(アンソロジー)
英国古典推理小説集
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「誰がゼビディーを殺したか」に出てくるスコリアさんの、世の中に氾濫する情報など一切気に掛けず「ともかく食べていけて、ちょいと憩いがあれば、十分なんです」という一連の台詞が心に沁みました。 | ||||
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いいですね、こういうのは大好きです。 できれば今後クロフツやカーなどの古典を増やして欲しいです。 | ||||
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◇特に良かった「ノッティング・ヒルの謎」◇ 読者は、ある調査のために集められた多数の証拠書類を読み、事件の全体像を組み立てていきます。さまざまな人物がそれぞれの視点から語る事件の断片を繋ぎ合わせていくと、恐ろしい陰謀が浮かび上がってくる…という実にアミューズメント的な読書体験を与えてくれる作品です。 話は変わりますが、「The Painscreek Killings」というゲームをご存じでしょうか。ゴーストタウンを舞台に、ジャーナリストの主人公が住民たちの残していったさまざまな情報を集め、かつてその町で起きた殺人事件の真相に迫っていく、という作品です。プレイヤーは足を動かして事件解決の鍵を探し回るだけでなく、たくさんメモを取って自主的に事件の内容を組み立てていく必要があります。「ノッティング・ヒルの謎」の読み味は、このゲームをプレイしていた時の感覚に近いものがありました。あのゲームを好きだった人にはオススメだよ、という非常に対象を絞ったレビューです(笑) ◇広く読書家にウケそうな『バーナビー・ラッジ』とその書評◇ ディケンズといえば本読みなら何かしら著作を読んだことがあるであろう超有名作家ですから、そのディケンズとポーのコラボレーションともなれば気になってしまうものです。実際ポーによる頭脳を駆使した読解は垂涎ものの満足感を与えてくれました。私のようなライト層の読者にとって、推理小説に触れる機会はあれど、鑑賞なり推理なりをやっている場面を直に目にすることはまず無いため、こうして他人の思考を文字で読めるというのは大変面白いのです。 ◇視覚的パズルのような「イズリアル・ガウの名誉」◇ これぞ小説って感じですね。文章で提示される情報を視覚的に捉え、パズルのように組み合わせることで真実に辿り着く。現実のモノから一度離れ、抽象度の高い世界へ思考を飛躍させて推理を行う、というやり方はイイなと思いました。 ◇文章に引き込まれる「オターモゥル氏の手」◇ まず文章が面白い。犯罪哲学・心理学とでも呼びたくなるような興味深い内容にそれなりの紙幅を割いています。人間への興味は尽きないですね。謎解きとしては簡単な部類に入るのだと思いますが、最後まで緊張感を保って書き上げられた文章は本読みなら一読の価値ありと言って間違いないでしょう。 | ||||
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ポーの後の19世紀後半の推理小説と言えば仏のガボリオ、英のコリンズ、米のA.K.グリーン(今の日本で読む人もなかろうが)くらいの知識しかなかった。本書は推理小説の黎明期、萌芽期のイギリスの諸作品を集め、興味深い。 まずディケンズの『バーナビー・ラッジ』のごく一部とポーによる書評。実はこれはポーの書評が主であって(付)とすべきなのは『バーナビー・ラッジ』の方である。『バーナビー・ラッジ』は長篇小説であって、全編なら文庫では2冊か3冊になる。それに対して本文庫では9ページのみの引用。 『バーナビー・ラッジ』はポーが使わなかった推理小説の基本トリックを使っている(ディケンズが使っているから、ポーは使わなかったのだろうと言われている)、またモルグ街の殺人と同じ1841年の発表である、といった点から推理小説好きの間ではそれなりに有名である。ただし『バーナビー・ラッジ』は推理小説ではない。推理要素も含んでいる歴史小説である。ディケンズの影響を受けたドストエフスキーはやはり推理小説的要素を含んだ長編小説を書いた。ドストエフスキーほど読まれていないディケンズでは、未だに『バーナビー・ラッジ』を推理小説と思っている人がいるらしい。 肝心のポーによる書評は2文ある。一つは『バーナビー・ラッジ』の連載が始まって間もなくの発表、もう一つは小説が完結してからの書評である。ポーは小説に出てくる殺人の謎を推理した。完結後の書評はポーの推理が間違っていたため、自分の推理を正当化しようというか、自分の案の方がいいと言っている。更に一般的な推理小説論をしている。ともかくポーは推理小説オタクに見える。 それに対してディケンズは小説に推理小説的要素を使ったが、それが小説の中心でもない。バーナビー・ラッジ以降も『荒涼館』『辛いご時世』、未完の『エドウィン・ドルードの謎』は犯罪が出てくるし、有名な『大いなる遺産』も全体の枠が謎になっている。ポーは早死にしたため、これらの小説は読めなかった。長生きして一番推理小説らしいエドウィン・ドルードを書き継いでもらいたかったと思う。 『有罪か無罪か』(ウォーターズ、1849) 警察小説のはしりというべきか。容疑者を追って馬車で同乗し、法廷に引き渡す。 『七番の謎』(ウッド夫人、1877) 親戚のいる田舎に行き、その地で起こった殺人。密室殺人の要素がある。癇癪持ちの郷士なる登場人物が面白い。 『誰がゼビディーを殺したか』(コリンズ、1880) 語り手の若い警官は通報を受けて殺人現場に行く。凶器となったナイフが謎を解く鍵となる。 『引き抜かれた短剣』(パーキス、1894) 女流作家による女流探偵が出てくる作品。それだけで歴史的価値がある。細かいところに気がつくなど女らしい。 『イズリアル・ガウの名誉』(チェスタトン、1911)は『ブラウン神父の童心』の一篇、これと『オターモゥル氏の手』(バーク、1929)は他の評にもあるように入れる必要はない。誰でも知っており既訳があるし、20世紀の作品である。傑作だから入れたというが、それなら解説にでも書いておけばいい。「『オターモゥル氏の手』こそ推理小説史上の最高傑作であり、これに比べたら本書所収の作品など読むに耐えぬ凡作ばかりである」とかなんとか。これらを入れる代わりに未訳のもの入れるか、あるいは載せずにページを減らして値段を下げて欲しい。要らない物の抱き合わせ販売である。 『ノッティング・ヒルの謎』(フィーリクス、1862~1863) これは比較的早い時期の小説であるが最後に収録されている。本書全体の半分近くを占めている長編である。しかも本作は『月長石』(1868)に先立つ、イギリス初の長編推理小説だそうだ。だったらなぜそれほど知られていないのか。これまで翻訳がなかったのはなぜか。読めば分かるがあまりに「古典的」で、具体的には話にメスメリズムが関係している。メスメリズムといって知っている人はどれくらいいるだろう。動物磁気説ともいい、身体に流れているという磁気を利用して治療する。睡眠・心理療法の一種か。18〜19世紀に流行った。当時からインチキという批判があった。19世紀の小説を読んでいると、時々メスメリズムの記述がある。 この小説は形式も特殊である。証言、書簡、日記などで言わばすべて会話体から成っている。 昔に遡り、同名の母娘が出てくるので混乱しないよう。p.516に簡単な家系図が載っているから参照。双子の姉妹が生まれ、一人は幼い時に誘拐される。成長してからの姉妹はお互い知らずに・・・と全く無声映画にでも出てきそうな話である。 犯罪は遺産目当てで、それは珍しくないかもしれないが、更に保険金も犯罪の動機となっている。日本初の保険金殺人は昭和10年に起きた日大生殺人事件と言われている。実際の事件と創作を比べてもしょうがないと言われそうだが、日本の犯罪の70年以上前に、小説に保険金殺人が書いてある。いかに19世紀のイギリスが進んでいたかと分かる。 先に書いたメスメリズムとかまた身分制を前提とした話とか、いかにも古い時代を感じさせ、現代では書かれるはずもない。だからこそ価値があると思う、昔の小説を好きな人に勧めたい。 | ||||
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まだ推理小説というジャンルが確立していない時代から 本格ミステリーが始まっていく過渡期の作品群です。 謎そのものは解きやすく、極々初期の作品だということが良くわかります。 私は好きでした。 | ||||
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