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風の歌を聴け
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風の歌を聴けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全274件 161~180 9/14ページ
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さわやかで繊細で、とてもはかない。 そんな叙情に満ちた作品。 このテイストはこの作者の核となって、その後に生み出された作品に長いこと影を落とし続けたと思う。 村上春樹の作品群にあっては、「胎児」のような存在感を持つ作品だと思います。 | ||||
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本の中に出てくるビーチボーイズの「カリフォルニア・ガール」 この曲のイメージと内容がよくあっている。 今の村上春樹の作品に比べて、筋肉質な文体であり読むのに時間がかかった。 読み終わると満足感がかなりあった。 | ||||
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『おもしろい』 脱字も含めて。笑 何だか浅いようで深いようで チグハグな文章が印象的でした。 気付かされた事がありました。 人が作り出した時間という概念。 宇宙が生まれ宇宙が死ぬまでの間でちっぽけに存在する地球、月、空から海、ブラジルから日本に存在する時間。朝が来て夜が来る。時差ボケなど。 宇宙からすれば そこの生物と呼ばれる固体が勝手に時間というサークルを作りだした。 本来ならば時間も年号グラフのように線上に伸びて何万、何億、何兆時間と続いている。 ただそれは地球の中で勝手に推測され勝手にそう決めつけられてその遺伝子の一部に埋め込 まれた時間という概念。 でも、考えてみればやっぱり一本の線上を僕らはなぞるように生きてるんだよな。 この考え方は、仕事や勉強にも必要になるはず。既成概念を壊す意識は、普段から物事をこういう考え方や捉え方をしなければ身につきにくいと思う。 今、あたりまえに勉強しているモノやあたりまえにやっている仕事の内容は自分自身を含めた周りの人達みんながそうだと思い込んで既成概念をつくりあげて真実や本来重要視するモノを隠しているかもしれません。 その既成概念を取っ払う事で 教科書にある間違いや企業や国の発展など大切なモノに気付けるんじゃないでしょうか。 話しが膨らみすぎました。笑 本の感想に戻ります 自伝小説なのか話の内容は昭和半ばくらい?ビールや汚いバーやジュークボックスなど雰囲気を作り出すものが沢山でてくる。古い感じで僕は割と好きな雰囲気でした。 鼠という男 何処かに居る 様な気がする。笑 4本指の女も 読んでく内に 彼女の魅力に 僕が惹かれて いった。笑 この二人 好きだな。 文章はそう長くないと思うので一日で読めてしまう人も居ると思う。 何度か読み返すとまた違う表情が見えてくるはず。 とても良い本だ。 素敵な本です。 | ||||
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●1回目 1970年の夏、海辺の街に帰省した主人公は、友人である鼠とビールを飲み、解放した女の子と親しくなって、けだるい日々を過ごす。 著者のデビュー作であり、随所に原点となる事柄が散見されます。 まだ氏の世界が完成されていない感はありますが 、それを除いても読む価値があると思われます。 「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ●2回目 「そりゃそうさ。みんないつかは死ぬ。でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何にも考えずに5千年生きるよりずっと疲れる。そうだろ?」 | ||||
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素敵な友人。格好良すぎる台詞。魅力的な音楽。ビールと煙草。女の子。最高ですね。さぁ、ビールとサンドイッチ もしくはフライドポテトの準備を。ホットケーキとコカコーラでも可です。 | ||||
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「本読み始めたいんだけど、どんな本がいいかな。」 「う〜ん、そうだねえ、やっぱり村上春樹なんじゃない。」 ありきたりかもしれないが村上春樹をオススメした。 それも『風の歌を聴け』だ。 いわずとしれた彼のデビュー作。 私は大学生の時にハードカバーで読んだ。 何を隠そう我が家にはこの『風の歌を聴け』が3冊もあるのだ。 ハードカバー1冊と文庫本2冊。 いま手元に文庫の初版本がある。 すでに黄ばんでいるが、 読んだ当時に鉛筆で引いた線がいたるところにある。 ちょっと気恥ずかしい気もするが、 当時の初々しい気持ちが蘇ってくる。 佐々木マキさんのカバー装画もばっちり小説の雰囲気を伝えている。 冒頭の文。 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 もうここでやられてしまう。 なんてクールなんだ。 あれから何年が経ったのだろう。 いまだに彼の小説を読み続けている。 この春には『1Q84』の3巻目が発売される。 今から楽しみでしょうがない。 でも、まずは『風の歌を聴け』を私はオススメしたい。 わずか150ページほどの小説に、 その後に繋がる彼のすべてが詰まっていると思うから。 世界に誇る村上文学はここから始まったのだ。 | ||||
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ファンタジーの世界であり、鼠の意味がよくわからなかった。チーズはどこに行った等の何か象徴のような気がする。昔の童話のノスタルジーを感じさせてくれました。 | ||||
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この時代に青春を送りたかった。 それがこの本を読んでの第一の感想だ。 昨今の村上春樹作品に比べると異色ともいえる軽いタッチの作品。 さほど内容があるわけではないが、後続の「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」を読んだ後に改めて読み返すと、 「僕」と「鼠」のささやかなエピソード、そして鼠のその後の運命の根源を見出すことができ、価値ある一冊になってくる。 村上春樹作品はこれら初期の作品が好きだ。 | ||||
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ビールを飲んで語り合う。 女の子と出会い、別れる。 そんな、風のように通り過ぎていく夏が心地良い。 そして、 キザさが鼻につくが、心をくすぐる「僕」 言葉少なげで影のある「鼠」 二人を温かく包み込むバーテン「ジェイ」 この3人のやり取りはクールなんだけど、どこか温かい。 これも心地良い。 仕事に疲れたとき、行き詰ったとき、 そんな時にこの本をふと開きたくなる。 | ||||
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村上春樹作品で いまだに読む気が起こるのは これだけ。 あとは、もうお亡くなりになられたような状態 (「文学」なるものにからめとられてしまった)で 目も当てられません。 ご本人も、このデビュー作と次作の『1973年のピンボール』は、 海外での出版を許可していないらしく その点でも、逆の意味で、受けとめ方は一致しているのかも。 表紙(カバー)や、 そのイラスト上部に書き込まれている言葉 「A HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」などもふくめて 愛らしい、 愛すべき作品。 名作。 *手に入りやすいのは文庫本ですが、ベストはもちろん単行本です。 あの薄さ、あの重量。 その華奢なたたずまいも、この作品の美点です。 | ||||
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冒頭からいきなり美しい。 デレク・ハートフィールドの台詞には心に残るものがる。 また、この物語の「僕」も非常に魅力的で、彼のユーモア溢れる発言には心惹かれる。 こんな不思議な人物は私の周りにはいない。 ていうか、デレク・ハートフィールドって架空の人物ですか。 なんてこったい。 「何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ければ年老いることは苦痛ではない」 10年後、いや、5年後には再読必至か。 | ||||
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印象的なセリフ、魅力的な表現、にもかかわらず時間の経過とともにどんな内容だったか忘れていく。 1度楽しんだにもかかわらず、何年か経つと読んだことがなかったような気になるから不思議。 読み始めると所々で思い出すのだけれど。 センスが良く、おもしろいのだけど、たいして深い内容はない。伝えんとするものもない。 でも、下手に価値観をおしつけられるよりずっと文学らしい気がする。 また忘れた頃に読みたい。 | ||||
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今更、僕がこの小説の素晴らしさについて文章を書いたところで、一体なにがどうなるわけでもないのだが・・・。 やはり、なにかしらの文章を書いておきたい・・・。 ★ 村上春樹氏のデビュー作。 ちなみに、彼が小説家になろうと思ったきっかけ(すごく有名な話ですが) ★ 【29歳のとき、神宮球場にヤクルトVS中日を見に行って、誰かが2塁打を打った そのときに、「そうだ、僕は 小説を書こう 小説家になろう」】と思ったんだとか(笑) ★ 155ページの凄く短い小説なので、数時間でサクッと読めると思います。難しくて読めないなんてありえないです。 小学生でも読めます(難しい言葉は一切使われていないので) ★ とても印象に残った文章を引用してレビューを終えます。 【何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、 何も持ってないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。 だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。 振りをするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ】 | ||||
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所属する読書会が今度、村上春樹論をやるというのでそれをきっかけにして、デビュー作を 手に取った。 僕自身、村上春樹作品は初めてではないから、デビュー作から「こんな感じだったんだ〜」 ということがわかり、感慨深い。この「こんな感じ」の「こんな」というのは、いったい 何なのか?おそらく多くの読者が共有しているのだけれど、そのほとんどの人がそれを明示 できないでいるのではないだろうか。ここで無謀にも、その「こんな感じ」を僕なりに言わ せてもらえばそれは、村上作品が「要約できないところ」にあると思う。 「『風の歌を聴け』ってどんな小説?」と友達に問われ、読み終えたあなたはうまく相手に 要約して説明してあげられるだろうか。ここに村上作品の「こんな感じ」があるのだと、僕 は思う。で、さらに突きつめればそれは、作中でとりたてて大きなことが起きていないこと に起因する。そう、村上春樹の小説ではいつも「「起こっていない」が起きている」のだ。 取り立てて何か具体的で、大きなことは起きないけれど、何かが躍動していた。そのこと だけが、読者の読後感として歴然と残る。まさに風のように。 一夏のたった18日の経験が、透明な風のように通り抜ける。そんなデビュー作。 | ||||
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同じ作者による話題の最新作が2009年の5月にリリースされていることと、この同じ作者のデビュー作がちょうど30年前の1979年の同じ5月に発表されていることとの間には何か偶然以外の何かがあるのかとの軽い気分の勘違いに似た思い入れにとらわれて、この処女作を再読してみる。二度読む価値のない本は一度たりとも読む値打ちがないとは誰が言ったのだろうか(今、私も言ったが・・・・・)マックス・ヴェーバーが言ったのだ。でもこの本を読むのは二度目である。 「1Q84」ではヤナーチェックの"シンフォニエッタ"とソニー&シェールの"The Beat Goes On"が刺身のつまのように現れてくるが、本書ではThe Beach Boys(海岸少年)の"California Giels"が爽やかに軽やかに、はたまた面白おかしくビールのおつまみのように聞こえてくる。またこのデビュー作に既に村上お得意のパラレル・ワールドの片鱗が見え隠れしないでもないといったら言い過ぎだらうか。 そうそう、この本ではあの鼠先輩がカウンターデビューしている。歌ってないけど、ポテトの皮を剥くってスタイルで・・・・・。 | ||||
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印象的なフレーズと小道具(レコードやミュージシャン)、映画のカットのような挿入で読み手の想像力を刺激してくる作品です。この小説が、20代の若者の姿を変えたと思っています。それまで、青春小説というのは、若者の間で起きる事件、恋愛、大人になる前の青臭さ、若者の無軌道ぶりといった若さ、甘酸っぱさ、瑞々しさ、残酷さなどに起因する姿を描いたと思うのですが、多くの人にとって、青春時代というのは漠然とした時間の中に埋もれています。モンモンとしている時間といえるかもしれません。村上春樹さんは、それをこの作品で表現したと思います。サリンジャーのようなアメリカの作家がこういう世界を描いていましたが、日本では村上春樹さんが20代の若者を包んでいる空気を描くことに成功したと思います。この作品の生まれた頃が、日本がアメリカ並みの豊かさを備え、生きるために行動するよりも、若者は自分の世界を作り出すために時間を費やすというような、歴史が残さない時代の境目であったのだと思います。村上作品を支持したのは、そういう新しい時代に踏み込んだ若者達であったのではないでしょうか。翻訳本のような文体、何も起こらない世界を読ませるための、レトリックと文章作りの技巧が図抜けていると感じています。文章の巧みさがあるゆえに出来上がった小説だと思っています。 | ||||
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言わずと知れた村上春樹のデビュー作 「淡々と脱力感」 村上春樹が書く小説を読んで 一番最初に去来した 私の中のイメージで それは何十という作品を読んで来ても 変り続けることが無い。 さて 本作の主人公ももちろん 脱力感に満ちあふれている 彼は21歳の若さに関わらず 何かを悟っているかのような 人を馬鹿にしたような そんな空気をまとっている。 友人鼠も それに負けない淡白な人間像で そんな二人が会話すると とたんに 粋なアメリカ映画のワンシーンになってしまう。 稚拙な表現をすればクール。 時代が40年過ぎようと いや 逆に過ぎれば過ぎるほど この作品の世界観は 美しさを増していくのかもしれない。 | ||||
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第一章は7ページから始まり、13ページで終わる。たった7ページ。仮にこの小説が、このたった7ページしかなかっとしたら? 僕はそれでもこの小説を買う。7ページしかなくても、値段がいくらであっても、この小説を買う。それほどこの第一章の文章は美しい。初めて読んだのは恐らく、23歳くらいだったと思う。年齢がはっきりと思い出せないということは、それほど感動しなかった証拠なんだと思う。けれど今は違う。この小説を読むたびに救われる。そんな気持ちになる。 冒頭の有名な書き出しはもちろん好きだけど、今の自分にとって好きな文章はふたつある。 「もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない」 村上春樹がこの作品を書き始めた1978年、僕は生まれた。そして僕の年齢は、村上春樹がデビューした年齢と同じ30歳。10代や20代には感じることが全くなかった、年齢を重ねることに対する漠然とした不安が襲ってくる。それが30歳という年齢なんだなと実感する。けれどこの文章を読むことで僕は救われた。うつむかず前を見据えて生きていけば、年齢を重ねることは怖くないんだと。もしかしたら、村上春樹が30歳だったとき、やはり同じような不安があったのだろうか、その不安があったからこそ、この文章が生まれたのかと考えてしまう。考え過ぎだろうか。 もうひとつの僕の好きな文章。 「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。そして、それが僕だ」 この文章の意味とか、そういったものではなく、ただ単純にカッコいい。この文章から醸し出される空気がとてつもなくカッコよくて、本当に好きだ。 この小説を読むことで、僕は何度でも救われる。だから本棚の、いちばん手が伸ばしやすいところに置いている。けれど、僕はその場所にはできるだけ手を伸ばしたくはない。 辛いとき、何かにすがるのは最後の最後にしたいからだ。それがこの作品から僕が学んだ、いちばん大切なことだ。 | ||||
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「ジェイズ・バー」を根城に回想される、「僕」と「鼠」と 女の子たちの青春のノスタルジー。といいたいところですが、 コトはそんなに簡単じゃあない。 村上春樹作品を読む順番を間違えた「僕」(読者)としては、 この異様な作品には、なにか怖いものを感じました。 たとえていえば、「クビから上の登場人物がモソモソ 会話し、動き回る姿は、そこにあるんだけれども」どうも、肉体が存在 しない、架空の青春回想録。 存在感、現実感、肉体感のない生活の中を、目の前をさまざまな人物 が、のっぺりとした紙でできた人間たちが、来ては去っていく、そんな 仮想な現実を、愛、恋、生、死と繰り広げていく、乾いた空間と時間。 シンプルな会話と簡素な言葉がストリーミングとして流れていく。 後の作品の、疎外感を彷彿とさせる、村上春樹のデビュー作は、すでに ここからして、「死」をいつも感じさせる文体となっています。 | ||||
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村上氏のデビュー作。 そして僕にとっても初めての村上春樹作品である。いつか読みたいと前々から思っていた。 いざ読み始めると、あとは早い。 一気に読んでしまった。なにせ、今まで読んできた(といっても自慢できるほどではない)どの小説とも異なった世界だったので、夢中になってしまったからだ。 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」・・・こんな出だしから始まるなんて、意表を突かれた人は多いのではないだろうか。 物語は決して重苦しくなく、軽快に進んでいく。胸躍らされるような展開が待っているわけでもない。 だからこそ、時折登場する胸を打つようなフレーズが鮮烈だ。 「死んだ人間に対しては大抵のことが許せそうな気がするんだな」 「もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じさ」 「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない」 「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」 軽快で、でも読後には言い表すのが難しいような切なさに襲われる。 そんな作品だった。 | ||||
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