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ながい坂
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【この小説が収録されている参考書籍】
ながい坂の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全55件 21~40 2/3ページ
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今まで読んだ山本周五郎作品の中では、この作品が一番と思いました。 良かった! | ||||
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主人公阿部小三郎あらため三浦主水正は、幼少期のある出来事をきっかけに、平侍の徒歩組という武士としては最下層に近い身分から、血のにじむような努力と克己心で文武両道をおさめ、藩主のお側小姓を皮切りに、十代の頃から立身を重ねてゆく。 彼はまだ十代の町奉行与力見習の身で、大火の際に際立った判断で被害を最小限に食い止め、復興処理に活躍する。 また、実家に伝わる古文書から、高地にある広大な「捨野」を新田に変えるため、低地の川から水を引く方法を知り献策、責任者として腕を振るう。 そんな彼の手腕を評価し支援してくれた藩主飛騨守昌治が陰謀により失脚し、藩は佞臣達と上方富商の悪政により、窮乏。 昌治に目をかけられた少数の若手藩士たちは、主水正をリーダーに、その身分と生命の危機に耐え、昌治の復権と悪政一新のために地を這うような活動を続ける。 主水正は、人並み外れた努力家ではあるが、現実離れした天才ではない。 幼少期から彼の前に立ちはだかる妨害、嘲笑、生命の危険、刺客や佞臣たちの圧力、貧困や家族の没落・死など、試練の数々は、当の主水正より読者の方が気が遠くなり、辛くなってしまう。 物語後半、主水正が呼吸が苦しくなるほど言い様のない不安に襲われ、夜の闇の中を歩き回り、波立つ心を必死に抑えようとする情景が何回か出てくる。 「自分がこんな状況に置かれたら、どれほど辛いだろう」「精神の平衡を保てないかも知れないだろうな」と痛感した。 彼ほどの人物であっても、必ずしも自分の能力を頼んで前向きに復活するわけではなくて、必死に、少しずつ弱い自分をなだめながら一歩一歩進む様は、心から共感できた。 もちろん、幼少期から彼を支えてくれた恩師たちや身分の違いを越えた友人たち、そして名君にして自ら人一倍の重荷を背負う藩主昌治の支援があればこそ、の彼の道行きなのだが。 この物語は、才知に恵まれつつも身分の低い一人の武士の子が、尋常でない努力と精神力で成長し、立身出世する大河ドラマの傑作であると共に、現代に生きるわれわれ弱い者たちに、「耐え難いかも知れないけど、今日一日辛抱して努めてみよう、そうすれば明日もやれるかも知れない」というメッセージを控えめに伝えてくれているような気がしてなりません。 緊張感・疲労感を強いられるお話ですが、この本に出合えてよかったと思います。 | ||||
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内容についてはネタバレになってしまうので、あまりしません が、最後の解説は読まないで下さい 立身出世していく様が最高に勉強になりました それは自分のためにした事ではなく町のため、人のために一生懸命に骨を折っての事だったのです 山本文学最高の作品の一つと言えるでしょう さて 最後の解説に、題名は書きませんが、周五郎の長編三部作との比較が評論されていて、読んでビックリしました 武士の身を捨てて芸に心酔した身を持ち崩した話しと、武家に生まれ果敢に立ち向かって行く話です その二つの話が結論まで書かれて本書と比較されてるのです 絶対に周五郎を読みたいと思ってる方は、最後の解説は読まないで下さい 私もその二作は読もうと思っていただけにガッカリしてしまいました 少し記憶が薄れてから読むしか無いですね。トホホ | ||||
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タイトル通り、ながい坂を重荷を背負って生きる三浦主水正。かの徳川家康もそういえば、そんなことを言っていた。人生は重荷を背負って歩くがごとし、急ぐな、みたいなこと。賛否両論あるようだが、ただただ、格好よろしい。人間には転機がある、悔しさ、これが一番の転機になるような気がする。しかし、悔しさをばねに伸びるにも限界がある。ある時点から、もはや自分との戦いになるのだろう。生きる、それも下々のものとして生きるのではなく、上のものとして正しく生きる、これがいかに難しいか。とりわけ、現代にも通じるような政治の泥に揉みくちゃになりながらも、正しく生きた主水正はエライ。しかし、ただ一つ、ななえ…それでよかったのか。あと、小太郎が不憫でならない…。小太郎目線で行けば、ひどい親だよ。 | ||||
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いい本です!! 皆さんにもおすすめします!!! 自分を見つめるいい機会になればと思います!!! | ||||
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いい本です!! 皆さんにもおすすめします!!! 自分を見つめるいい機会になればと思います!!! | ||||
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最近の物ではないので、文字も少し小さいですが、やはり山本文学ですね。 さわやかな感動に、心を揺すぶられました。 | ||||
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「樅の木は残った」を読破した直後にこの本を読みました。背景と設定こそ違いますが、通じるものを感じました。深く長い人生の坂、あっという間の人生でありながら最中の人は「ながい坂」と感じてしまうのでょう。よく「主殿正の極冷静な人柄と、あまりにも身内に対して感情が希薄すぎて読み続けることができない、、。」という感想も目にしますが、作者がなぜ主殿正をそういう人間に仕立て設定したのかを考えるべきだと思いました。後ろを振り返りたいが、歯を食いしばり前を見て震えている自分と重なりました。 | ||||
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徳川家康は「人の一生は、 重きを負うて遠き道を行くがごとし。 急ぐべからず」といったといわれているが、まさにこの主人公にはあてはまると思う。下士にうまれながら、幼年時代に経験した不合理を解決しようと決心した主人公の意志の強さには驚かされる。殿の寵愛を受けたこともあるが、自分の生き方を貫きとおすことに感銘を受ける。下士ゆえに受ける嫉妬ややっかみ等を受けるが、剣の修行や藩で生じた記録を研究し尽くした適切な行動、により苦労の連続を克服していく。しかしながら、主人公にとってこの苦労を乗り越えて行けたのは、尊敬出来る指導者(塾の教師、剣の指導者、殿や城代家老、友人たち)の助言があったこそであろう。この小説は、ストーリーの面白さもさることながら、作者が登場人物に語らせる言葉はまさに数珠の名言といえるだろう。 上下巻を通して、5回目を読み終わったが、読むたびに新たな感動呼び起こす。 | ||||
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別の本のなかにこのタイトルが現れたので、読んでみました。 なかなかおもしろい。時代が違うとはいえ、現在の会社状況と同じ。 いろいろ考えさせられます。 | ||||
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山本周五郎は小説の神様のような人です。小学校だけの学歴だけど、人生の叡智と理念が筋立ててかかれています。 | ||||
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幼児期から青年期に向かっていく主人公の生い立ち、そしてそこからスタートする行動が生き生きと描かれており感動した。 | ||||
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重厚感があり、人間の深みに触れた素晴らしい作品であった。今後も何度も読み続ける座右の書となるだろう。 | ||||
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面白いが、人生の無常さについて深く切り込んだ「虚空遍歴」と比べるとやや物足りないか。簡単に言うと大衆受けするサクセスストーリになっている。「虚空」との共通点も多かった。例示すれば以下の点。 ○主要登場人物の一人は当初エリート街道を歩いているがその後に堕落していく。(冲也と滝沢兵部) ○主人公に対してけなげに献身的に尽くす女性がいる。(おけいとななえ) ○主人公が酒を飲める、飲めないという点についての話が多いこと。 以下、あらすじです。 主人公の三浦主水正は貧しい平侍の出身だが、幼いときに受けた屈辱感をばねにして勉学武道に励み異例の出世をして、若く聡明な城主昌治に見込まれる。主水正は川の堰堤工事、郡奉行、町奉行、大火事の迅速な後始末、川の氾濫時の適切な治水対応、孤児の寄宿舎建設などを見事にこなす。彼はこれらの事業を自分の名前をださずに大老の名前で行うが、やがては彼の仕事であることが明かになり、藩でも注目の存在となる。 しかし、反対派一味の画策により、昌治は江戸の下屋敷に監禁され、主水正は命を狙われて逃亡生活に入る。主水正は仲間とともに、相手方に見つからないように地下活動を続ける。約20年後、江戸では昌治が、国元では主水正が呼応し同時に決起して反対派の封じ込めに見事成功する。主水正は城代家老に抜擢される。 城代家老は三代にわたって優秀な家系の滝沢家が努めてきた。現家老は滝沢殿主で、その息子は滝沢兵部。兵部は幼少から超エリート教育を受けて育ち、青年期までは文武に秀でており4代目城代家老は確実であると目されていたが、主水正に負ける形で自堕落的になり、酒に溺れる。主水正は、兵部の堕落について自分の責任もあると気づくとともに、兵部にはまだ墜ちきっていない芯の強さがあると見抜く。出生の貧しい主水正は、それを補うために名門出の兵部を救済するとともに次席家老にする。 | ||||
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人生とは、重い荷を背負って「ながい坂」を登り続けること。 主人公の半生を通して、このことを説いているのが本書である。 主人公の行動は、時に冷酷である。 実の父母を親と思わず、恩師でも老いて人格が変わると つながりを切る。 それでも、その行動を非難する気にならない。 「藩の繁栄のために」という確たる信念が貫かれているから。 今、わが国の多くの人は、自己の「平穏な暮らし」を求めている。 「国のために」「会社のために」という意識は薄れ、恥ずかしい ものにすらなっている。 それだけに、主人公の生き様に反発を覚える人、逆に感銘を受ける人、 両極端に分かれると思う。 私自身は、とても真似できないと思いつつも、見習うべき考え方、 行動の仕方は多々あり、心を打たれた。 | ||||
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下巻は主水正の30歳以降の物語である。上巻における、"人は何のために生きているのか"という真摯なテーマは継続したまま、作者得意の人情風味を加えた情緒溢れる作品に仕上がっている。特に、男女間の情愛に関して多くの筆が割かれているとの印象を受けた。お家騒動の詳細もハッキリして来て、物語展開としても面白い。主水正の境遇も浮き沈みが激しく、それに伴う主水正の懊悩や人間的成長も巧みに描かれている。 しかし何と言っても、30歳以降という年齢設定が作品に奥行きを与えている。人生の中で自分がこれまでやって来た事は何なのか、それは当初の志とブレていないか、残された人生の中で自分に出来る事は何なのかと言った思惟が主水正の言動と絡めて見事に映し出されている。同時に、人生に対する考え方が人によって様々であっても構わないと言う柔軟な思惟も登場人物達の多彩な生き方を通して披瀝されている。 江戸の長屋の"おとし"・"お秋"姉妹といった軽い脇役が深い印象を残す辺りにも作者の力量を感じる。時代小説における娯楽性・人情味と作者の思惟とが融合した見事な出来栄えだと思う。作者あるいは時代小説を代表する傑作と言って良いのではないか。 | ||||
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非常に爽やかで魅力に溢れた時代小説。小藩の徒士組の子として生まれた小三郎が、少年の時に味わった身分の壁に基づく不条理をキッカケに、高い志を持って精進に励み、大事に向かって困難な道をひたすら突き進む姿を凛として描いた大河風の作品。 題名の大意は、1つの目的があったとしても、そこへ到る道は何通りもあり、拙速よりは時間は掛かっても着実にその目的を達成する事が重要といった所。小三郎が選んだのは長くて険しい道である。本作は、"人は何のために生きているのか"と言う事を突き詰めた作品とも言え、作中の到る所に人生の意味に対する問い掛けが散りばめられており、深い印象を残す。小三郎を取り巻く登場人物達も藩主から幼馴染の娘まで多彩で、作者の目が彼等に等分に注がれている点も好ましい。 私は時代小説に人生訓・処世訓を期待している訳ではないが、1つの考えに固執すると他の物が偏向して見えるだとか、周囲の評価を気にする事の無意味さだとか、為政者が心掛けるべき目線だとか、既得権を握る者の習癖だとか、清濁併せ呑む事も必要だが信念を貫く事が更に重要だとか、男女の真の情愛が日々の生活を豊かにするだとかの作者の様々な思惟・観察が読む者の心を捕える。まさに現代社会を映した鏡の様な作品で、作者あるいは時代小説を代表する傑作と言って良いのではないか。 | ||||
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『長い坂』『樅ノ木は残った』『虚空遍歴』どれも本物だが、周五郎が書き続けてきた短編の世界が、醸成され翼を得たような作品。 爽やかなものがあるだけでなく、生きることは、当たり前のように悲しく、辛い。苦しみのない人生は存在しないことを教えてくれる。だから、どう生きるのかと、心に訴えてくる。 | ||||
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自分が父親と毎日釣に行く途中にあった小さな橋。 それがある日突然取り壊されていたことに衝撃を受けた8歳の少年の覚醒。 関心あるフリだけして楽に生きるのも人生、行動を起こすのも人生。 主人公の困難に立ち向かう姿は全ての行動する人間に贈られた力強いエール。 | ||||
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主人公で徒侍組(=平侍)の子である小三郎(後の主水正)は8歳の時に普段何気なく使っていた小さな橋が無くなっていたことを機に、眼に見えざる不条理なものへの対峙を開始する。文中に「小三郎はもう8歳ではなくなった」とあるように、そこから己の人生の主となり己の歩むべき道を定め、その「ながい坂」の登坂を開始する。 これは単に傑出した才能の成長物語ではない。確かに主人公は類い希な、あたかも幕末に日本中を駆け回った坂本龍馬のような文武の才を有していたかも知れない。しかしそれは、読者に問いかける人間の可能性を象徴した存在であり、人それぞれが持つ才能を十二分に発揮して人生を進むべきであるとの周五郎のメッセージがあるのではないかと私は思う。従って主人公を隔世の存在として捉えると物語の本質はつかめないのではないだろうか。現に、作品中に主人公が突き当たる壁は、自分の意志や才だけではいかんともし難い苦悩であり、それは日常的に私たち現代人が突き当たるものと何ら違いはない。それらの事象に対して、どのようにして臨むべきか、その示唆を、主水正の姿を通して与えてくれる。 また、特筆すべきは市井の民に向けられた眼差しである。貧農の捨吉一家の有り様を通して主水正は思う。 「見た目は怠け者のようだからといって、しんじつ怠け者であるかどうか、誤りのない判断がだれにできるだろう。あらわれたかたちに眼をくらまされてはいけない、人の評にひきずられてはならない、おれは捨吉一家の生活をこの眼で見た。あの無残な生活を見たことだけは事実だ。」 これは個の幸せと全体(=社会)の幸せは表裏一体であるとの哲学にも通じることではあるまいか。ひいては、この物語のテーマの大切な一側面ではないかと私は思う。国土全体が運命共同体であるといやがおうでも感じる昨今、規模や立場のの違いはあれど、今の時代だからこそ痛烈に訴えかけてくるものがある。 坂の頂上はまだ見えない。しかして主水正の旅路は続き、いや増して物語への期待は高まる。 | ||||
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