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工学部・水柿助教授の逡巡
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工学部・水柿助教授の逡巡の評価: 3.00/10点 レビュー 1件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.00pt
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(3pt)

作家殺しの作品

作者森氏の日常と心情と思考が最も反映された作品集といっても過言では無い、水柿助教授シリーズ。本書はその第2弾に当たる。
本書では水柿助教授がミステリィ作家としてデビューする顛末を描いている。

1話目「「まだ続くのか?」「命ある限り(高笑)」的な悪ふざけからいかにしてミステリィに手を染めたのか着メロを鳴らす」は作者≒水柿助教授が小説を書くに至った経緯が語られている。

それは珍しく水柿氏の札幌で行われる学会に奥さんの須磨子氏が同行することになり、そこで須磨子氏が持ってきた本がミステリィだったことから2人でミステリ談義が始まる。正直この作品は2人のミステリに関するやり取りで構成されており、札幌出張はそれがなされるための舞台装置に過ぎない。従って札幌の描写や2人の札幌行に関するエピソードは皆無に等しい。

2人の会話で交わされるミステリについては有名なものであり、例えば須磨子氏が持参したミステリィはクレーンの単語1つで赤川次郎氏の『三毛猫ホームズの推理』であることが解るし、その他エラリイ・クイーンの『チャイナ橙の謎』や法月綸太郎氏の『密閉教室』も出てくる。

また物理的謎と心理的謎、物理的解決と心理的解決といったミステリ区分について語られたり、またミステリィとは納得の度合いが大きいオチ、更に意外性がありつつもこれはなかなか盲点だったと読者を感心させる絶妙な匙加減が必要であると云った記述は単なるトリックやロジックの展覧会に興じる素人ミステリィ作家に是非とも読んでもらいたい件である。

そして妻須磨子氏にほだされて水柿氏は小説を書くことになる。これが作家水柿氏(森氏?)の第一歩になるようだ。

しかし本書で出てくる単語「着メロ」はさすがに時代を感じてしまった。今はもうこんな風には呼ばないもんな。

さて続く第2話「いよいよやってきた人生の転機を脳天気に乗り越えるやいなやラットのごとく駆け出してだからそれは脱兎でしょうが」では第1話からの続きで水柿助教授が本格的にミステリィを創作を始める話。

うーん、まさに森氏デビュー実録といった内容だ。まず森氏≒水柿君の世間知らずぶりが物凄い。

原稿用紙〇枚という募集要項に対して、この原稿用紙の定義が解らないと来ている。また工学部助教授であり、それまでいくつか専門書を発表していたので出版に関しては経験済みであったが、その弊害で原稿は全て横書き。しかし水柿君は横書きのまま出版社にファイルして送りつけるのだ。

そんな自由な間口を開いたのが本書でK談社と称される講談社。そしてその雑誌こそはメフィストだ。この自由度の高さが稀代の作家森氏を生み出すことになったのだ。
天才は普通のことができない。
だったらそれをこっちで補ってやろうではないか、このスタンスがその後も話題の作家を生み出す要因となったのだろう。

また本作で興味深く読んだのが出版社独特の文化だ。彼らの云う締切はかなりタイトな物ばかりだが、それは締切通りに原稿が収められないことが多々あるためのサバを読んでいるためだ。逆に締切をきっちり守っていると暇人だとみなされるとのこと―この辺は作者のジョークかも―。

この前読んだ井上夢人氏の『おかしな二人』ではかなり無理を強いられた締切に追われたためにコンビ解消に至った彼らがこのような慣習をもっと前に知っていたらまた結果は違ったものになっただろうと思うと何とも哀しい。
いやはや出版社とは作家を食い物にする企業であると少し憤りを感じたエピソードである。

今回面白かったのは「滝に打たれたかのようなショック」についての記述。いやまさか滝という人にホームランを打たれたショックと置き換えるとはね。思わず笑ってしまった。

さて今回の収穫は水柿君のフルネームが水柿小次郎であることが判明したこと。これって今作が初紹介だと思うのだけど。

さて続く「小説家として世界に羽ばたくといって本当に羽ばたいていたら変な人になってしまうこの不思議な業界の提供でお送りします」では物語はほとんどないといっていいだろう。

中身は作者森氏が小説のネタとして浮かびながらもボツとなった話が2つほど挿入されているが、ボツにするだけあって大したものではない。

今回最も興味を惹いたのは小説家以前の水柿夫妻の生活の模様だ。趣味にお金を惜しみなく費やす水柿君を尻目に須磨子さんは欲しい服も買わず、気に入った服を見かけたらそれを凝視して記憶し、家に帰って自分で縫製して出来得る限り再現して拵えてきたのだった。更には奥様連中で買い物に行った際に途中で喫茶店に寄ろうものならば、用事があるからと断って切り上げなければならなかった。更に水柿君は家計簿をエクセルで付けてていて、消費傾向を折れ線グラフで示して、増加傾向にある項目について須磨子さんにもっと節約するように促す。しかもその中には水柿君自身の趣味に使う費用は含まれていないのだ。

まあ、何とも献身的な妻ではないか。それまでの須磨子さんは自由奔放で思ったことをそのまま夫に云うだけの天然キャラとしか描かれていなかったが実は陰で夫に尽くしていたことが本作で明かされる。天然奥様を持った、どんな失礼や無理難題を云われても決して怒らないニュートラルな夫として描かれていた水柿君のあまりのマイペースぶりにそれまでの印象を変えさせられるエピソードだ。
婦唱夫随ならぬ夫唱婦随だったのね。おっ、これってある意味叙述トリックなのかも。

次の「サインコサインタンジェント マッドサイエンティストサンタクロース コモエスタアカサカサントワマミー」では(しかしタイトルはますます意味不明になってきているな)小説家となった水柿君に初めて講演とサイン会の依頼が来る。しかも場所は京都。そしてこの京都行にまたもや須磨子さんが同行することになる。大学助教授で講演はお手の物と思っていた水柿君はしかしいつも行っている講義とは異なる熱量に圧倒される。そしてまだまだ新人作家の自分にはそれほどサインを求める人はいないだろうと高を括っているとなんと講演出席者のほとんどの人々が列をなして待っているのに更に驚く。そして水柿君ははたと気付く。作家用のサインなど準備していなかったことに。どうする、水柿君!?

一市民がプロの作家になったことで次から次へと訪れる初体験のエピソードを実に忠実になぞって描かれている。本作では講演とサイン会がメインのテーマであるが、大学で行う講義では約1/3の人間が寝ており、起きている学生も眠たいのを我慢して死んだ目をしているのがほとんどで真面目に聴いているのは全体の1割程度であることを経験してきた水柿君にとって出席者の大半が熱心に自分の講演に聴き入っていることにまず驚く。

更にサイン会ではそれまで色紙や自著にサインなどしたことがない水柿君が初めてそれなりのサインを書くことを真剣に考える。
彼が思い付いたアイデアは相手の名前と日付、そしてトレードマーク的に羽根のイラストを添えることだった。正直云って前段はサイン会の常識だが世間知らずの水柿君はそんなことも知らなかった。またサイン会に須磨子さんの姉妹も訪れるというあるある的エピソードも織り込まれる。

水柿君は大学の講義でOHP(今ならパワポだろう。この辺歴史を感じる)を使っているので今回の講演でもOHPを作成して講演するのだが、逆にOHPなしで講義すると相手の顔を見なければならないので敢えて使っているらしく、研究者の中には結婚披露宴のスピーチをOHPを使ってやったのもいるらしい。ホントかね。

本書で最も興味深かったエピソードは須磨子さんとの“読者への挑戦状”についての談義。挑戦状を出すということは作者は挑戦者であり、格としては読者の方が上なのかという水柿君の理論とミステリィは真相を当てる方が面白いのか、上手く騙される方が面白いのか、もし上手く騙される方が面白いのだったら挑戦状に対して真剣に検討しない方がいいのではといった内容。

読者と作者、どちらが格上かという議論は非常に面白い視点だが、読者も考えて読めよという作者からの警告であると同時にやはり読者はお金を払って買っていただくお客様だから立場としてはやはり上ではないだろうか。
また私は自分で推理して真相を見抜けた方が面白い。
確かに上手く騙されるのも楽しいがミステリィは考える文学だと思っているので私は絶対に謎を解きたい方だ。

また水柿君≒森氏は私よりも年上なのだが、手紙を書くという習慣がないのでファンからのメールには返信するが手紙には返事を書かないとのこと。
ここでは基本的に文字を手で書く習慣がないと書いているが、年賀状では宛先を手書きにしている拘りがあり、矛盾が見られる。ほとんど推敲せずに書いているな、こりゃ。編集者もチェックをきちんとしてないようだし、ますますいい加減になってきている。

最後の「たまには短いタイトルにしたいと昨夜から寝ないで考えているうちに面白い夢を見てしまった。ああ、そろそろ秋だなあ。そこで一句。短めにタイトルつけたら秋かもね」では更に小ネタに走る。

更にエピソードの他愛の無さは拍車がかかる。そして意外なことに出す小説が売れに売れたことで水柿君夫婦は金持ちになり、車を買い、土地と家を買い、それでもまだ金が余ったので更に土地を買った。子供のいない水柿夫婦はそれぞれ気の向くまま趣味に没頭する日々が綴られる。

それに加えて森氏の小ネタ集が延々と続く。一発ギャグの応酬であるそれはなんと16ページも続くのだ。もはややりたい放題である。編集者は一体何をやってんだ!

本書ではサイン会をその後一切行わなくなったことが明かされる。本作の前話で初めての体験だったサイン会の大変さに嫌気が差したのだ。水柿君、つまり森氏は趣味で小説を書いているようなもので職業としての作家では―まだこの時点では―ないため、本来行うべきファンサーヴィスについては全く無頓着なのだ。それでも本が売れているのだから、まさに悠々自適である。ちょっとこの辺については思うことがあるのでまた後ほど触れよう。


水柿助教授シリーズ第2作目。
前作に劣らず、本書でも森氏は自分の思いの丈を存分に語っている。これほど作者の嗜好が、思考がダダ洩れしている作品もないだろう。まさに気の向くまま、思いつくままに書かれている。これは作者に全てを委ねることを許した幻冬舎だからこそ書けた作品集である。
いやあ、実際作者に好き勝手やらせ過ぎである。本書の出版に際して編集会議がきちんとなされたのか甚だ疑問だ。
いやもしくは当時そんな反対意見を差し込めないほどに森氏の作家としての権威が既に高かったということなのか。

今回全体を通して読むと、やはり本書は森氏の私小説と云えるだろう。第1話では理系思考の作者がなぜミステリィ作家になったのか、そのギャップを埋めようと云う意図で書かれているとさえ吐露している―しかしあまりに自由奔放に書き過ぎて全く成功していないようだが―。

結局この企みは成功せず、物語の主軸は一大学の一助教授だった森氏が経験した小説家になったことでの生活のギャップが綴られていく。

締切を平気で破りながらもきっちりパーティーは出て、趣味に興じる作家たちの常識と逆に締切を護って書いていることで暇人扱い、更にはバカにされたりもするという、社会人としての常識が非常識に転じる文壇界の不思議への戸惑い。
また作家になって出版社の人と行動するようになってそれまで電車やバスを利用していたのに少しの移動でもタクシーを利用するようになったこと。これは車内で打合せが出来るというメリットかららしい。

また自分の作品に対する様々な感想。昔ながらのファンレターからネット書評に水柿君自身に届くメール。またまた社会人である水柿君はこのメール全てに律義に返信していたら100通余りになってしまったが、ある上限に達すると増えなくなる不思議になんだかよく解らない内容や主旨の感想の類。

そして作品の若い女性ファンが来ることで妻の機嫌が悪くなったり、また印税が沢山転がり込んでそれまで貧乏暮らしが続いていた水柿家が潤い、奥様の須磨子さんは好きな服が買えるようになり、そして念願のミニクーパーまで買うことになり、更に水柿君は趣味にお金をかけることが出来るようになり、何百万円もする模型をいくつも買うことが出来るようになり、庭には人を乗せて走ることのできる機関車用のレールを引ける家も購入し、それでもなおお金が余ったので更に広大な土地を買うことがで来たりとこの第2編目では水柿君≒森氏が小説家になったことで訪れた環境の変化が主に描かれている。それは恰も森氏自身の私小説でありながら備忘録でもあるかのようだ。

こんなハイペースで作品を著し、更に大学助教授の仕事もこなしていた森氏、いや水柿君は小説はあくまで家に帰ってから書き、大学で書くことはなかったとも云っている。それはモードが違うから出来ないらしい。つまりスイッチを場面で切り替えているのだ。この辺はかなり解る。私も仕事とプライヴェートはきちっと分ける方だからだ。一方が他方を侵食すると思考が混ざり合ってしまうのだ。

また本書の中での水柿君のある心境の変化が興味深い。助手時代は好きなことをして賃金ももらえるなんて幸せだと思っていたのに、助教授になって研究以外の仕事が増え、特に会議が増えたことで苦痛を覚え、これだけ我慢して嫌な時間を過ごしているのだからお金を貰えて当然だと思うようになったこと。
ただ助手時代は好きなことができたが給料は安かったのに対し、助教授では助手時代の2倍以上の給料をもらうようになったのは嫌なことをしなければならない対価が増えたのだと考えているところだ。

私は労働報酬とは嫌なことを我慢してやったことへの対価であり、生活のためにその我慢をしているのであるという考えの持ち主なのでこの水柿君の後半の考えには全く同意だ。
一方で社会人になって一度も好きなことをさせてもらってその上給料まで貰って幸せだ、なんて思ったことは一度もない。かつて勉強させてもらった上に給料も貰っているんだから幸せだと云っていた上司がいたが、当時はサーヴィス残業当たり前の風潮だったので何云ってんだ、コイツと思ったものだ。

おっと作者の心情ダダ洩れの作品だっただけに私の心情も思わず露出してしまったようだ。

さて上に書いたように本書は大学の助教授だった水柿君が奥様の須磨子さんの何気ない提案から小説を書くようになり、それが出版社に認められ、あれよあれよという間に売れっ子作家になって貧乏から脱け出し、お金持ちになったところで幕が引く。

しかし私はこの件を読んで、売れる作家と売れない作家の境界とは一体何なのだろうかと考えてしまった。

ここではもう敢えて水柿君と呼ばず森氏と呼ぶことにするが、森氏が特に小説家になりたいと願ったわけでもなく、偶々手遊びで小説を書いたらそれが編集者の目に留まって一躍売れるほどになった。しかも森氏は自分が小説を書きたいと思って書いてるわけではなく、依頼が来るから書いていると非常にビジネスライクだ。

一方で小説が好きでいつか自分も小説家になりたいと願い、何度も複数の新人賞に応募して落選を繰り返し、ようやくその苦労が実を結び、晴れて作家になれて、自分の創
作意欲が迸るままに作品を書いて発表しながらもさほど売れない作家もいる。

熱意があってもその作家の作品が売れるとは限らないが、逆にさほど熱意もないのに書いたら売れている作家がいるというのは何とも人生とはアンフェアだなと感じざるを得ない。それは森氏は天才であり、このような書き方は森氏しかできないことなのだ。つまり一般人が、いや少しばかり才能があっても天才には敵わない現実を知らされた思いが本書を読んでするのである。

確かに森氏のデビュー作『すべてがFになる』が店頭に並んだときのインパクトは強かった。しかしそれ以降、一定のファンを獲得し、1つのシリーズに固執せず、次から次へとシリーズを生み出し、そして壮大な仕掛けを仕掛けているのが読めば読むほど分かってくる、この凄さこそが森氏の非凡さなのだろう。

だからこそこんな、およそ小説とは呼べない水柿助教授シリーズでさえも書物として刊行され、そして売れるのだろう。

本書を冷静に読める作家は果たして何人いるのだろうか。私が同業者ならば自分の境遇と照らし合わせて身悶えするはずだ。ある意味本書は作家殺しのシリーズだ。
さて残りはあと1冊。しかし宣言通りに3作書き、それがきちんと刊行されたということはそれなりに売れたということか。売れる作家は何書いても売れる。やはり作家殺しだ、この本は。


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