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シャーロック・ホームズの息子



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シャーロック・ホームズの息子の評価: 4.00/10点 レビュー 1件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.00pt

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No.1:
(4pt)

ホームズという名前ゆえの先入観

なんとフリーマントルの手による、ホームズのパスティーシュ小説。しかし、厳密に云えば純然たるホームズのパスティーシュではない。
通常ホームズのパスティーシュ小説と云えば、そこここに正典へのオマージュなり、パロディなりが挿入されていつつ、ホームズの快刀乱麻の如き名推理を堪能できるような作りになっているものだが、フリーマントルの手になる本書はホームズの登場人物を借りたスパイ小説となっている。
主人公はホームズでもワトソンでもなく、フリーマントルが創作した彼の息子セバスチャン。ウィンチェスターからケンブリッジへ3年飛び級で進学し、史上最年少で数学卒業試験首席第一級合格者となり、その後ソルボンヌ大学、ハイデルブルグ大学も首席で卒業という天才の遺伝子を引く彼の任務は第二次大戦中に中立国の立場にあったアメリカにあるという極秘裏にドイツに武器を売っている秘密組織を探る事。
自然、物語は政治色が濃くなり、シャーロックよりも官職に就いていたその兄マイクロフトの出番の方が多くなっている。実にフリーマントルらしいホームズ譚だ。

フリーマントルが正典のホームズ譚に兄マイクロフトと息子セバスチャンが出てこない理由として、彼らが政府の諜報活動に携わっていたからだという尤もらしい理由を付けているのがこの作家のそつの無いところだ。
その他にも英国から米国へ渡る豪華客船上でのロマンス、大陸横断鉄道を利用しての調査、富豪たちが所有する専用の馬車などなど古き良き時代の優雅さが漂う。
おまけに正典ではなかった旅先での恋まで語られ、濡れ場まで登場する。

更に今回フリーマントルはセバスチャンの諜報活動で欠かせない暗号文の作成にノーションとズィフというウィンチェスター・カレッジに代々伝わる独自の言語を採用している。作者は作中、これについてある程度詳しい説明を行っているが、全く以って複雑で判らない。英語を日常語として使っている私でさえ、理解するには遥かに及ばない領域の言語だ。
いわゆるその学校で話す独特の言葉、例えば眼鏡を掛けた人物の名前がトレヴァーだとするとその名前を取って、トレヴァーがノーションでは眼鏡を意味する、といった具合だ。これは実際にある言語らしく、辞書も出ているらしい。

しかしこのホームズ譚の登場人物によるスパイ小説という手法が果たしてよかったのかどうか、非常に悩ましいところだ。題名に堂々と『シャーロック・ホームズの息子』と謳っているから―因みに原題は“THE HOLMES INHERITANCE(ホームズの継承者、ホームズの遺伝子)”―、どうしてもホームズ譚のような物語を想像してしまう。私は正にそうだった。
元々フリーマントルはエスピオナージュ作家でありながら、本格ミステリ張りのどんでん返しが巧みな作家であるから、本作もその傾向だったと大いに期待したのだが、そうではなかったようだ。
確かにサプライズはある。最後に明かされるドイツ側のスパイの正体だ。そしてそれに関する手掛かりもフリーマントル流のさり気ない描写に挟まれているが、それは「あっ!」というようなものでなく「云われてみればそう読める」といった類いの物だ。つまり本格ミステリに求めるサプライズとはいささか質が違う。

ただホームズは国に乞われて国交間に跨る問題解決をしていた事は確かに正典にも書かれている。どの作品か忘れたが、ホームズがフランスかどこかの国に行ってて、なかなか本題の事件に着手できなかった設定を読んだ覚えがある。だからホームズが諜報活動のプロであり、その息子を後継者として国が採用する事に違和感はないのだが、では正典と本作では何が違うのかというと、それは物語の語り方だろう。

ホームズ譚の諸作は、まず発端に依頼人が自分の身の回りに起きた奇妙な出来事について相談し、その解決をホームズに委ねたところ、それが思いもかけぬ、国家の存亡を揺るがすような事件であった、という、小事から大事への謎の発展であるのに対し、フリーマントル版ホームズでは、最初から国の存亡を賭けた任務を任され、隠密裏に解決するといういきなり大事から幕開けだということだ。しかもセバスチャンはホームズの遺伝子を引き継いだ優秀な頭脳の持ち主であるが、初めての任務でいきなりの大役ということで綱渡りのように右に振れ、左に振れと非常に危なかしい捜査を続ける。ここに違いがある。
ホームズ物では読者は依頼人によって提示される謎という迷宮に放り込まれるが、それをホームズが鮮やかに解き明かす。つまりこれは謎という不安定な状況をもたらされた読者に安定をもたらす存在がホームズという万能の神であるというお約束事があるのだが、本書で読者は駆け出しスパイのセバスチャンと共に、五里霧中、四面楚歌の中、英国からの公的な協力もなく、たった一人で未知の秘密組織を暴かなければならないという終始不安の中に置かれる。つまりセバスチャンは正典における磐石の存在ホームズではないため、読者もセバスチャンが果たして任務を果たせるのかどうか懐疑的な中で物語は進行するのだ。
この小説作法は実は全く悪い事ではない。むしろそういう作品の方がスリリングだろう。しかしホームズの意匠を借りた作品でやるとなんとも違和感を生じてしまうのだ。
読書を十全に愉しむためにこの手の先入観は極力排して臨むべきだと解っていても、やはりこの手のパスティーシュ小説では難しい。

恐らくフリーマントルはチャーチルという英国の歴史に名を残す名政治家とその時代についての作品を著したかったのだろう。
そのプロットを練る過程で、どうせその時代の事を書くのならば、実在の英雄にもう1人の想像上の英雄ホームズをぶつければ、面白い読み物になるではないかと思いついたのではないか。もしくはその逆でホームズのパスティーシュを書く事を想定していて、その時代にチャーチルというかねてから書きたかった実在の人物がいたことに気付いたのかもしれない。
どちらにせよ物語巧者フリーマントルならではの演出である。そして本作ではチャーチルはかなりの策士として描かれ、読者の好意を得られる人物としては決して云えない。政治家について詳しいフリーマントルだから、後書で語られるチャーチルの行為も併せて、恐らく実際チャーチルとはこういう人物だったのだろうと思われる。彼の政治に対するシニカルな視点も手伝って、なかなか濃いキャラクターに仕上がっている。

本書はシリーズ化されており、続編も既に訳出されている。
初めて手に取った本書では上の理由により、面食らってしまい、なかなか物語にのめり込むことは出来なかったが、フリーマントルの意図するところが解った今、次作はもっと楽しめるのではないか。そんな期待をして、続けて読みたいと思う。

Tetchy
WHOKS60S

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