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流人道中記
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流人道中記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全130件 121~130 7/7ページ
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上下巻を読み終えて、心に残ることは「青山玄蕃とは何者なのか」ということ。ふと、山本周五郎の「樅ノ木は残った」の原田甲斐に似ているなぁなんて思ったりした。自分の旗幟は明らかにせず、味方からは悪人に阿っているように見られ、悪人からも信用されず、でも最後には命を賭ける。そんな原田甲斐に似ている気がする。違うのは、青山玄蕃は自身の胸の内を説明してくれるところ。フィクションである小説の醍醐味だろうね。 自分の面子を汚されたら相手を刺すというのが私たちの知っている武士であり、武士道だと思う。でも、青山玄蕃は敢えてそのリングに上がらなかった。「なぜ」「どうして」と私たちに考えさせてくれる小説だと思う。 | ||||
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主人公の人柄にどんどん惹かれていきます。 面白いです | ||||
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購入前にレビューを読んで躊躇しましたが、思い切って購入しました。 「大名倒産」のように貧乏神が登場することもなく、「一路」のように馬が喋ることもない。かと言って新選組3部作のようにシリアス一辺倒でもない。私が読んだ浅田作品の中で一番近いのは「黒書院の六兵衛」でしょうか。主人公の正体といいましょうか、本性が次第に明かされるという構成はよく似ています。 詳しいストーリーには触れませんが、水戸黄門のような単純な勧善懲悪の物語ではありません。しかしながらピカレスクのような痛快さがある訳でもない。キーワードは「法の上にある礼」ということになるのでしょう。何度か読まなければ消化できないような気がします。 | ||||
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浅田次郎さん、素晴らしい! | ||||
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新聞の連載で読んだが、通しで読むと更に良い。 | ||||
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1日で読み終えました.奥州街道の描写が懐かしく感じられました. | ||||
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上下を2日間で読み終えてしまった.封建制度での矛盾,人情の変わりなさが感じられた. | ||||
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父の代わりに購入しました。 新聞連載の時からファンで、書籍化を心待ちにしていました。 内容も面白く、ずっと実写化したら配役は誰がいいなどの話もよくしています。 新聞連載当時にあった挿し絵があったら、もっと楽しめたとの事です。 | ||||
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読売新聞の朝刊連載小説を単行本化した斬新な時代小説。時は幕末、不義密通で蝦夷に流罪となった元旗本の玄菴を押送する事になった与力見習いの乙次郎を主人公とした作品。乙次郎は古参与力の入婿(元々、出自は低い)で気弱な上に、流人を押送する事は恥に近い職務だったらしく、本作を通して一貫して「僕」という時代小説らしくない一人称を用いて、「僕」の視座で物語を綴っている点がまず本作の新鮮さで、読者に親近感を抱かせる。そして、役人と流人とを主客転倒させ、「懐疑する賢者と随行する弟子」とに見立てるという清新な発想の上、宿場毎のエピソードを短編小説の如く描くという構成の妙が本作の最大の特徴で、読者を惹き付ける。 乙次郎が玄菴の従僕として扱われる、というクスグリが到る所で見られて笑わせる。同時に、当時の硬直した幕藩体制を如実に映し出している点が巧み。そして、上述した通り、幾つかの宿場で、大泥棒、賞金稼ぎ、飯盛り女、敵討ち、宿場の流人、仮病の巡礼女性などの要素を上手く組み合わせて上質なロード・ムービーの如く仕立て上げている点が特筆もの。更に、乙次郎が処刑場で斬首の現場を目撃したり、敵討ちの助太刀をしたりして、「人が人を裁く事の正当性」や「武士道とは?」との役人(武士)らしからぬ形而上学的疑念を抱く点も作品の本質を穿っている。一方、賢者の玄菴は常に一段上の視座でシニカルだが、津軽海峡を目前にして、自身の身の上や事件の顛末を語った時,,,。 玄菴の語りによって、乙次郎がその器量の大きさと武士道を越えた「礼」を重んじる清廉さを悟った時、乙次郎は自身の立ち位置に気付く。見掛け上の奇抜なアイデアと武士道への深遠な洞察とを併せ持った時代小説の傑作だと思った。ちなみに、賢者の玄菴が懐疑した幕藩体制がこの後数年で崩壊した事は御存知の通り。 | ||||
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全体のレビューは上巻の所で書いたので、ここではその補足を。作者の「一路」を御存知の方も多いだろう。「一路」は参勤交代を扱った作品だが、時代設定は本作と同様に幕末。即ち、幕府は腐敗し、幕藩体制の瓦解寸前で、参勤交代も形骸化しており、武士道も名ばかりだった。 本作の眼目もこの武士道のあるべき姿にある。流人の玄菴は当時の狭義の「武士道」を遥かに越えた「義と礼を重んじる本当の武士道」を具備した崇高な武士である。一方の役人の乙次郎は形だけの「武士道」を知っているだけの"ひよっ子"である。それが、玄菴と共に旅して、処刑場での斬首場面を見たり、敵討ちの助太刀をしたりしながら、玄菴のアドバイスもあって次第に本当の正義とは何か、人に人を裁く権利があるのか、といった疑問を抱くようになる。即ち、「賢者=懐疑する」という図式に則って、乙次郎は玄菴を「師」として修行の旅をしているのである。全体のレビューで、役人と流人とを主客転倒させ、「懐疑する賢者と随行する弟子」とに見立てた、と書いた由縁である。 勿論、作者はサービス精神が旺盛なので、全体を多彩なエピソード満載のロード・ムービー風に仕上げているが、本質は上述した通り、当時の腐敗した「武士道」(あるいは幕藩体制)を懐疑して、本当の「武士道」に気高く生きる玄菴の姿を描く事にある。また、役人の乙次郎が見習いで純朴(腐敗していない)である点も巧みな強弱で「武士道」への洞察を深くしている。「一路」から作者の幕末史観は一貫しているのである。本作は新聞連載当時から人気だったが、ドラマ・映画化が強く望まれる。 | ||||
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