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隻眼の少女
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隻眼の少女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 21~40 2/4ページ
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短編集で、あえて静馬は出さず、20世紀末の事件と21世紀の事件をどれがどれと明記せずに混在させた「御陵みかげの冒険」ってのはどーですか麻耶さん。 | ||||
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隻眼とは片方の眼そのものや視力が失われている状態のことを意味する。この小説では、左眼が義眼の少女を探偵役として、殺人事件を追う物語になっている。 主人公は自殺するためにやってきた地で、殺人事件に巻き込まれる。危うく犯人にされそうになったが、名探偵で名高い母親から名前を受け継いだ、御稜みかげという義眼の少女に出会う。そうでなくてもいいのに片目だけが、色の違うというヘテロクロミア。 あげくに、「私の左眼は、真実を見抜きます」という中二臭い設定なのだが、内容としては、本格ミステリの内容で、真相を探るのにものすごい悩まされるようにできている。 犯人の証拠が見つかったのに、それはもしかしたら、犯人のミスリーディングではないか、と思ったり、あるいは作者のミスリーディングではないか、という何重にも折りたたまれた謎の構造がほんとうに良く出来ている作品。ちゃんとしたロジックで解決していくのに、犯人であるという確証というか、なんとも判然としない気持ちになりつつ、最後まで読み進めた時に到達する、ミステリ独自の「あの」読後感を、きっと味わえる、いい作品ではないかと思う。 | ||||
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私は割と好き これは推理小説であるかのような形はしてるけれど、本質的にはサイコホラーなんだろうなと思う それに構図として、普通の推理小説ではお約束の「伝承と見立て」「動機とアリバイ」が全て アレな事になっているので、読者的にはまともに推理をすればするほど逆手に取られて馬鹿 にされた感も漂う 実のところ私は推理小説は好きではなくて、佇まいからして多分これはまともな推理小説 じゃないんじゃないかなと思ったので読んでみた口なので、終盤まではむしろアレレ? 普通だなと拍子抜けする思いでした。 最後はまあ反則だとは思うけれども、自分の期待的にはこれくらいやってくれる事 を期待して読み始めたので、むしろ期待通り でも推理小説を期待して読む人に取っては、寿司だと思って口に入れたら、飴細工の フェイク寿司だったと言う位のなんだこりゃ感はあるかも知れませんね。 最初から何か変なものを期待する人になら、ある意味期待に応えてくれる異常な作品 ではあります | ||||
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ラストについては賛否両論ですが摩耶雄嵩氏の長編作品の中ではマシな方ではないかと思いました。 なにより読みやすい。 それが大切。 ただ、この作品を内容そのまま映画化したら きっと凄いブーイングでしょう。 原作はとても面白いのに映画化したら、どんでん返しのために とんでもないことになってしまった。 そんな感じのラストです。 ミステリーでも謎解きではなく、あくまでもストーリーを楽しみたい方には良いかもしれません。 | ||||
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氏の『神様ゲーム』に打ちのめされたクチですので、『そうした要素』を期待していなかったといえば嘘になりますが、 しかし今作も凄まじい。圧倒的です。 本作『隻眼の少女』は二部に分かれており、同じ舞台を背景に十八年越しに起こる殺人事件の顛末が描かれています。 もちろんパッケージに描かれている通りの、よくあるキャラ萌え小説のようにして、この物語は楽しんでもいいのです。 というか、『そういう風にして』楽しむ分にもこのお話は一級品の出来となっています。 しかし麻耶雄嵩はそうした構造主義に対し、鋭いメスを入れています。 ちょうど上等なステーキ・ハウスでA5ランクの肉を注文した時の様のように、 名探偵というシェフの手により謎が、犯人が、丹念に筋抜きされ、何の疑問もはさむことなく楽しまれているということ―― 推理小説が、『名探偵』という存在が、当たり前のように扱われていることへの疑義として、この小説の解決編は機能しています。 「じっちゃんの名にかけ」たり、「真実はいつも一つ!」だったりする名探偵の世界ですが、冷静に考えてましょう。有名になるには実績が必要です。 ただ活字のフィクションにどこまでのリアリティを求めるか? というのもまた読み手に委ねられることになるのが、推理小説業界の悲しいサガだったりするわけですが。 | ||||
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2010年に出た単行本の文庫化。 第11回本格ミステリ大賞の受賞作。 「名探偵」というものの在り方に疑問を突きつけるような衝撃作。それが麻耶さんのいつもの方法ではあるのだが、本作ではより破綻が少なく、精緻に組み上げられているように感じた。 終盤にいたって、すべてが破綻なく説得的に説明されていくのが素晴らしい。 ただ、ラストについてはもっと残酷にできたような気もする。そして、そうすべきだったのではないかと強く思う。 | ||||
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読者が読んでて頭の中にイメージしやすいようにと、とても丁寧に書き込んであります。被害者一族の女性たちの名前に「菜」の字が使用されているので、一族だということがすぐにわかっていいですね。とにかく、作者はいろいろな配慮を文中に施しています。 | ||||
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内容には驚かされましたが、少し専門的な事柄が難しかったかなという印象です | ||||
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日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞を受賞した作品だが、全く本格ミステリではないので受賞したのが意外である。 同時期の貴族探偵と並んで一般向けの読みやすい作品であり、孤立した独自の宗教観で支配された限界村落の後継者を巡る連続殺人というテーマや鴉の驚愕落ちを逆転させたと思われる本書のメイントリックなどかつて氏が発表した代表作「鴉」をどうしても思い起こしてしまう作品である。 一部と二部の時間差構成になっているが、麻耶作品なのにトリックや事件のネタが小粒だなあと思っていると最後で驚愕の真相が!パターンでこれは非常に効果を挙げている。本書が評価されたのもこの点に尽きると思われるが、それまでの作品世界をひっくり返す構成は、人によっては今まで真面目に読んできたのに何だ!ということにもなりかねない諸刃の剣であるので、本書もかなり美少女キャラを造型したりと一般受けを意識しているが、麻耶的問題作と位置づけられる作品だろう。 評価は分かれるだろうが一読すべき価値のある作品。 | ||||
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作品は少なくともつまらなくはない。よくできている。最後のどんでん返しはうまいし、十分なカタルシスがあった。それでもこの作品は、直球か変化球かといえば変化球で、決してストレートではない。それなのにこの作品が賞を取ってしまうこと自体、現在の”本格ミステリ”の現状を示しているように思う。 若い作家は、コード多用型のスタンダードなミステリを好まないし、この作者もそうだが、いわゆる”新本格”時代の作家はすでにいい年齢になって寡作になりつつある(もともとこの作家も若いころから寡作で知られるが)。そんなこんなで、発表される点数自体が減っていることとが一つ。もう一つは、もともと本格推理小説は形式が決まっているがゆえに、既存のパターンをなぞることでそれなりの作品ができてしまう(だから、斬新さが求められてしまうわけだが)ために、そのような「大量生産品質」の作品が増えてしまっていることが原因となっているように思う。 だからこそ、このような変化球小説が賞を獲得してしまうのだろう。 個人的には、デビューのときからファンだし、いまだに「夏と冬の奏鳴曲」はいわゆる新本格の中では一番好きな作品だし、そんな作家の新作であり、久しぶりに完成度に満足したという点でも評価が高い。小説にリアリティを好む向きには絶対に向かないだろうが、そもそもそのような層は本格推理小説には向かないと思われる。 ☆-1分は、やっぱり「夏と冬の奏鳴曲」のほうがよくできてると思うから。この作品が面白いと思った人にはそちらもおすすめできる | ||||
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このレビューを見ていると第二部をしっかり読んだか読んでないかではっきりと評価が分かれているのがわかります。 第二部解決編で明かされる過去、現在の事件の軽薄な犯行動機、荒唐無稽なトリック、釈然としないラスト……。 これらを全て疑うと、この本は真の姿を表します。 低評価のレビューを見てください。動機が不自然、人間が書けていない、ですとか、トリックが非現実的で本格ミステリの体裁を成していない、ですとか、 いろいろ好き勝手書かれていますね。はい、全部正しいと思います。私も同じことを思いました。 ただ、ここで読書を終えてamazonに低評価レビューを入れるには、あまりにも謎が多すぎました。 特にトリックなんか、いくらなんでも現実的ではありません。氏の作品である翼ある闇に匹敵するアホトリックだと思います。 明らかに解決編に疑う余地がある、もっと踏み込むと推理が間違っているって思いそうなものですが、素直に受け入れている人が多くて驚きました。 何回も読み直し自分なりに考察を重ね、釈然としない点に自分なりの解決点を見出した時、この本が傑作であると確信しました。 本格ミステリ小説というのは、もとを辿れば、探偵が解決する前までに、読者が先に犯人を見つけ出すという、作者と読者の知的なゲームだったと思います。私もそれが楽しみでミステリを読み始めました。 にも関わらず、最近の私はろくに作者の出題に付き合わず、ただ物語の娯楽性、結末の意外性を楽しむためだけにミステリを読んでいたということを実感しました。 久しぶりに本格ミステリのゲームの舞台に立たせてくれたこの本に感謝して、評価は文句なしの5です。 しかし、「素人にはオススメできない」というタイトルをつけていますが、 私が一人相撲に必死になるド素人でないという保証はどこにもありません。そうだったら笑ってください。 | ||||
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厳しいレビューが思いの外に多いようなので私も感想を。 ネタバレを避けながらは非常に難しいですが、頑張ってネタバレ無しで書いてみます。 ・トリックが荒唐無稽 ・動機が滅茶苦茶。理解できない 批判点にこの点をあげている人が多いようですが「まさにその通り」です。 筆者はそれらを用いることができる人物・発生する状況をテーマに、この物語を書いたのでしょう。 また、本作の事件は度を過ぎるほどに無慈悲で無軌道ですが、 作者が話を進めるためにご都合的にそうなったのではなく、 「無慈悲で無軌道なことをやってのける犯人」が必然的に起こしたものです。 これらの点については、深読みのレベルではないと思います。 私としては、終盤の無茶苦茶ラッシュについて、 「ああ、こいつ系の人間が犯人なら、やってのけるだろうなあ」と大変納得がいきました。 不条理ものやギャグとしてそういったテーマに挑戦した作品は非常に多いのですが、 ここまで真剣に向き合った作品には、拍手を送りたい。 若干、小説文化自体に対するメタ的な読み方ができる人でないと楽しめない作品ではあると思いますが、 「ただの荒唐無稽」でまとめてしまうには惜しい作品かなと。 推理作家協会賞とミステリ大賞については、納得しています。 | ||||
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大どんでん返しを経てなお、疑問が残る。 岩倉と二代目みかげの二時間は一体なんだったのか。 そこで岩倉は何か重要な役割を与えられたのではないか。 この後みかげが服を着替え髪も直しているというところもまた、想像を掻き立てる。 三代目みかげの父親はほんとうは岩倉なのでは…とか。 また腹話術、オコジョを使ったトリックというのは確かに安易。 しかし安易だからこそ、読者はひっかかりを覚える。 しかも二代目みかげは、このトリックの指摘を黙って聞いているだけで、否定も肯定もしていない。 『娘の指摘を受けたみかげの満足げな態度が、すべてを肯定していた』 という、静馬が受けた印象が書かれているだけでだ。 静馬の目を通して描かれるみかげの心理描写が信頼できないことは分かっているのに、「このトリックは正しかった」とスルーしていいのだろうか。 コンタクトレンズも気になる。 殴打された被害者がしていたのはハードレンズなのに、発見されたのは本の間に挟まった『干からびたコンタクトレンズ』だ。 干からびるのはハードじゃなくてソフトレンズだから、発見されたのはソフトレンズなのだろう。 すると被害者は片目にハード、もう片目にはソフトレンズをつけるという、おかしなことをしていたことになる。 そこに目をつぶったとしても、衝撃に弱いハードレンズが目に残り、衝撃に強いソフトレンズが落下するというのはやはりおかしい。 そもそも「両眼の視力が悪い」からでなく『左右の視力に開きがあるので』コンタクトをしていたという書き方からして気になる気になる…。 確からしい証拠を並べ、推理を重ねてたどり着いた犯人がことごとく否定される中、本書の最後にたどり着いた答えが本当に正解だったのかどうか。 多くの引っかかりをもとにして都合良く論理を構築し、別の犯人を指摘することもできるだろう。 クライマックスである二代目と三代目の対決の場面も、二人のみかげによる、あるいは更なる第三者を加えての小芝居だったとも考えられる。 小芝居を利用して、すべての罪を一人の人間に負わせた上で殺した? 18年前のように? 将来十数年後に、四代目みかげが登場し、真実を暴くべく三代目みかげと対決するのかもしれない。 そしてさらにその十数年後に五代目が…。 閉じられた世界の中で、真実が分からないまま犯人探しが永久に繰り返されるという皮肉。 そういった大きな枠組があることを想像させられた。 まさに怪作。 | ||||
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水干姿の隻眼の美少女、険しい山々に囲まれた鄙びた寒村、その地で古くから伝わるスガル伝説、無残に殺されていく美しき三姉妹―。この作品はそんな横溝作品を彷彿させるような設定の下、数々の「探偵小説」(推理小説ではなく)をエッセンスに緻密に織り込み創り上げられた作品ですが、これはミステリー(推理小説)でもなく、もちろん探偵小説でもありません。 「二転三転する状況」、「名探偵と言われた母の名に恥じぬように懸命に推理する水干姿の隻眼美少女探偵」、「それをあざ笑うかの如く犠牲者を生み出していく真犯人との戦い」など、一見すると古きゆかしき古典探偵小説の王道のように感じますが、読むほどにどこか不安定な危うさ、不協和音が散りばめられているのを感じ不安になるように仕組まれています。 それはあざとさと緻密さの見事なバランスで構築されており、「探偵が警察の捜査に協力し難事件を解決する」という名探偵コナンのような設定そのものがすなわちファンタジーであり、それに「現実感が無い事」や「どこかで見覚えのあるシチュエーション、トリック」である事なども作者は百も承知で書いていて、作品を読んだ読者がそういう反応をするであろう事をニヤニヤとほくそえみながら書いている姿が目に浮かぶようです。 この作品は、現実味のない設定・状況で構築された甘い世界を読者に自然と受け入れさせておいて、最後の最後にそれを嘲笑うかの如く世界全てを崩壊させるという作品として創り上げており、同様の効果を持つ作品として「向日葵の咲かない夏」などが挙げられます。 「向日葵の咲かない夏」は子供というファクターを通した一人称尾視点を最大限に利用する事で非現実を非現実として感じさせず、それ故に最後の最後に描かれるその狂気がより一層鮮明に衝撃的に映るように仕向けられているのが特徴ですが、この作品もまた同様の流れを感じました。(同じような一人称視点なのもそれ故でしょう) くどいようですがこの作品はミステリーでも無ければ探偵小説でもありません。物語の語り部であり、ある意味主人公である種田静馬は読者(特に男性)が自分を投影しやすいキャラクターとして、とにかく平凡で善良、優しいところだけが取り柄のような人間として描かれています。 その主人公が失意のうちに自ら死を選ぼうとしていた時に突如現れる水干姿、おまけに隻眼のツンデレ美少女探偵。今まで単なるモブキャラ人生しか歩んでこなかった主人公がその美少女探偵と出会い、殺人事件に巻き込まれ一緒に捜査に携わっていくというワクワクするような非日常感。そして事件の捜査を共にするうちに、いつしか惹かれあっていく二人…ってこれほど非現実的で都合の良い設定があるでしょうか? この現実感の無さに比べたら「水干姿の美少女探偵」も「あまりに無能な警察」も「民間人に不用意に情報を開示する不自然さ」も全然自然に映るほどです。(表紙の女の子がやたら魅力的なのもそれが目的だと考えれば納得) 「向日葵の咲かない夏」同様、現実にありえない事をすんなりと受け入れさせるその用意周到さは巧妙で、それ故に残酷な真実が恐ろしいほどの解像度で浮かび上がります。中二病のような世界観にどっぷり沈み、作者の思惑通りに薄幸の美少女探偵に恋をしてその悲恋に酔いしれ、お姫様の騎士気分に浸っている瞬間に、主人公共々読者をどん底に叩き落とす残酷なまでの「現実」―。これこそが作者の狙いでありこの作品のテーマだと思われます。 ですので、この作品の正しい楽しみ方として、まるでジェットコースターに乗るかの如くその世界と人物を受け入れ、導かれるままに登場人物に感情移入し最大限の加速を持ってどん底に叩き付けれらる事にあると言えるでしょう。もちろん、そういう作者の狙いを差し引いても、文章そのもののテンポの良いリズム感やスピード感は非常に心地よく、一気に世界に引き込まれる作品なのであまりジャンルやその他もろもろに拘らず楽しんで読んでいただきたいです。 | ||||
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ミステリは久しぶりだったのですが、面白かったです。ミステリの面白さを再認識したというか。本格ミステリの要素が良い塩梅で入っているので、最近、ミステリを読んでいないという方にオススメです。饒舌なところもなく、テンポ良く話が進みます。作者の力量が推し量られます。他の著作が読みたくなりました。 | ||||
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麻耶雄嵩の作品について、私は以前、『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)』に関して、 <おそらく主人公・如月烏有は「聖なる愚者」なのだ。 いつの日にか彼は、パルシファルのように、自分が本当は何者であるかを知り、王位を継承する事になる。 「銘探偵」という王位を。 本作は、言わば壮大な序章である。 > と書いた。その思いは今でも、変わらない。 私にとって麻耶雄嵩とは、「探偵が探偵であることの“業”を、いつか描いてくれるに違いない作家」であった。 ひとりのメルカトル鮎という探偵が死んでも、別の者がメルカトル鮎の名を引継ぎ、名探偵としての“業”を背負う。だからこそ「名探偵」なのではなく「銘探偵」なのであろう、と思ってきた。 残念ながら、世間一般の人はもとより推理小説評論家ですら、そのように考える人はいない。 私は『木製の王子 (講談社文庫)』を、如月烏有が新たなるメルカトル鮎となるまでの成長譚の折り返し点と見ていたのだが、推理小説評論家諸氏は、完結篇と捉えた。 しかし遂に、麻耶雄嵩は書いてくれた。「探偵が探偵であることの“業”」を描いた作品を。 この『隻眼の少女』では、「御陵みかげ」と名乗る世襲制の名探偵が登場する。 第一部では、警察関係者からの信頼も厚い名探偵であった初代・御陵みかげの娘が、2代目を襲名する。 その18年後の第二部では、2代目の娘が、3代目を襲名する。 主人公にして視点人物である種田静馬は、その名前の通り「種馬」として扱われるであろうことなど、誰もが読み始めてすぐに、予想するであろう。 その予想をも覆す、オソルベキ結末が用意されているはずだと期待しつつ読み進めると・・・まさに、「探偵が探偵であることの“業”」の深さが、作品内世界を覆っていたことに気付かされる。 と同時に、視点人物である、いわゆるワトスン役が作品内世界に与える影響が問題にされていることに驚く。 通常、「後期クイーン的問題」を扱った作品では、探偵役が作品内世界に与える影響が問題視される。 だが、この作品では探偵役は世襲制で、途中で代替わりしているのに対し、視点人物は第一部でも第二部でも同一人物である。 そして、同一人物が18年の時を経て二つの事件に関わった事こそが、作品内世界に大きな影響を及ぼす。 考えてみれば、シリーズ作品におけるワトスン役もまた、常に作品内世界と関わっているのに、ワトスン役が世界に与える影響など誰も考慮してこなかった。 (大阪圭吉の『とむらい機関車』のような、高名な先例があったにもかかわらず!) この点に注目したことは、まさに麻耶雄嵩ならではであろうし、だからこその「日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞ダブル受賞」なのであろう。 一方で麻耶雄嵩は『貴族探偵』においては、探偵役は「探偵が探偵であることの“業”」を背負う存在であるというテーゼを極端な形で押し出すべく、探偵役はただ探偵であって、推理は助手が行うという大胆不敵な人物設定を行った。 そして、助手が視点人物の役目から解放されることによって、あちらの作品でも「視点人物が作品内世界に及ぼす影響」についての、ひとつの実験が試みられている。 日本の本格ミステリは、ここまで来てしまった。 これでは、一般の読者が付いて来るのはしんどいかもしれないが、こうした作品は誰かが書かねばならない。 現時点での麻耶雄嵩の最高傑作であり、来るべきところまで来たミステリの極北である。 | ||||
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麻耶雄嵩の名前は知っていたが能動的に読もうとはならなかった。歳を重ねるにつれ、本格推理小説に挑戦するのが億劫になったのだ。本書も大体の内容を知るにつけ二の足を踏んだが、これを逸すると、麻耶を読むチャンスはもう二度と巡ってこないのではないかと思ったので頁を開いた。 意外と文章はしっかりしている。琴乃湯がある栖刈村の描写も味わい深い。そして連続殺人事件が発生する。大きなトリックがあるわけではなく、話は淡々と流れ、第一部が終る。途中で投げ出さない程度には面白いが、あっさり感しかなかったので、第二部に期待が膨らむ。 この辺りから真犯人の的がドンドン絞られ、私でも判るぐらいになってくるのだが、勿論、そんなヤワな解決になっていない。本格推理小説の醍醐味は予想外の犯人となるのだが、前提条件がフェアではないように思う。まぁしかし、そう目くじら立てずこういうのもアリだと割り切ると、随所に伏線があるよく練られた作品で、これはこれで充分麻耶雄嵩を楽しめた。 | ||||
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“隻眼の少と女”といえば、そりゃあ映画で橋本愛さんが演じられた、 『アナザー』の見崎鳴でっしょ!! 駅中書店で平積みにされている本作を見かけ、もう表紙買い。 表紙はどうせCG合成でしょ、と思ったのですが、きちんと高根美里さん というモデルがいらっしゃるのだとか。 (検索してみると、最近は芸能活動休止中?、ザンネン・・・) 普段はあまり推理小説というジャンルを読まない私が、“萌え”心 の一心で拝読したわけですが。 “殺人”なんて、そんな簡単に出来るもんじゃねえだろ〜!!! とツッコみつつ、 “萌え”心を打ち砕かれるドンデン返しに、 やっぱり率直に感心してみせるべきなんでしょうか? ドウナノデショウ。 | ||||
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浮世離れした衣装を身にまとうツンデレ美少女探偵と冴えない青年が助手役というある意味王道的な配役は、たとえば西尾維新作品のようなライトノベル風ミステリテイスト作品(やや語弊があるかもしれないが)に多く触れている読者には、むしろ受け入れやすいだろう。 内容については、ミステリ界のとある命題がこれでもかと挑戦的なまでに仄めかしてあり、二重三重に罠が仕掛けられている構造こそがテーマとなる。本作はその悪意に充ち満ちた構造・手腕に圧巻し驚嘆すべきものであり、真犯人や結末だけにスポットライトをあててしまうと、おもしろさは半減してしまうのだ。 (↓ややネタバレ注意) 「探偵に示される手がかりの絶対性については一切の保証がない」という命題に対し、本作では事件中にちりばめられた手がかりに加え、作中探偵ではなく助手が偶然見つけた手がかりすら「絶対」とは言えないんじゃない?と嘲笑うかのような仕掛けが幾つも存在する。無数の「非絶対」の手がかりを探偵が「取捨選択」し「推理(創造)」するという構図は、異常なまでにミステリ的であると同時にアンチミステリ的でもある。その二つを見事に織り交ぜたところがこの怪作の最大の魅力である。 結末に関して、およそ現実性を欠いた自白・動機についていけないと評した方もいるようだが、では「その絶対性は保証されいるのか?」ということを今一度考えてみて欲しい。探偵が代替わりを経ていくつもの手がかりの中から真と偽を振り分けて(取捨選択)至った結末とはいえ、「この犯人」は「こんな動機」だったという図式はそれまでに二度、三度と裏切られている。また作中、探偵の誤推理によって濡れ衣を着せられた人物たちは揃って「嘘の自白」をしていることも、この結末に揺さぶりをかける伏線となっている。犯人あるいは動機について納得がいかないという人は最初から納得いかせる風に書いていない、あらゆるすべてにおいて「絶対性はない」ことを散々強調してきた作者の手腕に見事に絡め取られているのだ。 ただ読む分にはそこまで邪推せずともいいかもしれないが、そもそも主人公登場の冒頭部分からして非現実的だと認識していれば、非現実的な結末をおかしいと指摘することすら滑稽である。与えられた結末に納得できない(信じられない)のであれば自分で考えろ、とも言い換えることができる悪意に満ちた構造に拍手。 | ||||
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真面目に考えながら読んでいた僕はなんだったんだ・・・なーんて思ったり。 カバー写真見て、デレデレしているとあっさり騙されます(笑) 読む前と、読んだ後でカバー写真の印象が変わります。 | ||||
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