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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全558件 321~340 17/28ページ
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村上春樹さんの作品で、はじめて読んだのがこのノルウェイの森です。悲しい話なのですが、どこかファンタジーな感じもします。この作品が相当面白かったので、しばらく村上春樹さんの作品を読みあさりました。その結果、ノルウェイの森が、一番面白かったです。 | ||||
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映画化されるということで20年ぶりに読み返してみた。 20代の頃の私が、この小説を読み、どう感じたかは記憶にないが、面白かったと言う記憶は鮮烈にある。 何事も薄っぺらで、精神性の希薄だったバブルの時代に学生活動の活発だったこの頃を舞台にした青春小説と言うのは、必然だったのかお知れない。 少し理屈っぽい主人公(しかしノンポリで中庸)の彼が、なぜか極端な登場人物と出会い、現実離れした経験を経て、現実世界に根を下ろしてゆく。 若年期特有の恋愛に対する理想と恐れを恋人との擬似恋愛を通して経験し、社会に対する恐怖や、人間関係に対する考慮や、思いやりや人生を年長の登場人物から学んでゆく姿は、哲学書の赴きもある。 性描写もファンタジックで現実味をかけ離れており、少しも不快感を与えるものではない。 最後に、少し風変わりであるが、地面にしっかり足のついた女性と現実世界に根を下ろすことになる主人公は、少年期を過ぎ、社会で生きてゆく決意をしたようにうつる。 登場人物の台詞には、多くの金言が含まれており、絶大な説得力を持っている。 久々に、読み終わることが残念で仕方のない作品であった。 この後の主人公の人生を垣間見て見たい。 万人にお勧めできるとは思わないが、個人的に夢中になった作品である | ||||
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精神をわずらった主人公の彼女ともなんとも呼べない女の子。その女の子と少し変わった主人公を取り巻く様々な出来事。 自分では普通の人間であると思っている、実際そうであるが、なにか人を惹きつけるものを持ち、そして彼は数十年まえ今でいう団塊の世代が大学生であった時代の時代背景ではあるが、その時代で大学生特有の葛藤と、そして大学生であるという垣根を越え全くの大人である側面を見せる。 村上春樹特有の世界観はすごいですね、考えさせられる場面も数多くありました。彼の小説はどのものでもそうであるように、読んでいると不思議に景色が頭の中に浮かんでくるような小説。 死に直面し、肉体と精神、そして特有の世界が繰り出す主人公が思考する感覚。どれをとっても素晴らしいという言葉でしか表現ができないと思う。 恋をし、失恋し、セックスをし、孤独を感じる。あなたが昔、僕も今現在そうであるように、主人公の彼もまたそうであったんだなぁと。 僕が村上春樹の本を読んで感じることは、時代背景が結構団塊世代の特に学生運動が盛んであった時代のものが多いですね。 それはある種、連続性というか多くの側面において似ているが独特の個別差があり(あたりまえではあるにせよ)主人公の思考は、連続性を見出すことが出来ます。 あの時代の出来事が随所にちりばめられ、それについて自分は他人との繋がりによって生きているし、考えている。不明確な部分もあるが共感するべきことが多く存在しました。そしてそれが村上春樹の世界であると思う。上巻下巻があります。 | ||||
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村上春樹の小説は「駄作」か「名作」かという両極端な評価に分かれることが多いようです。 本作もその例に漏れることなく、やはり評価は賛否両論ですが、事実として「ノルウェイの森」は、ノーベル文学賞候補に毎年選ばれるほどの作家の代表作であり、世界の各国でベストセラーになるほどの小説であるわけですから、本質的に「名作」なのか「駄作」なのかはさておき、それだけの「魅力」が、小説内のどこかにあることだけは誰にも否定できないことでしょう。 「駄作派」の人たちには、夏目漱石や谷崎潤一郎などの、日本文学の名作と呼ばれる小説に数多く触れ、読書経験が豊富で、いわゆる「文学通」といわれる方が多いようです。 否定の方法も、「展開や登場人物の行動に根拠がない」や「過去の名作のような深みがなく薄っぺらい」など、自分の文学観に照らし合わせた意見がほとんどで、平たく言ってしまえば「私にわからないのだから、面白い訳がない」という気持ちが、「駄作派」の大部分を占めている本心のような気がします。 逆に「名作派」の人たちには、あまり文学に詳しくない方が多いようで、「何だか分からないけど、面白い」という無邪気な感想が頻繁に見受けられます。 ここで注目したいのは、文学に詳しい人たちは小説の魅力を理解できず、そうでない人たちには、理解できるという、逆転の現象が起こっていることでしょう。 とにかく「駄作派」の、否定の調子の激しさはすごいもので、留まるところを知りません。 もはやそれは悪意と言ってもよいほどで、その矛先は作品を飛び越えて、著者本人、果てには、小説を肯定する読者にまで及ぶ勢いです。 しかし「名作派」の人たちは、とりたててそれに反論する様子もなく、自分の周りに壁を張り巡らせて、ひそっりと、ひとりで小説を楽しんでいるような、そんな風情です。 そこには、まさに、「根拠のない悪意」と「自閉」という、村上春樹の小説世界そのものの図式が浮かび上がってくるようです。 村上春樹氏は「日本文学には残念ながら僕が求めているものはなかった」というニュアンスのことをどこかに書いていますし、人の情念をどこまでも深く追究して表現しきる、日本文学の伝統ともいえる名作の数々には、確かに惚れ惚れするものがありますが、単に、著者はそこを目指してはいない、ということでしょう。 「駄作派」の方々には、著者が表現しようとしているものは何であるのかを汲み取ろうとするやさしさが、もう少しあってもいいように思いますし、「名作派」の方々には、自分を惹きつけるものは一体何なのか知ろうとする意志を持ち、「駄作派」の人たちの土俵に、多少なりとも歩み寄ろうとする、そんな勇気も必要なのでは、と思います。 そして、ちょうどそのあたりにこそ、村上春樹の表現したいものも、あるのではないでしょうか。 | ||||
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いまさら私ごときが、レビューを書かせていただくには経緯があります。 読書家、成毛真氏の「本は10冊同時に読め」で、この「ノルウェイの森」 は「言葉の威力に1時間ほど立ち上がれないほどの」強烈なインパクトを くらった、とありました。なるほど?そんなにいいのか? (同時に、「海辺のカフカ」も推薦していました) あまり小説は読まないほうなのですが、「そんなにすごいのか?村上春樹」と 思って手にとりました。赤、緑という文庫本の装丁も、大変心惹かれるものが あったことも、動機になりました。また、海外、特に欧州では評価が高く、じゃ ここは読んでおかないといけないな。映画化される?それはますます。 正直、なじみがない分、途中までは、読みながら大変とまどいました。 なにか、大きな物語があるわけではなし。さりとて、言葉の洪水、「僕」の アタマと心の中の、思念の洪水がどんどん出てくる・・。 そのうち、言葉の力に圧倒されはじめます。 1970年前後の学生の生活を使って、たゆたう青年の心の移りゆくさま、 世界観を、出会っては分かれていく先輩、同僚、彼女、死んでしまった親友、 いなくなってしまった彼女、知り合った女性、などなど、「僕」の前に現れ 去っていった人々。彼ら、彼女らを触媒に、「僕」の、徹底的にやるせない 無常な、しかし、目的のない「生」と「性」を、みごとに描いた、斬新な作品。 上巻は、「魔の山」と重ね合わせながら、療養に入っている直子を 訪れ、あたらな世界を、世界観を感じるところで下巻に続きます。 言葉がとぎれなく、思念がとぐれることなく、思考のストリーミングとしての 「僕」と僕の周りの世界のとめどもない流れを、独特の表現でつづった傑作です。 | ||||
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何という哀愁溢れる物語でしょう。 そこには、精神の揺らぎ、震えからくる「不完全な人間」たちがいます。 そして、溢れる「死」があります。 そして、その「死」によって、心に風穴を開けられた人たちがいます。 そしてそれは、一人一人の人間の弱さでもあります。 時代は、’70年安保の時代です。 デモやストライキが繰り返され、市民運動が盛り上がった時代です。 そのマスの力の裏には、一人一人の「孤独」があります。 そして、運動の挫折からくる虚脱感があります。 ここに登場するほとんどの人物が、そうした人間の弱さを露呈しています。 典型的には、キズキの「死」に痛手を受けた直子なのでしょうが、そこまでいかないにしてもワタナベも直子の「死」に大きな痛手を受けます。 そこには、「生きる」と言うことの難しさがあります。 「生」の終着点は「死」であり、「死」に向かって生きています。 その厳しさに打ち勝つには、永沢のような強靭さが必要かも知れません。 そうでなくても、どこかで自己と外界の間で妥協点を見つけることが必要なのでしょう。 「生」と「死」の問題は時代を超えたテーマで、この小説もそれ故に時代を超えた説得力があるのでしょう。 | ||||
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人間の強さってなんなのか、幸せってなんなんだろうか。 そして僕たちはどうやってそれらを形成していくのだろうか? ある人はそんな先の見えない答えを含んだ人生に耐え抜いて、またある人はそのなかで崩れていく。 この本を読んでいるとそんな正常な世界と壊れた世界の狭間に身を置いているのがわかる。 そんな中途半端な場所に村上春樹は僕を残していく。だから僕は安定した足場を求めるために 物語を必死に読み進めていってしまう。 でも、そんな安定している足場でも見方によってこっち側じゃなくあっち側になってしまう。 この小説に登場する人物は性格や個性が違っていても同じ問題から避けていようとしているのだなと思った。そして上にあるように人によってそれに対する対処法が違う。そして僕たちはその結果をまるでケーススタディの様に学んで(読んで)いくことができる。 そして村上春樹は僕たちにまるで問うような終わり方を提供していた。 そぅ、まるで「あなたは大丈夫」みたいに。 この物語の歌い文句は恋愛についてだったはずだか、そこはスルーしたい。なぜならその恋愛より、その恋愛にどう立ち向かい青春の日々を過ごしているのかに焦点はより絞られていると思うからだ。 だから僕は恋愛を前面に押し出した飾り表紙に不快感を覚え、もっと若者の葛藤を前面に持ち出すべきだったろうと思っている。 しかしこれはただ単に私の理解力の欠如によりこう結論付けらたのかも知れない。 だがそれでもピュアな恋愛性の要素はこの作品には足りないと思う。 もしそれを歌うのならもう少し恋愛の悩みではなく、気持ちに焦点を当てればよいのにと思ってしまった。 だがしかし、これほどの小説を書けるのには驚いた。 | ||||
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太宰がどこかで、自身を客観的に評して、 彼は、文学が嫌いなあまり、文士になった。 みたいなことを書いている。そういう感覚が、私にはわからなかった。 「ノルウェイの森」に登場する緑の言葉を見、太宰の言葉がなんとなく、察することができた。緑は、だいたい、こんなことを言う。 わたし、学校なんて、大嫌い、大嫌い、だから、絶対、学校休まない。休んだら、負けだもんね。 社会人になり、早四年目を迎える自分は、仕事が大嫌いである。大嫌いであるから、休んではならぬ、休んだら、負けだ、そう自分に言い聞かせ、今日も、仕事に励むのである。 まったく、文学のにおいのしない、レヴューになってしまった。まったく、ひどいもんである。 附記。「ノルウェイの森」を読んだ人に、次の三作品をおすすめしたい。トーマス・マンの「魔の山」、福永武彦の「忘却の河」、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」。 | ||||
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飛行機の天井のスピーカーからビートルズの『ノルウェイの森』が流れてきたとき、 僕は18年前の二十歳の秋を思い出して激しく動揺した。 高校時代に自殺した親友キズキと、その恋人の直子と、僕、そして同じ大学のミドリ。 キズキの死は直子に深い傷を残していった。 冒頭から「記憶は確実に遠ざかっていく」と直子は過去の人として描かれ、 第一章は「直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ。」と結ぶ。 回想という形ではじまるこの物語は、「僕」の二十歳の大学生の若さゆえの葛藤と、心の揺れの生っぽさを追体験していく。 静かともいえる描写の中ここに描かれているのは報われない愛。 第一級の切ないメロディ。 登場人物は、みな刹那的で、受身の生き方をしているように思う。 記憶が薄れていくことが冒頭で提示されているだけに、直子との静かともいえる回想は無常観とともに心にしみる。 | ||||
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ほぼ二十年ぶりの再読。高校を卒業し、横浜の大学に入学した時に買った本書。ずっと家の本棚の中にいました。今回二十年ぶりに上巻を読み返してみて、記憶に残っているのが、右翼の学生寮と自分のお小遣いで玉子焼き機を買う女の子の話の二箇所だけだったので、本当に新しい読み物として再読しております。村上節は健在で、地下水脈のように彼の文章独特の言い回しが流れており、静寂な世界観が繰り広げられています。まるで枯山水。所々にアクセントがあり、そこで読み手がグットくる仕掛けとなっています。いい読書体験が出来ています。 物語の話は下巻を読んだあとで、下巻のレビューで。 | ||||
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村上春樹という作家に対して西洋かぶれしているという批判がなされるのをよく耳にする。 事実彼の作品の中には欧米、とくにアメリカにおいて生み出された大衆文化への嗜好がよく見られる。その上彼独特の気取った文体もあいまって好意的でない人には白人至上主義的なナルシストにしか思われないかもしれない。 しかし、彼は本当には非常に東洋的な思想背景を持った作家ではないだろうか、と私は思う。この作品においては特に顕著にその一面がでているようだ。この作品に現れている無常観、虚無感、縁起的な考え方はまさに原始仏教における考え方そのものではないだろうか?気づいてか気づかないでかはわからないが、彼は自身東洋的な一面を世界的な普遍性を持つ大衆文化でつつみこんで世界中に発信しているのであるのではないか? | ||||
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ワタナベ君と、亡くなった親友キズキの恋人直子との関係が淡々と描かれる物語。 キズキが死んだ時、ワタナベ君は大きな喪失感に包まれる。 直子にとってはそれ以上の、まるで自分自身を半分損なってしまった様な どうしようもない程の喪失感。 ワタナベ君は直子と共に互いに損なってしまった心の部分を埋めようとしたのだろう。 けれどもキズキと直子の関係は、他人の理解をはるかに超え強いもの。 あるいは直子はキズキだけを自分の人生の中心に置いた、純粋で弱い人なのかもしれない。 努力だけではどうにもできないものが人生にはあると示唆しているようだ。 運命のようなもの、人の気持ち、流れ去る月日など。 読後はたまらなく切ない気持にさせられる。 それでも一種の明るさというか清涼感のようなものも含まれるのは ワタナベ君の同級生、緑の存在があるから。 季節は人間の意志とは関係なくまわる。 冬がくれば枯れ落ちる運命の草木。そんな事を考えると物哀しい。 しかし風雪にさらされているその枝のなかでは やがて生命の輝きを見せる新芽も同時に存在する。 緑は名前といいその存在が、前向きな力、生命力、明るい予感といった物の象徴なのだろう。 20年前に読んだが少し過剰な性描写があったのを覚えていた程度。 今回読み直してみて良かった。 基本的に悲しい物語は好みではないのだけども、 春樹の作品で一番印象深いものはどれと問われれば、 それはノルウェイの森になる。 代表作といわれるだけあると思います。 | ||||
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2ヶ月に1回くらい読み返します。 読むたびに切なくなり、深く考えさせられます。 生涯絶対に手放せない本です。 | ||||
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他の村上作品よろしく、「普通」のパーソナリティーを持った人は一切出てこない。 主人公の「ワタナベ君」やヒロインの直子はもちろん、僕たちの平衡感覚とは明らかにことなる登場人物ばかりである。 さらに奇異なのは、登場人物のうち4人もの人々が「死」んでしまう点である。 それも「自殺」という形によって、である。 特に、この恋物語のキーになっている「キズキ」(=ワタナベ君の親友であり、直子の恋人だった。)の自殺の理由は必ずしも明らかでない。 とまあ、相当におかしな物語なのであるが、私は個人的には好きだ。 その理由の一つが、類まれなる比喩のジャンプである。 その中で最も印象に残った台詞が 「世界中のジャングルの虎が溶けてバターになってしまうくらい好きだ。」である。 はっきり言って、意味が不明!と言われてしまえば、返す言葉はない。 しかし、世界中のジャングルや、その中の虎、そしてその虎たちが溶けてゆく様を想像すると何とも面白く、またそれほどまでに「熱い」思いを自分を抱いているだろうか?などと考えると何とも感慨深い。 そのような「村上ジャンプ」が隋所にちりばめられているのである。 この点については好き嫌いが大きく分かれるであろうが、私は好きである。 | ||||
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この小説は感覚で理解するものです。この切なさは何!?私は読んでいると息が詰まる程に切なくなりました。話の内容を理解するというより、主人公になった気持ちで読んでみると、青春時代のあの胸苦しさが蘇ってきます。大人になった今だからこそ読みたい作品です。 | ||||
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ノルウェイの森は はたして 恋愛小説なのだろうか? 本書のコピーは「100%の恋愛小説です」というものだ。このコピー自体も村上が作ったことは有名だ。僕らはは 本書を恋愛小説として認識し、恋愛小説として読んだわけだが 一歩引いてみて いったい本書は本当に恋愛小説なのか 今ではよく分からない。 今振り返ってみると 本書では本当に人が死んでいく。死んでいく理由も恋愛が原因では全くない。一人一人が 自分の中に「地獄」を抱え、その「地獄」の為に滅んでいく話だと言っても良い。 そのような中で 生きている間は肩を寄せ合って生きていく姿には今なお感銘を受けるが 果たして その姿が「恋愛」なのだろうかと考えてしまうからだ。 本書であまた語られる「恋愛」の中で 一番 生気があるのは おそらく「僕」と「緑」との恋愛だろう。本書の中で唯一「死の匂いがしない」登場人物は緑だが 彼女と「僕」との恋愛は生き生きしている。 但し 村上は その「恋愛」ですら 最後の場面で 結末を放り出している。その結末と 本書の冒頭の飛行機の場面を重ねると 既に 不吉な雰囲気が色濃いのだ。 本当に 本書は「恋愛小説」なのだろうか?もし そうだとしたら それでは「恋愛小説」とはいったい 何なのだろうか? | ||||
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初めて読んだのは発売当初。奇しくも同年代。最初はさっぱり良さが判りませんでした。 暗く重苦しく、そして伝えようとし合わない、噛み合ない流れに、イライラとしたものを感じました。 でも、よく考えれば人はそんなに饒舌ではなく。 20歳前後の恋愛なんて、恋愛なんだか欲情なんだか自己の確認なんだか...そういえばちゃんと伝えることさえ出来てなかったと、時を経てやっと気づきました。 村上さんがこの物語を書いた年頃に、改めてじっくりしっかり読み直しました。 そうして改めて思ったのが「恋は哀しい」っていうこと。 でも「恋愛でない恋は、もっと哀しい」です。 恋って、重たくて苦しくて、すごく邪魔なこともあります。でも、恋したい。 だれかに自分を欲してほしい、この切なくて折れそうな思いを、理解してほしいと願うもの。 それゆえに、押しつぶされたり、思いを伝えることに回りくどくなったり、命も投げ出したくなったり...。 あぁ判る、この不器用な思い。 でも、底に流れているのはあの、なんとも言えない軽く明るい「ノルウェイの森」 魅力的な本です。 魅力的すぎて、時々思い切ってじっくり読まないと、浮上できないような気がします。 | ||||
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村上春樹の名を知らしめた1987年のベストセラーです。出版当時、世の中がどうしてこんなに騒いでいるのか、実は不思議に思った記憶があります。村上氏はそれまでも「風の歌を聴け」や「羊をめぐる冒険」、「世界の終わり・・」など力のある長編、それに短編小説集もいくつか発表しており、その才能は充分に評価されていると(勝手に)認識しており、その延長線上にある「ノルウェーの森」ばかりがどうしてこんなに取り上げられるのだろうか、と思ったものでした。 今、読み返すとそれまでの作品に比べてリアリティーが増しており、その分かり易さと装丁の良さが当時売れた理由なのかなと思います。本質的には青春小説。20才前後の大人になりかけた主人公の感受性の高さと危うさ、多くの人がシンパシーを感じるこの時期を上手く描きました。読んで不思議に涙する自分は結局、自分自身に涙しているようなものなのだと思います。 フランスのトラン・アン・ユン監督によって、映画化が予定されることになりました。2009年2月のクランク・インのようです。海外でも評価の高い村上氏の作品。英語など他言語になった村上作品をどう海外は受け止めているのか、気になっていた感じ方の一端が伺えるのではないかと楽しみにしています。 | ||||
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今までほとんどといっていいほど読書をする習慣はありませんでしたが(職業に必要な本を除き)、たまたま村上作品に出会いこの本を読んでから読書の習慣がつきました。 いろいろな作家の作品にも手を出そうとしていますが、なかなかいい作家が見つからないしだいです。 今度映画化されるとあって再度読み返している最中です。 | ||||
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当方19才、私も結構マジに物事を考えすぎる古風なタイプなので、主人公には結構感情移入できました。村上さんはハード・ボイルド文学に耽溺してるだけあって、相当クールでドライな会話を主人公にさせますね・・・この無機的・無感情っぽい会話がこの作品の喪失感を醸し出しているのでしょうか? 本作は大好きなのですが「羊をめぐる冒険」のようなユーモアに富んだ作品のほうが個人的には「村上的」で好きです。読後感は最高によいですが、いまいち読み進める面白さに欠ける、ってかんじです。 この作品はぜひ自分とおなじハイティーンの人達に読んでほしいと思いました。 このドライな文体が、あなたの今まで触れられたことのない心の琴線をびんびん鳴らしてくれること請け合いです。 | ||||
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