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流人道中記
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流人道中記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全130件 81~100 5/7ページ
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東北方言。まさしく こう言う。 | ||||
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この何とも言えない2人の旅道中、当人達だけではなく読者も終わって欲しくないと、きっと思う事は間違いありません。 | ||||
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泣き笑いの人々の交流の中で、流人の人生観が垣間見られました。 | ||||
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泣き、笑い、感動の繰り返しの中で日本人らしい人情表現が素晴らしい。 | ||||
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ラストまでせつなさを保ちながらも、主人公の青山玄蕃の魅力を余すところなく伝えてくれる。 こんな終わり方でなくて、もっと別な展開だったらなと悲しさと無力さを思わせるけど、これが著者の描きたかった江戸の時代の終わりの武士への疑問と矜持だったのだろう。 若い与力の心の動きも読み応えあった。 最近の浅田次郎の時代物はどれも良い。 世の中ががらっと変わるときに、自分も今までと変わることが出来るのか、奇しくもこの時期に問いかける作品。 | ||||
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青山玄番ははたして悪人なのか、旅する中で石川乙次郎は旅で出逢った人達の人情ある対応と解決に導く力はただの罪人ではないのでは?自問自答し続けて最後は涙ながらの別れ、いつのまにか、世の中の教えを旅しながら教えていただいた偉大なお殿様であった・・・乙次郎は大きく成長した。 | ||||
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若い与力が、大旗本の流人を青森まで連れていく道中で遭遇する人々との関わり。 立場も身分の違う2人が同行する中で若い与力の成長が感じながら、武士の身分制度のチグハグさも描いていく。 旅の途中で出会う市井の人々の暮らしにyコタ悪、苦しみが喜びを大小のエピソードに交えながら、読者の心にしみこませていく。 江戸時代を舞台にはしているが、この人間という本質を身分に関係なくとらえていく様は現代にも同じ問題として問いかけている。 単純な善悪でもなく、胸がすかっとする展開でもないが、どのエピソードも人間味あふれる内容で味わい深い。 下巻も期待しか持てない展開。 | ||||
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浅田作品、時代劇小説の<一路>を超えるものかと期待したが、それほどでもなかった。まず、もう幕末に近いのに、身分の高い旗本の犯した罪に対して、幕府がなにも出来なかった事。主人公が<子ずれ狼>のように幕府をあいてにして逃げまわり、明治維新になんらかの役割を果たすなどのストーリーかな?と思ったのですが、ソフト路線すぎたのでは。 | ||||
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流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎が奥州街道の終点を目指す旅は、「青山玄蕃という男の真実」をめぐるものだった。 当初は、余計なことを詮索せず、江戸町奉行所の与力としての役割を果たすことだけを考えていた乙次郎。 ところが、道中での、賞金稼ぎと飯盛女のいざこざのとりまとめ、父の仇討ちをする侍と敵の仲立ち、病のある者を故郷へ帰す宿村送りの付き添いなどを通して、玄蕃の品位や思慮深さ、器の大きさに触れながら、なぜこの男が流人なのかを考え始めていく。 「俺は怯懦(きょうだ)ではありたくない。どんなときでも。いかに太平の世に生きようと、武士である限り、また男である限り、卑怯者であってはならぬ」 そんな玄蕃の武士道とはいかなるものか。 武士道に生きる玄蕃の一人の男としての生き様が見事に描かれていた。 | ||||
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紀行小説として、時代小説として楽しく、最後まで読めます。ただ、主人公の青山玄蕃のふるまいが、どうも中途半端ではないかと感じてしまうのですが。幕府の姿勢や体制を批判して、切腹という処分に抵抗したのなら、もっと徹底的にアウトサイダーとしての生き方に乗り換えればよいのに、地方の小権力に対しては、大身の旗本(元)という肩書きを利用して、嵩にかかって通す。世の中の方便と言えばそうなんですが、ちょっと歯切れが悪くないかとおもいました。共に過ごす石川さんのほうが、ごく低い身分から、中間管理職に抜擢されたにも関わらず、それがまだ身体になじまずに、生き方を手探りしているようで、自分に引き寄せて共感してみたりしましたが。 ともかく、一度手に取って読んでみられるには損の無い本だと思います。 | ||||
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感動しました。 「生き様」とは何か。を考えさせられました! | ||||
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いいですね | ||||
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一路とプロットは同じで19歳で何の引継もなく勤めを始めた武士の青年が、旅を通して周りの支えと様々な師匠に出会って成長する物語。 以下ネタバレ 一路よりもコメディ要素が少なく、途中救いのないエピソードも含まれており結末もまた明るくはない、比較的重めで引き込まれるストーリー。 主人公の持つ背景と師匠の背景が多層的に描かれ、オムニバス的なストーリーが物語の奥行きを演出する。 幕末モノとしては壬生義士伝に次ぐ傑作と思いました。 | ||||
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義母から勧められて読みましたがね、最初はなんだと思いましたがね、一緒に旅をしているように感じやした。 その情景が浮かんでくるんで、あっしも一緒に旅をしているように感じるんでやんす。 | ||||
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目をつぶると情景が浮かんでくる。 どうして、なんでや! 乙さんと一緒に私は叫んでいた。 名残惜しくて、もう旅が終わってしまうのかと思うと。。。 乙さん、私は玄蕃様と一緒に松前に行きますからね。 | ||||
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流人! | ||||
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武士でありながら、武士社会・武士階級に疑念を持つ主人公の反逆の仕方に快哉を叫んだ。道中における風俗とりわけヤマセに喘ぐ三陸地方の飢饉の描写に凄みを覚えた。 | ||||
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読売新聞連載で読み、切り取り何度も読みました。擦り切れたので、ハードカバー購入 | ||||
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浅田次郎氏の最新刊にして、単行本で、上下巻に渡る大作です さて、上巻でもレビューしましたが、旗本の青山玄蕃が密通を犯したため、通常の法であれば、切腹となるところ、「切腹を拒否」したため、与力の乙次郎が、松前藩永代お預かりとなり、かたや、流人、かたや、押送人としての道中を描いたものになります 当初は、多くの方が、「旗本の身でありながら」と、乙次郎側につくと思うのですが、道中での玄蕃の大人(タイジン)ぶりに、次第に心惹かれていくと思います で、下巻では、それもそのはず、 ・事件の真相(ネタバレになるので書きません) ・著者が書きたかったであろう「戦の無くなった時代にも『武士道』が生きていること(案外、武士って不自由なんだということがわかります) が明らかにされます 上巻の帯に、女優の南沢奈央さんの「読み終えたくない」という書評の一部が載っているのですが、まさに、同様の感想を持ち、いつまでも、この2人の道中記が読みたかったなあと思わせる1冊です | ||||
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浅田次郎さんの新刊だけあって、またユニークな1冊を書いてくれました 登場人物は、旗本の身分ながら、密通を行い、切腹を命じられながら、拒んだ青山玄蕃 もう一人は、貧乏武士の次男に生まれながら、学芸に秀で、与力家の養子の口にありついた石川乙次郎 この2名が、かたや、流人、かたや押送人(おうそうにん)として、松前までの道中を共にするという物語です もちろん、本来であれば、身分的には旗本に頭の上がらない与力ですが、かたや、密通を起こしており、立場的には与力の乙次郎が上に来ます(実際、生真面目な乙次郎はそうしようとします) ところが、二人で旅を続けるうちに、青山玄蕃の大人(タイジン)ぶりに、乙次郎も従わざるを得ない部分もしばしば 文中にも出てくるのですが、争いもなくなった江戸末期においても、「仇討ち等、『武士』は『武士』であらねばならず、今でいう旅行等の娯楽は町人たちが自由に行っている『江戸時代』の珍妙さ」を描きたかったのではないでしょうか 青山玄蕃の「犯罪人でありながら、堂々とした態度」と、乙次郎の「押送人でありながら、玄蕃に気おされる態度」の珍妙さに、江戸時代の矛盾が加わって、一気に読める、面白い1冊です | ||||
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