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八日目の蝉



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【この小説が収録されている参考書籍】
八日目の蝉
八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉の評価: 4.06/5点 レビュー 425件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.06pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全325件 201~220 11/17ページ
No.125:
(5pt)

生きる屍

あらすじは、不倫相手の子を流産した主人公・希和子が、その男の妻が産んだ娘を誘拐して3年半の逃亡を続けたということ。単純だ。しかし犯罪者となる希和子を悪人として見る読者はいない。狂乱者として希和子を認識する読者もいない。
 それは、希和子が法と人道を犯してまで何故誘拐したのか、その気持ちが分かるからだ。共感できるからだ。 社会は決してその行為を認めるわけにはいかないが、同時に希和子個人を憎めないのだ。
 何故か。それを母性愛を共感できるからという書評も少なくない。しかし、これを母性と判断してよいのだろうか。

 作者 角田光代は巧みな仕掛けを施している。ひとつ目が希和子の頭の中でかん高い音がするのと赤子の大きな泣き声がシンクロすると、希和子の潜在意識が普段の意識より前に出てしまうことだ。
 魂と同じではないが程近い、潜在意識が“暴走”したからこそ、希和子の逃亡を成功させるチャンスが次々と訪れるのだ。いわゆる計画的犯罪ではチャンスは作らないと訪れない。
 誘拐直後の火事、初期容疑者の間違い、次々と恵まれる宿泊場所。これらは全て、希和子の潜在意識が引き寄せているのだ。
 そういう観点で読むのも有りかと思う。

 注目なのは、題名の 「八日目の蝉」だ。
 セミは6〜7年間土の中という地味な所で暮らし、晴れて地上に出たところで七日で死んでしまう。これが前提。でも、 みんなが七日目で死んでしまって一人だけ八日目を迎えることになったら、それは幸せなのか否か。という思考の例に蝉が利用される。

 小説では、誘拐犯として刑を終えた希和子が社会に出てきても何も無く、当初に言われた「がらんどう」という言葉に再度反応する。「ほんとうにがらんどうになっちゃった」
不倫相手からのハラスメント、「あなたは子どもを産めないからがらんどうだ」という攻撃に希和子の心は壊れてしまい犯行をしてしまう。
 また、子どもの頃に誘拐された恵理奈(薫)も青年になってそれについて思い悩む。つまり、恵理奈(薫)は幼かったので記憶が定かでないのだが、誘拐されていたあの頃が蝉の七日間なのであって、血の繋がった親に育てられた最近の日々は八日目なのだと感じているのだ。
とても悲しい。

 若い恵理奈は人生を改善しようといきり立つ。つまり上手く出来なかった実の父母とお腹の中の子どもを育てたいと思う。そうしてやり直したいと考える。更に忘れた過去にも背を向けず勇気を持って確かめに行く。作者は、女が妊娠して母となる時に強くなるのを素敵に描いている。
 作者が残酷なのは、希和子ががらんどうなままストーリーを終わらせたことだ。せめて薫とニアミスしたとき気付かせてあげても良いのにと同情する。
 ほんとうの悪人は男共なのであって、希和子と薫を幸せにしてあげるという勧善懲悪の気持ちは無いのだろうか@角田光子女史。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.124:
(5pt)

理屈じゃない

不倫相手の子供を誘拐し,逃亡しながら育てていく第1章と
その後,本当の両親の元に戻って成人した子供を描いた第2章からなるストーリー.

前半は,出来心で誘拐した子供を,しかし,大事に育てていく姿が一番のテーマである.
この行動は極めて非合理的・非現実的に映る部分もある.
しかしながら,捕まったときに犯人が発した言葉に,理屈だけでない人の心理を突きつけられた気がした.

後半は,誘拐された子供の成長した姿が描かれる.崩壊しかけた家庭と,
周囲の好奇の目に苦しめられる生い立ちを語られるが,どこか他人事のような冷めた語り口が逆にリアルで,
混乱した感情から遠ざかりたいような離人感がうまく表現されている.

事件によって人生をメチャクチャにされたと思い込もうとすることで心のバランスを保っていた娘が,
自分の妊娠をきっかけに誘拐されていた足跡をたどることも,あまり共感しにくい行動ではある.
しかし,その誘拐生活が実はしあわせだったということを認めて,
そして,自分自身の子供との将来を描いていけるようになるための必要なプロセスなのである.
これも理屈では説明できない,でも,けして理解不能ではない感覚であって,
難しいテーマを十分に描ききった作品である.
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.123:
(5pt)

原作が最高

NHKのドラマもよかった。映画もよかった。でも原作が最も良かった。
2ページ目から泣ける本はなかなかない。
希望かあるエンディングもいい。
もっと読んでいたかった。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.122:
(5pt)

男性にはわからない?

生まれて間もない赤ん坊には、人を癒し幸せな気持ちにさせる力があると思います。希和子は赤ん坊の恵理菜を見た瞬間「この子さえいれば、あんな男なんかいなくても生きていける」と本能的に感じたのではないでしょうか。血のつながりがなくても必死で育てれば、子供に情が移るものです。希和子が逮捕された時に叫んだ言葉には泣かされます。本文中には描かれていませんが、成長し、やはり妻帯者の子を身ごもった恵理菜が小豆島を訪れた後、自分が希和子に間違いなく愛されて育ったのだいう事実をきっと知ることでしょう。
 しかしこういう嘘つき男は結構いますよね。秋山の妻を憎む気にもなれず、むしろ同情してしまいました。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.121:
(5pt)

風景と心理とを交えた描写が極めて秀逸

「八日目の蝉」とは何だろう。作者は、主人公の恵理菜と一緒に小豆島に向けて旅をする千草の口を通してこう語らせている。“「七日で死ぬより八日目に生き残った蝉の方がかなしいって、あんたは言ったよね。私もずっとそう思ってたけど」千草は静かに言葉をつなぐ。「それは違うかもね。八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ」”

 主人公の恵理菜は、生後間もないころに、父親の不倫相手であった希和子に誘拐され、四年近く、薫という名前で育てられ、希和子とともに日本各地を放浪した。その記憶は恵理菜にとっては、決して思い出したくない忌まわしい記憶として心の奥底に閉じ込められている。誘拐から解放されて戻ってきた実家でも、実の両親と親子の関係をうまく築くことができず、全て自分を誘拐した希和子を憎むことでしか心の平安を得ることができなかったのである。まさしく、目を固く閉じて悲しみの中で生きている八日目を迎えた蝉のように。

 しかし、恵理菜も希和子と同じように妻子ある男性と恋に落ち、妊娠した。胎児を堕ろそうと思って産婦人科を訪れた恵理菜だが、老いた産婦人科医の“緑のきれいなころに生まれるねえ”という言葉を聞いたときに、突然、“生まれてくる子どもに生い茂った新緑を真っ先に見せてあげたい”という強い衝動に駆られ、一人で子どもを産むことを決意した。いや、同時に自分は一人ではないと強く自覚するのである。

 恵理菜の心象風景にある“新緑”は、まさに幼いころに希和子に連れられて過ごした小豆島の自然そのものであり、そこには希和子から実の娘のように深く愛された思い出が分かち難く結びついている。老医師の言葉は、恵理菜がその記憶の奥底に無理やり閉じ込めていた、希和子から受けた母の愛を呼び覚まし、目を閉じた「八日目の蝉」であった恵理菜の目を開かせるためのキーワードとなったのだろう。

 その後、記憶を確かめるかのように千草と一緒に、希和子と放浪した地域を次々と訪れる恵理菜だが、小豆島にわたるフェリー乗り場を訪れた時に、突然、強烈な既視感に襲われ、全てを思い出す。憎しみの感情が押し流され、心がどんどんと解放されていく。風景と心理とを絶妙のタイミングで交差させながら描写していく作者の力は圧巻としか言いようがない。恵理菜ははっきりと思い出したのだ。警察に捕まった時に、希和子が叫んだ言葉、愚かしいほどに母としての愛に満ちた言葉を。

 読了後、既に一週間以上経つが、いまだに余韻が残っている。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.120:
(5pt)

この小説は「名前」の話だと読んだ

この小説は「名前」の話だと読んだ。

 主人公は「薫」「リベカ」「恵理菜」という3つの名前を持ってしまうことになる。第一章は、突き詰めると主人公が3つの名前を持つ経緯だ。

 名前とは何か。考えて見ると、「名前を付ける」という風習は人類に古来から普遍的に存在する奇妙な習慣と言える。動物たちが名前を持っているとは思えない。名前が出来た瞬間に「個人」というものが誕生したのだと思う。
 従い名前とはアイデンディティである。我々が初対面の人にはまず名乗るのもそれがアイデンディティだからだ。


 3つの名前には、それに絡む社会関係がある。「薫」とは誘拐犯にして育ての親との親子関係、「リベカ」とはエンジェルホームという閉鎖された社会、「恵理菜」には産みの親との家庭関係である。主人公の悲劇は、そのような3つのばらばらなアイデンディティを抱え込まされた点に尽きる。


 名前は自分で付けるものではない。他者から付けられるものである。3つの名前も全て付けられたものだ。つまり、3つの社会関係は他者から押しつけられたものである。その中で主人公はどれが自分の「本名」なのかも分からない。つまりどれが本当の自分なのかが解らない。これは考えて見ると怖ろしい話だ。


 自分が解らない主人公は妊娠という形で、更に体内に他者を抱え込むことになる。この他者を認めることで主人公は漸く「自分はこの子の母親である」というアイデンディティを獲得することになると僕は思う。「自分の母親が誰なのか解らない」という不安定な状態から「自分はこの子の母親である」であるという確固たる状態に移るという予感が本書のラストを飾る。それこそが蝉にとっての「八日目」なのだろうか。


 本書を、母親になることが出来ない男性が読むことは本来難しい。そう思いながら読み続けたが、「名前」という切り口で考えた場合、すとんと腑に落ちる思いがした。

八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.119:
(5pt)

アイデア、構成だけでなく、描写力もすごい。

角田光代のうまさは、この作品に至ってほとんど神がかってきてしまったので、もう論評するという段階にはありません。
 すごいなあと伏し拝むばかり。

 ただ、この小説で描かれた時期のちょうど翌年から三年、わたしも小豆島に住んでいたので、小説と現実の小豆島との相違を述べておきます。

 まず、岡山弁と小豆島弁はぞっとするくらい正確です。わたしはここまで正確に小説に書かれた岡山弁と小豆島弁を読んだのは初めてです。
 似ている岡山弁と小豆島弁を、関東出身の人間が聞き分けるにはよほど耳が良くないとならないので、もしかしたら現地の人に校閲してもらったのかもしれません。
 しかしそれにしては、小豆島の人間が本来使わない「天使の散歩道」とか「秋祭り」という言葉が採用されています。これらは小豆島の人間が外部に通じやすいようにつかう観光用語で、「シシガキ」や「農村歌舞伎」など、小説で描かれた場所とは矛盾があるけれど小豆島の観光で売りになる物が出て来るところから、観光局などを通した取材によって得た知識であることが想像されます。
 現地の人間と会話して、その言葉をそのまま書き取ったのかもしれません。
 登場人物などの苗字も小豆島独特のものが含まれており、著者が実際に小豆島に足を運んだことは間違いないでしょう。ただし、小説に描かれた時代ではなく、執筆直前に短期間です。

 また、景色に関する描写も、びっくりするくらい適切、正確です。
 間違いなく小豆島だとわかります。
 わかるだけに、異様に良いところと描かれていて、ちょっととまどいました。そんな地上の楽園だと思われても困るんですが。小豆島観光を予定されている方は、この小説を読んでからでかけると面白いかもしれません。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.118:
(5pt)

これは誘拐事件ではない。

今までの「誘拐事件」を扱った作品とは明らかに違うもの。
生まれたばかりの娘を奪って逃げた。そして心からその娘を愛し育てた。娘を奪って逃げた希和子を「犯人」とは言えない。彼女は加害者でも被害者でもない。ただ、その娘と一緒にいたいだけ。そばにいたい。成長していく過程を見守り続けたい。本物の母親のように。
あえて言えば主人公。

作品自体も、事件とその後の時間を、誘拐した希和子からの視点、誘拐された娘からの視点、彼女たちを取り巻く人たちの視点、と1つの事件を様々な角度から見つめている。そのことが作品に奥行きを持たせている。いろいろな視点で見れば見るほど、やはり誰が罪人で何が罪なのかが分からなくなる。

作品の結末が予想していたものを見事に裏切られた。ページは終わったが、作品は終わらず、物語は終わらない。
作品に登場した人たちが生きている限りは終わらない物語になっている。
事件に関わった人たちは、それぞれの人生を懸命に生きてきた。そしてこれからも生きていくだろう。
男にも女にも読んでほしい作品です。久しぶりにいい作品に出会えた。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.117:
(4pt)

母ってなんだろう

本屋で映画のCMが流れており、興味を持って読んでみました。

不倫相手の子供を誘拐して、逃亡していく第1章と、
その後、誘拐された子供が大人になってからの第2章とで構成されています。

第1章では、誘拐という犯罪を犯している希和子ですが、
どうにか逃げてのびて、子供と幸せに暮らして欲しいと
思える程、子供に対する愛情が感動的でした。

しかし、第2章では、希和子の行った行為が、どんなに
人の人生を狂わせてしまったかを痛感しました。

血が繋がっていなくとも、ただひたすら子供のために生きた希和子、
急に戻ってきた娘に戸惑いを隠せず、母らしいことが出来なかった実の母。
どちらも一種の母親ではあるが、本当の母ってなんなんだろうと
考えさせられました。(答えは未だに分かりませんが…)

文章でもぐいぐい読み進めていけるような感じで、とても良い作品だと思いました。

八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.116:
(4pt)

泣けます。


テレビドラマや映画では伝えきれない感情が原作本にはあります。

映像で見ていない方はもちろん、見た方ももう1度泣けます。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.115:
(5pt)

八日目の蝉の先へ

妹に「八日目の蝉」プレゼントされて読みました。その日は第一章だけ読んで翌日に続き読むつもりでしたが、本を開いたら世界観に引き込まれて最後まで読みました。
『第0章 第1章』不倫相手の娘誘拐した主人公の物語では逮捕されるまでの彼女の葛藤、次第に親子になっていく過程、当時の社会背景など描かれていて感動しました。
『第2章』娘の物語により謎が埋めらていき判明する全貌に脱帽。何故タイトルが『八日目の蝉』知り関心しました。その先に意味がある事。私が私である意味。これから産まれる子への誓いなど多くのセリフが心に響きました。
ラストでお互いそこにいて気配感じる場面は素晴らしいです。再会はしませんでしたが『八日目の蝉』の先での物語は読者に委ねてるように感じました。
今度は映画版やドラマ版見て感動を味わいたくなりました。角田光代さんへ素晴らしい作品をありがとうございます。
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4120038165
No.114:
(5pt)

切ない...

愛する人の赤ちゃんを誘拐。
決して許される事ではない。
しかし、大きな愛情で子供と過ごす日々は決して捕まってはいけないと思わずにはいられない。
家族がいる自分にとって深く考えさせられる1冊でした。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.113:
(5pt)

引きこまれました

たまたま手に取った本でしたが読み進めるうちに止まらなくなり
一気に読んでしまいました。感情の描写が多いので好きなタイプの小説です。
映画も見てみたいと思いました。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.112:
(4pt)

賛否両論あるようですが

以前NHKでドラマ化されたときに、何回か断片的に見ました。暗い感じだったので結局全部は見ず仕舞いだったのですが、最近映画化もされて話題の書になっていましたので、手に取ってみました。

読みやすい平易な文章と軽快なストーリー展開もあり、あっという間に一気読みでした。読んでみて賛否両論あることは納得がいきました。
私も、主人公の一人である誘拐犯の女性には、その行動を行った動機や心情というものについて、根本的な部分で賛同することも共鳴することもできませんでした。端的に言えば、考えのない愚かな女性だとは思います。しかしながら他方、彼女の、というか、人間というものの、哀しさ、愛情、母性といったものが、それをもたらしている人物の人間性評価とは全く別に、読む者に強く訴えかけてきて、それがある種の感動を生むことも事実だと感じました。

私がこの作品について秀逸だと感じたのは、誘拐された娘のその後(第2章)の部分です。このような犯罪被害者の家庭の様子、娘のその後の人格形成の過程等についての描き方は、随所に見られる瑞々しい表現とも相俟って、読み応え十分と感じました。

総合的に見て十分に満足できる一冊でした。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.111:
(4pt)

母親という生き方

読んでいて「mother」を思い出した。
ただ、こちらの誘拐犯は生まれたての赤ん坊を育てる。
母親が赤ちゃんを育てるというのはこういうことなのか。赤ちゃんに対する愛情に圧倒された。

ただ、それ以外はあまり印象に残らなかった。
ストーリーは置いておいて、母親という生き方を魅せつけるというのがこの本の価値である気がする。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.110:
(5pt)

幸せの形


1章は子供を誘拐してしまった女性、2章は誘拐されてしまった子供が主人公です。

1章はあまり共感できなかったのですが、2章は想像以上に主人公の苦悩や葛藤に心が打たれて、最後はとても感動できました。

幸せの形がたくさんあることに改めて気付かされる。そして人はやっぱり強いということも。

小豆島の景色が美しく、感動をさらに盛り上げています。


八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.109:
(5pt)

誘拐犯に感情移入してしまう、可笑しさ。

希和子は不倫相手の生後6ヶ月の恵理奈を誘拐。4年間の逃亡生活を経て逮捕される。その後、無事親元に返された恵理奈だが、自分の居場所を見つけられずにいて…
営利誘拐ではなく母性に促された生理の犯罪。希和子とその子どもは実の親子のように触れ合い、その姿を見て周りには次々に支援者が現れる。
実の子供であっても、虐待したり殺害したりする親がいるのに…
何か不思議な感じ。でも希和子の逮捕後を考えると、とてつもなくひどい犯罪やと再認識した。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.108:
(5pt)

最低のバカ女なのに…

映画も原作も読みました。正直言って主人公は、不倫したうえに妻の子供を誘拐し逃亡。なのに、その主人公に同情してしまうのが不思議な訳です。悪者も一人の人間。かわいそうなところがあるのだなと思いました。良い人も悪い人も関係なく同じ感情を持つと考えました。あと、女しかない母性本能も生々しく書かれていて、とても楽しめました!
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.107:
(5pt)

感覚で惹きこまれるこの作品の魅力

この作品は、明確な主張が見えにくい。何を言いたいのか分からないのになんだかとても惹きつけられ、何に感動しているか分からないのになぜか涙が出てくる。本というのは文章だから、普通は主張がどうしても前に出てしまうものだが、こんなに感覚的に表現することが出来る作者の力量に驚愕せざるを得ない。逆に言えば、作者の明確な主張を望む読者には「??」な小説といえる。

主題は母性。誘拐犯希和子、誘拐された薫(えりな)、えりなの母、それぞれが自分の母性に悩み、苦しむ。薫は自分の居場所をえりなの家に見つけられないし、えりなの母はそんな娘を許せずに苦悩する。えりなが憎む希和子、薫が慕う季和子、この相反する思いが薫(えりな)の中でぐちゃぐちゃになったまま成長する。
そんな薫(えりな)が最後にたどり着くのは、季和子、えりなの母、そのどちらもが彼女を心から愛していたという「真実」。それが私たちの心を掴んで離さないこの作品の本質なのだ。

季和子に感情移入は出来ない。なんておろかなんだろうと思う。しかし、彼女の母性には共感できるものがある。普通の女性は痛い思いをして出産した時に、母性の扉が開く。しかし季和子は不倫相手の子供を抱いたときにそれが開いてしまった。

実はNHKのドラマにはうちの夫のほうが引き込まれていた。原作は読みたくないと断られた。多分泣くから、だそうだ。自分の産んだ子ではない子供への思いは、どちらかというと父性に似ているのかもしれない。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165
No.106:
(4pt)

女性の、女性による、女性のための物語

劇場で映画を見て、八日目の蝉というタイトルと、エンディングがスッキリしなかった(=薫には救いが訪れたが、希和子はどうなったのか?)ので、原作を手にとってみた。
両方見るとどうしても比べてしまうが、映画は巧みな演出と脚本でダイレクトに登場人物の感情の起伏、情念を表現していたが、原作はわりと淡々と二人の女のモノローグで綴っていく。原作の方が説明的であり、また映画では描かれなかった「今」の希和子をエピローグとして淡く美しく描いていて、ああ希和子にも救いがあったのだ、と物語の結末は原作を読んで納得できた。八日目の蝉、というタイトルの意味はやはりよくわからなかったが、それはまあ、さしたる問題ではないのだろう。
ともあれ、女性の、女性による、女性のための物語で、男性は完全においてけぼり、である。父性は所詮理性や論理の産物であって、どこまで行っても母性のリアルにはかなわないのだろう、と思った。原作、映画、それぞれに味があって捨て難い。できれば両方、鑑賞をお勧めしたい。
八日目の蝉Amazon書評・レビュー:八日目の蝉より
4120038165

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