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太陽の坐る場所
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太陽の坐る場所の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.53pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 21~34 2/2ページ
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なんだかね、最後救われる感があって、私は爽やかな印象を受けた。 全体的に、醜い人間でも、どこか肯定的なオーラで包んでいるような・・。 登場人物全員が救われてはいないけれど、結果オーライでしょう。 こういうさりげないのが、超、好みですわ。 娘・息子が成人したら、さりげなく目につくところに置いときたい。 | ||||
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女優として成功した高校の同級生,キョウコ. 彼女をクラス会に参加させようとする元クラスメートたちのそれぞれの思惑を中心に物語は進む. 序盤は傑出した個性の存在と,その周辺にいる人の心のうちが描かれる. まぶしいような才能に対する賞賛とコンプレックス,そしてその不平等に対する理不尽な怒り. 「スローハイツの神様」でも描かれた青春像をより現実的で,より絶望的な形で表現するのが, 今回のテーマなのかな,と思うほど,ミステリー臭を感じせずに,心理描写に終始している. このあたりの描写はいつもながら秀逸で,アンビバレントな心のうちが痛い程伝わってくる. 中盤ではもっと卑近的,俗物的な人物の視点で展開していく. この辺りから,どうやら高校時代に何かあったらしいことがわかり, 少しミステリーらしくなっていく. 最終章の手前で真相が明かされるが,この手法は作者のおなじみのもので, 意外性はあるけどもびっくりするようなものではない. クラス会に現れたキョウコと,最終章の人物との間に交わされる会話に, 高校時代に起こった事件の顛末が明かされ, それに対するこだわり,わだかまりが実は意外に小さいだといった趣旨のやり取りが交わされる. あれほど重大に思えたことが多感な高校時代がなせる業なのか,時が風化させたのか, 拍子抜けするほどあっさりと終息してしまう. それが「扉なんてない」という一言に表現されている. テーマ性,心理描写とも悪くない作品ではあるが, 序盤でイマイチ伝わりにくい文章が目に付いたのと, 高校時代へのあまりにも強いこだわりにやや不自然さを感じながら読み進めて, 最後に、そのこだわりは取るに足らないものだという結論に自家撞着な収まりの悪さを感じた. その点を星一つ減点. | ||||
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他の方が言われている、「名前のトリック」が自分には不要なものに思えた。この著者の作品を読むのは初めてなので、それが作者の特徴というか、技巧のようなものであったとしても、自分にとっては話を分かりにくくしているだけのものだった。誰が誰だか分かってから読んだ2回目のほうが、私は面白く感じたし、一回目に不快感を覚えた登場人物たちにも共感を持てた。 | ||||
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他の方が言われている、「名前のトリック」が自分には不要なものに思えた。この著者の作品を読むのは初めてなので、それが作者の特徴というか、技巧のようなものであったとしても、自分にとっては話を分かりにくくしているだけのものだった。誰が誰だか分かってから読んだ2回目のほうが、私は面白く感じたし、一回目に不快感を覚えた登場人物たちにも共感を持てた。 | ||||
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この作品は、5人の視点を通して描かれているのですが、個々の登場人物の描写が大変秀逸です。 元々人物のかき分けが上手な作家さんだなと思っていましたが、作品を経るごとにキャラクターの幅や心理描写に厚みが出ています。 また、伏線の張り方も毎度の事ながら丁寧です。種明かしをしたときに改めて「なるほど!」と驚ける。 辻村さんらしい仕掛けのある作品に仕上がっているのではないでしょうか。 ただ今回の作品に限って言えば、それぞれの心理描写が巧みであるために、かえって登場人物がみな同じに見えてしまうところがある気がします。 語り手のほとんどが女性なのですが、多少の性格の差はあっても、結局気にしていることや価値基準が同じところに行き着いているように思えました。 一人二人ならまだしも、はたして語り手の全員が似たような価値基準というのはどうなのだろう。きわめて個人的な欲を言えば、もっと違う価値観で動いているキャラクターを出してもよかったのかもしれないと思います。私は女性読者ですが、上記の部分に関して共感のしづらさを覚えました。(という理由で、☆をひとつ減らしました) 『子どもたちは夜と遊ぶ』や『凍りのくじら』にあるような、読後感のさわやかさなどはあまり期待できないかもしれません。 辻村さんのファンで、辻村さんの作品ならどんなものが来ても好き! という人にはおすすめできる本だと思います。 | ||||
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この作品は、5人の視点を通して描かれているのですが、個々の登場人物の描写が大変秀逸です。 元々人物のかき分けが上手な作家さんだなと思っていましたが、作品を経るごとにキャラクターの幅や心理描写に厚みが出ています。 また、伏線の張り方も毎度の事ながら丁寧です。種明かしをしたときに改めて「なるほど!」と驚ける。 辻村さんらしい仕掛けのある作品に仕上がっているのではないでしょうか。 ただ今回の作品に限って言えば、それぞれの心理描写が巧みであるために、かえって登場人物がみな同じに見えてしまうところがある気がします。 語り手のほとんどが女性なのですが、多少の性格の差はあっても、結局気にしていることや価値基準が同じところに行き着いているように思えました。 一人二人ならまだしも、はたして語り手の全員が似たような価値基準というのはどうなのだろう。きわめて個人的な欲を言えば、もっと違う価値観で動いているキャラクターを出してもよかったのかもしれないと思います。 私は女性読者ですが、上記の部分に関して共感のしづらさを覚えました。(という理由で、☆をひとつ減らしました) 『子どもたちは夜と遊ぶ』や『凍りのくじら』にあるような、読後感のさわやかさなどはあまり期待できないかもしれません。 辻村さんのファンで、辻村さんの作品ならどんなものが来ても好き! という人にはおすすめできる本だと思います。 | ||||
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登場する女が全員悪意むき出しすぎてひいた。 たしかに悪意を含めた心理描写を売りにしている作品も多いが、これは読んでいてやや不快になった。 なんだか誇張しすぎではないだろうか。 女の裏側はこういうものだ、と決めつけて書いている印象を受けた。 そのためすべての登場人物がみな悪意むき出しで、全員同じような性格をしている感じがした。 こう感じるのは、私が男だからだろうか。 そしてこの作者の作品の、主人公のひとり語りがどうも好きになれない。 意味のわからない比喩が多すぎて、周りくどすぎる。 文章に歪みを感じる。 締めはお得意の「名前」のトリック。 見事だ。伏線はしつこいくらい張っていた。 キョウコ、リンちゃん、倫子、みっちゃん、里見、聡美。 鳥肌が立った。 読みかえしてみると、いかに丁寧に設定を作ったかがよくわかる。 最後はハッピーエンドに落ち着くものよかった。 だが、またこのパターンか、と感じたのも確か。 もっとほかのテイストの作品を期待したい。 | ||||
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キョウコという女とその同級生たちの物語です。 同窓会というキーワードを軸に、彼らが過去と現在を五人が語っていきます。 古事記の天照のエピソードを引き合いに太陽は誰なのか。輝いているのは誰か?という問いかけがあります。劣等感や見栄といったものにも踏み込んで書かれていて、リアルで怖いなと感じました。作者の著作「名前探しの放課後」にもでてきた「地方と都会」の格差やギャップを含めた問題や「名前」という記号に対する考察もあります。この名前というのがポイントにもなっています。ミステリ的な仕掛けです。 この人の作品は青春というか学生時代もしくは十代から二十代前半の時期の主人公が多いので、誰もが過ぎ去った、もしくはこれから通り抜ける経験なので共感できる部分が多いのではないかと。 しかし、この作者の視線はすごい。誰もが知っているのに、誰も書いていない。この青春の、人間の部分を書き出す力は本当にすごい。経験したはずなのに完全に忘れたことを思い出します。 本文の、「どんな些細なことであろうとも私は覚えている」、といった言葉と「どれだけつらくても、戦線恐怖していたとしても通り過ぎてしまえば完全に忘れてしまう」という2つの逆の意味の文章が2つとも本当にその通りだなと。 あと、穿ちすぎかもしれませんが、文芸春秋ということで桜庭一樹さんのように文学賞の射程に入れば、多くの人に読まれる機会が増えて嬉しいなとも思いました。 | ||||
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キョウコという女とその同級生たちの物語です。 同窓会というキーワードを軸に、彼らが過去と現在を五人が語っていきます。 古事記の天照のエピソードを引き合いに太陽は誰なのか。輝いているのは誰か?という問いかけがあります。劣等感や見栄といったものにも踏み込んで書かれていて、リアルで怖いなと感じました。作者の著作「名前探しの放課後」にもでてきた「地方と都会」の格差やギャップを含めた問題や「名前」という記号に対する考察もあります。この名前というのがポイントにもなっています。ミステリ的な仕掛けです。 この人の作品は青春というか学生時代もしくは十代から二十代前半の時期の主人公が多いので、誰もが過ぎ去った、もしくはこれから通り抜ける経験なので共感できる部分が多いのではないかと。 しかし、この作者の視線はすごい。誰もが知っているのに、誰も書いていない。この青春の、人間の部分を書き出す力は本当にすごい。経験したはずなのに完全に忘れたことを思い出します。 本文の、「どんな些細なことであろうとも私は覚えている」、といった言葉と「どれだけつらくても、戦線恐怖していたとしても通り過ぎてしまえば完全に忘れてしまう」という2つの逆の意味の文章が2つとも本当にその通りだなと。 あと、穿ちすぎかもしれませんが、文芸春秋ということで桜庭一樹さんのように文学賞の射程に入れば、多くの人に読まれる機会が増えて嬉しいなとも思いました。 | ||||
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頻繁にクラス会を開くF県立藤見高校旧三年二組の十年後。 女優となって大ブレイクした同級生のキョウコをいかにしてクラス会に引っ張り出すか。 五人のクラスメイトの視点で順番に語られていきます。 「反抗期もなく育った。」 と、無邪気に語る人を除けば、誰しも思い出したくない過去や、語る事の出来ないエピソードがあり、会う事が出来ない人がいるものだと思います。 この物語でも、学年の女王として生きた響子を巡り、何かのトラブルがあり、彼女や、彼女の周辺には負の思い出が残っている様子です。それが何なのか、物語が進むにつれ、その内容が徐々に明かされていきます。 傷ついたのは誰なのか。傷つけられたのは誰なのか。 傷を無かったことにするのも一つの生き方ですし、他人の傷と比較して「軽かった。」と気にしないようにするのも一つの生き方だと思いますが、この小説で語られる向き合い方は、傷を背負ってなお、前向きです。 その前向きに生きる自分と、それを理解する友人の心情がエンディングで一つになります。 最後まで読み終えて、僕は思いました。 順風満帆に生きているように見えても、または、平凡に生きていても、挫折の中にいても、こんなふうに生きていくことが出来、それを理解する人がいるのだと思えば、生きて行くことはおもしろいことですね。 | ||||
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頻繁にクラス会を開くF県立藤見高校旧三年二組の十年後。 女優となって大ブレイクした同級生のキョウコをいかにしてクラス会に引っ張り出すか。 五人のクラスメイトの視点で順番に語られていきます。 「反抗期もなく育った。」 と、無邪気に語る人を除けば、誰しも思い出したくない過去や、語る事の出来ないエピソードがあり、会う事が出来ない人がいるものだと思います。 この物語でも、学年の女王として生きた響子を巡り、何かのトラブルがあり、彼女や、彼女の周辺には負の思い出が残っている様子です。それが何なのか、物語が進むにつれ、その内容が徐々に明かされていきます。 傷ついたのは誰なのか。傷つけられたのは誰なのか。 傷を無かったことにするのも一つの生き方ですし、他人の傷と比較して「軽かった。」と気にしないようにするのも一つの生き方だと思いますが、この小説で語られる向き合い方は、傷を背負ってなお、前向きです。 その前向きに生きる自分と、それを理解する友人の心情がエンディングで一つになります。 最後まで読み終えて、僕は思いました。 順風満帆に生きているように見えても、または、平凡に生きていても、挫折の中にいても、こんなふうに生きていくことが出来、それを理解する人がいるのだと思えば、生きて行くことはおもしろいことですね。 | ||||
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とにかく、怖かったです。人間が! いや、みんな考えすぎなんじゃないの、裏読みすぎと思って読んでいたら、それ以上に裏があったりして。恐ろしい。でも、思えば教室って、たぶん、そうだった。通過した多くの人にとっては、今となっては、なんでそんなことに囚われてるの?と思うような、昔の出来事かもしれない。でも、何ものにも全く囚われてない人っているんだろうか。気づいていないだけで、きっと今もそれに代わる何か、一歩外の世界から眺めればちっぽけで些細な何かに、やっぱり囚われてるんじゃないかと思う。 その息苦しさが、生々しくて、本当に怖かったです。 ミステリと呼べるかどうかとか、専門家じゃないのでわからないですが、わたしはとてもドキドキハラハラしましたよ。 | ||||
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とにかく、怖かったです。人間が! いや、みんな考えすぎなんじゃないの、裏読みすぎと思って読んでいたら、それ以上に裏があったりして。恐ろしい。でも、思えば教室って、たぶん、そうだった。通過した多くの人にとっては、今となっては、なんでそんなことに囚われてるの?と思うような、昔の出来事かもしれない。でも、何ものにも全く囚われてない人っているんだろうか。気づいていないだけで、きっと今もそれに代わる何か、一歩外の世界から眺めればちっぽけで些細な何かに、やっぱり囚われてるんじゃないかと思う。 その息苦しさが、生々しくて、本当に怖かったです。 ミステリと呼べるかどうかとか、専門家じゃないのでわからないですが、わたしはとてもドキドキハラハラしましたよ。 | ||||
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各章の章題が「出席番号××番」となっており、それに対応する人物が、 その章で焦点化されるという三人称多視点の叙述形式を採っています。 その一方、プロローグとエピローグは一人称の叙述であるため、 「プロローグの語り手探し」というプロットが盛り込まれていること になります。 本作の謎は、プロローグで「太陽はどこにあっても明るいのよ」という 言葉を残し、みずから体育倉庫に閉じ籠もったクラスの女王・響子と、 のちに、天の岩屋戸神話をモチーフにした映画で岩戸に籠ったアマテラスを呼び出すために踊りを 披露する芸能の神アマノウズメノミコトを演じたことによって、一躍時の人となった女優・キョウコが、 果たして同一人物か否か、というもの。 「名前」にトリックを仕掛ける著者お得意の手筋は本作でも 健在なので、 先の展開や著者の狙いは、読みやすいです。 しかし、本作は、そんなミステリ的興味で読む作品ではないのでしょうね。 著者が、登場人物の心理を代弁するために採った、三人称における 擬似一人称的叙述(描出話法)によって、それぞれの内面の襞まで 深く入り込む描写をすることで、読者の共感を呼び起こし、その上で、 各視点が見せる想いを交錯させ、立体的な作品空間を創造すること こそ、著者の意図なのですから。 ▽付記 前述の映画の脚本を書いたのが〈海外で著名な賞を 受賞したばかりのまだ若い女性脚本家〉だとのこと。 某作のあの人のことでしょうか? | ||||
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