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人間の証明
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人間の証明の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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本作は、日本の文学史上空前のベストセラーとなった作品である。これには、次の要因があったと考えられる。 ①角川春樹による空前のメディア戦略による宣伝。当時の角川出版、角川映画は日本のマスメディアを牽引しており、このメディア戦略の成功が頂点に達していた時であった。作者自身があとがきで角川春樹に謝辞の言葉を贈っていることがこれを物語っている。 ②西条八十の引用により、単なる本格推理小説で終わらず、作者の文学的表現が格調を高め、読み応えのある作品となったこと。作者の文筆力により、単なる推理小説愛好家だけではなく、幅広い読者層を引き付けることに成功した。 ③戦後、アメリカ文化が日本国内外で興隆を迎えたが、本作ではニューヨークの実態、特に、一般には窺い知ることのできないスラム街などを詳細に描写し、多くの読者の好奇心を駆り立てた。 しかし、作品としてはプロットに次のような幾つかの粗がある(以下ネタバレ)。 ①小説の主人公・棟居刑事が生い立ちから社会を憎んでいるが、悪徳刑事ならともかく、なぜ、正義漢となったのか説明が不足している。当時は戦争体験が生々しく残っており、小説の登場人物には戦争に関する逸話がある。ただ、その人物が、なぜ、犯人を追跡していく情熱に変わっていったのかを描くべきであろう(他のシリーズで描いているかもしれないが、このような長編小説ならば、1~2行だけでも書くべきである)。 ②日米共同捜査と宣伝されたが、日本とアメリカの捜査に連携性はなく、文中でもアメリカの警察はやる気がないと書いており、双方が単独で捜査している。共同らしい共同がなかったために肩透かしに終わる。 ③森戸邦夫、谷井新子らの素人探偵が出来過ぎており、御都合主義になっている。特に森戸は単なる事務機器の販売員だがCIA並に個人情報を詳細に入手する。今のように個人情報が守られていないとはいえ、私人では無理である。ちなみに、当時であっても名門セントフェリスが一私人に個人情報をあそこまで開示することはなかったであろう(現在ではいかなる事情があってもありえない)。 ④八杉恭子のジョニーの殺害はタイトルと一致しており、優れているが、中山種の殺害は果たして本当にリスクを冒すほどのものであったのか。また、どうやって警察の捜査が霧積にまで向かっていることを知ったのかも書かれていない。最後の犯人の自白が息子への罪悪感であったことを考えると不必要であった。 ⑤点と点が線になっているようでなっていない。例えば本作のキーアイテムである熊のぬいぐるみは、最後に小山田夫人の死体が発見され、そしてコンタクトケースが発見されることで無駄になってしまった。ぬいぐるみから氏名を割り出すことは難しいがケースからは簡単に名前が割れてしまう。最初からケースをなぜ見つけられなかったのかということになる。また、ケン・シュフタンの最後の死は底辺の人間の報復というテーマがあるが、シュフタンは日本人で恩讐を抱える棟居のために骨を折った。そして、この結末はとってつけた感が強く、本作のテーマにそぐなわない。物語をテーマに合わせて描いていく方がプロットに筋が通り良かったのではないか。 以上の欠点があるものの、良い点も悪い点も日本の経済成長絶頂時の時代を反映した作品である。よって星を3つとしたい。 | ||||
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50ページそこそこで大枠の物語が分かってしまった。大昔、映像でも見ていたのかもしれない。意識にはない記憶が影響する話はこの中にもある。 有名どころというところで選んでみたが、うーん、何かいろいろ無理を感じた。人が死に過ぎるし、それを安易に認める登場人物たち。そういう風には人は動かない気がする。あちこち仕掛けがあり過ぎるのも不自然か。最後の落ちはさすがに気づけなかった。彼の年齢はそういえば明かされていなかった気もする。もっと若いと思っていた。 | ||||
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設定に無理がある。 日本で黒人が死んだ、しかも本国アメリカには身寄りがなく、当然ながらアメリカからも断固犯人を逮捕せよ、との要請もない。 一体こんな事件を日本の警察があそこまでムキになってやるものかと。 早々に捜査本部解散、お宮入りになるのが関の山。 アメリカがどうでもいいと思っているアメリカ人を殺した犯人なんかそれこそ日本にしたらもっとどうでもいい。 日本の警察は別に博愛精神に溢れた正義の組織ってわけじゃない。 ケン・シュフタンが日本からの要請が途絶えたのに個人的に捜査を始めるのもおかしい。散々ニューヨークの犯罪率やら開陳しておいて、そんな環境でジョニー・ヘイワードのことなんか調べる気になるかっての。あれは日本人の発想であってアメリカ人の発想ではない。 て思ってたら、シュフタンには一応の動機があったんだね。最後にわかるけど。 にしても、全編にわたって都合よく話が進む。あと何故か男女の関係についてのしつこい描写がある。これは「人間の証明partⅡ」でも出てきたんで、作者の癖なんだろう。ワンパターンと言うべきか。 やっぱりこの人(森村)の小説って | ||||
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母親の子供に対する情愛を描いた作品。おもろいんだがちょっと時代背景が古すぎたかな( ノД`)…今度は森村誠一の最近の作品を読んで判断したいと思います( ̄▽ ̄;) | ||||
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ミステリー部分はたいへん面白いです。 いろんな「小物」が効果的に使われたり、いろんな角度から解決の糸口をつかんだり、最後まで飽きさせません。 そして西条八十の詩もジョニー・ヘイワードの哀しさも胸にじわりと迫ります。 なのでミステリー部分に☆3つ。 しかしその部分が静かに展開するのに対して、作品中にしつこく出てくる男の欲望臭がすごくて閉口しました。 私はこの作品が書かれた頃に生まれていますが…ちょっと理解しづらいものがありました。 刑事と被害者以外の男はほとんどが、女とみれば「犯す」「貪る」「処女か?」 夫婦間でも夫は妻にギラギラとした欲望をみなぎらせていますし、途中出てくる行方不明になった妻を心配する旦那も妻について思い浮かべるほとんどが肉体のことばかりで…妻の人間性とかについて描写は?と思うことが多々ありました。 あと結婚の決まった女友達に「エリートに嫁ぐなんてレッテルに惑わされた身売り、売春と同じだ」「一度や二度許したってどうってことねえだろう」と言う男とか。 ミステリーに淫靡さはあっていいと思いますが、これほどまでモロに来ると生臭さに「もういいよ」という気になります。 実際の男性もそう思ってるのかもしれないけれど、こんなの平気で書いているのが名作なのかなあと思いました。 「そういう時代だ」という人もいるでしょうが、同時代でもこんな風じゃない文学はいっぱいあります。 そういえば中学生の時「人間の証明」を図書館で借りようとして、パラパラと読んで「なにこれ男の人汚い」と思って棚に戻した記憶がありました。 読み終えてからそのことを思い出しました。 | ||||
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酷かもしれませんが、成功した恵めれた方の作品なので、思いきった感想を書かせていただきます。親子の愛について、大変なスケールで書かれた作品なのは、分かりますが、どうゆうわけだか、私は感動できませんでした。理由は至極簡単です。リアリテイーが乏しいのと、人物の描き方ー平たく言うと、松本清張氏のようなデツサン力がないので、心に伝わってこないのです。 | ||||
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つくづく森村誠一は松本清張に焦がれていたと確認が、この作品では強く感じる(以下ネタバレに近い記述あり) 秀逸なのは誰しも心に抱く普遍的な母親への恋慕を西条八十の詩によって柱に据えた事だ。むしろオリジナリティとしての評価はここの留まるのかもしれない。 しかし幾度も重ねて読み込む作品ではない事は痛感させられる。なぜならジョニーヘイワードが行き先として告げる『霧積=キスミー』は作品中ではそこが象徴された母との濃い記憶の場所であるとの記述が少ない。そのために、彼がまた母とともに思い出の霧積に行くのが希望であったかは全く触れられていない。 ここで連想するのは松本清張『砂の器』でのカメダ=亀嵩のミスリードである。そのままこれはキスミー=霧積につながるし、米兵に陵辱され死に至った棟居刑事の父親のくだりは穿った見方をすると、これまた清張の『黒地の絵』あたりを想起させる。 この作品の魅力は他に、複数の人間が織りなす交錯劇であるが、ここはむしろ母親への恋慕に一直線に進むことを潔しとしなかった作者の工夫であり、それは功を奏し作品に深みをとリズムを与えている。また私個人としてはラストの犯人断定のプロセスの議論は、あっていいと思うし、ミステリー仕立てに留まることでこの作品の個性にも寄与していると思う。 この作品で感じるのは著者のまだ租借仕切れていない松本清張への想いと書くのは飛躍だろうか。 | ||||
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非常にネームバリューの高い本作品。何度も映像化されているとの事も有り、手に取った。 作品としては非常に秀逸だと思いました。 ハーフの黒人青年、世間に怨みを抱く刑事、ボンボンの青年とその彼女、 高名な評論家である女性、NY市警の刑事、スラム街の老人、美しく妖艶な人妻、 その妻の浮気を疑う旦那、浮気相手である大企業のエリート重役、 山里にて静かに暮らす老婆 と、主要人物だけを挙げても一癖も二癖もありそうなバックグラウンドを持つ 彼らが織りなす複雑な人間関係、犯罪、策略、そこに生じる思慕と憎悪の情、 これらを全て綺麗に物語として纏め上げ紡いだ作者の手腕は見事と言うしか無いです。 そして最後の方で明かされる、一見関わりが無いと思われた人物達も実は深い因縁で 繋がっていたというオチは、読了後(少々ご都合主義と感じたが)エンタテインメント作品 としてスカッと満足感の得られる感想を持てました。 但し、圧倒的な迫力というか、ワクワク感が無かったので3点ですかね。。 凄い良い作品だと思うのですが、当初は「圧倒的スケールで送る時空と国境を超えた衝撃の人間ドラマ!」 的なコピーに象徴される作品だと思っていたので、(事実、回りの評価もそんな感じでした。)そこまでは スケール感もワクワク感も無いかな、と。。(恐らく、中ダルミというか、スローなテンポで進む 中盤の為、そのように感じてしまったのかも知れません。) もっと「重厚で暗く鬱蒼とした闇を描く気が滅入ってしまうようなジトジト作品」的な感じで ハリを振り切ってしまった作品にしてしまえば、また感想が変わったかもしれません。 | ||||
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竹野内豊の「人間の証明」を見て、気になって読んだ。ドラマでは、四半世紀の隔たりがあったが、それを埋めるのに充分な人物構成がされていた。原作でも、西条八十の詩に象徴される子どもの母を愛しく思う気持ちがあまりにも切なさが強く心を動かした。 | ||||
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