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流人道中記
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流人道中記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全130件 21~40 2/7ページ
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浅田次郎の作品は「きんぴか」から始まり、30作品以上は読んでいると思う。今回かなり久しぶりで5年ぶりくらいだろうか、いやはやもはや名人芸である。現代これほど成熟した作家が他にいるだろうか? 山本周五郎、藤沢周平等と並び称されても過言ではないだろう。 少々エンタメが過ぎないか? と言われる向きもあろうかと思うが、それこそ職業作家の真骨頂であろう。 姦通の罪を犯した旗本の流人を江戸から蝦夷松前藩まで押送する新米与力の道中記である。各地で出会う人々との人情噺が、流石は浅田次郎と唸るしかない。多くを語らないほうが良いだろう。この二人の旅がもっと続いてほしいと思わぬ人はおるまい。 | ||||
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これは面白い、一気に読みたいところを少しずづ読んでます。 | ||||
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高級旗本を青森まで送り届ける話だが、道中で起こるいろいろな出来事が面白い。徳川家を守る御家人や旗本、その他の役人は江戸を離れることが出来ない、町人たちは自由に金毘羅詣でや伊勢参りに行けるのに。そういうこともこの本で知った、そして咎人が冤罪だったことがわかる。最後まで楽しめる本です。 | ||||
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面白い。 | ||||
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面白い。 | ||||
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まだ途中までしか読んでないがこれからの展開が楽しみです。普段小説は読まないのですが面白そうなのでクリックしました。 | ||||
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もうさ、こういう噺がいいよ… わくわくはらはらしんみりほっこり(^^♪ 感情移入できる、させてくれます(笑) あれ、この人はこの後、あっちの話の人になるのかな?などなど。 あ、気掛りは、お夏かなぁ(・_・;) | ||||
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さすが浅田次郎 | ||||
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さすが浅田次郎 | ||||
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著者の軽妙な語り口につられて、上巻から下巻まで飽きずに読み通してしまいました。既成の価値観に抗う中年と武士社会の価値観に抗えず苦しむ若者、対照的な2人の主人公のコントラストが巧みに描かれる中、武士という特権階級の無意味さが浮き彫りになります。現代でも組織で働く人々の感じる不条理、息苦しさは同じではないかと思えます。ただ、下巻の後半、作者は少し語りを急いだように思えました。主人公の問わず語りも饒舌過ぎ、一気に謎が解けてしまうのがやや残念です。でも、心に沁みる、いつまでも余韻の残る作品です。 | ||||
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上巻で完全に惹き込まれていたので、当然の事ですが最後まで面白かった。青山玄蕃ファンになりました。映画化されたら青山玄蕃を誰がやるのかと考えましたが、役所広司さんしか思い浮かびませんでした。でも青山玄蕃は30代らしいので無理か。そうすると誰だろう?と考えるだけでも面白い。。。 | ||||
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大感動の時代小説でした。 青山玄蕃と石川乙次郎――流人と押送人の、配流先・蝦夷松前藩までの道中記です。 青山玄蕃は格式高い五番方の旗本。将軍家に近侍する旗本中の旗本です。姦通の罪を犯したとして切腹を命じられたものの、「痛えからいやだ」と拒み、結果、流罪の身に。 「痛えからいやだ」など、武士道をこけにするかのごとき言い草。唖然とするほかありません。 片や、石川乙次郎は数え十九の見習与力。足軽次男坊の冷や飯食いだったところ、ありがたいことに町方与力の婿養子に。出世の一歩を踏み出したばかりの若者です。 両者格式の違いは歴然。とはいえ道中は、罪人と押送人の間柄。この両者のくんずほぐれつの、つながり具合がおもしろい。 玄蕃の屋敷には、召し抱えの家来十数名に加え、中間小者や女中、奉公人も。もちろん妻子ら家族もおりました。 「なぜ腹を切らなかった。非を悔いて潔く切腹すれば、(将来の御家再興へ)御奉行様方のお目こぼしもあったろうに」と問う乙次郎に、玄蕃は「ああ。あったろうよ」と応えつつ、「のう、石川さん。今さら蒸し返したところで、何の得がある話でもあるめえ。腹を切らなかったおかげで腹が減る。さて、飯にしようぜ」とまぜっ返す。 道中、玄蕃は軽快に歩みを進める。乙次郎が遅れがちと見るや、 「いい若い者ンが、早くもへこたれたか」と玄蕃。 「なになに、ちと考えごとをしていた」と乙次郎。 「考えごとかね。うう、寒(さぶ)い寒い」 「何が寒いのだ。それがしは暑くてかなわんが」 「まったく、洒落の通じねえやつだ……」 両者のやりとりは、掛け合い漫才のごとし。まことに痛快きわまる珍道中です。 古利根川沿いの杉戸宿の旅籠では、亭主を亡くしたおかみが切り盛りの日々。鰻を焼いておりますと伝えつつ酌をするおかみに、玄蕃は「ほう、鰻か。それは何より重畳」と侍言葉で偉そうに語るものの、おかみが座を外したとたん、「のう、石川さん、後家にしておくのはもったいねえな」と下卑た町人言葉で告げる。その落差が滑稽です。 とはいえ玄蕃は、おかみの心中を思いやり、亡き亭主の好物だった鰻をおかみの食卓へ。味わいつつ、おかみは涙に暮れる……。 伝法な口調ながら、民を思う玄蕃の心に、読者は胸を打たれます。奥州街道の途上で出会う、悩み苦しむ民草へ、玄蕃は手を差し伸べていく。 盗賊と賞金稼ぎの仲をまとめ、仇討ち騒動をおさめ、旅先で病に倒れた女に手を貸し……。まさにこれは江戸版〈レ・ミゼラブル(=貧しい人々・惨めな人たち)〉にほかならない、と感じました。 しかもヴィクトール・ユゴーの同名作品より、はるかに痛快かつ笑わせる。 随所にトリビアルな(=あまり知られていない、些細な)知識も盛りだくさん。伊達陸奥守(むつのかみ)様の御領分では「明六ツ」といわず「明半刻(あけはんとき)」というらしい。「向原(むこうはら)」という地名は、三途の川の向こう河原の謂(いい)であり、街道を往還する人は念仏を唱えるとか。 江戸の暮らしと文化のくさぐさを見事なまでに組み込んで、二人の道行が描かれます。 それにしても読み手のなかには、小説の展開に納得のいかない人もいるのではないでしょうか。玄蕃の姦通罪は濡れ衣らしいとわかってくる。しかも、陥れたやからの存在も明らかに。それなのに「どうして悪をこらしめぬ。どうして正義を貫かぬ。ありもせぬ罪に服するとは……」との乙次郎の叫びに、うなずく人も多いでしょう。 妻子眷属を路頭に迷わせるがごときなりゆきを諾々と受け入れるなど、何としても納得できない、と。 最後の最後に、青山玄蕃は語ります。 俺はのう、乙次郎。われら武士はその存在自体が理不尽であり、罪ですらあろうと思うたのだ。 よって、その理不尽と罪とを、背負って生きようと決めた。 …………………… しからば、俺の選ぶ道はひとつしかない。武士という罪を、おのが身で償う。千年の武士の世のささやかな贖罪とする。青山玄蕃にしかできぬ決着はそれだ。 わたしとしては、もはや言葉を失うほかありません。玄蕃の選んだ道は、おそらく「切腹」よりもむずかしい。 思い起こすのは、たとえばイエスという男です。世の人々の罪を一身に背負って磔となった(とされる)……。 乙次郎は涙をこらえ、天をあおぐ。 「僕にはこの男の器が見えぬのだ。きっと空のように海のように、玄蕃は大きい。風のように雨のように、玄蕃はやさしい」 「……叶うことなら空や海のきわまるところまで、この人とともに歩きたかった」と。 わたしも思いました。――ああ、もっとひたりたい、玄蕃と乙次郎の物語に。玄蕃の妻子眷属のその後も知りたい、と。 そればかりではありません。――これからは、下手な言い訳なんかしないで生きよう。ああしろとか、こうしてほしいとか、つまらぬことを言わずに暮らそう、と。 この物語は、乙次郎のみならず、読み手の成長をもうながすのです。ふかく肺腑をえぐられる、出色の作品でした。 (了) | ||||
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「浅田次郎と歩く奥州街道 『流人道中記』の舞台をたずねて」はいつ出ますかね? 杏さんの解説にある様に、桜田門直後・幕末07年前辺りだとしたら、この物語の殆ど関係者は生き永らえて、この武士の時代の終焉を見届ける!と言う想定ですね。 「一路」に続いて永久保存本が増えてしまいました。 | ||||
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時は幕末、万延元年(1860年)のこと。 流罪となった旗本と、算え19の押送人の見習与力。 ”法”の上には道徳的な規範である”礼”があると。 「俺は”怯懦”ではありたくはない」という。 武士とは何か、家とは何かを問い続ける。 江戸から青森・三厩までの道中、そのちゃらくらに、落涙す。 | ||||
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いつもながらの魅力に溢れる、主人公とそれを取り巻く人々。 | ||||
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まだ話は途中の上巻416P。 時は幕末、万延元年(1860年)。 流罪となった旗本と、算え19の押送人の見習与力。 器のちがいなのか。 情と理は表裏一体であるという。 武士道たるもの。 義なのか。 コミカルにあるつつも、心を打たれてしまう。 | ||||
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読みたかったのがあって速攻に買いました。 今や本屋も近くになくここで探してたのがありすぐに買いました。 | ||||
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切れ味よ良い語らい、楽しませてもらった。浅田作品は初期のころから長年付き合ってきたが、独特の浅田ワールドは、いつも楽しませてもらっている。71歳を超えてますます冴えていると思います。今後にも期待! | ||||
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今や本屋も近くになくここで探してたのがありすぐに買いました。 | ||||
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まずは他がごと | ||||
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