■スポンサードリンク
数えずの井戸
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
数えずの井戸の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全21件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いつもの通り、入口は怪談だけど、人間って怖いね、が結論。みんな病んでて、何か抱えてるお話。京極夏彦氏の作なので、安心して読みすすめられた。又市とか出てくるけど、他の作品を読んでなくても理解はできる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書は怪談ではない.先ずはそれを知ってから手にしないと,文庫本にして700ページを超える本書を読み終えることは不可能である. 怪談でなければ,『四谷怪談』を想起させるタイトルを掲げる本書は何を主題にしているのか?一つには『四谷怪談』がどのようにして発祥したかの,一つの見解を提示していると思われる.それは冒頭の章である「序」と,最終章の「数えずの井戸」が示しているように感じた. しかしながら,おそらくそれは本作品の主題ではない.四谷怪談を「借りて」京極夏彦先生が描きたかったのは,この世に生を受けた我々が受ける四苦八苦の一つである「求不得苦」(求めるものを得ることができない苦)と,この世の真理である「諸行無常」(あらゆる物事は永遠に存在するものではなく常に変化すること)ではないだろうか. 『嗤う伊右衛門』とは全く違う世界観と面白さを提示してもらった感がある.人生の糧になった気がする. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
出て来る人物殆どに苛苛させられる。隔靴掻痒、という言葉が一番近いような気がするがそれとも違う気がする。苛苛しつつも読了してしまう。何故か読み終えると全部解決したかのようにすっきりする。本当はあくまでも関わったらしい2人の会話でしか伺えないのに、どうしてか全部解決したかのような気がする。 解決したつもりになりたいのか、否、そうしないと怖いからなのか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極江戸怪談モノは、読みやすさとその内容の鮮やかさが魅力だと感じています。 今回の題材は皿屋敷、一枚二枚と数えるあの怪談です。 百鬼夜行シリーズレベルの「辞書」「読める鈍器」ではありますが すらすらと読めてしまう不思議、感服します。 これは出来れば、舞台で見てみたいですね | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白かった。 一気に読みました。 きっとまた定期的に読み返すでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
先の二作品に比べると文章も読み易く ページが厚めの割にはすんなり読めました。 ただ、同じ事の説明を何度も何度も繰り返す感じが多いので、 ちょっと読んでいてクドい印象を受けてしまったのは有りますね。 はっきり言って無駄に長くなってる様な気がしました。 正直言って1ページ飛ばしにして読んでも内容の理解には何ら影響が無い下りも多いと思います。 菊ちゃんは今で言う所の発達障害なんだろうと思います。 ドラえもんで言うとのび太並ですね…。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
不器用さゆえか奉公先を幾度も追われた末、旗本青山家に雇われた美しい娘、菊。何かが欠けているような焦燥感に追われ続ける青山家当主、播磨。冷たく暗い井戸の縁で、彼らは凄惨な事件に巻き込まれる。以来、菊の亡霊は夜な夜な井戸より涌き出でて、一枚二枚と皿を数える。皿は必ず―欠けている。足りぬから。欠けているから。永遠に満たされぬから。無間地獄にとらわれた菊の哀しき真実を静謐な筆致で語り直す、傑作怪談! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文庫版になるのを待って購入。京極さんは単行本だと高いので…。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
久し振りに京極ワールドを歩きました。 人の数だけ事実があり、事実の解釈は自分以外の者がする。自分の事実に対する自分の解釈は事実とも現実とも無縁のもの。自分が思い込んでいるにすぎない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
同シリーズの3作目。 文庫本化をずっと楽しみにしていたので、 待望!の文庫本化です。 前2作と同様に、某有名怪談をベースに、 章ごとに登場人物を一人ずつ描きながら、 後半に一気に集約させていく手法で描かれています。 それぞれの個性を大切にしたうえで、 それぞれが抱える病的な部分を重ねていくストーリーは 相変わらずスリリングですね。 結末は知っていても、 そこでどんなアレンジがあるか、 どうつなげていくのか、 本当に毎回ドキドキします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
お菊さんの皿屋敷怪談を元にした京極版バージョンとも言うべき創作怪談。皿屋敷怪談というのは、てっきり、姫路の殿様の屋敷で家宝の皿を割った腰元が成敗され、皿一枚で殺されたそのあまり非道さにお菊の幽霊が殿様に祟る話だと思っていました。が、この本の「序」にも説明があるように、全国各地に、それもいろんなバリエーションがあるんだと知ってびっくり。京極氏はたぶんそれらをできる限り調べ上げ、いろんなパターンの要素を入れて創作されたように思えます。見事です。 お菊は時代劇によく登場する美人腰元のイメージと違い、少し頭の足りない、けれどそのせいで穢れない無垢な女性に設定されているのが意外な感じでした。”殿様”役の青山播磨は旗本で、言わばうつ病体質のような・・・。すでに幼い子供の頃からなにか憂鬱なものを抱えている、その部下のお侍は、気配りしすぎ、他人にどう思われるか神経質になりすぎでかわいそうなほどに受身の道化的性格で、これは現代でも自分のまわりにたくさんいそうなタイプです。そして青山の友人、主膳は、今時の無差別殺人を起こす若いのと同じように、いつも自分の境遇に不満いっぱいでエネルギーを持て余し、ものをぶち壊すことしか考えていません。青山の婚約者のお嬢様は嫉妬心でいっぱいの気位の高い女性、などなど、登場人物はみんな一癖あり、精神的にどこか偏っている人ばかりなのですが、考えようによっては、多かれ少なかれどんな人間でもこういう面を抱えているような気がします。 物語の前半はそれぞれの内面のうつうつとした独白が続くので、なんだこれは、暗いなあと思いつつ読むのですが、最後の3分の1くらいでそれぞの持つ矛盾や醜さがむき出しになり、物事が一気に収束していきます。もしかしたら本当の意味での悪人など誰もいなかったのかもしれない、なのに、登場人物たちがとらわれている偏執的、強迫的な観念とそれらによるゆがみは、最悪の結果を引き起こすことになってしまいます。しかし、この凄惨さ、その血みどろの華麗さは、鶴屋南北の作品にも見られるあざとさ、ケレン味の強さと共通するものがあり、まるで鮮やかな歌舞伎演劇を見るようです。最後、ため息と共に圧倒されて読み終わりました。古典怪談に新たな息吹を与えた見事な作品だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ぽっと出のお笑い芸人と伝統芸能である噺家の違いとは? それは「誰でも知っている話なのに客に面白いと思わせる力量」です。 過去の「嗤う伊衛門」「覗き小平治」も同様ですが、 既に知られた話を、大まかには変えずに、しかも新鮮に見せるには相当の腕前が必要です。 京極氏はそれを、新しい視点・独自の解釈でやって見せてくれます。 知っている話のはずなのに、結末が分かっているのに、先が読めない。 「こういう初期条件でなぜあの結末に?」 まさにミステリーの手法なのでしょう。 おもしろいの一言に尽きます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「嗤う伊右衛門」、「覗き小平治」に続く、"怪談"再構成シリーズの第三弾。前二作同様、人間心理の襞の奥を抉った秀作であると同時に一番の大部(771頁)である。今回の元ネタは番町皿屋敷であるが、作者も述べている通り、誰もが知っている怪談の筈でいて、その実、その経緯の詳細については不詳である事から、作者の創意工夫が十二分に発揮されている。冒頭から順に、本物語の主要登場人物である、屋敷の若き当主播磨、お菊、屋敷の御側用人十太夫、播磨の朋輩の主膳、播磨の妻となる予定の名家の娘吉羅等の紹介(特にその偏執的性癖)が舞台背景説明と共になされるが、この記述形式は「百鬼夜行<陰>」を想わせる。更に、その中で「巷説百物語」シリーズのあの"又市"等が登場する辺りは単なる作者のサービス精神かと思ったのだが......。 先に偏執的性癖と書いたが、主膳の狂気性を除けば、人間なら誰しも多少なりとは持ち得る性向である。その人間模様を木目細かいエピソードの丹念な積み重ねと細い糸を紡ぐ様な宿縁の因果とによって次第に破綻への予感を高めて行く手法が鮮やか。オドロオドロしい描写が一切ない簡潔な文体も常にも増して印象的(頁の最終行を文の最後と合せる作法はいつも通り)。更に、そのエピソード中で、虚無(空)、全体と個、世界の内と外、時間に伴い変り得るものと変わらないもの、そして勿論、皿、井戸、数のイメージを増幅させて行く手法がこれまた巧み。お菊の「この世はあるがままで全部」という言葉が本作のテーマを象徴している様に映った。その意味で、何事に付け充足感を覚える事のない(それ故に無為無欲の)播磨を主人公格に据えている意味が頷ける気がした。 「妖怪は人の心の中に棲み、人の心が怪異を産み出す」との作者の信条が従来以上に明確に打ち出された作品という印象を受けた。上述の通り、人間心理の綾を抉ると共に、"怪談"の成立過程を平明に解説した作品とも言え、京極ワールド全開の快作と言って良いのではないか。余談だが、本作は改行が非常に多く、頁内の空白部分が多い。これが、「何か満たされない」という本作のテーマを意識したものならば、そこまでやるかという感じだが、同時に凄いとも思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
怪談を様々な解釈で文学へと昇華させる事にかけては、古今においても天才と呼ぶにふさわしい京極先生。今回もやってくれました。番町皿屋敷という有名な怪談を、江戸の情緒と番町の闇、様々な人間心理を織り交ぜながらもはや完全オリジナルと呼べるほどの作品にしたてあげてくれました。登場人物の一人称による心情の告白という形態をとりながら、徐々に佳境に近づいていく様は静けさが漂う雰囲気にも関わらず何故か鼓動が速くなってしまいます。人の心の闇と狂気を井戸の暗黒へと終息させていく手腕はただただ感嘆するしかありません。次回作も楽しみです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
巷説百物語シリーズのサブストーリー長編にあたる『嗤う伊右衛門』、『覗き小平次』に次ぐ古典改作の第三弾。 一枚、二枚・・・九枚・・・とお皿を数えるお菊さんの幽霊で有名な『番町皿屋敷』の改作です。 装丁もさすがの京極作品。カバー表紙・裏表紙に描かれているのは『井戸』と『月』ですが、カバーをめくるとまた様子が変わります。ほかにも目録の各章タイトルは『××数え』と『数えずの××』が交互に並び、章がすすむごとに各章表紙・裏表紙の『明』と『暗』が混ざり・・・と、本作に添えられる細かい仕掛けがそこかしこに。 前二作と同様に古典ホラーがモチーフですが、(一部短編を除き)京極作品に共通していることは、劇中にはいわゆる『心霊現象』は登場しないということ。 京極作品に『心霊的な怖さ』を期待すると、少々あてが外れるかも・・・。 さて番町皿屋敷についてはオリジナルというものがはっきりせず、番町、播州、講談、落語・・・等々さまざまなアレンジが存在するわけですが、それら各種アレンジの主だったあらすじが、序章で一気に語られます。 いずれも『菊哀れ』『菊無念』であることは共通しており、本作も則した内容に仕立てられています。 読了後、どうにもやりきれない切なさ・哀しさが残るため、細部に救いを求めあらためてこの序章を読み返したところ、語られたあらすじの要素すべてが本作に盛り込まれていたことに気づき嘆息しました。 ところで、一番知られている『番町皿屋敷』に登場する主って、青山播磨守主膳ていうのね・・・なるほどぉ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1月に出ていた京極夏彦の新作長編。 『嗤う伊右衛門』 『覘き小平次』続く、古い怪談を題材にしたシリーズ第三弾。今回は番町皿屋敷。 このシリーズ、全体のトーンは美しくも登場人物の鬱々とした内面が語られるのが読み進めるのに少し辛いところがあるのですが、今回は構成に趣向が凝らされておりこの分厚い本を一気に読ませてくれました。面白かった。 各章でそれぞれの登場人物がその時々の内面を語りつつ物語が進んでいく構成で、重くなる寸前でテンポよく読ませていく工夫がなされている。 巷説シリーズで見られる書き出しの統一とページの装丁の妙もあり、これらが合わさって静かな印象の語り口にリズムを与えている。この「本」そのものの隅々までそういった仕掛けが施されている感じ。文庫本になるとどうなるのか見てみたいものです。 おなじみの巷説のメンバーも登場しこの時代の世界がどう広がっていくのかも楽しみなところ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極夏彦さんの本を読んだと実感させてもらっています。さあ楽しもうか、といった具合に一日一段落と決めて牛の反芻みたいにもたもたと。大勢のひとに読んでもらうことを考えてなのか、やはり肝心の部分を覆う被膜が拡大する箇所が著われるにあたり、そして読み終えたいま、果たして新訳と考えてよいのか心が揺れてしまいます。ほかの作品やほかの会社の小冊子で辻褄の詳解なんて蛇足は生えませんように。この本すっきり好きとはいえません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もうこれは、大好きです。またいい本に出会ってしまった・・・と読み終わったあと胸がいっぱいになりました。切なくて、ラストが泣けます。それぞれの登場人物の視点で書かれているため、それぞれの気持ちが胸に染みてくるようで、ジーンと来ます。京極堂シリーズのようにちょっと飽きてしまうような途中の語りもなく(京極堂シリーズも大好きですが・・・)、かといってそこは京極作品、物足りなさはまったく感じさせず、読みやすく読めました。感想は人それぞれとは思いますが、私はこういう「薄っぺらくない人間模様の感動もの」が好きです。 なんといっても、文章がうまい作家さんの本は呼んでいて気持ちがよいですね。本全体に漂う空気はけして明るいものではなく、「マッタリとしたどんより感」が流れていると思いますが、それすらも私的には心地よいです。 ボリュームはありますが読んでいてしんどくないので、ぜひ読んでみてほしいです。大満足の一冊でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大作である。 本は厚いが、京極先生の職人仕事で読み難さはない。行間の使い方と間は、最高である。 個人的には、シリーズの中で二番目に好きです(笑う→数えず→覗き)。 「笑う」の新解釈の衝撃が凄すぎたということでしょうか。 しかーし、読みやすさは本作がNo1であーる。 読後感の空しさ(あえてこの字でしょう)は、何とも言えません。 登場人物の思惑が交差する。誰1人悪人・怪人は居なかったと思いたい作品です。 あ、「仙」が一番理解できる人物で一番怖かった〜。 書いて、気づいたが理解できる人物ほど、自己の内面の怖さを認識するということでしょうかね? 「又さん」もやっぱり出てきて、お久しぶりって感じですね。 もっと、個々人と繋がっていたかったなと思わせる良作ですよ!! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは私の住む地方の新聞の夕刊で連載されていた作品でした。その新聞取っていてよかったと、生まれて初めて思わせて頂きました(笑)。 1年強の連載小説が毎日毎日楽しみで仕方なかったものです。番町皿屋敷を下敷きに、「数えず」とはこれ如何に?と読み進めていましたが、全ては佳境から終章に漂う虚無感という仕掛けを際立たせる為…流石です、京極先生。 静かに淡々と、人間の狂気が描かれていくのも何とも空恐ろしい。登場人物が皆、何を数え、何を数えなかったか…是非ご自分でお確かめくださいませ。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!