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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数889

全889件 881~889 45/45ページ

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No.9: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

こんな高校生いるか!と当時は思ったものだが…。

法月綸太郎と云えば、クイーン同様、作者と同名の名探偵が活躍(?)する法月綸太郎シリーズが有名だが、デビュー作はノンシリーズの学園ミステリである本作である。本作についてはその後ノーカット版が刊行されたようだがそちらは未読。
まず開巻一番に驚くのは目次に書かれた章題の多さ。確か60くらいあったように思う。綾辻氏の作品を読んでから、新本格ミステリ作家はそれぞれこだわりがあるのだろうと思っていたがこんなところにこだわりがあるのかとちょっと引いた記憶がある。それらの章題もハードボイルド的でなんだかキザな感じを受けた。
中身を読むと確かにキザだ。登場人物全てがなんだか精神年齢が少し高く、自分が高校生の時と比べると老成しているように感じた。しかしどこか青臭さ、高校生特有の全てを悟ったように物事を斜めに見るようなヒネた物の云いようは確かに高校生らしくもあるが、身近にこんな輩が居たら、かならず喧嘩を売っていたに違いない。

さて本書では島田氏が御手洗シリーズで本家シャーロック・ホームズを非難したのと同様に、本書でも法月氏が信奉するクイーンを非難する場面が現れる。それは主人公の担任の口からクイーンの『チャイナ橙の秘密』について痛烈な感想が開陳されるのだが、これを読んだ私はこの件を思い出して、思わず頷いてしまった。「まさになんなんだ、あれは」の作品だったからだ。この辺について語ると脱線してしまうので、ここら辺で止めておこう。

さて本書では教室から出された机と椅子の謎。血まみれの教室、密室の謎などが1人の高校生によって暴かれる。名探偵気取りの主人公(工藤くんだったかな?)がクラスメイトに訊き込みをし、教師と警察の睨みを交わしつつ、真相に肉薄していく(警察いたよな、確か)。
学園ミステリは私は好きなのだが、本作はあまり好きではない。不思議にこの作品を読んで私の高校生活を思い出すことが無かったからだ。初期の東野作品に活写される高校生活、有栖川有栖氏の大学シリーズの大学サークルの描写などノスタルジーに駆られることしばしばだが、本作にはどこか別の国の高校のような気がして、いまいちのめり込めなかった。多分その理由の大半は私が全く主人公に感情移入できなかったことによるだろう。
しかし読んだ当初はあまりこの作品から汲み取れる物は無いと思ったが、あの真相は高校生が読むと案外ショックなのかもしれない。高校生が気づく信頼関係が崩壊する衝撃があると今になって思うのだが、高校生諸君は一体どういう風に思うのだろうか。いつか意見を聞きたいものである。

密閉教室 (講談社文庫)
法月綸太郎密閉教室 についてのレビュー
No.8: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

2作目のジンクス?

『十角館~』で俄然綾辻氏の次の作品への渇望感を感じた私は間髪入れずに本作へ手を伸ばした。いきなり始まる車椅子に乗った仮面の男と美少女という横溝的な設定は、1作目で綾辻氏の、本格ミステリのもっともディープな部分を好む性癖を知っていたので、今回は抵抗無くすんなりを物語世界に入っていけた。

結論を云えば、本作は水準作と云えるだろう。『十角館~』と比べると、などといった枕詞は必要なく、客観的にミステリの一作品として見た正当な評価である。なにしろ私には珍しく物語り半ばで犯人とトリックが解ってしまったので、その後の展開が犯人側の視点で読めた。物語を裏側から眺めるように読めたのは本作ぐらいだった。
しかし本書では異端の建築家中村青司を意識してか、本書の水車館は前作の十角館よりもなかなかにデザインが凝っている。十角館が案外にコテージとあまり変わらない建物だったのに対し、この水車館は城郭のような形をしており、ドラクエに出てきたようなどっかの国の城のようなデザインである。この狭い日本ではこれほど建ぺい率の低そうな個人の屋敷もないなぁと思うような非常に贅沢なつくりである。

かてて加えて、前作が孤島と本土の距離的な断絶、つまり彼岸と此岸で語られていたのに対し、本作では過去と現在という時間の隔離があるのが特徴。そしてその2つの間では微妙に叙述表現が変わっているが、これももちろん真相に大いに関わってくる。
さらに幻視家という特異な職業は(まあ画家の一種なのだが)、当時大学生の私の心を大いにくすぐり、その印象的なエンディングをそのまま使ってクイズを作ったくらいだった。
しかし本書の水車館はミステリとしての出来は普通であり、また水車という屋敷に備えられた印象的なオブジェがトリックにほとんど寄与していないというのが不満。
しかしこの不満は次作『迷路館の殺人』で一気に解消されるようになる。

水車館の殺人 (講談社文庫)
綾辻行人水車館の殺人 についてのレビュー
No.7: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

御手洗初体験の短編集でした

本書が私の実質的島田作品初体験の作品である。それは私が大学1年の時だった。確かある月曜日の社会学の講義の際にいつもつるんでいた友達のうち、O君が読んでいた本がこの作品だった。なにげに「何、それ?面白いの?」と聞いたところ、「読んでみる?俺もう読んでるからいいよ」と云って貸してくれた。
その授業は本書の最初の1編「数字錠」を読むことに変ってしまった。

結論を云えば、なかなか面白かったというのが本音。それよりも文章の読み易さにびっくりした記憶がある。先にも書いたが、当時私は久々に読む推理小説にブラウン神父シリーズを読んでおり、その読み難い文章に「こんなもんなんだろう」と思いつつ、難解な文章を読み解くことがあえて読書の愉悦をもたらすのだ、と思っていたが、本書を読んでから、実はそれがとんでもない間違いだと気づいた。御手洗と石岡が依頼を受けて捜査するその過程は臨場感があり、云ったことのない東京や横浜の街並みも、異国の風景描写より遥かに理解しやすかった。
その90分の授業で読み終わったのはこの1編のみ。「面白かった!」といって返しそうとしたら、貸してくれるというので遠慮なく借りることにした。思えばこの時既に彼の策略にはまっていたのだ。

で、本作の感想は上の評価の通り。普通に面白いといったところ。一般的に評価の高い「数字錠」だが、私はあまりそれほど感銘を受けなかった。後で御手洗シリーズに没頭しだして、この作品以降、御手洗がコーヒーを飲まなくなったのを改めて知った。

私にとって本書の目玉は2編目の「疾走する死者」である。これはもう御手洗の演奏シーンの素晴らしさに大いに魅了されてしまった。文字で書かれた演奏シーンから超絶技巧のギタープレイが奏でる爆音が、流麗なフレーズが聴こえてくる思いがした。いや実際頭の中では音楽が駆け巡っていた。この作品での御手洗のカッコよさは随一である。
満足の体で読了した私は本を返す際に「他にもない?」と訊いたのは云うまでもない。そしてそのとき既にO君の手には『占星術殺人事件』の文庫が握られていたのだった。

御手洗潔の挨拶 (講談社文庫)
島田荘司御手洗潔の挨拶 についてのレビュー
No.6: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

シリーズ物として読むべき1冊

さて『占星術殺人事件』で颯爽と登場した御手洗潔だが、第2作目の本書は本格ミステリの王道とも云うべき館物だ。そして奇想島田氏はやはり普通の館では勝負を仕掛けない。タイトルにあるように全体が斜めに傾いだように建てられた斜め屋敷なのだ。この斜め屋敷、その特異な建てられ方故に滞在する人は遠近感がとりにくいという錯覚を覚える。よく遊園地などにあるびっくり舘と名づけられたアトラクション内で見られる、同一線上に立った大人と子供の背の高さが逆転するというあれだ。そんな話が本作には盛り込まれているのだが、実はそれこそ島田氏のミスリード。この館が建てられた目的こそ、ここで起きる殺人事件の真相に大いに関わっているのだが、これがもう唖然とする。常人であれば理解できない目的だ。この真相ゆえに「世紀のバカミス」とまで云われているが、この評価は致し方あるまい。恐るべき執念というよりも金持ちの道楽としか・・・おっとこれ以上はネタバレになるのでよそう。

本書に関する評価は案外高いが、私はこれに首を傾げてしまう。確かにこのトリックは読者の想像を超える物だが、ミステリとしてどうかと問われれば、佳作かなぁと思う。あの『占星術殺人事件』に続く2作目として発表された御手洗物という称号がどうしても付き纏う本書は、前作と比べざるを得ない運命にある。それと比べるとなんだか普通に物語は流れ、結末までミステリの定型を保って進行する。物語としての熱が前作に比すると減じているように感じるのだ。確かに誰しも初めての小説というのは今後の人生を大きく変える分岐点と成り得る可能性を秘めているのだから、自然、気迫がこもるのも無理はないだろう。しかし作家には1作目よりも2作、3作目としり上がりによくなる作家もいるわけで、そういったことを考えれば、この作品はもう少し推敲すべきではなかったかと思う。しかしこれは単なる私の個人的な嗜好によるものなのだろう。過去何度も行われたオールタイムベストでも100位以内に本書は選ばれているのだから。

あと、意外に他者の感想で語られないのは本書の文体。前作が通常の物語の文章に加え、冒頭のアゾート製作の手記、そして最後の犯人の告白文と複数の文体を駆使していたのに比べ、本作はなんだか文章が幼いような印象を受けた。小学校の教科書で読むような物語の文体、極端に云えばそんな感じだ。しかしネットで色々な感想を読んでもそのことには触れられていないので、もしかしたらこれも単純に私の嗜好によるものなのかもしれない。
本書でも犯人や塔の模様の謎(これは簡単だったね)は解ったものの、トリックは解らなかった。ただ本格ミステリでは真相が明かされた時に読者が感じる思いは概ね4種類に分かれると思う。

1番目はそのロジック、トリックの素晴らしさに感嘆する物。これこそが本格ミステリの醍醐味である。
2番目は解らなかったものの、特段感銘を受けなく、なるほどねのレベルで終わる物。ほとんどこのミステリが多い。
3番目は解らなかったものの、なんだこりゃ?と呆気に取られるもの。バカミスと呼ばれる作品がこれには多い。
4番目は真相が読者の推理どおりだったもの。これもまた作者との頭脳ゲームに勝利したというカタルシスが得られる。

で、本作はこの4分類のうち、3番目に当てはまる。しかしギリギリ許容範囲かなと思えるのが救いだ。実際本当にこのトリックが成り立つのか一度実験したいとは思うが。特に天狗・・・おっとヤバイヤバイ。
しかし雪上での殺人や屋敷の中での密室殺人など、好きな人には堪らない作品だと思う。また本作は後々のことも含めて、御手洗シリーズで読んでおいた方がいい作品ではある。その理由はここではあえて云わないでおこう。

改訂完全版 斜め屋敷の犯罪 (講談社文庫)
島田荘司斜め屋敷の犯罪 についてのレビュー
No.5:
(8pt)

魅力的な逆説集

『詩人と狂人たち』の出来栄えに失望した私は本作に関してはチェスタトンコンプリート達成(当時出版されていた分に関して)のための一里塚として惰性的に本書を手にしたのだが、これが当たりだった。
先に書いたようにブラウン神父シリーズでもチェスタトンが得意とする逆説を利用した短編は数多く収録されていたが、本書はその名の通り、逆説ばかりを集めたミステリ短編集である。
ブラウン神父シリーズの時に若干この逆説に慣れというか、飽きにも似た感慨を抱いていたが、そんなときでもこの短編集に収録されている逆説は斬新さに溢れた煌めきがあった。
どんな逆説か以下に挙げてみよう。

「三人の騎士」:死刑執行の中止を伝える伝令が途中で死んでしまったために、囚人は釈放された。
「博士の意見が一致すると・・・」:二人の男が完全に意見が一致したために、一人がもう一方を殺した。
「道化師ポンド」:赤い鉛筆だったから、黒々と書けた。
「名指せない名前」:国民から好かれていた思想家は政府から忌み嫌われていたが追放されなかった。
「愛の指輪」:ガーガン大尉は誠実な人がゆえに、不必要な嘘をつく。
「恐るべきロメオ」:明らかにその人だと思われる影法師ほど見間違えやすい物はない。
「目立たないのっぽ」:背が高すぎるために目立たない。

と、ちょっと読んだだけでは???と首を傾げる逆説ばかりだが、これらの逆説がポンド氏によって非常に合理的に解説される。
中にはその逆説が成立する状況を想定しやすいものもあるが、そのほとんどは謎という魅力に満ちている。特に1編目の「三人の騎士」は「ああ、そういうことだったのか!」と膝を打ってしまった。そしてこの1篇で私はこの逆説ミステリ集に取り込まれてしまった。
そして本書は最後に読んだだけあって、私の中でチェスタトンの評価を決定付けた作品集とも云える。最後が『詩人と狂人たち』だったら、今もこれほどにチェスタトンという名前は私の中に深く刻まれていたか、微妙ではある(でも『~童心』があるから、チェスタトンはやはり忘れられない作家ではあっただろうけど)。

現在この作品は絶版だが、この作品と『奇商クラブ』はぜひとも復刊して、多くの人に読んで欲しい短編集だ。
光文社が『木曜日だった男』みたいに古典新訳文庫で上梓してくれると一番いいのだが。

ポンド氏の逆説【新訳版】 (創元推理文庫)
G・K・チェスタトンポンド氏の逆説 についてのレビュー
No.4: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

最終短編集でも掘り出し物アリ

センセーショナルな題名が付けられたシリーズ最終巻。
さて本作では今までの短編集では2、3編の割合で収録されていた思い込みを逆手に取ったチェスタトンならではの逆説を取り扱った作品が数多く収録されている。
未読の方に先入観を与えて読書の興を殺ぐことを避けるために、あえて具体的な題名は挙げないが、収録作8編中5編と約6割をこの趣向の作品が占める。
これほど連続すればさすがに食傷気味と云いたくなるが、それでもまだ名作といえる作品がある。

その本を開いた者は神隠しに遭い、消失してしまうという呪いの古書。そしてその言い伝えどおりに本を開いた者が次々と消えていくという抜群に魅力的な謎を扱った「古書の呪い」は人間消失のトリックとチェスタトンの逆説が見事に融合した傑作だ。

その他白眉な作品として「とけない問題」を挙げる。世界でも有名な箱が修道院にやってくる。しかしそれを有名な盗賊が狙っているので助けて欲しいと請われたブラウン神父とフランボウは修道院に向かうがその最中に祖父が死んだので助けて欲しいという婦人から連絡が入り、その家に立ち寄ることに。そこでは既に祖父と思しき老人は木から首を吊って死んでおり、しかも体には剣が刺さっていた。さらに木の周辺にはその老人の物と思える手足の跡が散乱していた。この不可解な事件をブラウン神父が見事真相を突き止めるという話だが、これはある意味、推理小説の定型を打ち破った作品といえるだろう。

シリーズを読み通した者の性なのか、2作目の『~知恵』以降、事あるごとにクオリティが下がっているという言を連発しているが、それはやはり最初に『~童心』を読んでしまったからだろう。やはり第1作は傑作すぎた。もしこのシリーズを未読の方が取っ掛かりとしてこの第5作目から手に取ったならば、恐らく面白いと思うだろう。今になって思えば、チェスタトンはクオリティは保っていたのだ。ただ私は常に『~童心』クラスを求めてしまっていた。それだけのことだ。

さてこのブラウン神父シリーズ全5集を読むことで私の中で“チェスタトン”という1つのジャンルが出来てしまった。それはミステリを読む書評家も同様で、奇妙な論理、逆説が導入された作品を読むと「チェスタトン風」という枕詞が挿入されることからも明らかだろう。
この後、私はチェスタトンを追いかけることを決め、当事絶版本だったブラウン神父シリーズ以外の作品を求める長い逍遥が始まるのである。

ブラウン神父の醜聞【新版】 (創元推理文庫)
G・K・チェスタトンブラウン神父の醜聞 についてのレビュー
No.3:
(7pt)

ブラウン神父の推理方法が解ります

本作はまず「ブラウン神父の秘密」という短編で幕を開け、最後に「フランボウの秘密」という短編で閉幕する。内容的には神父が自身の推理方法について語り、その実施例として神父が解決した9つの事件が語られるという構成になっている。アルバムでいうところのコンセプト・アルバムのような内容になっている。神父の推理方法については後で述べることにしよう。

さて本作は第4短編集ということもあり、寛容に捉えてもネタ切れの感があると当時は思っていた。例えば、「大法律家の鏡」はもろ「通路の人影」の別ヴァージョンと云える作品だ。作者が得意とする思い込みを利用した逆説を用いた作品(「顎ひげが二つある男」、「マーン城の喪主」)もあり、連続して読んだ身としては小粒感は否めなかった。強いて挙げるとすれば「世の中で一番重い罪」と「マーン城の喪主」が一つ抜きん出いるだろうかというくらいで、それも『~童心』に入っていれば普通くらいの出来だと感じていた。
しかし今回諸作について内容を調べてみると、学生当時に読んだ印象とはまた違った印象を持つ作品もあった。特に「メルーの赤い月」で開陳される山岳導師なる隠者の特殊な心理は、海外で暮らすようになった今では理解できるが、当時はまだ海外はまだしも社会人にもなっていない頃だったので、何なんだこれは!と激昂したに違いない。
また本作には後の黄金期のミステリ作家、特にカーに影響を与えたと思しき作品も見られる。中でも「顎ひげの二つある男」のシチュエーションはあの作品を、「マーン城の喪主」のトリックはあの作品と思い当たる物がある。

しかし本書の注目すべき点は冒頭にも述べたブラウン神父の推理方法だ。彼は自分こそが犯人だという。それは彼が推理する時は自分も犯人になって考えるからだ。彼が犯人だったらこうするだろうと犯人の心理と同化することで事件の真相を見抜くと告げる。
なんとこれは現代の犯罪捜査でいうところのプロファイリングに他ならないではないか。本作が出版された1926年の時点で既にチェスタトンはこの特殊な犯罪捜査方法について言及していることが驚きである。勘繰れば、このチェスタトンの推理方法からプロファイリングが生まれたようにも考えられる。

小学校の時、児童版の名探偵シリーズでお目見えした時は、単に人物が神父というだけで、ホームズやミス・マープルその他と変らないという印象でしかなかったが、本作で神父の推理方法が明かされるに至り、その印象はガラリと変ってブラウン神父という探偵の特異性が見えた。神父ゆえの宗教的観点からの謎解きだけでなく、犯罪者の心理と同化するブラウン神父の推理は全く以って他の探偵とは一線を画するものだ。
確かに各編のクオリティは落ちている(それでも水準はクリアしているが、こっちの期待値が大きいばかりについついこのような云い方になってしまう)が、本作はこの、正に“ブラウン神父の秘密”が判るだけでも意義が高い。

ブラウン神父の秘密【新版】 (創元推理文庫)
G・K・チェスタトンブラウン神父の秘密 についてのレビュー
No.2:
(7pt)

これでお別れ

本作は私にとって最後のシェルダン作品となった。既にこの時は社会人となっており、シェルダン以外の海外作品もそれなりに数を読んでいた。
そしてアカデミー出版の超訳という訳し方が実は書評家たちにはかなり不評で、しかも円滑な訳文のために原文を削除していることやさらには物語の構成自体も変えていることも知った。
また今まではそれほど読書に熱心ではなかったが、この頃になると島田荘司の諸作とも出逢い、個人的に所有する本が飛躍的に増えることになった。そんなことも契機になり、ハードカバーで出ていたシェルダン作品はこれが最後になってしまった。

さて本作では作者自身も脚本家として関わった銀幕の世界、世界のショービズ界の頂点ともいえるハリウッドを舞台にスーパースターを夢見る青年トビーが波乱万丈の物語が繰り広げられる。ハリウッドの内幕を描いた作品だと記憶があり、確かこのトビーという青年はコメディアンを目指していたと思う。そしてエンタテインメント界に付き物の人を狂わせる魔力という物に取り付かれ、手当たり次第に女性に手を付けるんではなかったかな?なかったかな?というのは、実はこの作品についてはもうほとんど忘却の彼方にある。当時この本について一行感想というのを残していたが、それには「コメディアンを主人公にしているのにギャグが寒すぎるのは致命的」とだけあった。
まあ内容に触れた感想ではないので楽しんだのかどうかは解らないが、こういう否定的な意見を残していることからも私がシェルダン作品に飽きを感じていたのがわかる。

結局、ここまで読んで振り返るとシェルダン作品は『真夜中は別の顔』をピークとしてそこから下っていったように思う。だが外国作家の作品を読むこと自体が初めてだった(ホームズ物の児童用リライト版は除いて)私にとってシドニー・シェルダンの作品は私に海外作品への門戸を開いてくれた。今の私の海外ミステリ好きの礎は間違いなくシェルダンによって築かれたと云えるだろう。
すでにこの世を去り、ほとんどの人が過去の作家と思っているだろうし、それは私も同じだ。今更彼の未読作品を読む気にはなれない。
しかし忘れ去られるには勿体無い作家だ。なぜなら彼の作品は面白いからだ。ドイルやルブラン、クイーンやカーが没後の今でも読まれるように彼の作品も後世に残してほしいものだ。
ありがとうシェルダン。合掌。

私は別人〈上〉
シドニィ・シェルダン私は別人 についてのレビュー
No.1:
(8pt)

個人的に思い出深い作品です

シドニー・シェルダン原作の作品をドラマ化することで数字が取れることが解ったのか、テレビ朝日は本作もドラマ化したらしい。しかしそれは土曜ワイド劇場という2時間枠でのドラマ化であった。しかし本作は実は昔にオードリー・ヘップバーン主演で映画化されたらしいが、全く知らなかった。

プロットとしては比較的単純。大企業の社長が事故で亡くなり、莫大な遺産を相続した娘が他の親族から命を狙われるという物で、ミステリの定型としても非常に古典的であるといえるだろう。
ストーリー展開はもう定石どおりで、最初に命を狙う会社の重役連中の人となりがエピソードを交えて語られる。それぞれに大金が必要な事情があり、誰もが命を狙ってもおかしくない。
で、娘のエリザベスが何度も命を落としそうになるわけだが、やっぱりこの辺の危機また危機の連続というのは確かにクイクイ読ませる。

ただここまで来ると読む側もこなれてきて、パターンが読めてくるのだ。特にシドニー・シェルダンの人物配置が常に一緒なのが気になる。主人公はいつもヒロインで、それをサポートする魅力的な男性がいる、そして2人で降りかかる災難や危難を乗り越えていく。絶体絶命のピンチになった時にこの男性が颯爽と現れ、カタルシスをもたらすというのが、共通しており、それは藤子不二雄の一連のマンガのキャラクター構成がほとんどの作品で共通しているのに似ている。いじめられっ子の主人公にそれを助ける特殊能力を持ったキャラクター(ドラえもん、怪物くん、オバQ、etc)、いじめっ子とその子分、そして憧れのヒロインとほとんどこの構成である。これは両者が自分の作品が売れる黄金の方程式を見つけたということなのだ。で、私はこういうマンネリに関しては全く否定しない。なぜならマンネリは偉大だからだ。この基本構成を守りながらもヒットを出すというのは作者のヴァリエーションに富んだアイデアが必要だからである。そしてこの両者はそれを持っているのだ。これはまさに才能と云えるだろう。

さて本作では他の作品と比べて、意外と先が読める。さらには最後に明かされるエリザベスの命を狙う犯人も案外解りやすい。巷間ではそれが他の作品よりも評価がちょっと低い原因となっている。でもシェルダン作品を初めて読んだ人はどうなんだろうか?私は今まで何作か読んできて、作者の創作テクニックに馴れてきたがために見破れたように思える。なんせこの時まだ高校生だし。
しかし本作は私にある一つの希望を与えてくれた本でもある。本作でヒロインのエリザベスをサポートするリーズ・ウィリアムスという人物の生い立ちだ。彼は貧しい家の出ながらも一生懸命努力して一流企業でその地位を固める。それだけならばまだよくある話なのだが、彼は自らを磨き、どんな場所に出ても恥ずかしくない、社交界でのマナーを身に付け、洗練された人物となり、周囲の信頼を得るのだ。それがゆえに自分が貧しい出自であったことをちらりとも窺えさせない。
私も決して裕福な家庭ではなく、それどころかむしろ貧しい家庭の部類だったといえよう。しかし本作でのリーズの生き様は努力すれば自分も洗練された男になれるかもしれないという希望を与えてくれた。今の自分を振り返って果たして自分が洗練されているかどうかはわからないが、両親が私を育てくれた環境よりは裕福だし、それなりにいいお店に出入りもでき、そういう場所での振舞いもそつなく出来るようになった。思えば今の自分があるのはこのリーズの影響が強かったように思う。高校のときにこの本を読み、リーズのような男に出会えたことは私にとって非常な幸運だったのだろう。
本書はシドニー・シェルダンのこれまで読んだ所作では出来栄えという点では確かに面白いけれども並みの部類になるだろうが、このリーズというキャラクターのお陰で私の中ではちょっと特別になっている。

血族〈上〉
シドニィ・シェルダン血族 についてのレビュー