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梟の拳



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【この小説が収録されている参考書籍】
梟の拳
梟の拳 (講談社文庫)
梟の拳 【徳間文庫】

梟の拳の評価: 6.00/10点 レビュー 2件。 Cランク
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(7pt)

梟と云うより鼠か

2014年第60回江戸川乱歩賞を受賞した下村敦史氏の『闇に香る嘘』は全盲者を主人公にした斬新なミステリとして選考委員の満場一致で決定した作品だが、それに遡ること約20年前に香納諒一氏によって全盲者を主人公にした作品があった。それが本書『梟の拳』である。

但し下村作品の主人公村上和久はいわゆる一般市民であったのに対し、本書の主人公桐山拓郎は元ミドル級のボクシングチャンピオンで、網膜剥離によって全盲を余儀なくされた人物。勝負の世界に生きてきた彼は勝ち気で短気な性格であり、まだ若い彼は言葉遣いもぞんざいである。桐山は引退後その経歴を活かして妻をマネージャーにしてタレント生活を送っている。

そんな彼が巻き込まれる事件は明らかに日本テレビの『24時間テレビ 愛は地球を救う』をモデルにしたチャリティー番組に出演した折に出くわす、久岡昌樹の死に端を発した、原子力業界に絡む政治と金の、そして過去日本が行ってきた非道徳的な行為に纏わる、日本の暗い闇だ。

こう書いただけでも一介の引退した盲目のタレントボクサーが巻き込まる事件としては実にスケールが大きいことが解るだろう。
2人だけの面会を頼まれた相手、久岡昌樹という人物が≪原子力エネルギー推進公団≫の重役でありながら、もう1つ≪日本原子力平和研究センター≫の専務理事という半官半民の組織の上役、即ち日本原発界の中心的人物であり、桐山は彼の死に不運にも立ち会ったこと、そして現役時代のマネージャー永井康介が原発建設に絡む利権問題を追っていたことで否応なく複数の組織の思惑が絡む暗闘に巻き込まれてしまう。

関わる組織は永井がかつて所属していた右翼団体≪愛魂連合≫、その総裁と組長が兄弟分の関係にある暴力団≪戸川組≫、前掲の原子力がらみの組織に、原発建設を計画しているI県の県知事争いをしている≪民自党≫の現県知事、保科武一とその対抗馬、蒲生善之に蒲生を推すI県出身の代議士、通称≪寝業の馬場≫こと馬場啓志。更に桐山が出演した24時間のチャリティー番組を企画している≪平和テレビ≫のプロデューサー亀山にその会場となった、一度大火災で廃業したホテルを買い取り、近日営業開始予定の≪ホテル・ビューポイント≫のオーナー≪須藤グループ≫といったきな臭い連中が絡んでくる。
そして桐山をしつこくつけ狙うのは正体不明の組織に属する巨漢の男、それとは別の組織に属する柴山なる人物、更には亡くなった久岡の娘静香。そしてかつて永井の友人であった≪呼び屋の金≫こと金円友が桐山夫妻と行動を共にする。更にはかつて桐山が障害者の両親と共に過ごしていた横須賀の施設≪あけぼの荘≫まで絡んでくる。

とにかく次から次へと出てくる、利権を貪ることを一義とした団体、組織が次から次へと出てくることで、最初はかなり目まぐるしく変わるストーリー展開に戸惑いを覚えた。

やがて調査するうちにチャリティー番組に隠された不穏な金の動きが発覚する。毎年3千万ものお金が寄付金に水増しされ、そのお金が≪日本原子力平和研究センター≫から出てきており、そして≪朝日荘≫、≪ひなげし学園≫、≪あけぼの荘≫といったいずれも障害者の面倒を見る福祉施設に寄付されている。

チャリティーのお金が福祉施設に寄付されていること自体は何もおかしな話ではない。しかしこのうちの1つ≪あけぼの荘≫が桐山の両親が入れられ、そして彼が生まれた施設であることが更に彼の事件への関わりを強める。

桐山の両親が障害者同士だった。この事実は何とも私には辛い。私も障害者の子供を抱える身であるからとても他人事とは思えなかった。
しかも桐山はいわゆる人並みの行動が出来ない両親を嫌っていた。勿論人付き合いなどは出来ず、終始人前ではおどおどしている両親、社会的弱者である2人から切り離されるように桐山は会津の父親の兄夫婦に引き取られ、そこでは決して毛嫌いされていたわけではないが、余所余所しさが常に伴い、従って桐山は体が大きかったこともあって喧嘩が強く、荒れた生活を送るようになる。
しかし私は両親が社会的弱者であったことが桐山を喧嘩好き、不良にしたのではないかと思う。社会に対して怯えながら暮らしていた両親とは違う自分、力こそ全て、強い者こそが正しい、周囲には決して舐められない、誰も俺をバカにできない、そんな絶対的な強さを求めた結果がケンカの毎日となり、プロボクサーの道に進むようになった、そんな風に思える。

つまり元チャンピオンという矜持で上から目線で他者に振る舞っていた桐山が初めて見せる彼の弱点、これがこの≪あけぼの荘≫であり、両親なのだ。

その桐山の弱点が最高潮に達するのが病院で入院中の父親を見舞った時だ。目の見えない桐山でさえ想像できる、何とも云えない無力な父親の姿。病院のベッドに暴れないよう両手を柵に縛られ、点滴を受けながら、オムツをされて寝ている父親。もはや息をしているだけの存在。そんな無力な存在が強くなった自分の原点、しかもそれを妻に見られることの羞恥心が最高潮に達する。

幸いにして私はまだ両親が寝たきりになっていないし、入院生活を続けているわけでもない。だからこの気持ちはよく解らない。子供の頃、絶対的存在だった親が、誰かの助けがないと生きてもいられない無力な存在と成り果てた時、私も桐山のような惨めな気持ちに苛まれるのだろうか。

やがてチャリティー番組の製作会社である≪平和テレビ≫のプロデューサー亀山から久岡、そして永井の周辺を探っていた組織たちが探していたのがあるデータの入ったフロッピーだった事が判明する。

何ともおぞましい事実。

いきなり宇宙の彼方へと飛ばされたかのような真相である。

しかし私も齢40も半ばを過ぎて世間に擦れてしまったのだろうか、この手の話にリアリティを感じなくなってしまった。

主人公は一介の元プロボクサー、その妻は元雑誌記者。男は勝ち気で短気でチャンピオンにもなったことから腕に覚えがあり、網膜剥離で盲目ながらも相手と拳で事を構える度胸を持つ。

妻は記者時代の人脈を活かしてあの手この手で一連の謎を探りつつ、昔取った杵柄で上手く相手から話を聞き出す術を持っている。

しかしとはいえ、彼らの相手に立ち塞がるのは巨漢の男や剣呑な雰囲気を湛えた謎めいた人物、大物政治家にテレビ局のプロデューサー、右翼団体に暴力団と、一般人にとって出来れば関わりたくない人物ばかりだ。
しかも彼らが謎を追ううちに、関わっていた人物が事故死していたり、そんな怪しい輩たちが手を下したと思われる死体が現れたりする。しかもいつもどこで調べたかも解らず、知らない人物から携帯電話にかかってきては脅迫の言葉が残される。

正直、普通の感覚を持っていれば寧ろ知らない方が身のためと思ってこんなヤバい仕事からは手を引くのが普通だろう。

彼ら、特に主人公の桐山拓郎の行動原理は自分が逢うことになっていた久岡なる人物がホテルの部屋で亡くなっていたことと、かつて自分のマネージャーだった友人の永井康介が突然交通事故死したことである。
この明らかに何かきな臭い事情が隠されている一連の事故の真相を知りたいというのが最初の動機であった。

そして次第に物事が桐山自身が育った施設≪あけぼの荘≫が絡んでいることが解ってくるのだが、それでも私だったら早々に手を引き、元の平穏な生活に戻るのが普通だろう。

作中妻の和子が3,4日の約束で、危険だと自分が判断したら調査は辞めると云ったのに、それを聞かないこと、そして行く先々で人が縛られたり、暴力沙汰が起き、終いには自分の夫も瑕を負って見つかること、得体のしれない大男と対峙したことが恐ろしくて堪らないと述べる。

これこそ真実だろう。
しかしそれでもなおこの夫婦は友人の死の背後に潜む陰謀を暴こうとするのである。

もはや市井の人々が関わる範囲を超えてしまっている。上に書いた理由があるとはいえ、なぜここまで彼らがしなければならないのか、終始疑問に思いながら読んでいた。

巨大企業、右翼団体、政治家、暴力団と蓋を開けてみれば実に危ない世界の面々が絡んだ事件だったことが明かされる。
そんな組織に盲目のボクサーが挑むとは何とも無謀な物語だったことか。

しかし本書で一番解せなかったのが桐山の妻和子という女性だ。
結婚前はある総合雑誌の編集記者をやっており、桐山とは彼への取材で知り合い、そして結婚に至った。当時チャンピオンとして、自分に云い寄ってくる女性は選り取り見取り、相手もその気で来るせいか、ちょっと誘えばすぐベッドインが出来る、つまり世界が自分の思いのままになっている無敵感を備えていた桐山の誘いを素っ気なく断った、度胸ある性格。

桐山が盲目になり、ボクサーを引退してからはタレント業に移行した彼をマネージャーとして支え、不具者特有の傲慢さを桐山が出してもグッと押し黙って耐え、桐山の意向に沿うように行動する献身な妻となっている。

正直主人公の桐山は上に書いたようにまだ若く、ボクサー時代の勝ち気で短気な性格が抜けきれず、敬語は使わず、しかも考えるより先に口が出る性格で、情報を極力与えずに相手の話を聞き出し、自分の切り札は最後まで取っておくのが定石の調査活動には全く不向きな男。盲目になっても自分一人でもどうにかなることを見せたがり、勝負の世界に生きてきただけに勝ち負けにこだわり、更には自分が障害者の両親の子であることを恥じて隠し、そんな過去を忘れたいがために親のことを何十年も顧みないという、読者の共感を得られるような人物ではない。

そんな自分勝手で大人になりきれない男にどうして才色兼備の和子が夫唱婦随の関係で桐山に連れ添っているのかが解らなかった。
前述したように、桐山が、自分の友人が亡くなり、また逢おうとした人物が何者かに殺されていたというだけの理由で命をも奪われそうになる危険な橋を渡り、事件の関係者たちから、貴方は関係ないからこの件から手を引くようにと何度も念押しされているにも関わらず、知らないでいること、門外漢に晒されることに我慢がならず、首を突っ込むのを止めないがために、和子自身も人の死にも遭遇し、また夫が暴力を受け、傷つくのを目の当たりにし、それに恐怖する。勿論そのことを夫に告げて止めるように促すが、結局は付いていく。

ここまでするほど、桐山という男に魅力があるとは思えない。
確かに世の中にはなぜこんな女性があんな男と付き合っているのか、結婚しているのかという組み合わせはある。この桐山夫妻もそのうちの1つであり、それは女でないと解らないからだろうか。つまり、放っておけない、私がいないとあの人は駄目だから、そんな理由なのかもしれない。
もしそうだとしても雑誌記者という、いわば理詰めで仕事を進める女性が、理屈でなく感情で桐山に献身的に連れ添う理由が不明で、読んでいる最中どうしても割り切れなかった。

桐山に連れ添うと云えば、親友の永井の妹留美もそうである。突然兄を亡くした彼女は桐山が姿を見せるなり、飛び込むように抱き着く。そして和子は留美の態度から彼女が桐山のことを好きなのではないかと推察する。つまりどこか桐山には母性本能をくすぐる魅力があるのかもしれないが、同性の私には彼がそれほど魅力的とは思えなかった。

タイトルに示す『梟の拳』は盲目のボクサー桐山が幾度となく彼らの前に立ち塞がった≪須藤グループ≫が放った刺客、名もない大男との決戦で、絶対不利の中、留美の機転で照明が消された中で見事にノックダウンしたその拳を指していることと思われる。
梟は夜目が利くが盲目の彼は目が見えない、しかし目以外の耳、その他五感で見て、拳を放つ。過去の栄光に縋って、失うことばかり恐れていた彼。勝つことのみに固執しながら、暗くなかったら俺の方が勝っていたと相手に云われ、それを認めたその時、桐山は変わったのだ。彼が得たのは盲目でも勝てるという矜持ではなく、勝ち負けなどはいらないという境地だったのだろう。

1995年に発表された本書。読み始めは盲目になった元ボクシングチャンピオンが徒手空拳で個人が組織と戦う、ハードボイルド小説を想像していたが、最後に明かされるのは原発建設に隠された国家的陰謀という実に重たい内容だった。

舞台となる24時間のチャリティー番組について例えば恰も寄付に駆け付けたかのように見える芸能人たちが企画の段階でスケジュールに織り込まれていること、寄付で集まる金額と同じくらい番組制作費にお金がかかっており、単に売名行為に過ぎないこと、など作者はあくまでフィクションであると断っているが、案外信憑性の高い話かもしれないと思わされる。

そして現在その安全性と存在意義が問われている原発とこちらもまた23年経った今もまだタイムリーな話題で、しかも内容はかなりセンシティブだ。

今読んだからこそ、響くものがある。またも私は読書の不思議な繋がりに導かれたようだ。


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