶番になっていると思う 」全く同感です。私なりの感想を言わせて頂くなら、祐一は人を殺して「しまった」、そして光代は祐一と逃避行をして「しまった」。偶然のような必然、必然のような偶然、作者はこの二つの「出来事」をありきたりの解釈に挑戦するかのように小説の中心に据えているように思いました。ページを捲るごとにめまぐるしく転調する物語に何時しか魅せられ、気がついたら読み終わっていた、そんな感じでした。最後の章で祖母の房枝が全ての事実をあるがままに受け入れ、行動する描写には底知れぬリアリティーと共に切なさを感じ、読み進めるのが辛くなりました。作者はこの祖母のあまりに「まっとう」な姿を描くことで、上下左右に揺れる「類型と対比」の物語を相対化し、太い芯棒を入れた気がしました。佳男の言葉、行動にいつの間にか共鳴し、自省している鶴田の描写と共に。そして、最後に半ば無理に自分に納得させようと述懐する光代の心を描き、?で終わる場面で問いと答えを読者に委ねる。新聞連載小説という一見断片の集積のように思われるこの小説は、極めて綿密に作られる一方で、ありきたりの「物語」への収束と終焉を、すんでの所で回避している。およそ一世紀前に、同じ朝日新聞に連載された漱石の小説がそうであったように。 | ||||
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| まず、舞台がいい。東京や大阪じゃなく、長崎と佐賀で暮らす若者だからこそ、生々しい。出会い系サイトででも誰かと知り合いたいという、切実な孤独感がわかります。九州の方言がいい。地方の空気感があります。都会にあこがれ、反発もし、コンプレックスもある。 それから、吉田修一のふっきれ方がいい。だって幽霊なんて絶対に描きそうもない作家だったし。被害者と加害者が、幼少時に偶然遭遇していたという、ヘタをするとご都合主義になっちゃう場面にもビックリ。本作ではエンターテイメント作家として腹をくくってたんだなあ、と思いました。 無口な祐一は、最後まで不器用でした。悲しいまでに自分をおとしめる、いじらしい若者でした。せめて読者の私達が、愛してあげなくてはならないという気になりました。 オレンジのスカーフは、映画になったらラストシーン指定の小道具です。 | ||||
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| 反語みたいなタイトルのこの作品。悪人か?いや、悪人ではないという風に。物語はミステリーと恋愛が絡まって進行していく。誰が「悪人」なのか?主人公は果たして「悪人」なのか?今までの吉田修一の作風とは異なるものの、面白く読めました。 | ||||
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| 雑誌で取り上げられていたり、なにがしの賞をとったりする本は期待はずれであることが多いですがこの本に限っては私の予想の斜め上をいった出来でした。 | ||||
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| この小説の中で一番の『悪人』っていったい誰だろう?罪を犯した裕一?想う気持ちが勝って逃亡幇助をした光代?彼らを育てた親?祖母?法に触れなければそれだけで善人?被害者の父の『今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でも出来ると思い込む。自分に失うもんがなかっちっ、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。本当はそれじゃ駄目とよ。』が胸に残り、人生に「もしも」はないというけれど、もしも、もっと違う出会いがあったなら、もしも、もっと早く出会っていたなら・・・もしも、もしもと思ってしまいます。最後、裕一が光代の首に手を掛けたのは決して殺意からではないと思うのは私だけでしょうか? | ||||
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| 「あの人は悪人やったんですよね?ねぇ?そうなんですよね?」出会い系で知り合った二人。男はやはり出会い系で知り合った別の女性を殺した犯人だった。出会ったばかりの二人の逃避行が始まる。非常に生生しい雰囲気を感じさせる小説。舞台が北九州で、登場人物もすべて方言で語っているため、よそ行きでない日常感が漂っている。殺される佳乃も、光代も、僕たちの周りにいそうな人物ばかりだ。そんな普通の人たちが、殺され、また、殺人者との逃避行を行うことになる。一見、突飛な設定であるが、違和感なく描かれているのはさすがだ。一方で殺人犯の祐一については、あえてその心情描写は行わず、「何を考えているのか分からない」人物として客観視点で描かれている。これがラストで非常な効果を挙げている。ラストの一言は、見事に作品全体を貫いている。人間には誰でも「善人」の部分と「悪人」の部分がある。マスコミが報じる事件では、「悪人は悪人」として一方的に報じられることが多いため、そのように信じてしまいがちであるが、世間では悪人でも、ある人にとってはかけがえの無い人であったりする。そんな当たり前のことを思い出させてくれる。420ページの大作なのに一気に読ませる本。おすすめ。 | ||||
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| 自分が悪人(または加害者)になることで、相手を罪の意識から救ってやる、そんな愛しかたがある。人間社会の規範に従えば悪人に違いない。が、そんな献身的な行為を行える人物でもある。日常的にワイドショーが犯罪者を描くときの薄っぺらな社会規範と、この小説で描かれているような、善と悪の境界線を生きる人間の深遠な感情のなんともいえない対照。今後犯罪報道を見る度に、この物語が思い浮かびそうだ。 | ||||
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| 新聞の連載小説ってあまり好きじゃなかったんです。どうも間延びしたというか、最後はなんとなく数あわせっぽいような、そんな作品が多い気がします。私の先入観かもしれませんが。でもこの作品は違います。私は朝日新聞をとっていませんが、もしとっていたら次が知りたくて朝からうずうずしたに違いありません。最初から犯人が分かっていて、そこまでの何故?を調べていくことと、犯人のその後を中心に、この事件にかかわったすべての人たちを丁寧に描いています。ささいなエピソードから、核心に触れるまでを過不足無く伝えてくれます。被害者の両親にとってはかけがえのない娘でも、飲み屋で知り合った程度の男には、まるでゴミのように扱う対象なのですね。それが切ないやら悲しいやら。とても複雑な気持ちでした。何となく成り行きで殺人犯になってしまった清水祐一という、メインの登場人物ですが、私は最初好きではありませんでした。自分の意見もはっきり発言しないし、ただ何となく生きているような気がして、最低!と思っていました。それが後半に行くに従って、私の中で全く違った人物像になってしまっていたのです。これには自分でも驚きでした。読んだみなさんも、きっとそう思われるのではないでしょうか。私はこの本で三度涙しました。途中から、これが物語ではなく、実際に身近で起こった事件のように感じられたからだと思います。 | ||||
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| その「事件」が起こったのは、福岡と佐賀の県境の三瀬峠。見栄っ張りで少しだらしないところもあるけれどどこにでもいそうな若い女が、携帯サイトで知り合った男と福岡市内で待ち合わせ、そのまま姿を消した…彼女の身にその夜起こったのは? そして孤独だった携帯サイトの男に待ち受けていた極限状態の愛のゆくえは?どこまでネタバレしていいのか判断が難しいので、曖昧なあらすじになってしまったが、そういう話である。普通、ミステリー小説やドラマ、そして実社会においてもいろいろな悪事が出てきても、殺人は取り返しのつかなさ、凶悪さによって最悪の犯罪なのは当然だし、タイトルの「悪人」=殺人犯、と考えるのが妥当だと皆思うだろう。多少の同情の余地の有無があったとしても、基本的には、加害者が悪で被害者が善(あるいは罪の無い存在)、というのはたいていの殺人事件において常識なはずなのに・・・加害者にもひとりの人間だから当然いいところもあって、被害者にもひとりの人間だから当然イヤなところもあった。その当たり前なことを丁寧に描きこんでいるので「あれ?こっちの殺した人は黒で、この殺された人は白だよね?」と自分で確かめながら必死で読む感じ。殺人犯が一瞬好青年かも、と思っちゃったり、被害者がイヤな人〜!っていうシーンがあったりして、自分の中の倫理観をしっかり固定してるつもりでも、ちょっと混乱気味。そんな風に、犯人を悪い人、被害者を哀れな人、とすっきり決め付けることができぬまま、物語を読み終えてしまい、登場する多くの人たちの中でだれが一番悪人か?と聞かれたら。と考える。そうすると、殺人を犯した人物ではなく、他のキャラクターの顔がふと浮かぶ。殺人より罪深いことなんてあるはずないのに。 | ||||
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| 物語は、殺人事件の起こる三瀬峠と高速道路の対比で始まる。続いて被害者・佳乃の実家が、JRと西鉄の両久留米駅の対比により描写される。主人公・祐一が住むのは埋立で海岸線を奪われた、「細い路地」ばかりの旧の漁村で、眼前の埋立地は造船所の巨大なドックと広い道路で特徴づけられる(p88)。 土木作業員の祐一、保険外交員の佳乃に対置されるのが、裕福な大学生の増尾や鶴田。祐一は7年ローンで買った中古のシャコタン・スカイライン、増尾はアウディA6。佳乃は祐一とは出会い系サイトで、増尾とはバーで知り合っている。出奔した祐一の母・依子と、その姉・重子も対照的(p89)。佳乃の父母、増尾と鶴田も対比的な役割を振られている。しかし何より重要なのが祐一の住む「海」と、事件の起きる「山中」の対比。そして双子の姉妹、光代・珠代の登場… 「山中」の殺人事件に始まる物語は、光代の介入によって転調していく。祐一と光代の人生が出会い系サイトで最初に交差したことから、物語は徐々に灯台に、つまり「海」へと引き寄せられていく。そしてクライマックスには、三瀬峠の殺人と対比される、ある「事件」がそこで用意されている。 類型と対比が全てを駆動している、と言って過言ではない。素材は中上健次に近いが、むしろ『潮騒』や『午後の曳航』の三島を想起すべきだという気もする。 ついでながら、私は鶴田が作品世界と作者自身との蝶番になっていると思う。この映画監督志望の裕福な大学生がロメールの作品を話題にする場面があるが(p98)、作者もロメールばりのコントを意識していたかもしれない。 | ||||
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| 事件にかかわった人は全員、孤独を抱えている。寂しいから、誰かを求める。寂しいから、虚勢を張る。寂しいから、嘘をつく。純粋であればあるほど深みにはまっていく。出会いはどうであれ、2人は恥じることなどない真剣な恋をしていた。事件の幕が閉じ、最後の数ページはあまりにも悲しく、離れた2人の今の思い込みが辛い。光代のそばに寄り添って、「あなたのあの恋は思い上がりでも遊びでもない」と言ってあげたい。言いようのないもどかしさが残る作品でした。主人公(語り手)がいるわけでなく、各々の視点から描かれることによって個々の感情が手に取るようにわかります。420ページと読み応えのあるボリュームも苦になりません。隠れた真実が知りたくて夢中で読みました。「悪人」とは誰なのか。犯罪を犯してしまった人物?いや、罪の重さではなく、人間として最も「悪人」なのは誰かと考えると他の人物の顔も浮かぶし。あまりにも深く重いタイトルをどう解釈すべきか悩むところです。 | ||||
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| 吉田修一は、人間の「体臭」を描くことのできる数少ない作家のひとりだと思う。この小説からも、登場人物たちの生臭い匂いがプンプンと漂ってくるようだ。「リアル」とはまた違う「存在感」を感じることができて、読んでいると切実な気持ちになってくる。吉田節ともいえる、繊細にして骨太な物語を今後も期待したい。 | ||||
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| どこか、何かが足りない。ああ、最後がちょっと違うよな。吉田修一の作品はいつもそんな残念さが漂っていた。それでいて、ほかの作家には書けない何かが、彼には書ける、そんな気がしていた。そして、いつか彼はやってくれるのではないか、そんな期待で、出る本は必ず買っていた。その彼が、とうとうやってくれた。そう思える作品。でも、星はマイナスひとつ。彼はこの先、更にもう一歩先を語ってくれそうに思うから。 この作品を言葉でくくるのは難しい。帯に書かれた惹句も、この作品の的を射ているとは思えない。「誰でもよかったわけじゃない。誰でもいいから抱き合いたかったわけじゃない。自分のことを抱きたいと思ってくれる人に、強く抱きしめてほしかった。」 この作品のすべては、この一文にあるのだろう。 この小説は、「感動作」ではない。きっと、描かれているかっこの悪い寂しさが、どれほど心に沁みるかで、作品の評価の度合いは変わる。誰にも言えないけれど、ああ、私はこんな風に寂しいと、そう思いながら読み進んだ者は、自分のいじけた寂しさを許してやっていいような気が、読み終わった後に、少しだけ手に入れられる。こんなことを思わせてくれる作品が他にあったろうか。 僕の母は、僕が八歳になるまでに、二度蒸発した。僕の大学の授業料も生活費も、父から受け取って、僕に渡さず、全てパチンコにつぎ込んで、大学からの督促状も握り潰し、僕は大学の掲示板の除籍通告を見て、初めて全ての事実を知った。それでも母を恨む気持ちにはならなかった。そのくせ、母の顔を見たら吐き気がした。不思議な感情だった。吉田修一という人なら、その気持ちをわかってくれそうな気が、この作品を読んで、僕には、した。 | ||||
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| 一日で読み終えました。読後、本当の優しさが身体に深々と染みてきました。作品の全編に渡って、圧倒的な孤独感が漂います。どこまでたどり着けば孤独を感じなくなるのか、生きていること自体が「悪」であり「業」なのか、ちょっとした弱さや寂しさに「悪」が忍び寄るということなのか、人とは何と弱く、悪く、寂しく、強く、そして優しいのだろうと思わせる作品です。 | ||||
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| 本当に素晴らしい作品でした。 最初は単行本の厚さに「読みきれるかな」と不安に思いましたが、読み始めてみたら面白くて、四日間で読了しました。ストーリー展開が「面白い」。人間の描写・心理が「面白い」。エンタメ的要素を持ちながら、人間の業のようなものを描いている。社会の矛盾のようなものを描いている。そして何より、人間の魂の力強さのようなものを描いている。「悪人」を描きながらも、人間への讃歌になっている。マスコミに追いかけられるお婆さんと、バスの運転手の交流の場面、最高です。他にも、いくつもの場面が、一つ一つそれぞれ魅力的な人間ドラマになっています。味わいのある短編が、いくつも繋がっているような作品とも言えるかもしれません。贅沢極まりないです。この作品に出会えて良かった! | ||||
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| 凄いな、この本は、、、。読み始めてひとときも中座する事なく一気に読了した。傑作である。恐らく今年世に出た小説群の中でも読む者の心を鷲掴みにするといった点では屈指の作品ではないか。本の帯にある“なぜ、事件は起きたのか?”“なぜ、ふたりは逃げ続けるのか?”“そして悪人とはいったい誰なのか?”とのフレーズが見事にこの作品を読み取るキーワードになっている。冒頭から、今作の登場人物たちのぐだぐだとした満たされない日常生活の中で湧き起こる儚い嘘と悪意の心理描写の上手さにぐっと引き込まれ、ある「悲劇」が起こった後は人間の深淵に潜む「業」の様なものを読んでいくのかと思いきや、物語は第3章で劇的に変貌する。変えたのは馬込光代の存在。彼女の登場で、物語は儚くも美しい純愛路線に大きく舵を取る。世の時流に乗る事などまるで諦めていた生きベタなふたり、生まれて初めて出逢った真に心を許せる者たちの、安っぽいラブホテルでのあまりに痛切な抱擁と逃避行の道行きでの魂の絶叫に、ページをめくりつつ胸が張り裂けそうになる。ラスト、なんとも切なくやるせない気持ちになりながらも、今作に登場する傷ついた者たちの絶望の「闇」の彼方に見える魂の救済を思わせる様な一筋の光明が救いと信じたい。 | ||||
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| デビュー作から読み続けている吉田修一、10年目の新境地。セクシャルマイノリティや、ネット経由恋愛や、バイオレンスや、連作短編や、写真家とのコラボレートや、女性ファッション誌の連載やら、意欲と挑戦心はあるのにここんとこ作者が迷走しているように思っていたのですが、そこへ来て放ったグランドスラムがこの『悪人』。並々ならぬ作者の意欲を感じた、力作です。九州の地方都市で若い女性が殺される事件が起きて、誰が犯人か、という発端から「悪人とはいったい誰か」と考えさせられるエンディングまで、否応なく惹きつけられました。愛に飢えている人、自分の現状に満たされない人、幸福感を感じられない人、金銭的に困窮している人。立場や年齢こそ異なれども、多くの人は、自分の境遇に完全には満足をしていない。そこから脱したくて伸ばした手が、期せずして不幸を掴んでしまった人たちがこの作品にはたくさん登場します。読んでるうちに読者はすべての登場人物に向き合うことになりますが、最後に祐一が光代へ取った行動の、そのやさしさが、特に自分にはたまらなくこたえました。今年読んで最もインパクトがあった本、文句なしの第一位です。 | ||||
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| 傑作です。吉田修一は、パークライフ以来、ずっと読み続けていますが、この作品で突然変異をおこしたようです。これほど「凄み」を感じた作品は久しぶりです。序盤の、石橋佳乃視点のパートは、不愉快極まりなく、のろのろと読んでいたのですが、清水祐一パートに入ってからは、一気に入りこみました。この本の中に、老人を足かせに地方の町に縛りつけられた、感情の表し方を知らない、祐一が確かに存在しました。地方の閉塞感、気だるい空気、見えない鎖のようなもの…あの吉田修一が、こういう世界を、人間を描ききるとは思いませんでした。佳乃の父親の激白部分や、祖母の「正しいことをやらんね」という語りかけには涙を禁じ得ませんでした。これは、この作家にとって、大きい分岐点となる作品です。この若さで、これだけのものを世に出してくる、吉田修一恐るべし、という一冊です。これまでのところ、大きく引き離して今年のナンバー1です。 | ||||
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| 人殺しでも善人、人殺しではないが悪人、こんな紙一重の世界は自分の生活の鼻先に存在していると実感した。この小説を読んでいる時、人を殺してしまった、人を殺さざるをえなかった人間の気持ちが理解できてしまうくらいに感情移入してしまった。それにしても吉田修一はいつの間にかこんな凄い小説を書くようになっていたんだね!(「パレード」以来ひさびさに読みました。) | ||||
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| 吉田修一氏の作品を初めて読んだ.厚さに圧倒されながら,結局2日で読み終わった.最初のうちは,何でこんな無口で暗くって惨めな男の話に,つきあわされるのかとちょっと気が乗らなかった.そのうち殺人事件に関係した人々に次々焦点があてられ,渦がぐるぐる回って,最後に作者が言いたかったことにたどり着いたような気がした.「悪人」の言葉にこめられた清水祐一の孤独感と人としての深い優しさがじわじわ心に沁みてくる.市井に地味に生きる家族にも生きてく苦労があり,気持ちが食い違っていく孤独がある.本当の「悪人」とは誰か,そんなことを考えさせてくれた. | ||||
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