■スポンサードリンク
Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数902件
閲覧する時は、『このレビューを表示する場合はここをクリック』を押してください。
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
雑誌に投稿して佳作入選を果たした表題作に代表されるように初期の短編においてはミステリ色よりもオチのついた小噺といった方が適切な作品が多い。「なんとなんと」、「鷹と鳶」、「夫婦悪日」などは正にそれで「犯罪講師」に至ってはコントですらある。
本格的なミステリと云えるのは「塔の家の三人の女」、「穴物語」、「誓いの週末(これは秀逸)」の三篇だけだろう。 「声は死と共に」は天藤作品らしからぬ暗い作品でなんとも後味が悪く、結末も歯切れが悪かった。 先に出版された『遠きに目ありて』レベルの秀作がないのはまだ油の乗り切る前の初期作品であるから仕方ないが、最後の「誓いの週末」にその片鱗が窺えるのが収穫だった(ある意味、これはチェスタトンだよなぁ!!)。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
天藤真がオカルト!?というミスマッチのせいか、読み始めはなかなかノレなかったが、アスタロトから南郷講師へ主人公グループの指導者が替わる辺りからなんとかテンポよく読み進められた次第。ストーリーはその後も二転三転し、なかなか先を読ませなかったのだが、最後は、意外というわけでもなく、こちらの思ったとおりの犯人に落ち着いた。
しかし、『善人たちの夜』の時もそうだったが、いまいち主人公には共感できなかった。こちらが天藤作品に求めているのが主人公達が孤軍奮闘する爽快感であるように位置付けられている事が大きいのだろう。無論それは『大誘拐』や『殺しへの招待』などの天藤真の代表作が備えているテイストに他ならないからだ。 だから最後の田のぬけぬけとした女たらしぶりなどは読書の興趣を殺がれるし、何とも味わいの悪い読後感が残る以外何物でもない。 しかも女性名義で発表した作品という割にはセックスに関する叙述が多く、ろくでもない人間が多く出てくるのも気になった。もしかしたら天藤作品というレーベルとは作者自身も違和感があったのかもしれない。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
以前から云っているが、数あるクーンツ作品を傑作・駄作で分類する時、ポイントになるのは物語に使われる超常現象に対し、登場人物や設定において、ある特別な区別をされた際に何故彼(彼女)は他のみんなと違うのかというのがはっきり明示されているか否かが挙げられる。前者は『ファントム』、『ウィスパーズ』、『雷鳴の館』等、後者は『殺人プログラミング』、『闇の殺戮』等である。勿論後者についても読者を全く飽きさせない展開でぐいぐい引っ張っていくがいかんせん理由付けの部分が弱いと興醒めで魅力はそこで半減してしまう。
さて今回はどうだったかというとまずは及第点。悪くない。 本書に収められた2作の内、本書のほとんどを占める表題作は父親の葬儀のため、数十年振りに戻った故郷でいきなり20年前にタイムスリップする、それは現在の自分の人生を運命付ける正に人生の岐路の時であった、主人公は自分の理想とする新たな人生を取り戻そうとするという男の再生譚。今回の私なりの焦点は何故主人公がいきなり20年前に戻ったのかというのは実は主眼ではなかった。これは物語の設定として違和感なく入り込めた。 では何かというと事ある毎に、特に主人公が失敗する場面からいきなりリセットされ、失敗する前に引き戻されるという設定。それが1度のみならず2度、3度と繰り返される辺りに不満があった。クーンツの作品は結局ハッピー・エンドで終わるというのが通説だが、これはいくらなんでも酷すぎると思った。 しかし作者はそこに何ともロマンティックな理由を設けており、正直思わず微笑んだ。こういう手を使う所が、何ともクーンツの人生を反映しているような気がして憎めない。 もう1作の短編「ハロウィーンの訪問者」は他愛のない話で恐らくこれは児童向けの説教小説だろう。怪物を出すあたり、クーンツらしいといえばそうだが。 今回は以上よりやや傑作よりだと思うが小説としては小粒であることは否めない。次に期待。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
ミステリというよりもシチュエーション・コメディと云った方が妥当のような至極真っ当な物語。
危篤の床に就く親父のために偽装結婚を画策した所、思惑から外れて事は意外な方向に向かい、やがてそれぞれの本性が見え隠れしだし、最後は・・・と、何処に意外性を求めたらいいのか解らない物語で設定に凝る天藤にしては本当にオーソドックス。寧ろストーリーは単なる意匠で、描きたかったのは田舎の大地主の息子との結婚生活奮闘記のような日々苦闘する主人公二人の姿と非の打ちようがないほどの善人の弥左衛門とそれらを取り巻く気のおけない親戚どもの様子だろう。作者自身これを愉しんで書いているような節も散見する。 ▼以下、ネタバレ感想 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
冒頭の、関係のない4人の転落死、その事件を解決すべく結成される遺族会、そして一癖も二癖もあるいかがわしいそのメンバー、結末直前のどんでん返し、そして4人が同乗して死に至った経緯のコミカルさ、これらを取り出してみると正に天藤ワールドのエッセンスが詰まっているのだが、どこか空虚な感じが残っており、充実感がない。それは主人公令子の行動と共にストーリーが語られることにあると思うのだ。
今回の主人公は決して読者の共感を得る存在ではないだろう。勝ち気で考え方に偏りがあり、しかも厚顔無恥な所もあり、移り気が激しい。この移り気の激しい令子の行動がまた短絡的で探偵ごっこの域を出てないために、徒に時を費やしている印象が非常に強かった。 また、死んだ母親が令子の導き手として頻繁に出てくるのはどうしたことだろうか?こういう寓話めいた構成は今までの天藤作品には全く見られなかったのに今回に限って何故このような手法を取り入れたのだろうか?作者も年を取り、ある意味、独特の死生観を持つに至ったのだろうか。これが結末にも演出として使われていたのは逆効果で、温かい余韻を持たせようという作者の魂胆が見え、私にはあざとく感じたのである。 まあたまにはこういうのもあるんでしょうな。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
前回のシンプルな設定とは全く逆のジェットコースター的逃亡劇でとにかく先の読めない話だった。
『遠きに目ありて』の中の1編にもあったが晴耕雨読の生活をしていた事も一因だろうがなによりも山中の風景や場面を描かせると天藤真は無類に巧い。行間から土の匂いや草いきれ、田舎の生活臭が立ち上ってくるのである。山中における逃亡者と追跡者との一進一退の攻防はコミカルながらも真に迫っており、リアルである。 そして今回もまた人物設定が特異で、学生期のトラウマから女嫌いになったヒッピー青年と、同じく学生時代のトラウマから男嫌いになった赤軍派女性を逃亡のカップルに仕上げる辺り、心憎い。こういった設定では常に逃亡者同士のラヴロマンスが付き物だが、その一歩手前にそれぞれ異性に対する意識の革命があり、あくまでプラトニックな所が初々しい。涼風が心に吹くような爽やかな印象を与えてくれ、9割ほど読んだ時点では9~10星のはずだったのだが、最後の真相及び結末がどうにも消化不良。これは自分の好みの問題なのだろうが、こういう内容のものに真相に政治的陰謀などが絡むと何ともしらけてしまうのだ。更に最後のぼやけた様な終わり方もちょっとガッカリ。天藤作品にしてはちょっと凝り過ぎのような気がしてなんとも勿体無い気持ちで一杯なのだ。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
巷間に流布しているホームズ譚の短編集は『~冒険』、『~帰還』、『~思い出』、『~最後の挨拶』、『~事件簿』の5冊が通例だが、新潮文庫版においては各短編から1、2編ほど欠落しており、それらを集めて本書を編んでいる。従って衰えの見え始めた後期の短編集よりも実は内容的には充実しており、ドイル面目躍如という印象をもってホームズ譚を終える事になろうとは計算の上だったか定かではない。
本作においては冒頭の「技師の親指」など結構読ませる短編が揃っており、個人的には「スリー・クォーターの失踪」がお気に入り。最後の「隠居絵具屋」はチャンドラー、ロスマク系統の人捜しの様相を呈した一風変わった発端から始まるが最後においてはポーの有名作品を思わせる仕上がりを見せるあたり、なかなかである。 しかしホームズ譚を全編通じて読んだ感想はやはり小中学校で読むべき作品群であるとの認識は強く、少年の頃に抱いた輝かしい物語のきらめきの封印を無理に抉じ開けてしまった感があり、いささか寂しい思いがする。色褪せぬ名作でもやはり読む時期というものを選ぶのだ。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
『遠きに目ありて』をきっかけに名作『大誘拐』と読み進んできた私の天藤作品体験にある意味、決定打を打ち込んだのは数年前に古本で購入した本書であったと今にして思う。前作『死の内幕』までの時には私の目に狂いがあったかとも思ったが、本書を久々に読んで、ああやはり間違ってはなかったと思いを新たにした。ここには天藤作品のエッセンスがぎっしり詰まっており、また本書から天藤テイストが定着したかのように感じられる。
まず登場人物全てが魅力的。天藤作品の場合、『陽気な容疑者たち』、『死の内幕』、『大誘拐』などの傾向を見ると主人公がいるものの、万能ではなく寧ろ他の協力者と一つのチームを成して事を解決していくパターンである。前2作については些か彼ら・彼女らのキャラクターが弱く、今一歩といった感じだったが本書に至って見事に成熟された感じが強い。 次に最後の先の読めない展開。本書もベレー帽と髭を残して監督が失踪するという仰天の発端から次から次へと収拾がつかないくらいに事件は右往左往し、終章まで散らかりぱなしといった感じで読んでいる最中は不安がいっぱいだった。 そして達者な筆捌き。ユーモアが滲み出るその文体は事件が陰惨なものであってもほのかに温かみを感じさせる。これが最初に述べた登場人物陣の魅力を引出しているのは云うまでもない。 また今回は構成も凝っていて、何者とも判別しない電話のやり取りが随所に挿入され、事件の黒さ・壮大さを想像させられるし、何よりも今回のメインキャラクターである桂監督を最初と最後にしか登場させずに印象深い人物に仕立てている辺りの見事さは特筆物である。 さぁ、ここからが天藤ワールドの始まりである。愉しめない訳がない。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
今回のクーンツ作品は怖かった!!
誰もが胸の奥底に抱いている若き日、もしくは幼き日の恐怖体験を完膚なきまでにこれでもかこれでもかと畳み掛けるように主人公に叩きつけるその様は、もしこれが自分にも身に覚えのある恐怖体験へと擬えさせられ、こちらも仮想体験を余儀なくされた。 結末的にはとてつもない設定を用いた島田荘司もかくやと云った本格ミステリ的などんでん返しがあったが、それよりも全495ページ中440ページまで悪夢が繰り返される物語運びが強烈で今回のクーンツは本当にハッピー・エンドで終わるのかと別な意味でもハラハラさせられた。 とにかく恐怖体験に持って行き方が今回はすごかった。今までのクーンツならばじわじわと予兆を畳み掛け、いい加減その物ズバリを出してくれよっ!!といったじれったさがあったのだが、今回は普通に振舞っていた中、ああ、今日は何事もなく過ぎていくのかという安堵感を与えた瞬間、ズドンと主人公を恐怖のどん底に陥れる手際が本当に見事で、背筋がゾクッと来た。最後の最後まで結局スーザンに安息が訪れない辺りも今までと違ったが、最後の1行はやはりクーンツらしいというべきか。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
島田荘司の御手洗シリーズでも吉敷シリーズでもないノン・シリーズである本書はなんと大胆にも島田荘司の切り裂きジャック事件真相論である。2002年でもパトリシア・コーンウェルが巨額の金を使って作家生命を賭けて真相を精力的に暴く活動を行っているこのあまりに有名な事件はやはりミステリ作家にしてみれば一度は手掛けたいテーマなのだろうか。
本編においてもその是非は別にして実に島田らしい魅力的な解決を繰り広げてくれている。しかもそれがあの島田特有の物語風に語るのだから実に面白い。これが実に巧い!!これ一つだけでも本にして纏めても売れるぐらいに面白い。 御手洗シリーズにおいても遡れば古くは『異邦の騎士』における手記から始まり、『水晶のピラミッド』の古代エジプト譚、『アトポス』の吸血鬼エリザベートの物語といった非常に残酷かつ一種の絶望感・喪失感を抱かせる物語を書かせたらホント島田の右に出る者はいない。昨今の作品ではそういった挿話が非常に面白く、事件そのものが実はさほどでもないといった主客転倒した感が連続しているが、本編は正にその兆候を示したような作品で、特に探偵役のクリーン・ミステリなる人物の造詣ぶり、ネーミングの情けなさには閉口した。 ホームズのパロディがまたもや繰り返され、なんともまあ、同感できかねる人物なのだ。従って採点の内訳を云うと(切り裂きジャック譚星9ツ)+(ベルリン事件譚△星2ツ星)=7ツ星といった具合だ。 ある意味これが島田らしいといえば島田らしいのだ。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
世評的には『ファントム』、『ウィスパーズ』、『戦慄のシャドウファイア』ほどは高名ではないが、確か北村次郎氏がクーンツのベストとして推していたように思う本書は自分自身でもなかなか良い作品ではないかと思う。
物語はひょんなことからショッピング・モールの駐車場で、ある老婆と出遭う所から始まる。この老婆が実は「黄昏教団」と呼ばれる―このネーミングは○。タイトルのように「トワイライト教団」なんて名前だったら三流ホラーに成り下がっていただろう―邪教集団の教祖だったのだ。この邂逅で息子ジョーイが反キリストの転生した姿だと独断され、理不尽な追撃が始まる。そして親子が助けを求めた私立探偵社の人間と共に殺戮の逃走劇が繰り広げられるのだ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
不朽の名作『大誘拐』の作者のなんと江戸川乱歩賞応募作である。文章を見るにデビュー作とは思えないほど卓越した力があり、その老成振りは現在、数多デビューを飾る新人達と比べると隔世の感がある。
鉄工所の社長が密室の中で殺害されるという純本格的なシチュエーションで始まる本書は終始殺人事件とは一線を画した農村の和やかなムードで進み、解決に至る終章もまたそのムードを一貫して結ばれる。応募作にて既に作者特有の温かみが溢れているのである。短編集『遠きに目ありて』中の1編にもやむにやまれない殺人を扱った物があったが、原点である本書も正にそのテーマが通底している。 何せ、登場人物が憎めないのが作者の特徴、というか美点であり本書もその例に漏れない。 正に「容疑者達、万歳!!」である。 ▼以下、ネタバレ感想 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
田中作品の出来の良し悪しが何によって左右されるかが本書を読んで解った。それは主役のキャラクターの個性の強さである。
今にして思えば名作『銀河英雄伝説』然り『創竜伝』もまた然り(『アルスラーン戦記』は例外か。主人公のアルスラーンにどういう魅力があってあんなに優秀な部下が集まるのか未だに謎)。 前作『魔天楼』から2度目の登場となる無敵の美貌警視薬師寺涼子シリーズは本作にて傑作の予感がしてきた。1作目にはどこか薬師寺涼子の強烈なキャラクターぶりが空回りしていた感が強く、物語にノレなかったのだが、今回は物語に薬師寺涼子が実に溶け合っており、縦横無尽に動き回り物語を加速させていた。 前述したように主人公の個性の強さが作品の強みとして見事に呼応しているのだ。 前作は刑事物であるのにファンタジックな設定に面食らったせいもあったのもマイナスに働いたのだろうが、今回は予備知識があったせいか、寧ろどんな展開が待ち受けているのか愉しみであった。田中特有のアイロニックな文体・薀蓄も横溢しており十分堪能したが、いささかそこら辺がライトノベル系の軽さを匂わせるきらいもあり、その点だけが残念である。 以前に田中は復活しつつあると述べたように思うがそれは間違いである。田中は完全に復活した。次はどんな事件を見せてくれるか大いに期待したい。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
セリフとキャラクターの勝利。事件は大味だが、今後に期待しよう。
|
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
カー作品には大きく分けて怪奇趣味の本格物と歴史サスペンスの2種類があるが、今回は後者に当たる。
文庫背表紙の梗概には音もなく忍び寄っては兵士を一突きに殺害する通称「喉切り隊長」の正体とは?といった本格ミステリ色豊かに表現されていたためてっきり犯人捜しが主眼だと思われたが、ところが寧ろそっちの方は物語としてはサブ・ストーリーとして流れていき、主眼はヘッバーンのフランスにおける諜報活動にあった。 筆者は趣向を凝らし、アランの身柄の保障を条件に喉切り隊長の犯人捜しをさせるといったサスペンス色を凝らしているのがミソ。 しかし前述にあるように主眼はあくまでもアランの諜報活動にあり、その辺のスリルは『ビロードの悪魔』を髣髴させる出色の出来。本来ならば8点の評価を与えたいのだが、「喉切り隊長」の正体が強引過ぎる(と思われる)点と、結局「喉切り隊長」の殺害方法の不思議さについてなんら解明がされていない点の2点において7点とした。 しかし、活字が大きくなるとカー作品がこれほどまでに読み易くなるとは思わなかった。以後もこの字組で再版される事を切に願う。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
今回は『戦慄のシャドウファイア』などの一連のホラー作品ではなく、著者お得意の巻き込まれ型サスペンスである。
物語はベトナム戦争から名誉の帰還を遂げたチェイスがその周囲の喧騒振りに辟易しながら、町のデートスポットで起きる殺人事件からルイーズという女の子を救う所から始まる。これがチェイスのその後の生活に大きな変化を及ぼすことになる。つまりこの犯人から殺人を邪魔した逆恨みから命を狙われることになるのだ。 ストーリーは少ない手掛かりからその正体の判らぬ脅迫者を徐々に突き詰めていき、最後は勿論反撃に出て、主人公は救われるという展開を見せる。またベトナム戦争帰りで社会人的な普通の生活が出来ない―女も抱けない!!―チェイスが脅迫者を辿る事で魅力的な女性と出会い、自己を再生していくという男の復活劇の要素を含んでおり、正に小説のツボを押さえた構成になっている。 が、故に定型を脱せず、凡百のミステリとなっているのも確か。犯人の正体が判明してからの展開がいかにも呆気なく、この辺が『人類狩り』にも見られた結末を急ぎすぎる感触が物語を平板にしていると思った。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
今は『古書収集十番勝負』と改題。
博識家紀田順一郎が放つビブリオ・ミステリ、私が呼ぶ所の「神田神保町シリーズ」もこれで三冊目。いつも卒業しようと思って読むのだが、なぜか愛着が湧き捨てられず、本棚の一角を占有することになってしまう。恐らくは文庫専門とは云え、本を収集する身である私と登場人物との間に一部共感できる部分があるからだと思う。 今回はミステリというよりも寧ろ題名から察せられるようにビブリオ・コン・ゲーム小説といった方が妥当だろう。最後に百貨店での古典市での出来事及びクライマックスの笠舞邸での競り勝負の真相が明かされるミステリ的な要素はあるが、主眼は後継者争いとしての古書収集にある。但し、一冊一冊白熱した奪い合いが見られるわけではなく、大半はいつの間にか蜷川、倉島がそれぞれ手に入れているといった趣向で進められるため、その辺がこちらが期待していたよりも興味は半減した。 しかし作者は色々な趣向を凝らしてあるのも事実で、この中のエピソードには実際あった事件も含まれているのだろうと思われる。物語としてはいささか地味だったけれども、久々このような現実感の濃い小説が読めて気持ちがよかった。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
今回は全く不運としか云い様が無い。たかが500ページ強の本書を読むのに何と十日以上も費やしてしまった。これも途中で飲み会が3回もあった事、風邪を引いてしまったことにより、中途半端な読書になってしまった。
しかるにやはりP.D.ジェイムズの作品はある定型を固執するがため、それぞれに個性が感じられなくなってきているのも確か。事件が起き、ダルグリッシュ―これが相変わらず無個性なのだ―が登場し、関係者一人一人に尋問。しかも登場人物それぞれが重苦しい何がしかの不幸を孕んでいる。ダルグリッシュが捜査を続けていると第2、第3の事件が発生、そしてカタストロフィへ…てな具合である。 尤も、過去読んだ作品の中で秀逸だった印象がある作品については真相のファクターに斬新さ、または真相の判明の仕方のドラマティックな演出が非常に小気味よかった点にあった。 今回は上記のような状況もあったがやはりストーリーの流れに埋没してしまうくらいのインパクトにしかならなかった。つまり私が云いたいのはページを繰る手をはたと止めさせるような衝撃が真相解明にあってほしいのだ。 レンデルにあってジェイムズに無いもの、この差は大きい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
ジェットコースターのような疾走感で今回も物語は駆け抜ける。しかも相手は正真正銘の怪物で自分が想像していたモダン・ホラーかくありきという形と合致しており、非常に小気味よい。
自己愛の塊、エリック・リーベンとレイチェルとの離婚調停の後から始まる本書はいきなりリーベンが走ってくる車に突っ込み、轢かれて死亡するというショッキングなシーンから始まる。ここから物語はクーンツ特有のなかなか本質を明かさない焦らした駆け引き(本当にじれったい!!)をしながら進み、まず主人公二人は追う立場で始まる。 そこでご対面とならずに今度は一路ラスベガスに向かい、主客一転して今度は追われる身になる。この辺りの構成の妙が実に巧い。アントン・シャープという悪徳役人を配することで、それがしかも主人公に恨みを持っているというあざとさで、主客を転じさせる手並みが実に鮮やかだ。 また脇役で出てくるフェルゼン・《石》・キール氏の造詣もまた印象的だ。これが結末において、ある人物の行動に必然性を与えている。 ただ、やはり良くも悪くもこのエンターテインメント色の濃さがハリウッド的でいささか軽めに感じるのも事実で、もうちょっとそれぞれの人物・エピソード・文体等、文学的深みがあってもいいのではないかと思われる。クーンツの面白さはトレヴェニアンの『夢果つる街』のそれとはやはり違うのだ。 『ウィスパーズ』の結末がとてつもなく衝撃的だっただけに今回は色々配された人物が一同に会す割にはあっさりしすぎていたという印象は拭えないので8点とする。 |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|---|---|---|---|---|
|
現在、ホームズ物を読んでいるこの最中にホームズ物のパロディ、しかも島田荘司作品を読むというのは正に今をおいて無いほど最適な時だった。
各種のホームズ譚をそこここに織り交ぜながら、登場人物をこき下ろす。しかも漱石の文体でそれらを語るというのが斬新だ。ドイルの文体と漱石の文体とを交互に使い、しかも同じエピソードをそれぞれの主観で語るものだから、所々食い違っていて面白い。ドイルの文体では例の如くワトスンがホームズを讃えるような口調で語られるのに対し、漱石はそのひねくれた性格ゆえか物事を常に斜めに観るような書き方をし、ホームズを狂人としか扱っていない。当時直木賞候補になったというのもむべなるかなといった感じである。 ただ、トリックの方はホームズ譚に同調するかのようにいささかチープな感じがした。犯人逮捕の手法といい、各キャラクターの配置といい、シャーロッキアンには堪らないものがあろうが、私には少し物足りなかった。 しかし、通常の島田作品張りの奇想溢れる事件であれば全体のバランスがちぐはぐになるだろうし…。難しいところである。 |
||||
|
||||
|

