アガサ・クリスティーの秘密ノート
- 名探偵 (559)
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『アガサ・クリスティーの秘密ノート』(アガサ・クリスティー、ジョン・カラン著、山本やよい・羽田詩津子訳、早川書房・クリスティー文庫、上・下)は、アガサ・クリスティー・ファンには堪らない本と言えるでしょう。熱烈なクリスティー・ファンであるジョン・カランが、クリスティーの住居に残されていた73冊の手書きノートの乱雑な文字を4年かけて解読した成果だからです。 カランのおかげで、私たちはクリスティーの執筆の楽屋裏を覗くことができるようになりました。「『スタイルズ荘の怪事件』のエンディングは、最初の原稿ではどうなっていたのか? 『そして誰もいなくなった』の登場人物は、もともとは何人にするつもりだったのか? 『ABC殺人事件』のAの殺人の舞台として最初に候補に挙がっていたのはどこか? これまで知らなかったことがいっぱいわかって、ワクワクしてくる」。 クリスティー作品の中で、私がとりわけ気に入っている『無実はさいなむ』が、高く評価されているので、嬉しくなりました。「ノート28には、ほぼ40ページにわたってこの小説のすべてのメモがある。・・・『これはこの数年で、まちがいなくノンブランドで(=ポアロ物でもマープル物でもない)最高のクリスティー作品である・・・『無実』(=当時はそう呼ばれていた)は古典的探偵小説と犯罪小説の現代的着想を見事に一体化させた作品といえるだろう』。これは1958年5月1日に、コリンズ社が最新のクリスティー作品を受けとったときの熱狂的な意見である。・・・『無実はさいなむ』は、後期のクリスティー作品におけるベストのひとつである。これは古典的な探偵小説とは異なる犯罪小説であり、真実と正義、罪と無実について固い信念を持って描かれている。・・・いつものように創造力を駆使して、アガサ・クリスティーは法的な正義と道義的な正義というむずかしい問題を解決した」。 | ||||
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『アガサ・クリスティーの秘密ノート』(アガサ・クリスティー、ジョン・カラン著、山本やよい・羽田詩津子訳、早川書房・クリスティー文庫、上・下)は、アガサ・クリスティー・ファンには堪らない本と言えるでしょう。熱烈なクリスティー・ファンであるジョン・カランが、クリスティーの住居に残されていた73冊の手書きノートの乱雑な文字を4年かけて解読した成果だからです。 カランのおかげで、私たちはクリスティーの執筆の楽屋裏を覗くことができるようになりました。「『スタイルズ荘の怪事件』のエンディングは、最初の原稿ではどうなっていたのか? 『そして誰もいなくなった』の登場人物は、もともとは何人にするつもりだったのか? 『ABC殺人事件』のAの殺人の舞台として最初に候補に挙がっていたのはどこか? これまで知らなかったことがいっぱいわかって、ワクワクしてくる」。 「アガサ・クリスティーの作品のひとつひとつが専用のノートを持っているというのが、筋の通った考え方であろう。だが、まったく違う。1冊のノートがひとつの作品だけに使われているケースは、わずか5例しかない。・・・クリスティーのノートに見られる、もっとも興味深くて、そのくせ苛立たしい特徴のひとつは、秩序に欠けることで、とくにひどいのが日付である。ノートは73冊もあるのに、日付が入っているのはわずか77例。・・・未刊に終わったアイディアや、それ以上進まなかったアイディアとなると、推測はほぼ不可能だ。この混沌たる状態が、さまざまな理由によって、なおさらひどくなっている。理由その1。ノートの使い方が行き当たりばったり。クリスティーはノート(正確には、クリスティー自身がいっているように、つねに持ち歩いている半ダースほどのノートのひとつ)を開き、空白のページを見つけて書きはじめる。空白のページが見つかりさえすればいいのだ。たとえ、その両側のページがすでに埋まっていようとも。そして、まだまだ複雑さが足りないというかのように、ノートをひっくり返し、賞賛すべき節約精神を発揮して、今度はうしろから書いたりしている」。 「理由その2.未完成に終わった短篇のためのメモで埋まったページがたくさんあるため、ガイドラインにすべき刊行時期がついていない。ときには、すぐ前とうしろのメモから推測できることもあるが、この方法もまったく欠点がないわけではない。ノート13の内容をじっくり見てみると、でたらめな年代順になっていることがわかる」。 「理由その3.作品のためのメモが書かれたのが出版より何年も前というケースが数多く見受けられる。ノート31に記された『招かれざる客』のもっとも初期のメモには、『1951』という年号がついている。つまり、初演の7年前である。・・・はっきりと年代が書かれたページのあとに、何ページかが続いていても、同じ時期に書かれたものと断定することはできない」。 「ノートの手書き文字について論じる前に、これらが備忘録として書かれたメモや走り書きであったことを強調しておくのが、フェアというものだろう。クリスティー本人以外に読む者はいないわけだから、筆跡をある程度の水準に保とうという努力をすべき理由はどこにもなかった。これらは個人的な日記であり、クリスティーの思考を明快にすることだけを目的に書かれたのだから」。 この一節を読んで、笑いが込み上げてきました。私もかなりのメモ魔であるが、乱暴な走り書きが、後で、どうにも判読可能なことがしばしばあるからです。 クリスティー作品の中で、私がとりわけ気に入っている『無実はさいなむ』が、高く評価されているので、嬉しくなりました。「ノート28には、ほぼ40ページにわたってこの小説のすべてのメモがある。・・・『これはこの数年で、まちがいなくノンブランドで(=ポアロ物でもマープル物でもない)最高のクリスティー作品である・・・『無実』(=当時はそう呼ばれていた)は古典的探偵小説と犯罪小説の現代的着想を見事に一体化させた作品といえるだろう』。これは1958年5月1日に、コリンズ社が最新のクリスティー作品を受けとったときの熱狂的な意見である。・・・『無実はさいなむ』は、後期のクリスティー作品におけるベストのひとつである。これは古典的な探偵小説とは異なる犯罪小説であり、真実と正義、罪と無実について固い信念を持って描かれている。・・・いつものように創造力を駆使して、アガサ・クリスティーは法的な正義と道義的な正義というむずかしい問題を解決した」。 | ||||
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これは上巻を読み終えたときにも感じたことだけれど、ジョン・カランさんというかなりマニアックなクリスティー・ファンのおじさんが、4年間かけて取り組んだこの精力的な仕事には大いに敬意を表しつつも、残念ながら「ああ面白かった!」というような本ではない。 僕はクリスティーを普通小説も含めてすべて読んでいる。そんな、一応熱心なファンといってもいいであろう僕でもそんなふうに思ってしまうのだから、これはもう「ごめんなさい、ジョンさん」としか言いようがない。それでも『スリーピング・マーダー』が書かれた時期の考察などは、なかなか面白かった。それがどういうわけか、話が微に入り細を穿ってくると、途端に退屈になってしまうのだから不思議。 もしかして翻訳がまずいのかな? と思ったところもある。例えばP193〜194で、『カリブ海の秘密』と『バートラム・ホテルにて』にはタイトルページに「アガサ・クリスティーによって創作された独創的人物ミスマープルが主人公」という注が付いている、という説明をした後で、「マーガレット・ラザフォードもどきが、最近の画面でミス・マープルを演じているせいに思える」と書いてある。この2冊は確かに映画でラザフォードがマープルを4作演じた61〜64年の後、64年と65年に発刊されており、当時その映画シリーズはそれなりにもてはやされたのだろうが、現在では「原作とは似て非なるもの」という評価が一般的なので、おそらくジョンさんもそういう視点で裁いているのだろうと思うのだけれど、ならば「マーガレット・ラザフォードが最近の映画でミス・マープルもどきを演じているせいに思える」という文章になるべきなのだ。ああそれなのに、マーガレット・ラザフォードもどきとは何だ? 最近の画面とは何なんだ? それはとりあえずいいとして(いいのかな?)、本書の最大の目玉は、新たに発見された短編「犬のボール」が収録されていることだろう。未発表とはいっても長編『もの言えぬ証人』の原型なので、物足りないとか言い始めると、まあ確かにそれはそうなのだけれど、これはこれで値打ちがあるのではないかと僕は思った。久しぶりにポアロとヘイスティングズに会えたことは、素直にうれしかった。なので、ファンとしてはぜひ★5つを付けたいところなのだが、客観的な評価だとやっぱり「普通」の★3つあたりが妥当かもしれない。 | ||||
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面白いか、面白くないか、で一刀両断するなら、“面白くない”本だと思う。 しかし、そんな単純な二元論で片付けるべき本ではないのではないか。 というのは、すべての作品を読み切ってしまったクリスティー・ファンにとっては、 まさに待ちに待った、未発表作品のお披露目を含む創作ノートの公開なのだから! と、自らのファン心理を鼓舞してみるのだが、やはり面白くないのである。 こんなことなら、お気に入りの作品を繰り返し読んでいる方がいいように思うのだ。 クリスティーが備忘録に書き留めて(あるいは書きなぐって)おいた未完成の素材を、 ただずらずら並べられても、ふーんそうですか、という感じなのである。 著者のジョン・カランさんの興奮ぶりだけは、一応伝わってきたけれど…。 上巻である本書の巻末には、ポアロ物の短編集『ヘラクレスの冒険』連載当時に、 〈スドランド・マガジン〉が掲載を拒絶した「ケルベロスの捕獲」の初稿が収録されている。 結局この作品は作者によって書き直され、現行の短編集にはそれが入っているのだが、 なぜ初期ヴァージョンはボツにされてしまったのだろうか? それは内容を読めば、まあ分からないでもない。 私見を述べさせていただくなら、〈ストランド・マガジン〉の判断は賢明だったと思う。 戦後もずっと人気作家として愛され続けたクリスティーの作家生命を考えてみても、 これがボツにされたことは良かったね、という気がしている。 | ||||
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クリスティー好きな妻へのプレゼントとして購入。喜んでいました。 | ||||
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