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梁山泊 さんのレビュー一覧
梁山泊さんのページへレビュー数271件
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犬養シリーズの3作目。
いわゆる裏七里と言われている御子柴や犬養シリーズでは、メッセージ性の高い作品を多く世に送り出している作者ですが、この作品はそれらの中でも最もメッセージ性が高いのではないかと思います。 子宮頸がんワクチンの副作用を題材に薬害問題を描いた作品。 犬養の特性も発揮しづらい舞台であった事もあり、それを補うべく女性のパートナー、とも思ったのですが、そのパートナー、犯人推理には全く役に立っていません。 女性の代弁者として、男どもに物申すといった役どころで、正直捜査の場には邪魔者以外の何者でもなかったですね。 ってなわけで、ミステリー色は薄くなり、社会派に傾いています。 そもそも登場人物が少なく容疑者候補が絞られる上に、◯◯犯にしか思えない手口でしたから、読中から最後の展開が何となく予想できてしまいました。 お得意のどんでん返しも、着地点が予想できていたので効果半減といったところでしょうか。 だったら面白くなかったのか、というと決してそうではなく、これまでの無理くりなどんでん返し作品が安っぽく思えてしまえるくらい、読後はずっしりと印象深い作品になりました。 |
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【ネタバレかも!?】
(2件の連絡あり)[?]
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御子柴礼二シリーズ3作目。
今作ではこれまでのダークなイメージを払拭。 というのも、前作で明らかになった彼の過去による世間からの逆風の中、昔の恩師であり、自身のせいで半身不随、そして失職させてしまった稲見のために奔走する姿が描かれます。 前作で岬洋介の父を登場させたかと思ったら、今度は恩師稲見。 それにしても出し惜しみしない作家さんだ。 そして、メッセージ性の高いシリーズという点は今作も踏襲しており、今作は「介護施設」 自分の親ですら投げ出して全てを終わらせようとする人間もいる、ましてや赤の他人相手である。 劣悪過酷な仕事、だったらお前がやってみろよ、となるのは理解できるが、だからといって虐待が許されるわけない。 これが高齢化社会の現実なのかと思うと悲しくなってくる。 最終的には御子柴の敗北とも言える判決。 しかし、自分の罪を裁くのは裁判所ではなく俺なのだという頑なまでの恩師の姿に、新たに大切なものを教わったんじゃないでしょうか この経験を機に弁護士御子柴がどのような変化を遂げるのか、次作が楽しみである。 |
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【ネタバレかも!?】
(1件の連絡あり)[?]
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平成のエラリークイーンと呼ばれる作者だけあって、主人公の探偵に、徹底的に論理的に推理させる訳ですが、個人的に凄く気に入っているシリーズであります。
1つの「物」に着目して、そこを起点にして、推理を展開するというお決まりのパターンですが、今回はダイイングメッセージという決定的な物証がありながら、それを脇に追いやっての・・・ですから、これまでのシリーズの1つ上を行った、という点で好印象。 また、「図書館の殺人」において、凶器が本、ダイイングメッセージも本、そして事件の重要な要素としても本が絡んでくる、なんていう小洒落たところは、3作目にして格段に・・・という、これも好印象。 しかし、 「動機が弱い」っていうレビューが散見されますね。 「弱い」というより「不自然」と言った方がいいでしょうか。 この手の論理づくめで犯人を突き詰めていくタイプの作品の場合、まずはWHOでWHYは後付でも(ある程度)いいのではないかとは思うのです。 前作「水族館の殺人」でもこれは感じていました。 ただ、今作はちょっと突飛過ぎますかね。 意外な真相で無理矢理読み手を驚かそうとしなくてもいいと思いますけどね。 また、ロジック重視の作品にありがちな、主観による他の選択肢の軽視も、ちょっと目立ちましたかね。 髪が長い、視力が弱いなんてのは納得できるんですけど、「髪に血が付いたのでトイレで処理する(のは当たり前)」なんてのも正直どうなんでしょうか。 何かサイドストーリーの方もどんどん膨らんでいきますね。 必要かな? |
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テーマは親子愛でしょうか。
歪な形と言えますが、父娘の愛情の深さを痛感させられました。 物語の中心となる父娘には、かなり同情的な読み方になってしまいましたね。 正直、もっと違う方法があっただろうに、と思うものの、かと言ってじゃあどうするのが正解だったのかと聞かれても言葉に窮してしまいそうです。 裏切られて残された者の苦しみ悲しみ、ってな作品は数多く読んできた記憶がありますが、父と娘ってのが私にはツボだったかも知れません。 人間関係はかなり複雑となる今回の事件ですが、加賀母子も相関図に登場します。 これまでのシリーズで謎のままとされていた、加賀の母親の失踪の理由、そして加賀が日本橋の所轄に固執した理由が明らかにされました。 本庁復帰が決まり、私生活の方でも変化がありそうです。 新たなる加賀恭一郎の幕が開けられるのでしょう。 次回作を楽しみにしたいと思います。 |
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出光興産の創業者である出光佐三氏をモデルにした、ほぼほぼノンフィクションな作品だろうと私は解釈しています。
同じような事を言及されているレビュアーの方もいらっしゃる通り、私も少し「盛ってるなぁ」って感じます。 というのも、主人公を余りにも素晴らしい人物として描き過ぎているんですよね。 そうなると、どうしても作り物っぽく聞こえてしまいますよね。 主人公の振る舞いが全て正義であるわけがないのですから。(あれだけ目立ったことをして) 敵対勢力が幾つか登場してきますが、彼らにも彼らの正義があるわけで、もし彼らの視点からこの物語が描かれたならば、主人公はボロカスに言われることでしょう。 あと、章が短く区切られており読みやすいのですが、その分、苦難、苦悩に対する描写に深さがなくなっている気がします。 わずか数ページ後には解決してしまっているのはどうなんでしょう。浅くないですか。 なので短い章立てについては、どういう効果を狙ったのかは不明ですが、個人的には効果的ではなかったのでは、と感じています。 私がこの作品を読んで一番印象に残ったのが、 主人公が本を読まない、というか読めない人であったこと。 そしてそれが彼に「考え抜く」という力を与えたという下りです。 まぁ確かに、私なんぞは、本で仕込んだ事をまんま職場で実践してたりしますね。 主人公の、石油が世の中を動かすという先見の明や「ブレなさ」には大いに感銘しましたが、彼のやり方は、今の時代では通用しないですよね。 生きていくためにやるしかない、寧ろ「やらせて下さい」という時代だったわけですから。 それに今時、経営者に敬意を表する社員なんていないでしょうし。逆に上から目線です。 時代が違いすぎますね。 まぁ、「やりがい」があれば、どんなにキツイ仕事でも、人は喜んで働けるという事は今の時代でも変わらないと信じたいですが・・・ 多分これも当てはまらなくなってきている気がします。 |
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マティス、ドガ、セザンヌ、モネ、4人の画家にまつわる短編集。
本人ではなく身近な女性の視点で描かれる画家の物語です。 巻末に「本作は史実に基づいたフィクションです」とあるようにフィクションには間違いないのだろうが、作者が原田マハである事を考えると、当然彼女にしか描けない作品だと思うし、彼女が描いた作品だからこそ信憑性が高いのではと思ってしまうし、さて一体どこまでがフィクションなのか、非常に興味深い。 「楽園のカンヴァス」と比べると、少し前知識があった方が楽しめる作品かも知れませんね。 絵画鑑賞の際には、その画家の生きた時代や生き様を知っていた方が・・・というのなら、この作品はまさに「読む美術館」と言うところだろう。 当然の事だが、名画と言われる作品の一つ一つに、それぞれのエピソードがあるのだな、と再認識させられます。 |
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今作は長編。
伊坂らしい機知に富んだ発言の製造マシーン「千葉」は私にとって、No.1伊坂キャラであり、今作も十分に楽しめました。 しかし、同じ事を言及されているレビュアーもいらっしゃいますが、私も長編作品では「死神ルール」が活かされないように思います。 一番上手く活かせるのは、伏線の連鎖を楽しめるという意味で、前作のような連作短編ではないかな、と。 「決して贖うことの出来ない巨大な悪意や権力」が背後にデーンと存在する事が多い伊坂作品。 今作は、25人に1人存在するという、良識を持たない故に出来ないことがないというサイコパスが登場します。 しかし、千葉は死「神」なわけで、強大な敵が意味をなしません。読み手はそれを知っています。 子供を殺された被害者の復讐劇なわけですが、千葉は世間一般からは少しずれているわけで、そんな千葉と共有する時間が長いほど、復讐劇が滑稽なものに思えてきました。 今作のような緊迫感が必要な重いテーマに千葉の登場は合わないように思います。 ラストは良かったですけどね・・・ 面白かったですけど、前作に軍配です。 |
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日本三大奇書のひとつと言われている作品ですが、当初想像していたほど難解な作品ではなかったと思います。
と言って、作者の意図しているところが全て読み取れたとは思っていませんが・・・ ただ、読み終えて何となく感じるのは、「純粋にミステリ的要素を楽しみたい人には向かない」だろうと言う事でしょうかね。 何せ、元祖アンチミステリーですから。 氷沼家で起こる連続(密室)殺人事件に対して、ド素人達が名探偵よろしく思い思いに自分の推理を披露します。 関係者の知り合いでもあり、身近で陰惨な事件が起こっているにもかかわらず、まだ起こってもいない事件を予想したりと、どこか無責任で不謹慎にすら感じます。 薔薇、宝石、シャンソン、五色不動尊などなど、何れも「色」をキーにして推理に絡めてきますが、兎に角読んでいて疲れる「ド薀蓄」のオンパレード。 また、古典ミステリを参照して推理を展開する事が多いのですが、引き合いに出される作品がちょっと古い。 「これメジャーなの?」ってのも多々です。 更に、洞爺丸沈没、精神病院火災など実際に起こった事件の被害者として氷沼家の人間を登場させたりもします。 こういう推理ネタには事欠かない状況の中、推理合戦が繰り広げられ、素人探偵の推理が乱立しますが、当然否定されない限りは可能性として残り、(読み手としては)消し去る訳にはいかないのです。 完膚なきまでに否定されたと思っていたら、忽然と復活してくる推理もあったりして、素人の無責任な推理によって、伏線ばかりが最早回収不能なほどに溢れかえり、いくら章が進んでも事件解決への進展が見られず、読んでいて、今何がどうなっているのか分からなくなってきます。 で、最終章。 回収されることもなく謎のまま終わってしまう伏線も多数。 「素人が勝手に面白おかしく推理しただけやないか。そんなん知るか」という作者の天の声が聞こえてきそう。 そして、最後の真犯人の独白こそが、この作品がアンチミステリーの元祖と言われる所以でもあり、この作品の全てなのかな、と解釈しています。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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阪神淡路大震災があったその日に、神戸から約700km離れたN県警で発生した話である。
保身と野心。 タイトルの「震度0」が示す通り、N県警で起こっている事は、県民にとっては誰も気付かないような実際どうでもいい話なのである。 それにしても、この作者の描く警察小説に登場していた「警察官」たちは一体何処に行ってしまったのか? 同じ日本で大変なことが起こっている大震災の最中、県警幹部達が、自身の保身に身勝手なままに奔走する。 警察幹部夫人達まで、くっだらない見栄の張り合いで、読み手の失笑を買っていること間違い無しだ。 作者はこの作品で警察の何を描きたかったのか、という事になるが・・・。 「現場の刑事は立派で格好いいけど、彼らの上司である幹部連中はバカばっかりです」って事だろう。 ある意味、「挑戦」的な作品といえるのではないでしょうか。 |
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外れのない横山秀夫の短編集4作品。
表題作の「陰の季節」を除く3作は、「私はこうして警察の出世競争から脱落しました」というお話。 つまり警察の人事に特化した異色の短編集であり、そこに暗躍するのは当然人事部であり、そしてD県警シリーズという事になれば、警務課のエース・二渡となる。 ロクヨンにも登場し、主人公と同期の出世頭で、何やらコソコソと・・・のあの人である。 表題作を除けば、表立っては登場しないのですが、市原悦子の如くしっかり見ているのだ。「二渡は見た」なのだ。 一方、表題作は、天下り人事に手を焼く二渡視点の物語になります。 それとなく彼の人柄、人間性が分かる貴重な作品になっているように思います。 D県警シリーズはこれで読破した事になりましたが、1作目を最後に読んでしまいました。 これから読まれる方には、ロクヨン読むなら同じD県警シリーズの中でも、せめてこの作品だけは先に読んでおいた方がいいかと。 面白かったですが、つい最近「第三の時効」を読んでますからね。比較しちゃうと・・・ ロクヨン同様、「第三の時効」よりも先に読んでおいた方がいいですよ。かすんじゃう。 |
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湊かなえさんの作品は「告白」「夜行観覧車」に続いて3作目。
何れもが、事件の関係者が取材を受けて一人語りするというパターンの小説でした。 正直読み始めて「またこれか」と思ったのですが、この作品は、これまでの2作品とは違うかな。 登場人物の証言から「人間の闇の部分」を浮き彫りにした「告白」あたりと比較すると、この作品の場合は、脚色されたり盛られたりと、如何に不確かな情報が多いかという点に重きをおいているように感じました。 その分「告白」と比べると軽いのですが、女性証言者の、嫉妬からくるイメージの捏造なんかは聞いていてゾッとしますね。 女性って必要以上に周りの目を気にするいきものなんですね。そう言われてみれば自分の周りにもいるような気がしますよ。怖いです。 男性の証言にはそういうところないですものね。 この作品で特徴的なのは、この事件の事を書いた週刊誌の記事のページや、SNSのタイムライン画面が、かなりのページを割いて挿入されている事です。 関係者に取材をした記者が書いた記事であり、記者本人のSNSページである事は明白です。 最初は「何だこれ」だったのですが、読んでみると、各章の関係者の証言と一致していない内容が含まれている事が分かります。 発信する側の表現が曖昧過ぎて、これでは受け取る側が間違って解釈するかも知れないじゃないか、な話ではないのです。 部数を伸ばすため、SNSで目立つための捏造や誇張。 これを表現するのに非常に効果的な手法だったと言えますね。 で、またしても後味が悪い小説となるわけですが・・・ 実際にこういう事があるのだとしたら怖いですね。まぁあるんでしょうね。 |
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半沢直樹シリーズ第4弾。
前作のロスジェネの表紙が六本木ヒルズ、そして今作が国会議事堂という事からも分かるように、物語のスケールが飛躍的に大きくなっています。 航空会社再生がテーマになりますが、政権交代からの前政権の施策の無効化などなど、まさにあのJAL再生タスクフォースを容易に連想できてしまいます。 「お前は前原だと思えばいいのか」とか「ひょっとして蓮舫なのか、蓮舫なんだよな」なんて想像したくなくても、勝手に頭が置き換えてしまう、そんな読書タイムになりました。 今回は敵が余りにも大き過ぎてさすがに無傷ではいられず、というより失ったものも大きかった。 このシリーズの「正義は勝つ」的展開は、相変わらずスカッとはさせてくれるのですが、どこか予定調和になりつつあります。 後ろ盾も無くしてしまった事が、次作以降にそれがどう影響するのか楽しみでもあるのですが、ちょっと話のスケールが大きくなりすぎて「次どうすんのさ」という心配の方が大きいかな。 大和田はまだ健在、そして黒崎とのタッグなんかも読んでみたいですね。 |
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半沢シリーズ3作目。
「危機感なきバブル世代」「割を食うロスジェネ世代」 主人公の半沢はバブル世代であり、ロスジェネ世代が敵意を剥き出しにするのはバブル世代だろうから、半沢VSロスジェネ世代という図式の物語なのかと思っていました。 このシリーズの代名詞にもなっている「倍返し」ですが、まさか後輩相手に倍返しするつもりか、なんて読む前は思ってましたが、ロスジェネ世代と半沢がダッグを組んで、という話でした。 テーマは「企業買収」 東京スパイラル社長の瀬名はどう考えてもホリエモンがモデルですね。 過去2作より、遥かに壮大なスケールとはなっていますが、弱者が強者に立ち向かうというこのシリーズの定番パターンは、子会社が親会社に反旗を翻すという形でしっかり踏襲されています。 っていうか、過去にこんな実例あるのか・・・と、無知な私などは考えてしまうのですが・・・ 作者は、半沢の口を借りて「世代論に根拠などない」と発言させてますね。 しかし、私はロスジェネ世代はやっぱり割りを食っていると思います。(私はロスジェネ世代ではありません) だから「世代論に根拠などない」には同意しかねるのですが、自分が育った時代に恨み言を言っていてもしょうがないですよね。 正直、作者の池井戸さんは、ロスジェネ世代に優しくないなぁ、と思いました。 厳しいながらもエールを送っているとは思いますけどね。 結局は半沢、になってしまうのは仕方ない気もしますが、このタイトルであれば、もう少しロスジェネ世代の活躍があっても・・・と思いましたね。 |
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「読書をした」そんな気持ちにさせてくれた本。
時代背景は第一次大戦前後、場所は東北。 そこに生きる主人公であるマタギの少年期から初老期までの波乱万丈の人生を描いた物語である。 この地では、男は余程の事がない限り、大人になればマタギになる。 主人公の富治は、弱冠16歳にて、父や兄と同じようにマタギとなるのだが、女性関係によりマタギという職を奪われただけでなく村をも追われてしまう。 紆余曲折の後、再度マタギとしての第3の人生を歩み出す・・・という物語。 逞しいというか力強いというか・・・男とは本来どういう生き物であるかというのを表現しているように思いました。 そういう男達の逞しい人生の裏側で、貧困という厳しい現実を背負う女達がおり、その表現者として、富治の嫁となるイクを登場させています。 私が心を打たれたのは富治よりも寧ろイクの生き様でした。 僅か12歳で身売りに出され富治とは比較にならない薄幸な人生を歩みながらも、結婚を契機に別人のように変貌を遂げる。 当時の女性はいつ誰から男につくす事を学んだのだろう。 彼女たちは幸せだったのだろうか。 |
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シリーズ物のようだが、この作者さんは初読。
文章は軽快でテンポがあり非常に読みやすいのですが、最初から最後までどこかドタバタしています。 舞台は大阪。 無論関西弁が飛び交うことになるのですが、大阪人の私が聞いても(読んでも)どこか仰々しい。 いくら大阪人でも、このシチュエーションでこんな(ウケ狙いの)台詞は吐きませんよ、がやたらと多い。 こういうコメディタッチなところは、作者の意図的なものと思いますが、観覧車ジャックという派手な事件を扱った作品であるのに、おかげでサスペンス的な緊迫感がゼロですね。 まぁシリアスに描いて、あのラストだと正直転けますが・・・ 絶対に成功しない・・・ですよね。 登場人物が多く、それぞれに物語を持っていますが、そんなバラバラなストーリーが一つに繋がっていきます。 この作品の評価が高いのはここだと思います。実際評価されているレビュアーが多いですね。 分からないではないですが、個人的には「少し分かりやすすぎる」かなと。 |
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ミュージシャン、刑事、サイコパス・・・三者三様、3種類の「孤独」が描かれており、物語は、この三人の視点が入れ替わりながら進行します。
この作品で言う「孤独」とは、いわゆる”ひきこもり”のような、集団に溶け込めず、世の中の困難から背を向けている、といった「孤独」ではありません。 彼ら彼女らは、積極的に誰かとの繋がりを求めている、強いメッセージを発しているのだ、悲痛な「叫び」である。 この作品では、サイコパスによる連続殺人事件が発生します。 読むに耐えない猟奇的な内容なのですが、「如何に解決されるか」は物語の本質ではない。そんな気がしています。 主要人物達の屈折した思考をトレースし、彼らの「叫び」に耳を傾け、何を感じるか、共感できるかできないか、そんな作品な気がします。 サイコパスを追う、ミュージシャンと刑事、孤独な彼らの繋がりを求める叫びが、リレーに比喩されています。 個人的にそこが凄く好きです。 というか、上手く言えないのですが、この作品の「ポイント」な気がします。 ミュージシャンとしてもランナーとしても抜けた能力を持つ主人公は第1ランナー。 彼が光り輝けるのは、バトンを受け取ってくれる第2ランナーのおかげ。 女刑事はアンカー走者。チームのエース。 しかし、誰かがバトンを渡してくれなきゃ存在価値がない。 後は頼んだぞと、誰かが背中を押してくれるのを孤独に待っている。 「誰か俺のバトンを受け取ってくれ」 「誰か私にバトンを渡して」 そんな2人が惹かれ合い最後サイコパスと対峙する。 サスペンスだと思いますが、全編暗く重く、スピード感には欠けます。 が、それを求めていい作品ではないでしょう。 |
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「中学生がクラスメイトと殺し合いをする」
この過激な設定に興味、関心を示す人は意外と多いのではないかと思います。 確か残虐な事件の低年齢化が問題となった時代だったかな、とかその時代背景なども考えつつ読み始めたのですが、悪人として描かれているのは完全に大人の方ですね。 「悲惨な状況下におかれて人間はどう生きるか」 が主眼になるのかと思いきや、まず(作者にその方面に知識がないのか)サバイバル的な要素は皆無。 食料も薬も、見つけたもの勝ちではあるが、調達しようと思えばできるのである。 「自分も同じ状況になればどうするか」と多分殆どの読者が考えるでしょう。 そんな中、「逃げる」か「受け入れる」しか選択しない登場人物たち。 ここでいう「逃げる」とは、殺されないように逃げ惑う事であり、「この理不尽なゲームから何とか脱出を図ろうとする者」が殆ど現れないのである。 事務局を狙おうとしたのもわずか一人だけ。しかも中盤で死んでしまうし。 頭を使おうとする生徒が少ないと感じたのだが、人間追いつめられると考えることをしなくなるというのだろうか。 ちょっと有り得ない。 また、物語を進行させるという意味で必要なのも分かるのだが、ターミネータみたいな奴が一人混じってるし・・・ 登場人物はクラスメート42名。 その全ての登場人物について、その死亡時の状況が描かれており「知らない間に死んでいました」という人物がいない。 そりゃこれだけページ食うわ、である。 オタクがいたり、オカマがいたり、とそれなりにキャラを描こうとしているのだが、キャラに合った思考を元にゲームに挑むという事をしていない。 これはキャラであってキャラでない。 こういうのが好きな人も多分いるだろう。だからこそ映画化もされた訳で・・・ ただ読み物としてはどうなのだろう。 何か残るだろうか。 と、ここまでボロカスに言ってきたが、正直結構楽しんで読めたかな・・・と。 ただ映画は見る気しないなぁ。 こんなの2時間や3時間でまともに表現できるわけがない。 |
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相当前になりますが日本ホラー小説大賞を受賞した作品で、かなり骨太で読み応えのある作品だと思います。
ただ、他の方たちのレビューにもあるように、薬学部出身の作者による専門用語の登場頻度が高すぎますね。 適量ならビシっと作品を引き締めてくれたりするんですが、ちょっと長すぎですかね。 また、これを読み飛ばした場合、Y染色体のくだりなど、物語の把握に支障をきたす可能性があるのがたちが悪いです。 あと意図的なのかは不明ですが、視点や時系列が前触れもなく変わるので、その場その場の状況が理解できるまでに時間を要してしまいました。 色んな点で少し読みづらい作品だなと感じました。 ただ、ミトコンドリア視点の描写は失敗ではなかったかなと。 思考をトレースできた時点で、底知れぬ怖さではなくなってしまった気がします。 共生が寄生だったというアイデア、その発想は抜群だったと思います。 しかし、その後の展開が余りにも現実離れ過ぎ、突飛過ぎるように思えます。 鈴木光司氏の「らせん」に表向きは非常に似た流れになるのですが、「らせん」のパロディかと思えるくらいのドタバタ劇になってしまいます。 ジワジワ見せるのが怖いのに、この作品の場合、いきなり「ドッカーン」です。 「発火」って・・・まぁここまでは分からんでもないですが、「意外と軽症だった」ってどんな発火システムなんだろう? |
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恥ずかしながら下巻の中盤に差し掛かるまで主人公の女性が「模倣犯」に登場していたあの人だという事に気が付かなかった。
続編というよりスピンオフと言った方がいいだろう。 自分の子供を殺してしまうという事。 これが一般常識では普通でないという事は誰の目にも明らかで、世論も黙っていないはずである。 しかし、その子供がどうしようもないクズだったらどうだろう。 この作品には、どうしようもない自分の子供を殺してしまった親とそれを放置した親が登場します。 そして放置された側は更生しないまま社会復帰して再び犯罪を犯してしまう。 作者は少年法についても一石を投じているのかもしれません。 「殺してしまった」と「放置して傷口を広げてしまった」 親としての苦しみはその中味こそ異なるだろうが、苦しむ事自体はどちらも同じかなと思う。 しかし、後者に対する同情らしき描写が一切ない以上、作者は前者を正当化しようとしているのかなと感じます。 つまりは、楽園を得るために何かを切り捨てるという選択は必要悪なんだと。 全編通して淡々としているのですが、淡々としているだけに余計にえげつない。 単体なら、この内容で十分評価できるしさすが宮部みゆきというところなのですが、あの「模倣犯」の・・・と考えると、何ランクも落ちる作品と言わざるをえないです。 作者が大好きな超能力云々についても「模倣犯の」という作品の印象を大きく逸脱させている事は否定出来ない。 そこには目をつぶれたとしても、ピース、ヒロミ、カズ・・・色々な視点から描かれ、これでもかというくらい掘り下げられた人物描写がありました。 この作品にこれがあったか。 滋子視点で「敏子、等」「土井崎家、茜、誠子」「あおぞら会」とグループ化出来るように思うが、それぞれのつながりが弱いというか一体感がないというか・・・ これは、そのあたりの「浅さ」に起因しているのではないかと。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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40代中間管理職の男性を主人公にした5編の短編集。
社内の昇進や異動に絡んでくる人間関係。 この年代になると同期入社の間でももう明暗がはっきりとしている。 順番から行くと私かと思っていたところに他所から、しかも女性だったなんていうのは経験者には笑えないか。 それだけでなく、子供の進路で悩まされる家庭での話、親の介護問題なんかも現実感を帯びてのしかかってくる。 四十にして惑わず、なんて言葉があるが、人生の折り返し地点を迎え、社内でこれからピークを迎えられる人間などごく僅か。 殆どの人間は、子供の養育費、住宅ローンを抱え下り坂を迎えるのだ。 恋愛の話も含まれているが、これはおまけか? いやいや、恋愛でもやってなきゃやってられないのかもね。 「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!」といった植木等の言葉はもう死語、っていうか当時のサラリーマンは気楽だったのかね。 今はこれでしょ。「独りモンはは気楽な稼業ときたもんだ!」 ホント羨ましいわ。 ただ、人生やり直せるとしても君らみたいにはなりたくないけどね(笑) 感想っていうか愚痴になってしまった。 若い人や女性はこれを読んでどう思ったかな。 |
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