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(短編集)
深川安楽亭
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深川安楽亭の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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武家ものを中心とした短編集。最も心に響いたのはラストに収録されている「枡落とし」、晩年の著者が書いた最後の作品です。人殺しの父を持ち世間から逃げるように江戸の片隅で暮らす母と娘の物語ですが、娘を愛する芳造の存在感が何と言っても印象的。不幸な境遇で育てられながらも自分は女房子供に絶対同じような目をさせないと誓ってきた芳造の強い信念が母と娘を救います。著者最後の作品に相応しい人情ものだと思います。面白さで言えば「百足ちがい」が最高でした。和尚から何事も我慢という処世訓を施された武士の物語、最後には正しかったことが証明される何事も我慢、慌てるなという酒飲み和尚の哲学、生き方に深く共感しました。 | ||||
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・新潮文庫の周五郎小篇本も8冊目、この本を読むと、最早尽くした感、が否めない。 前の7篇は、創作に周五郎の苦心も窺えるが、一本気な奉仕を描いた戦前の作を含め、テーマが強く出過ぎていたり、面白味に走り過ぎたりしているし、後の5篇も、嘗て映画化された表題作を含め、ある種周五郎の創作の手広さは窺えても、収まりが過ぎていて、余韻に乏しい。 総体として、従来本に比べ、質的に薄まった感がしてならない。 | ||||
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山本周五郎『深川安楽亭』は時代小説の短編集である。表題作「深川安楽亭」は異色の作品である。深川安楽亭は、表向きは飲み屋であるが、実は抜け荷(密貿易)の拠点である。そこにたむろする命知らずの無頼な若者達の命がけの無償の善意を描く。会話文が多く、物語の流れが見えないが、ハードボイルドな雰囲気は強く伝わってくる。 「深川安楽亭」は深川や木場など江東区民には馴染みの地名が登場する。運河が縦横に走っており、水運の拠点であったことをうかがわせる。 最初の短編「内蔵允留守」は中学校の国語の教科書に掲載されていた作品である。道を究めるということが、明治時代の立身出世主義や戦後昭和の右肩上がりの経済成長とは異なることを教えてくれた作品である。中学生の頃に全てを理解できるものではないとしても、それでも衝撃を与えた作品である。学校の授業は無意味ではないと感じさせる。国語という科目名では無味乾燥としたイメージになるが、文学の授業とすれば豊かになるだろう。 次の短編「蜜柑」は徳川御三家の紀州和歌山藩が舞台である。蜜柑は和歌山の名産であるが、紀州藩が育成した産業であった。紀州藩は時代劇では幕府転覆を企む悪役として描かれることもあるが、ここでは南海の鎮の面目躍如である。そして「内蔵允留守」ほどではないが、華々しい活躍よりも地味なところに価値を見出だす。この立身出世主義へのアンチテーゼは著者の他の短編「ゆだん大敵」や「青竹」にも見られる。 | ||||
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不思議な、雰囲気で、話は進んでいく。表題作の深川安楽亭。心理的な。面白さが有る。 | ||||
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これらの作品にハードボイルドの味がするのは、この国にも「赤狩り」の時代があったからだろう。それは著者の生存期間とも重なっていた。 彼がダシール・ハメットを知っていた可能性はある。なにせ、江戸期に仮託してフォスター伝を書いた人なのだから。 アメリカではいまや「赤狩り」は歴史学の対象だが、この国にはそういう歴史学もない。 日本の左翼にハードボイルドを創始できるほどの人はいなかったな。 | ||||
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藤沢作品をずっと読んでいましたが、山本作品もと思い立って読んでいます。違うもんですね・・・。 | ||||
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じょうたい良し。もんく無し。ページきずなどありませんでした。 | ||||
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短編集で、様々な人間が登場する。 人間とは、 ということを考えさせられた。 いろいろな欲を持つ人間。 目先のことしか見えなくなったり、信じれなくなったりする。 どこまでぶれずに、 人間として大切な気持ちを、芯を、抱いて生きていけるのか。 自分勝手で自分本意になっていた自分を反省していた私には、 痛いほどに、響いてきた。 | ||||
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最初の内蔵介留守が昭和15年、最後の短編が確か42年の完成されたものとしては最後の作品だそうな。それぞれの短編は武家もの・職人/下町もの・一場もの・滑稽もの、はては戦国まで、さまざまな周五郎のアプローチが楽しめるが、執筆年順に並んでいるのでその筆力・時代背景が感じられておもしろい。戦での犠牲的な美学を描いた作品は昭和19年の戦時中制作。ある程度「国策」といったものが感じられるが、そこに岩にしがみついて自ら溺死するというかっこわるく凄味のある状況を持ってくるところがただ者ではない。下って戦後すぐにはあたふたセコセコと生きることを茶化すような真説吝嗇記や百足ちがいのような滑稽ものが書かれ、演劇の戯曲にそのまんま転化できそうな一場ものが続く、このあたりは復興期㡊??大衆演劇の勃興をかいまみるようだ。表題作はまさに60年代アングラの世界。水滸伝的な人物設定の中で、チャンバラアクションにいかず最も地味な登場人物の悲哀の中で幕引きさせる筋立ては奥の深いものがある。 くっきりとした名作は無いが、どの作品も危うい日常の中で微妙なバランスを綱渡りしながら生きていく人間の姿が描かれており、まずまず楽しめる。それゆえに、「My First周五郎」にするにはちょっと地味だ | ||||
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