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大聖堂 果てしなき世界
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大聖堂 果てしなき世界の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.97pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 21~29 2/2ページ
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前作という『大聖堂』を読み損ねたままだったので、続編だというこちらを読むことに。それにしても分量がたっぷり。読み始めてついていけなくなったら途中棄権しようと考えていたが、冒頭でのグウェンダのドキドキものの盗みに、まるで自分が盗人になったように心臓がバクバクし、そのまま物語へひきこまれてしまった。 何より、登場人物の名前がファーストネームでの記載がほとんど、というのが有難い。これがいちいちフルネームで書かれると、それを判別するだけでしんどくなってしまう。それに登場人物はそこそこいるものの、この分量にしては、主要人物に絞って書かれているし、相関図もコンパクトにまとまるのがまた読みやすい。だけれど、それで話が小さくなると面白くないが、その簡潔な関係性の中からあれやこれやの壮大な物語が広がっている。 上巻では1327年から1337年の10年間。主人公たちが子どもから大人へと成長するまでを中心に、イギリスのキングスブリッジという街が描かれる。中世の割に古臭さを感じないが、少々閉口してしまうのが、残虐な殺人もまたあることだ。 ただ、冒頭すぎに、どうやらこれが下巻まで続くキーとなる秘密が出てくることや、マーティンとカリスという2人の恋愛の行方(純愛に思えるが、それにしてもマーティンは誰とでも、というふしがある。そこらへんに中世の雑多な様子が反映されているような・・・)や、街の要である橋が崩れることで大きく人の運命が変わること、理不尽な人たちが暗躍し、当初、ナイスガイと思われていた人物が身内にいるブレーンのおかげで権力をものにしていく様など、エンターテイメント性に溢れている。 中世臭さはないものの、修道士と修道女が力を持っていたり、おまじない的なもの(「愛の薬」)などに特色があるが、それほど細かく当時のしきたりは、とか歴史的事実は、というものを省いて、分かりやすく読めるようにしてあるので、歴史物が好きな人には物足りないかもしれない。 | ||||
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舞台は正編『大聖堂〈下〉 (新潮文庫)』から時代をおよそ200年下った14世紀のイングランド。あのレディ・アリエナとジャック・ビルダーの血を引く末裔たちが、再び暴力と理知とがせめぎ合う中世で、波乱の人生を送る三十有余年の物語です。 文庫とはいえ、上巻671頁、中巻671頁、下巻670頁と、三巻合計で2000頁を超える大長編歴史大河小説ですが、決して臆する必要はありません。有為転変の物語に読者は倦(う)むことなく頁を繰り続けること間違いないでしょう。 正編『大聖堂』同様、物語を彩るのは激しく仮借なき暴力、領主や聖職者の理不尽で恣意的な意思、時に放埓ともいえる男女の性的関係といった、中世物語です。しかしその一方、私はこれを、世の中を駆動するのは経済的な欲求・欲望であるということを強く意識させる小説として読みました。 羊毛市の開催をめぐるごたごた。土地にかかわる税金・相続・借用権の問題。新しい農産物の生産とその加工商品の流通。橋というインフラの整備とその建設資金の捻出。 こうした経済活動が物語の登場人物たちの人生を豊かにはぐくむこともあれば、大きく狂わせることもあるのです。緒についたばかりともいえる資本主義経済社会の様相は、大変興味深く読むことができます。 さらに、14世紀に猖獗(しょうけつ)を極めたペストのくだりは、新インフルエンザに際して現代の人々がきたした恐慌(パニック)と、治療と予防への飽くなき取り組みとを想起させるにあまりあります。 500〜600年も以前のヨーロッパ人の行動が、より身近に感じられる群像劇を見るにつけ、ケン・フォレットという稀代のストーリー・テラーの腕の確かさを強く感じることができます。 さて、物語はこれで終わるのでしょうか。それとも『大聖堂』には三つ目の物語が生まれるのでしょうか。注目していたいと思います。 | ||||
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キングスブリッジは商人の街としての尊厳を取り戻すことができた。 商人の仕事は取引だ。 たとえその相手が誰であっても正当な取引をするのだ。 そうして自分たちのほしいものを手に入れる。 30年あまりにわたる人生の最後はこの世で一番高いところへ上るための旅だった。 1,800ページを上回る旅は,饒舌と言うよりも芳醇な旅に思えた。 | ||||
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権力者たちの狡猾な仕打ちに農民たちが立ち向かいつつ話は進んでいく。 やはり権力者たちは,私腹を肥やすことしか考えず,農民は日々の暮らしを楽にしたいだけなのだ。 夢を持つ者たちは,夢を打ち砕かれて,新たな道を見いだそうとする。 中世のヨーロッパ。 暗黒時代と言うよりも,女性が自分を主張できないままでがまんしてきた時代だったのだろう。 だからこそ,二人のヒロインが輝きを増してくるのだ。 | ||||
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自分で判断できないときに,他人に:時に神に:その判断をゆだねる教会と,現実問題を把握しきっている市民との埋めようのない溝が明らかになっていく。 今も昔も,権力者は私腹を肥やすことしか考えていないのだ。 救いとはみんなの物ではなく,まずは自分たち(教会)の物なのだろう。 橋の崩壊から急展開し始める話は,この後の巻でどんどん進みそうだ。 分厚いけれども,非常におもしろく,飽きさせない作品だと思う。 | ||||
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キングズブリッジを去ったマーティンは、フィレンツェで建築職人として成功を収めますが、ヨーロッパ中で猛威を振るったペストで妻と仕事を失い、娘を連れてキングズブリッジへ戻ってきます。 一方生きるためにやむなく女子修道院に入ったカリスは施療所で日々増えていくペスト患者を相手に奮闘するうち女子修道院の院長に選ばれます。そうして再開した2人は、ペストとそれに伴う町の混乱といった山積みの問題に手を取り合って立ち向かうわけです。 前作でもそうでしたが、上巻、中巻と長い苦労を経て、下巻でようやく主人公たちはそれ相応の実力と地位を得て、目的に向かって邁進していくわけですが、ああいうのを見ると、努力や苦労は報われる、報われなければならないんだと、心から思います。 ここまで来たら、細かい筋書きの説明や感想は敢えて書きません。最後まで勢いよく読み進めて下さい。 | ||||
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前作「大聖堂」もそうでしたが、この中巻は苦難と悲劇が立て続けに主人公達に降りかかります。 前巻でマーティンは徒弟期間が明ける間際に親方のエルフリックから血の繋がらない子供を身ごもった娘と結婚するよう命令されたのを断ったせいで破門になりますが、持ち前の才能と高い技術で実績を重ねたおかげで建築職人としてキングズブリッジの町の人たちに認められ、崩れた橋の修復を請け負うまでになります。ところが最も難しい橋脚の部分が終わった所で修道院長のゴドウィンと組んだエルフリックに仕事を横取りされてしまいます。 一方カリスは衰退していく羊毛市を立て直す策として羊毛を織って赤く染めた布を目玉商品として売り出しますが、折しも修道院の権威を高めるため新しい修道院長の館の建設を目論んだゴドウィンは手っ取り早く資金を作るため過去の法令を持ち出して、布を織るのに住民の家にある縮絨機の使用を禁止し、修道院が所有する縮絨機を使わせて使用料を取ろうとします。辛くもその問題は法の抜け道を使って切り抜けますが、今のままでは町のためにどれだけ策を講じても修道院に邪魔されるばかりだと考えたカリスはキングズブリッジを自由都市にする運動を起こします。しかし税金やその他の利権を失うことを怖れた修道院長の陰謀でカリスは魔女裁判にかけられ、生き延びるため(魔女裁判での有罪は即死刑に繋がるので)女子修道院に入って修道女の道を歩まざるを得なくなります。カリスとの結婚を翌日に控えながらそうした悲劇に直面したマーティンはフィレンツェへ建築の修行をするため失意のうちに町を去ってしまいます。 これは私の個人的な考えになりますが、エルフリックと言いゴドウィンと言い、目先のプライド、権威、利権に目を奪われすぎですね。 エルフリックはマーティンの才能と技術に嫉妬して、事あるごとにゴドウィンに取り入ってマーティンの仕事を奪いますが、交渉事や政治には優れているのですから、技術面で及ばないのが分かっているなら仕方ないと割り切って、修道院を始めとする施主やその他取引先と職人との仲介役、まとめ役に徹していれば、マーティンを自分の強い味方として活用でき、互いに良い結果をもたらすことができたのではないでしょうか。 ゴドウィンにしても、修道院の権威を高めるために必要な資金を作るために目先の収入だけを考えず、利権を手放して一時的に収入が減っても、町を繁栄させることで収入を増やそうとする長期的な視点があれば、カリスたちの反感を買わずに済んだことでしょう。まあ所詮は読者の視点から考えた結果論でしかありませんが。 あと、この間の後半辺りからイギリスとフランスの百年戦争と、ペストの流行が起こりまして、物語にも大きな影響を与えてきます。学校の世界史の授業では(少なくとも私の場合は)あまり詳しく教わりませんが、中世ヨーロッパの歴史では重大な事件なので、物語を読むに当たっては大まかな経緯だけでも理解しておいた方が良いかも知れません。 | ||||
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期待して読んでしまう。しかし、ちょっと違う。まず、アリエナのような女性は出てこない。 それから前作では、大聖堂ができるまでのプロセスが鮮やかに描かれていて、いつかこの目で大聖堂というものを直に見てみたいという衝動が沸き起こったものだ。 今度の作品では、それよりも中世の価値観に暮らす人たちの人間模様を描くことに力が入っている。とはいっても、時代は変われど人間のすることなど、変わりようが無いのだ。 今作品も建築物の話は盛り込んではあるものの、ストーリーにはあまり関係がない。 前作の大聖堂同様、読みでは確かにたっぷりある。冒頭に語られる、騎士の秘密とは?最後まで飽きずに読ませる仕掛けもちゃんとある。 | ||||
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全世界でベストセラーになったケン・フォレットの小説「大聖堂」の続編「大聖堂─果てしなき世界」が出版されまして、私のブログのアクセス解析をチェックすると、「ケン・フォレット」「大聖堂」といった検索ワードで来ている方が毎日何人もおられます。 私も上・中・下巻全て買いましたが、何せ1冊が分厚いもので、空き時間を見つけては少しずつ読み進め、ようやく上巻を読み終えましたので紹介と感想を書くことにします。 舞台は前作からおよそ150年後のイギリスで、物語の中心地キングズブリッジも前作よりも一層繁栄を見せ、キングズブリッジ修道院も女子修道院が近くに建てられるなどといった繁栄ぶりです。 それでも何かしら問題を抱え、富める者もいれば貧しい者もいるのは世の常で、キングズブリッジの町も橋の老朽化などの問題で衰退の危機に立たされております。それらをどうにか打開しようと奔走する町の人たちを含む登場人物には、前作の主人公であるトムやジャックの子孫が何人も登場してまして、その中に今回の主人公の1人である建築職人マーティンがいるわけです。 一方修道院はと申しますと、修道士は生涯独身が原則ですから当然子孫などはおりませんが、前作のフィリップの業績が書き残されたり、何より大聖堂が健在です。こちらも財政問題や、修道生活の理想と現実の違いといった問題を抱えている上に、前作より規模・権威などの面で安定する代わりに保守的な雰囲気が支配するようになるのはどこの組織も変わらないようで。しかも、そうした現状を打破・改革しようと志し、苦労してトップに立っても、現実を目の当たりにすると結局前任者と同じように保守的になってしまうというのも良くある話で。 そんな問題は山積みどころか、次々と降ってくる中、マーティンたちが何を考え何を為すか、夢を叶えるか破滅するか、中巻以降の物語、果ては結末が気になって仕方ありません。 | ||||
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