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グリーン・マイル



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グリーン・マイルの評価: 8.50/10点 レビュー 2件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.50pt

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(10pt)

キングが物語に仕掛けたワンダーが横溢した傑作!

スランプ状態から抜け出したスティーヴン・キング復活の作品と云えば先の『ドロレス・クレイボーン』でもなく、私は本書を挙げる。当時6分冊で刊行された本書は日本でも好評を以て迎えられ、更に映画化もされて大ヒットを記録した。

キングがこの作品を6分冊で刊行したのは海外著作権を扱う人物からの提案で昔チャールズ・ディケンズが採用していた分冊形式の話題がきっかけだったとのこと。特にキングがこの趣向を魅力的だと思ったのは、“読者が結末を読めない”ことだった。昔キングは自分の母親がクリスティーのミステリを結末部分を覗き見しながら読んでいるのを目の当たりにしてショックと怒りを覚えたとのこと。
従ってこの分冊方式はそういった輩に対して絶好の対抗策であるのと同時に、この『グリーン・マイル』の題材自体がまだキングの中ではイメージと設定があるだけで物語として固まっていなかったことから作者自身も結末が解らないままに書き出すことが当時のキングの心理状態とマッチングしたらしかった。いわば連載小説や連載漫画の手法を本書は取り入れたわけである。

ただ私が読んだのは6分冊で刊行された新潮文庫版ではなく、合本版を上下巻で刊行した小学館文庫版である。但し私は上にキングが嘆いたような、結末を最初に見て物語を読む性分ではないので通常通り結末までどうなるか考えながら楽しむことが出来た。

作者自身の前書きにも触れているが、本書はキングにとって刑務所を舞台にした2作目の小説である。1作目は映画『ショーシャンクの空に』の原作中編「刑務所のリタ・ヘイワース」で、長編としては2作目になる。そのいずれもが傑作であり、しかも映画も大ヒットしている共通点がある。
実は刑務所小説はキングにとっても相性がいいのではないだろうか。

ところでこの刑務所小説はアメリカでは一定数あるようで一ジャンルを築いているようだが、翻って日本を顧みれば私の経験上、ほとんど読んだことがない。キングを信奉し、数多の傑作を書いてきた宮部みゆき氏やベストセラー作家の東野圭吾氏、大沢在昌氏と書店を賑わすビッグネームの多作家でさえ書いていないのだ。

これはただ単純に文化の違いだろうか?
日本では服役囚のプライバシーを重要視するあまり、取材が困難なのだろうか。

そして「刑務所のリタ・ヘイワース」がそうであるように本書もまた傑作である。いや、もしかしたらキング作品の中で一番好きな作品が本書なのかもしれない。それまでは『ペット・セマタリー』、中編集の『スタンド・バイ・ミー』だったが、本書はそれを超える。
キングは時々魔法を掛ける。それもワンダーとしか呼べないほどの。

前書きに描かれているが、本書は難産だったらしい。
しかしその苦労が報われるほどの素晴らしいお話が降りてきていた。

この物語は語り手のポール・エッジコムの回想録の体裁で書かれている。物語の舞台は1932年で当時のことをジョージア・パインズ老人ホームにいるエッジコムが思い出しながら書いているという内容で、時折現代のエッジコム自身の物語も挿入される。このことについては後に触れよう。

とにもかくにも登場人物のキャラクターが立ちまくっている。
語り手の刑務所看守主任ポール・エッジコムはじめ、看守ディーン・スタントン、ハリー・ターウィルガー、ブルータス・ハウエル、そしてパーシー・ウェットモア。

この看守たちは一人を除いて皆本当の意味のプロである。彼らは自分たちが勤務するEブロックの囚人たちが死刑を迎えた者であることを踏まえ、決してぞんざいに扱わない。

しかしただ1人パーシー・ウェットモアだけが別である。この看守は州知事と義理の血縁関係であることを盾にして自分に不利益なことや周囲が馬鹿にすると周りの看守たちに州知事に云いつけて失職させてやると息巻く、まさに憎き虎の威を借る狐なのだ。電気椅子〈オールド・スパーキー〉で処刑された死刑囚に平手打ちを食らわして罵り、自分より弱いとみれば理不尽な因縁をつけて警棒で叩く一方で、敵わない相手だとみると恐怖に慄き、仲間の前で何もできずに立ち竦むだけ。中身のない、虚勢だけの青二才だ。
この男の非道ぶりと浅はかさが際立つのはドラクロア処刑のシーンだ。

さて一方で囚人たちもまた粒揃いのキャラクターが揃っている。

エデュアール・ドラクレアはフランス系の犯罪者で少女を強姦して殺し、石油を撒いて着火し、その火がアパートメントに燃え移ってさらに6人が死に至った事件の犯人だ。彼は悪たれ看守パーシーに目を付けられ、事あるごとに虐められるが、ネズミのミスター・ジングルズとの出会いが彼の囚人生活を変える。
この不思議に賢いネズミはいつも彼のところにおり、彼が用意した葉巻箱のベッドに眠り、そして糸巻きの芯で遊ぶのとペパーミントキャンディを好み、一躍Eブロックのアイドルとなる。

このミスター・ジングルズによってドラクロアも笑顔が増え、純粋な笑みを見せるようになる。そのギャップがまた世界の皮肉さを助長させる。
なぜ死刑が決まっている人間がこれほどまでに幸せそうに微笑むのかと。

〈荒くれビル〉ことウィリアム・ウォートンは真のワル、生まれながらの悪人だ。19歳にして複数の州を転々としてあらゆる犯罪に手を染め、自分をビリー・ザ・キッドと称する。とにかく行動の読めない男で、刑務所に運ばれたときは心神喪失状態のような様子であったが、いきなり手錠の鎖を看守の1人ディーンの首に巻き付け、絞殺しようとする。また檻に近づきすぎたパーシーを捕らえて下卑た微笑みで卑猥な言葉をかけ、恐怖に陥れる。パーシーはそれでラストネームのウェットモアに相応しい尿の染みをズボンに着けてしまう。

そして何よりも物語の中心となる囚人ジョン・コーフィの造形が素晴らしい。見上げるほどの巨漢で肩幅が広く、胸板がものすごく厚く、合う囚人服がない黒人。もし暴れたら看守5人が束になっても抑えきれるかどうか解らない畏怖すべき存在ながら、最初にお願いしたのは暗いところがちょっと怖いから寝る時間になっても明かりをつけておいてほしいと少女めいた要望を出すギャップにまず引き込まれた。

更に彼は週が変われば前の週の記憶を失い、いつも涙を流している。

また本書における死刑囚が収監されるEブロックの描写は実にリアルだ。
例えばそのコールド・マウンテン刑務所の処刑方法として鎮座するのは“オールド・スパーキー”と呼ばれる電気椅子だが、看守たちは処刑の前日にはそれぞれが与えられた役割に則ってリハーサルをするのだ。

例えば椅子に足を固定する時が最も無防備になるから死刑囚が暴れだした際に片膝を立てて股間を守る姿勢を取ったり、喉を蹴られないよう顎はグッと引いておくそうだ。また電気が流れる側のふくらはぎの毛はすっかり剃っておく必要がある。恐らく電気で焼き焦げて火が着くからだろう。

また電気椅子のスイッチは2段階になっており、第1スイッチが入ると通電され、刑務所内の照明が少し明るくなる。そのことで他の囚人たちは処刑がなされたことを知る。ただこの段階ではまだ電気椅子には電気が流れておらず、チャージされただけで、次の第2スイッチを入れた時に死刑囚に電気が流されることになっている。

また看守は通路の真ん中を歩くよう気を付けなければならない。どちらか一方に近いと隙を見た囚人が檻から手を伸ばして看守を掴んで最悪の場合、鍵を盗まれて殺されるからだ。

そしてこれら刑務所のディテールが最高潮に活きるのが賢いネズミ、ミスター・ジングルズをペットに持つフランス系囚人エデュアール・ドラクロアの処刑シーンだ。
この時、陣頭指揮を採ったのがパーシー・ウェットモア。そう、ドラクロアを目の敵のように虐めていた男だ。そして彼は電気椅子のヘルメットの中には海綿が仕込まれているが、それが塩水に濡らされてないとならないらしい。そうすることで電流を海綿を介して直接脳に撃ち込まれるからだ。しかしパーシーは知らなかったと偽ってそれを敢えてしなかった。そしてドラクロアの処刑はどうなったか。

これはまさに地獄絵図のように陰惨なものとなった。一気に死ねないドラクロアは高圧電流に苦しみ、固定された椅子の上で断末魔の如く、逃れようと信じられないほどの力で藻掻いてその力で自らの骨を砕き、顔を覆うマスクは電気によって燃え尽き、肉は焼け、目玉が眼窩から零れ落ち、意識を保ったまま、自身が焼かれるのを耐えるだけになる。
自分の家族をドラクロアによって殺された遺族は彼の処刑に立ち会ったが、そんな憎しみの渦中にある彼らでさえ、もうたくさんだ、解放してやってほしいと懇願するほどにその有様は惨たらしい。
そしてもしそれでも絶命しなかったら最悪だが、ドラクロアはどうにか絶命する。しかし高圧電流で全身が焼けただれた彼の皮膚はあらゆる衣類に引っ付き、聴診器を当てて死亡を確認するのに胸をはだけるとずるっと爛れた皮膚まで持っていかれ、真っ赤な肉がむき出しになり、そこに当てるしかなくなる。

凄まじいまでのディテールと人間の愚かさが、いやパーシー・ウェットモアという人間が唾棄すべき人間であると再確認させられるシーンだ。

そして後半の結末に向けての展開が凄い。まさに怒涛の展開である。

ポール・エッジコムら他の看守にとって目の上のたん瘤であり、また悩みの種であったパーシー・ウェットモアとウィリアム・ウォートンがまさかこんな形で片付けられようとは。なんという始末の付け方だ。私はこのシーンを読んだときにキングに神を見た。

最後の最後まで驚きと感動が詰まった作品だった。前書きでキングは結末まで考えてなく、読者同様作者もどんな結末になるか解らないと書いてあるが、それが信じられないほど、全てが収まるべきところに収まり、そしてそれがこれまでにない素晴らしい物語となっていることに驚く。
やはりこれはジョン・コーフィにキングが書かされた物語ではないか、そんな風に思わされてしまう。

生みの苦しみの末に出来上がった本書は現時点で私の中でキング最高作品となった。

いやあ、これはぜひとも映画を観てみたい。トム・ハンクスが演じたポール・エッジコム、マイケル・クラーク・ダンカンが演じたジョン・コーフィをぜひとも観てみたい。

久々に読後ため息が漏れ、世界に浸れた物語だった。やはりキングはすごい。まだこんな物語を書くのだから。
そしてその後も傑作を生みだしていることを考えると、本書がまだ彼の創作の途上に過ぎないのだ。いやあ、もう言葉にならないね、凄すぎて。

グリーン・マイル。
それは電気椅子に至る廊下がライム・グリーンのリノリウムが貼られていたことで付けられた俗称だった。
しかしこの言葉は最後に語り手のポールが嘆き呟くように、人生の最期に至る道のりを示すのではないか。
私のグリーン・マイルはまだまだ遠くにある。そして老人のポールと異なるのは彼がそのことを絶望しているのに対し、私はまだそのことに安堵していることだ。

まだまだ読みたい本がたくさんあり、まだまだ人生を楽しみたい。

私がグリーン・マイルを歩むとき、全て成し終えたと笑顔であるように祈っている。


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