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(アンソロジー)
英国古典推理小説集
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英国古典推理小説集の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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「誰がゼビディーを殺したか」に出てくるスコリアさんの、世の中に氾濫する情報など一切気に掛けず「ともかく食べていけて、ちょいと憩いがあれば、十分なんです」という一連の台詞が心に沁みました。 | ||||
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いいですね、こういうのは大好きです。 できれば今後クロフツやカーなどの古典を増やして欲しいです。 | ||||
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◇特に良かった「ノッティング・ヒルの謎」◇ 読者は、ある調査のために集められた多数の証拠書類を読み、事件の全体像を組み立てていきます。さまざまな人物がそれぞれの視点から語る事件の断片を繋ぎ合わせていくと、恐ろしい陰謀が浮かび上がってくる…という実にアミューズメント的な読書体験を与えてくれる作品です。 話は変わりますが、「The Painscreek Killings」というゲームをご存じでしょうか。ゴーストタウンを舞台に、ジャーナリストの主人公が住民たちの残していったさまざまな情報を集め、かつてその町で起きた殺人事件の真相に迫っていく、という作品です。プレイヤーは足を動かして事件解決の鍵を探し回るだけでなく、たくさんメモを取って自主的に事件の内容を組み立てていく必要があります。「ノッティング・ヒルの謎」の読み味は、このゲームをプレイしていた時の感覚に近いものがありました。あのゲームを好きだった人にはオススメだよ、という非常に対象を絞ったレビューです(笑) ◇広く読書家にウケそうな『バーナビー・ラッジ』とその書評◇ ディケンズといえば本読みなら何かしら著作を読んだことがあるであろう超有名作家ですから、そのディケンズとポーのコラボレーションともなれば気になってしまうものです。実際ポーによる頭脳を駆使した読解は垂涎ものの満足感を与えてくれました。私のようなライト層の読者にとって、推理小説に触れる機会はあれど、鑑賞なり推理なりをやっている場面を直に目にすることはまず無いため、こうして他人の思考を文字で読めるというのは大変面白いのです。 ◇視覚的パズルのような「イズリアル・ガウの名誉」◇ これぞ小説って感じですね。文章で提示される情報を視覚的に捉え、パズルのように組み合わせることで真実に辿り着く。現実のモノから一度離れ、抽象度の高い世界へ思考を飛躍させて推理を行う、というやり方はイイなと思いました。 ◇文章に引き込まれる「オターモゥル氏の手」◇ まず文章が面白い。犯罪哲学・心理学とでも呼びたくなるような興味深い内容にそれなりの紙幅を割いています。人間への興味は尽きないですね。謎解きとしては簡単な部類に入るのだと思いますが、最後まで緊張感を保って書き上げられた文章は本読みなら一読の価値ありと言って間違いないでしょう。 | ||||
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ポーの後の19世紀後半の推理小説と言えば仏のガボリオ、英のコリンズ、米のA.K.グリーン(今の日本で読む人もなかろうが)くらいの知識しかなかった。本書は推理小説の黎明期、萌芽期のイギリスの諸作品を集め、興味深い。 まずディケンズの『バーナビー・ラッジ』のごく一部とポーによる書評。実はこれはポーの書評が主であって(付)とすべきなのは『バーナビー・ラッジ』の方である。『バーナビー・ラッジ』は長篇小説であって、全編なら文庫では2冊か3冊になる。それに対して本文庫では9ページのみの引用。 『バーナビー・ラッジ』はポーが使わなかった推理小説の基本トリックを使っている(ディケンズが使っているから、ポーは使わなかったのだろうと言われている)、またモルグ街の殺人と同じ1841年の発表である、といった点から推理小説好きの間ではそれなりに有名である。ただし『バーナビー・ラッジ』は推理小説ではない。推理要素も含んでいる歴史小説である。ディケンズの影響を受けたドストエフスキーはやはり推理小説的要素を含んだ長編小説を書いた。ドストエフスキーほど読まれていないディケンズでは、未だに『バーナビー・ラッジ』を推理小説と思っている人がいるらしい。 肝心のポーによる書評は2文ある。一つは『バーナビー・ラッジ』の連載が始まって間もなくの発表、もう一つは小説が完結してからの書評である。ポーは小説に出てくる殺人の謎を推理した。完結後の書評はポーの推理が間違っていたため、自分の推理を正当化しようというか、自分の案の方がいいと言っている。更に一般的な推理小説論をしている。ともかくポーは推理小説オタクに見える。 それに対してディケンズは小説に推理小説的要素を使ったが、それが小説の中心でもない。バーナビー・ラッジ以降も『荒涼館』『辛いご時世』、未完の『エドウィン・ドルードの謎』は犯罪が出てくるし、有名な『大いなる遺産』も全体の枠が謎になっている。ポーは早死にしたため、これらの小説は読めなかった。長生きして一番推理小説らしいエドウィン・ドルードを書き継いでもらいたかったと思う。 『有罪か無罪か』(ウォーターズ、1849) 警察小説のはしりというべきか。容疑者を追って馬車で同乗し、法廷に引き渡す。 『七番の謎』(ウッド夫人、1877) 親戚のいる田舎に行き、その地で起こった殺人。密室殺人の要素がある。癇癪持ちの郷士なる登場人物が面白い。 『誰がゼビディーを殺したか』(コリンズ、1880) 語り手の若い警官は通報を受けて殺人現場に行く。凶器となったナイフが謎を解く鍵となる。 『引き抜かれた短剣』(パーキス、1894) 女流作家による女流探偵が出てくる作品。それだけで歴史的価値がある。細かいところに気がつくなど女らしい。 『イズリアル・ガウの名誉』(チェスタトン、1911)は『ブラウン神父の童心』の一篇、これと『オターモゥル氏の手』(バーク、1929)は他の評にもあるように入れる必要はない。誰でも知っており既訳があるし、20世紀の作品である。傑作だから入れたというが、それなら解説にでも書いておけばいい。「『オターモゥル氏の手』こそ推理小説史上の最高傑作であり、これに比べたら本書所収の作品など読むに耐えぬ凡作ばかりである」とかなんとか。これらを入れる代わりに未訳のもの入れるか、あるいは載せずにページを減らして値段を下げて欲しい。要らない物の抱き合わせ販売である。 『ノッティング・ヒルの謎』(フィーリクス、1862~1863) これは比較的早い時期の小説であるが最後に収録されている。本書全体の半分近くを占めている長編である。しかも本作は『月長石』(1868)に先立つ、イギリス初の長編推理小説だそうだ。だったらなぜそれほど知られていないのか。これまで翻訳がなかったのはなぜか。読めば分かるがあまりに「古典的」で、具体的には話にメスメリズムが関係している。メスメリズムといって知っている人はどれくらいいるだろう。動物磁気説ともいい、身体に流れているという磁気を利用して治療する。睡眠・心理療法の一種か。18〜19世紀に流行った。当時からインチキという批判があった。19世紀の小説を読んでいると、時々メスメリズムの記述がある。 この小説は形式も特殊である。証言、書簡、日記などで言わばすべて会話体から成っている。 昔に遡り、同名の母娘が出てくるので混乱しないよう。p.516に簡単な家系図が載っているから参照。双子の姉妹が生まれ、一人は幼い時に誘拐される。成長してからの姉妹はお互い知らずに・・・と全く無声映画にでも出てきそうな話である。 犯罪は遺産目当てで、それは珍しくないかもしれないが、更に保険金も犯罪の動機となっている。日本初の保険金殺人は昭和10年に起きた日大生殺人事件と言われている。実際の事件と創作を比べてもしょうがないと言われそうだが、日本の犯罪の70年以上前に、小説に保険金殺人が書いてある。いかに19世紀のイギリスが進んでいたかと分かる。 先に書いたメスメリズムとかまた身分制を前提とした話とか、いかにも古い時代を感じさせ、現代では書かれるはずもない。だからこそ価値があると思う、昔の小説を好きな人に勧めたい。 | ||||
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まだ推理小説というジャンルが確立していない時代から 本格ミステリーが始まっていく過渡期の作品群です。 謎そのものは解きやすく、極々初期の作品だということが良くわかります。 私は好きでした。 | ||||
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他の国や年代に添って出して欲しい‼️ よい企画です。 バーナビーも、復刻版出して欲しい‼️ | ||||
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イギリス「推理小説」の「古典的傑作八編」とポー(1809~1849 アメリカの詩人・小説家。『モルグ街の殺人』(1841)は世界最初の「推理小説」とされる)のディケンズの小説に対する書評二点を発表年代順に配置することによって、「読み進むにつれて推理小説という形式の洗練されていく過程が浮かび上がる」ように編纂された「画期的な選集」。ただし、『ノッティング・ヒルの謎』については、「この作品がコリンズの『月長石』(一八六八)を押しのけて、英国最初の長編推理小説という栄に浴する可能性を持つ特別な作品」ということで、発表年代順ではなく、あえて最後に配置されている。 ディケンズ(1812~1870 イギリスの代表的な小説家の一人)は、歴史小説『バーナビー・ラッジ』(1841)の「冒頭に殺人事件を配し、ミステリー仕立てで物語」を開始させた。雑誌で『バーナビー・ラッジ』を読んでいたポーは、ディケンズの連載の途中で作中の「殺人事件」の「謎解き」をした書評を書いた(1841)。しかし、ディケンズは「謎解き」を中心にしたストーリー展開を構想していたわけではなく、ポーの予想とは別の人間ドラマに小説のテーマを据えていたのである(作中の「殺人事件」のトリックについてはポーの考えた通りではあったが)。小説を最後まで読んだポーは、第二の書評を書いた(1842)。 この第二の書評でポーは、ディケンズと自分の“小説の中での「謎」の取り扱い”に対する考え方の違いを述べている。『バーナビー・ラッジ』という小説において、自分は「謎」そのものを「プロット」の中心に据えて考えていた(=「謎解き」がストーリーの主眼)が、ディケンズは「謎」を「プロット」の一環(=「謎」自体は長編ストーリーの一部分であって、「謎解き」のためにストーリーを構成しているわけではない)と考えていたようだ、ということである。 このように、“小説の中での「謎」に対する取扱い”も、論理的な「謎解き」を主眼とする「推理」的な取扱い(“「探偵役の人物」による「謎解き」=「探偵小説」”か“犯罪自体に着目する=「犯罪小説」”かに分かれる)になるのか、「謎(や事件)」が当事者に及ぼす影響や恐怖感などの心理状態などに主眼をおく「サスペンス(作中で危機を盛り上げ、不安感や緊張感を高めることで逆に読者を惹きつける物語の技法)」的な取扱いになるか、に分かれるのである。 このように大きく分けられるにせよ、「推理小説」は様々に発展を遂げてきた。 「推理小説」においては、人間社会は“迷宮”である。「探偵役の人物」(或いは、悪党)は人間社会という“迷宮”を知り尽くしていて、(犯罪)事件からその犯人をつきとめることができる(或いは、悪党は巧妙な犯罪を企てることができる)のである。現在のおおよその「推理小説」は、3つの特徴とその派生系に(ごく大雑把であるが)分けられるだろう。 ①「探偵役の人物」の活躍が特徴=「探偵役の人物」が「謎」を解明する、という物語。この派生系として、「謎解き」自体よりも捜査活動をする「探偵役の人物」の活躍を主眼とするハードボイルド系と、「探偵役の人物」の活躍よりも「謎」そのものに着目したトリックの妙味や犯罪自体が主眼の物語がある。 ②「人間的要素」の探究が特徴=人間の心理(当然のこととして、犯罪心理も含む)や、ある事件(や出来事)が当事者に及ぼす様々な影響を主眼とする物語。「サスペンス」も含まれる。 ③社会派的な考え方が特徴=ある種の事件(や犯罪)は社会(や組織)の問題が鮮明な形で表出したもの、という考え方に基づいている物語。 これらの①~③の特徴や、その派生系は、単体の場合もあれば、様々な組み合わせがあり得る(例えば、①の派生系のハードボイルド系と②の「サスペンス」的要素と③の組合わせ、などというように)。 本書に掲載された小説は、以下のような特徴がある。 ディケンズの『バーナビー・ラッジ』(1841)は②の特徴があり、おぞましい事件に関わり合いを持たされてしまった者たちは、その事件が及ぼす心理的な影響から逃れることができないのである。 ウォーターズの『有罪か無罪か』(1849)は、初期の作品だけあって「推理」的には物足りないところがあるかもしれないが①の特徴があり、一人の警察官の活躍が描かれている。 フィーリクスの『ノッティング・ヒルの謎』(1862)は②の特徴がある。「探偵役の人物」の推理に基づいて、事件の関係人物の手紙や日記や証言記録などの関連書類が配置されることによって、すでに行われた犯罪を徐々に浮かび上がらせていく小説であるが、ストーリー自体はある出来事や事件に翻弄される人々の心理や行動を描くことに主眼が置かれている。 ウッド夫人の『七番の謎』(1877)は、②の特徴があり、犯罪者の心理が描かれている。 コリンズの『誰がゼビディーを殺したか』(1880)は、②の特徴があり、犯罪に至る心理や、事件が当事者たちに及ぼす影響が描かれている。 そして、1887年にシャーロック・ホームズの第一作である『緋色の研究』が発表される。「ポーの作った雛形に基づき、並外れた頭脳を持つ魅力的な探偵を主人公にした物語をシリーズ化(1887~1927)する、という形式を確立したのが、おなじみシャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルだった」。「シャーロック・ホームズが爆発的な人気を獲得すると、すぐにたくさんの探偵が、新聞・雑誌の連載短編シリーズの主人公として登場する」。 そのような探偵もののブームの中、書かれたパーキスの『引き抜かれた短剣』(1894)は①の特徴があり、「女性探偵」の推理と活躍が描かれている。 それ以降も「推理小説」の愛好家は増え続け、「洗練」された手法で書かれた「推理小説」が数多く発表されるようになる。そして「推理小説」は「一九二〇年代から三〇年代にかけて黄金時代を迎えた、と一般に言われている」。 チェスタトンの『イズリアル・ガウの名誉』(1911)は、①と②の特徴があり、ブラウン神父の鋭い人間洞察力が描かれている佳品である。 バークの『オターモゥル氏の手』(1929)は、①の犯罪自体が主眼の物語と②の特徴があり、「エラリー・クイーン」が「「これより優れた犯罪小説は存在しない、それだけだ」と簡潔にして明瞭なコメント」を付した名品である。 このように、本書を「順番に読んでいくと、段々「推理」の要素が強くなって、推理小説という形式が洗練されていく過程」を実感させられる。 そのような構成で本書が編纂されているため、(チェスタトンとバークの小説を除く)掲載小説は、「推理」としては大味なものが多い。とはいえ、陰鬱な濃霧(石炭の影響で、現代とは比べ物にならないくらい霧が濃かった)がたちこめるロンドンや地方のもったいぶった上・中流階級のカントリーハウスの背後にうごめく正体不明な様々な悪徳、という舞台装置にはクラシカルで独特の雰囲気があるし、「人間的要素」の探究、という点でも面白く、それぞれに独自の魅力がある。お勧めできる小説集であると思う。 | ||||
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レビュータイトルのとおりで、岩波文庫という格式高い(敷居の高い?⁾レーベルであることと、古典作品という点から、読者層はかなりの程度の推理小説を読み込んでいる40代以上という想定ではないだろうか。 だとすると、有名作の「イズレイル・ガウの名誉」と「オターモゥル氏の手」は明らかにセレクトミスだと思う。 上記の読者層であれば、両作を読んでいる可能性はかなり高いだろう。 (実際に自分も「ブラウン神父の童心」や「世界推理短編傑作集」で接している)。 それよりも未訳作品を紹介してほしかったというのが正直な感想。 寸評は以下のとおり。 「バーナビー・ラッジ」第一章およびポーの書評 :作品そのものよりも、ポーの卓越した推理力と批評眼がメイン。 自分にはけっこう難解だったが、要するにポーは、「魅力的な謎であれば謎であるほど読者の要求は過大となり、その謎が解決されることによる満足度は読者の期待を必ず下回る。だから作品内で解決されずに読者の想像力に委ねられる場合にのみ、謎は効果を発揮する」と書いていると理解した。 推理小説の始祖によって、すでに推理小説の宿命が喝破されていたというべきか、ポーの慧眼に驚くとともに何か虚しい気持ちにもなった。 「有罪か無罪か」 :推理小説としては原始的だが、捜査側が変装して正体を隠したり、腹話術で犯人をおびえさせる点がレトロ感覚で楽しめた。 「七番の謎」 :犯人の偽装工作はたわいもないが、それよりも人間ドラマの妙でそこそこ読ませる。 「誰がゼビディーを殺したか」 :真相発覚のきっかけが偶然以外の何物でもないが、本作も濃厚な人間ドラマが印象的。 「引き抜かれた短剣」 :本作以前の収録作と比べると、推理小説としての洗練度は増している。 依頼人が謎を探偵事務所に持ち込み、名探偵が事件解決に乗り出すというホームズ形式。 ただ、名探偵のキャラクター造形が地味で魅力に乏しい。 「イズレイル・ガウの名誉」 :前述したように、セレクトに疑問あり。 なおかつ、どうせチェスタトンを収録するなら他に最適な作品があっただろうに、という感が強い。 「オターモゥル氏の手」 :古典的名作とされるだけに、作品の完成度は高い。 が、「イズレイル・ガウの名誉」と同様にセレクトに疑問が残る。 「ノッティング・ヒルの謎」 :全編が書簡形式で構成された長編。 秘密調査員が、依頼を受けた生命保険会社に調査結果を報告するという形をとっている。 内容としては、謎を最後まで引っ張って一気に解き明かす、というよりは、あらかじめ仮説を提示し、その仮説を証明していくという流れ。 従って、早い段階で真相はほぼ明らかなので、その辺りで読者の評価は分かれそう。 個人的には、派手さはないものの、地道に論理的に証明していこうとする姿勢には好感が持てた。 特に(伏線はないが)、ある人物の利き腕や埃の有無に着目する点などは、今となっては古臭くはあるもののやはり定番の魅力があると感じた。 ただし、真相の根幹に超自然的現象が扱われているので、その点でも読者の好みは割れそう。 個人的には、早い段階でその存在が前提とされているので違和感はなく、むしろ作品全体に不思議な雰囲気を加味していて好印象だった。 作品集の全体的な質としては、古典という点を踏まえても、必ずしも高いとはいえないだろうが、「ノッティング・ヒル」が健闘していたので少し甘めの☆4つです。 | ||||
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この本の最大のウリはやはりフィーリクス『ノッティング・ヒルの謎』の本邦初訳だろう。 江戸川乱歩や中島河太郎(ふるいなー(笑))の著作などで名前だけは有名なので、一度読んでみるかと購入。結論から申し上げると、やはり「小説としての面白さ」という観点からはおすすめしかねる。 被害者の系図、経緯の略年表、現場の見取り図など当時としては斬新な工夫がなされており、多数の証言や書簡から事件の全貌を読者に想像させようとする著者の努力は認められるのだが、それがつじつま合わせに汲々とすることに繋がって盛り上がりに欠ける。見取り図等の小道具も「ソレ、必要か?」と感じられるものが多く、全体にくどい印象だけが残る。これでは未訳だったのも納得である。 他の収録作もあまり感心しないものが多い。 帯には「犯罪、謎、探偵、推理 これぞ原点!ディケンズ、コリンズ、チェスタトン(以下略)」とあるが、名前の出ている三人の作品のどれもがあまり出来がよくない。ディケンズの『バーナビー・ラッジ』の一場面の抜粋など短すぎて作者名を出すのがはばかられるほどで、続くポーの書評の参考のためとしても不充分にすぎる。 評価の定着している『オターモゥル氏の手』はさすがの完成度だが、発表時期は後の黄金時代に属する作品でこの本の趣旨としては疑問符がつく。これが『ノッティング・ヒルの謎』同様の未訳作品ならともかく、過去何度も紹介された有名作なのだ。 中ではパーキスの『引き抜かれた短剣』だけが当時ではまだ珍しい女性の探偵役の登場で眼をひかれた。 全体としては・・・まあミステリの誕生はいつか、といった議論に特に固執される方なら話のタネに、ぐらいですかね。 | ||||
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レビュータイトルのとおり。 本書が、国書刊行会・論叢社・東京創元社あたりから刊行されたのなら別に驚かない。 どういう経緯かは分からないが、天下の「岩波文庫」から刊行された事が、何より「意外性」に満ちている(笑) 刊行の意義は大きいと思う。 で肝心の内容だが、あくまでも選者の趣味で19世紀末辺りの「推理小説未満」の作品を収録したもの。 その意味で興味深いが、アンソロジーでよく選出される「オッターモール氏の手」や何故か選者が有名でないと思い込んでいる(?)チェスタトンの「ブラウン神父もの」が収録されているのが、むしろ残念。 他の作品とは、当然ながらレベルが違いすぎるし、このページの分、未訳の珍作を収録して欲しかった。 他の作品は大同小異で、今から見ると時代がかった間延びした作品・全然推理小説と思えない作品ばかり。 英国最初の推理小説との「ノッティング・ヒルの謎」も書簡やら系図・現場見取り図・証拠写真等もあり中々なのだが肝心のトリック・結論が現代では通用しないしがっかり感が半端ない。 ディクスン・カーなら同じ題材でも合理的解決と意外な犯人の推理小説にしたのでは、と思った。 というわけで、この時代の推理小説未満の小説を楽しめる、大らかな人にしか推薦出来ない本である。 にしても、これを読むと改めてシャーロックホームズの偉大さが分かる。 星の5点は、岩波が良く出した点を評価したものである | ||||
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英国推理小説の黎明期から黄金時代に至るまでの作品を収録する長中短編集。ただし、黄金時代短編『オッタモゥル氏の手』は名作ゆえにあえて収録されている。 ディッケンズの長編歴史小説『バーナビー・ラッジ』はごく一部が収録されているが、これはポーによる書評の参考資料的役割であろう。 リストにすると(分量順) ①「ノッティング・ヒルの謎」チャールズ・フリークス・・長編217頁分挿絵入り。1863年。本邦初訳。分量的には本書の約半分。作者は弁護士兼ジャーナリスト兼作家。 ②「七番の謎」ヘンリー・ウッド夫人・・中編84頁分。1877年掲載。本邦初訳。ベストセラー『イーストリン』(1861年、未訳、戦前2回戦後1回映画化され、戦後はインド映画のよう)の作者。本編は「ジョニー・ラドロー」ものの1編で、このシリーズは約90編中10篇以上が犯罪テーマとのこと。 ③「誰がゼビディーを殺したか」ウィルキー・コリンズ・・短編40頁分。1880年掲載。本邦既訳は『巡査と料理番』という題(彩流社の選集)。 ④「引き抜かれた短剣」キャサリン・ルイーザ・パーキス・・短編38頁分挿絵入り。1893年掲載。本邦初訳。女性探偵(探偵事務所職員)ラヴディ・ブルックものの短編集の1編。 ⑤『オッタモゥル氏の手』トマス・バーク・・・短編36頁分。1929年。 ⑥『イズリアル・ガウの名誉』チェスタトン・・短編30頁分挿絵入り。1911年。 ⑦『有罪か無罪か』ウォーターズ・・短編28頁分。1849年。本邦初訳。 ⑧『バーナビー・ラッジ』のポーによる書評・・書評22頁分。1841年。 私的感想 ○①「ノッティング・ヒルの謎」は手紙、日記、証言等で構成される長編小説。たいへんたいへん面白かった。何を書いてもネタバレになるので、何も書かないが、これは推理小説以外の何ものでもないと思う。イギリス最初の長編推理小説。 ○②「七番の謎」も推理小説でよいだろう。ちょっとずるい点もあるがなかなか頑張っている。家庭小説(?)的な味わいも楽しい。後味も、悪くはない。 ○③「誰がゼビディーを殺したか」は、さすがウィルキー・コリンズ。『オッタモゥル氏の手』を別格とすれば、本書の中短編の中で一番ダイナミックで、情念激しい展開。 ○④「引き抜かれた短剣」は題名は怖いが・・ユーモア・ミステリー風味付けが楽しかった。 ○⑤『オッタモゥル氏の手』のような名作をわざわざ収録しなくてもよいようにも思うが、新訳という点と、岩波文庫に入ったという点が重要なのかもしれない。 ○⑥『イズリアル・ガウの名誉』はブラウン神父第一短編集中の作品。文庫の既訳あるよく知られた作品で、わざわざ本書に・・・。 ○⑦『有罪か無罪か』は警察小説なのかな。 ○⑧『バーナビー・ラッジ』のポーによる書評は、難しい話は別にして、読んで面白かった。さすが、ポー。 私的結論 ○長中短編で私的ベスト3を選ぶと、第一位、長編「ノッティング・ヒルの謎」。第二位、短編「誰がゼビディーを殺したか」。第三位、中編「七番の謎」。別格、短編『オッタモゥル氏の手』。 | ||||
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