嘘に抱かれた女



    ※タグの編集はログイン後行えます

    【この小説が収録されている参考書籍】
    オスダメ平均点

    8.00pt (10max) / 1件

    8.00pt (10max) / 1件

    Amazon平均点

    3.67pt ( 5max) / 3件

    みんなの オススメpt
      自由に投票してください!!
    1pt
    サイト内ランク []B総合:933位
    ミステリ成分 []
      この作品はミステリ?
      自由に投票してください!!

    0.00pt

    70.00pt

    35.00pt

    0.00pt

    ←非ミステリ

    ミステリ→

    ↑現実的

    ↓幻想的

    初公開日(参考)1995年10月
    分類

    長編小説

    閲覧回数1,153回
    お気に入りにされた回数1
    読書済みに登録された回数1

    ■このページのURL

    ■報告関係
    ※気になる点がありましたらお知らせください。

    嘘に抱かれた女 (新潮文庫)

    1995年10月01日 嘘に抱かれた女 (新潮文庫)

    ボンの政府機関で働くエルケは有能な秘書で、38歳の独身。私生活での話し相手はペットの犬だけ、という孤独な彼女に、ある日ひとりの男が近づいてきた。KGBのセックス・スパイであるオットーは、ジャーナリストと身分を偽っていた。彼の任務はエルケを籠絡し、ドイツのあらゆる機密情報を手に入れることなのだ。オットーは巧みにエルケに近づき、その心を捉えたのだったが…。(「BOOK」データベースより)




    書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.00pt

    嘘に抱かれた女の総合評価:7.50/10点レビュー 4件。Bランク


    ■スポンサードリンク


    サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
    全1件 1~1 1/1ページ
    No.1:
    (8pt)

    美人ってどうして幸せに恵まれないのだろう?

    これは東西ドイツ統一という時代の変換期に、自らの恋愛を翻弄されたなんとも哀しい女の物語だ。

    仕事は優秀で見た目も美人だが、既に38歳となり結婚適齢期は過ぎてしまったキャリアウーマンであるエルケ・マイヤー。昔付き合った男との間に生まれた自閉症の娘ウルスラを精神病院に預け、毎週日曜日に訪問しては絶望に暮れる日々を送っている。従って結婚願望はおろか、もう長らく男性との火遊びからも遠ざかっている、いわゆる日干し女だ。

    独身生活が長いせいで単調な生活の繰り返しに安定を見出している。決まった手順で行動し、いつもの場所に駐車し、いつもの店のいつもの席でいつものメニューを食べ、いつもの時間に出勤する。食事中に愛車が傷つけられていないか不安で周囲を確認し、何もないことで安堵する。
    これら一連の“儀式”を重んじ、そこに安心を覚える、半ば強迫観念に縛られたような性格の持ち主である。

    一方翻って彼女の姉のイーダはうだつの上がらない郵政省に勤める夫と結婚して2人の子供を持つ母親だが、女性としての魅力を保っており、パーティでは夫の仕事仲間から云い寄られてきたりもする。社交的で人目を惹くことからエルケはひそかに憧れと嫉妬を抱いている。そして2人の関係は一見フラットでありながら精神的優位性が姉にある。

    そんな彼女に目を付けたKGBが放ったセックス・スパイ(昨今ではもはやハニー・トラップでこの存在が珍しくなくなってきたが。ちなみに男性のセックス・スパイは“カラス”と呼ばれ、女性のそれは“ツバメ”と呼ぶらしい)オットー・ライマンはかつて東ドイツへのスパイ作戦で成功を収めたリーダー、ユッタ・ヘーンの部下であり、そして現在は夫で結婚後もKGBで働いている。かつての部下と上司の関係から妻ユッタはオットーに対して常に精神的優位性を示し、夫が服従することを好んでいる。オットーはそれに表向きはそのことに不満を示していないが、時折公私に亘って妻が見知らぬことを知ることで優位に立つことに喜びを感じている。

    KGBの狙いはベルリンの壁が崩壊した後の東西ドイツ統一に向けてドイツ側、とりわけ西ドイツの中枢であるボン政府が社会主義側だった東ドイツとどのように協調していくのかを探ることだった。特にNATOとワルシャワ条約機構との結合を試みて新たなる政治的脅威になるのかが焦点であった。

    特に物語の中盤以降、ソ連側がオットーに渡した3ページ以上に亘る膨大な調査内容のリストは―真実かどうかわからないが―当時のソ連がかつて第二次大戦で猛威を奮ったドイツの復活をいかに恐れていたかを示唆している。

    この2人が出逢うのはなんと180ページを過ぎたあたりから。物語としてはおよそ1/3辺りである。それまでは延々とエルケの日常とオットー・ライマンの作戦準備が語られる。
    一流のスパイとして女性を籠絡させる術を知り尽くしたオットー・ライマンの内面心理描写は女性心理、いや女性に限らずあらゆる人の心理を自由に操る術が豊富に織り込まれている。じっくり対象を観察し、あらかじめイメージを作り上げ、そのイメージがするであろう振る舞いや受け答えを想定し、対応する。そして自分が望む方向に導くのだ。

    エルケの心の隙に付け入るべく、彼女の厳格なまでの単調な生活の繰り返しによる心の安定を切り崩して刺激を与えていく。例えば連絡先を教えても、掛かってきた電話には応えず、逆に自分の都合で連絡し、安堵を与える。必ず約束の時間には遅れていくし、相手がもう少し一緒にいる時間を延ばしたいと察すると理由をつけて退場する、2人の関係に絶対の自信を持たせない、自身の存在を当たり前に感じることは許さない、といった具合だ。今なら一流のメンタリストといったところか。

    そんな駆け引きをしてようやくオットーがセックス・スパイの本領を発揮するのが物語も半分を過ぎた375ページ辺りだ。なかなかに長い前戯ではないか。

    また面白いのはそれまで男に縁がなく、平日は仕事と自宅の往復、土曜日は姉とのランチ、日曜日は自閉症の娘への訪問と一つたりとも違うことなく、同じことの繰り返しだった灰色のエルケの日常がオットーとの出逢いを境に好転していくことだ。

    まず首相府事務次官付きの秘書の立場から閣僚委員会の一員に抜擢され、更に政府の中枢に加わるようになり、昇進する。

    さらに上司の事務次官ギュンター・ヴェルケの好意を買うことになり、たびたびデートに誘われるようになる、といった具合に一気にエルケの人生が色めき立つのだ。“あげまん”という言葉は知っているがオットー・ライマンはその逆の“あげちん”である(本当にこんな俗語があるらしい)。

    そして当然ながらエルケが変わるように相手側も変わる。
    あくまでプロフェッショナルを貫き、エルケを対象物として捉えていないと自負していたオットーはエルケの精神的拠り所になった後でも彼女に自分がスパイであり、自分なしでは生きられないのなら情報を漏洩しろと強制することを拒む。あくまでエルケとは恋人同士の関係で接しながら彼女の小出しにする情報を基にドイツ側の内情を構成し、報告するにとどめる。そしてもはや妻ユッタに愛情を感じず、エルケを心底愛するようになっていく。

    またオットーの妻ユッタもあくまで仕事と割り切りながら、かつて部下と上司の関係だった立場が逆転したのを気付かされ、オットーに依存するようになる。そしてオットーの標的相手に嫉妬を覚えるようになるのだ。

    やはりこれが人間なのだ。
    仕事と割り切ってクールに振る舞えないからこそ人間なのだ。
    そこに感情が、特に愛情が絡むことで論理的に組み立てられた作戦は綻びを生み出す。人間が介在するからこそ古今東西の作戦が失敗に終わり明るみに出ることになっているのだ。

    しかし読み進むにつれて主人公エルケがだんだん可哀想になってくる。

    以前のエルケならば自分に自信がないために、自分の魅力のなさを責め、すぐさま諦観の境地に陥るところだったが、今や東西ドイツ統一のための閣僚委員会の一員となり、記念すべき歴史的転換の只中にいるという彼女の自負が彼女の心を強くさせ、これは一人の男を賭けた対決なのだと自分に云い聞かせる。

    もし仕事で見せる鋭敏さがこの時の彼女にあればライマンの行動のおかしさに疑問を持ち、嫉妬も手伝って再度彼の身の上調査に踏み切ったことだろう。
    しかしせっかく掴んだ幸せを逃したくないがためにエルケの明晰さを恋が盲目にしてしまった。この辺は実にエルケが可哀想で仕方がなかった。

    恋愛を武器にした諜報活動は物語が始まった時から誰かが傷つく結末になるのは約束されていた。
    しかし登場人物に対して容赦のないフリーマントルは全ての登場人物に不幸を負わせる。

    相思相愛でありながら政府の最高機密に携わっていた孤独な女性と、一流のセックス・スパイでありながら恋に落ちてしまった男。
    このハーレクインロマンス的な設定も皮肉屋フリーマントルが描くと現実の厳しさと運命の皮肉さがたっぷり盛り込まれた、なんとも苦さの残る話へと料理される。
    仕事のために嘘をつき続けた男とスパイであることを教えてくれればいくらでも情報漏洩をしたと誓った女。男は別れを恐れるために嘘をつき、女は別れたくないために真実を知りたがった。
    これが男と女の違いであり、だからこそ悲恋の物語が今なお書かれ、尽きることがないのだろう。

    ふと考えてみると本書はKGB側も描いており、作戦決行までのゼロ時間への準備段階から描かれているが、逆に書き方次第では実に面白いミステリになったかもしれない。

    描写をエルケ側に絞って無味乾燥した毎日を描いたところに、かつて付き合っていた男とそっくりの男性との偶然の出逢いからラヴロマンスに至り、そこから急転してスパイ物に変転する語り方もあったのではないか。
    しかしそれをやるともはや本当のロマンス小説になってしまうのか。だからフリーマントルは敢えて正攻法で臨んだのかもしれない。

    しかし重ね重ねエルケが不憫でならない。人目を惹く容姿で仕事もできるバリバリのキャリアウーマンであり、それ相応の男の好意を惹き付けながら、なぜかその恋が成就しない。人生のボタンを常に掛け違えてしまう女性である。
    孤独を紛らすために決まった時間、決まった場所、決まったイベントをこなすことで精神の安定を覚えている。

    彼女はまたこの無味乾燥した毎日を過ごすかと思うとなんとも遣る瀬無い気分になってしまうのだ。
    いつか彼女が正しくボタンを掛けられることを願って本書を閉じよう。


    ▼以下、ネタバレ感想

    ※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

    Tetchy
    WHOKS60S
    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

    ※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
    未読の方はご注意ください

    No.3:
    (5pt)

    1990年、ベルリンの壁崩壊とドイツ統一が背景、エスピオナージュものはやはり東西冷戦テーマがおもしろい

    1991年の作です。ずっと積読状態だったのを2022年の今、ふと読んでみました。結論から言うとフリーマントルは相変わらずおもしろく引き込まれました。
    作品の舞台は1990年。1989年ベルリンの壁が崩壊、1990年に東西ドイツが統一されNATOへの加入が承認されます。この1年間のソ連側の危機感と統一に向かう西ドイツ政府の動きが背景になっています。
    ワルシャワ条約機構という名前が出てきて、そういえばそんなものもあったなという記憶がよみがえってきました。現在、ロシアのウクライナ侵攻が問題になっていますが、旧ソ連=ロシアが今も昔も変わらず、常に自分たちの勢力圏が侵襲されることを恐れていたことが伺われます。
    ゴルバチョフが西側との融和を推進し、互いの兵器削減が進みつつある状況で、それを良しとしない軍やKGBが、アメリカが西ドイツ内に配備しているミサイルを強化しようとしているかどうか、西ドイツ側はそれに対してどのような考えを持っているかなどを探るため、それらに深く関わっている官僚の秘書であるエルケにスパイを差し向けることを決定します。

    商品説明ではその方が売れると思ったのか、扇情的にセックス・スパイと書いていますが、主人公のオットー・ライマンはむしろ人の心をつかむプロと言った方がいいでしょう。
    原題の「Little Grey Mice」はドイツ語では「グラウエン・モイゼ」、文字通り灰色ネズミですが、エスピオナージュの世界では知られた隠語で”政府機関に勤める孤独な独身女性”を指すそうです。
    エルケは若い時、妊娠がわかったとたん恋人に捨てられ、その時さずかった自閉症の娘を施設に預けながら、ずっと独身で公務員として地道に働いてきました。その働きが認められ、首相府で最高機密閲覧の権利を得て閣僚たちと連日顔をあわせるような重要な地位に出世します。
    物語のはじめには彼女の容姿に関する描写がほとんどなく、なんとなくギスギスした年配女性を思い浮かべていたのですが、あとになるに従って、まだ38歳でむしろ美しいと言っていいほどなのがわかってきます。過去のトラウマと未婚の母というコンプレックスからどこかおどおどした女性、そしてその自信のなさゆえにか、自分の美しさに気づかず優秀さを鼻にかけることもなく、物柔らかな性格なのが好感が持てます。
    エリケにつけ入ろうとするライマン、エリケの姉一家やライマンの妻ユッタ、そしてソ連側幹部の様子が淡々と描かれていきます。このままどうなるのかと思っているところ、物語が急展開するのは最後の100ページくらいになってからです。ネタばれするのであまり書けませんが。

    旧ソ連の体制や全体主義国家で生きてきた人たちの心情がよくわからないのですが、ライマンはロシア人ではなく元は東ドイツ諜報機関に所属していたスパイでした。東ドイツが消滅したと同時にそのまま引き続きいわば親玉であるKGBの傘下に入るわけですが、どうしてドイツ人である彼がそのままソ連に忠実に働き続けたのか?
    話の流れでは、本人はそのことに疑問を持つわけでもなく、つまりはソ連で受けたスパイ教育の影響があり、そして組織内での成功しか考えていなかったということでしょうか。末端のスパイなど上層部からしたらものの数にも入っていないと思うのですが、どうしてこんな非人間的な仕事につこうと思ったのか・・。

    30年も前の時代が背景なのでややわかりにくいですが、スパイ小説はやはり東西冷戦テーマの方が生き生きとしているような気がします。久々に読み応えのあるエスピオナージュものでした。
    嘘に抱かれた女 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:嘘に抱かれた女 (新潮文庫)より
    4102165274
    No.2:
    (4pt)

    歴史の転換期ゆえに目を付けられた女性が抱いた一瞬の夢

    これは東西ドイツ統一という時代の変換期に、自らの恋愛を翻弄されたなんとも哀しい女の物語だ。

    仕事は優秀で見た目も美人だが、既に38歳となり結婚適齢期は過ぎてしまったキャリアウーマンであるエルケ・マイヤー。昔付き合った男との間に生まれた自閉症の娘ウルスラを精神病院に預け、毎週日曜日に訪問しては絶望に暮れる日々を送っている。従って結婚願望はおろか、もう長らく男性との火遊びからも遠ざかっている、いわゆる日干し女だ。
    独身生活が長いせいで単調な生活の繰り返しに安定を見出している。決まった手順で行動し、いつもの場所に駐車し、いつもの店のいつもの席でいつものメニューを食べ、いつもの時間に出勤する。食事中に愛車が傷つけられていないか不安で周囲を確認し、何もないことで安堵する。これら一連の“儀式”を重んじ、そこに安心を覚える、半ば強迫観念に縛られたような性格の持ち主である。
    そんな彼女に目を付けたKGBが放ったセックス・スパイ(昨今ではもはやハニー・トラップでこの存在が珍しくなくなってきたが。ちなみに男性のセックス・スパイは“カラス”と呼ばれ、女性のそれは“ツバメ”と呼ぶらしい)オットー・ライマンはかつて東ドイツへのスパイ作戦で成功を収めたリーダー、ユッタ・ヘーンの部下であり、そして現在は夫で結婚後もKGBで働いている。かつての部下と上司の関係から妻ユッタはオットーに対して常に精神的優位性を示し、夫が服従することを好んでいる。オットーはそれに表向きはそのことに不満を示していないが、時折公私に亘って妻が見知らぬことを知ることで優位に立つことに喜びを感じている。
    KGBの狙いはベルリンの壁が崩壊した後の東西ドイツ統一に向けてドイツ側、とりわけ西ドイツの中枢であるボン政府が社会主義側だった東ドイツとどのように協調していくのかを探ることだった。特にNATOとワルシャワ条約機構との結合を試みて新たなる政治的脅威になるのかが焦点であった。
    特に物語の中盤以降、ソ連側がオットーに渡した3ページ以上に亘る膨大な調査内容のリストは―真実かどうかわからないが―当時のソ連がかつて第二次大戦で猛威を奮ったドイツの復活をいかに恐れていたかを示唆している。

    一流のスパイとして女性を籠絡させる術を知り尽くしたオットー・ライマンの内面心理描写は女性心理、いや女性に限らずあらゆる人の心理を自由に操る術が豊富に織り込まれている。じっくり対象を観察し、あらかじめイメージを作り上げ、そのイメージがするであろう振る舞いや受け答えを想定し、対応する。そして自分が望む方向に導くのだ。
    今なら一流のメンタリストといったところか。

    そんな駆け引きをしてようやくオットーがセックス・スパイの本領を発揮するのが物語も半分を過ぎた375ページ辺りだ。なかなかに長い前戯ではないか。
    また面白いのはそれまで男に縁がなく、平日は仕事と自宅の往復、土曜日は姉とのランチ、日曜日は自閉症の娘への訪問と一つたりとも違うことなく、同じことの繰り返しだった灰色のエルケの日常がオットーとの出逢いを境に好転していくことだ。
    “あげまん”という言葉は知っているがオットー・ライマンはその逆の“あげちん”である(本当にこんな俗語があるらしい)。

    しかし恋愛を武器にした諜報活動は物語が始まった時から誰かが傷つく結末になるのは約束されていた。
    相思相愛でありながら政府の最高機密に携わっていた孤独な女性と、一流のセックス・スパイでありながら恋に落ちてしまった男。このハーレクインロマンス的な設定も皮肉屋フリーマントルが描くと現実の厳しさと運命の皮肉さがたっぷり盛り込まれた、なんとも苦さの残る話へと料理される。だからこそ悲恋の物語が今なお書かれ、尽きることがないのだろう。
    嘘に抱かれた女 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:嘘に抱かれた女 (新潮文庫)より
    4102165274
    No.1:
    (2pt)

    恋愛小説

    昔にこの作者の本を買った事があるのですが、すぐに挫折してしまったので、また読めるかな?と思ったのですけど(-_-;)
    この本は平成7年に発行されたものです。
    私はそれまでフリーマントルさんは故人だと思っていました。
    だってヒッチコックの映画とかになってませんでした?
    この10年の間もご健在なのかは調べてないのですが・・・

    さてさて、本題。
    ストーリーはKGB情報員のオットー・ライマンが、西ドイツ首相府事務次官付き個人秘書であるエルケ・マイヤーに取り入り機密情報を入手するというスパイものです。
    今は無きソビエト連邦や統一直前のドイツなどが出てきて政治的な話が中心となるので、そのあたりが私は読んでてもピンと来なくてなかなか進みませんでした。
    しかし読み終わってみると「恋愛小説やん!」と思いました。
    過去に男性との辛い経験があったエルケはオットーと知り合うまでは二度と間違いは起こすまいと本当に真面目に仕事だけに打ち込んでいたのだけど、オットーを愛するようになって少しずつ変わってきてやっと幸せになれるのかと思いました。
    オットーもだんだんとエルケをスパイの対象としてではなく愛し始めるのだけど・・・
    最後にはちょっとどんでん返しがあり、そういうことだったのかと思うんだけど、もっと自分から歩み寄ったら良かったのにと思わずにいられませんでした。
    2人共背負ってるものが重すぎたのか、臆病になりすぎていたのか、あと少しだったのにと思いました。
    嘘に抱かれた女 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:嘘に抱かれた女 (新潮文庫)より
    4102165274



    その他、Amazon書評・レビューが 3件あります。
    Amazon書評・レビューを見る     


    スポンサードリンク