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街とその不確かな壁
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街とその不確かな壁の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全221件 181~200 10/12ページ
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騎士団長殺しを読んで微かに思いつつ、一人称単数を読み終えてさらに強く思ってしまった。 本当は、もう村上春樹には書くこと、書きたいことがないんじゃないのかな、と。 今作でその不安を吹き飛ばしてくれるのでは、と思ったが、いやいや、ますますそう思う だけだった。 氏の作品から、あのたとえようのないワクワクを感じることができなくなってしまうのは、 とても残念だけれど、あれだけの名作ぞろい、それも仕方のないことなのでしょう。 が、これだけの濃密な長編を上梓されたのは凄いことだと思います。物理的に枚数も 多いわけですし。そういった意味では、お疲れさまでした、ありがとうございました、 という思いです。 ノーベル賞は、完全に機を逃しましたね。 | ||||
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高い壁に囲まれ、出る事を許されない「街」は、自意識の奥底に構築された、魂にとっての疫病を防ぐための場所とも、死=無の概念ともとれる形而上の世界として提示される。40歳半ばになった私は、18歳の時に経験した喪失感を抱えたまま壁に隔てられた「あちらの世界」と「こちらの世界」を彷徨する。 村上ワールドではお馴染みの井戸や穴のイメージは健在だが、物語性に軸足を置く長編作品群とは一味違って、より観念的、内省的、哲学的な色彩が色濃くなっており、読み手にエネルギーがないと飲み込まれてしまいそうになる。まるで「影」が溜まりの水面に飲み込まれてしまうように。 読後、改めて「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も再読してみたが、40年の熟成を経て書かれた本作には、上質のシングルモルト・ウィスキーだけが持つ芳醇なまろやかさと深いコクのような味わいが満ち溢れていた。 | ||||
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村上春樹の小説について、喪失の物語とか村上ワールドだとかの訳知り顔の批評に引きずられてしまっていましたが、これはおとなが主人公の「おとぎばなし」、「おとなの童話」と考えるのが私にはすんなりと腑に落ちた。おとなが主人公なので、いろいろ小難しく考えたり、男女のしがらみや社会常識などが絡んでストーリーが展開していくが、ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家やハリーポッターの魔法学校、ハメルーンの笛吹きと同じにおとぎばなしとして読むと楽しいことが私には分かりました。あくまで私個人の感想です。 ところで羊男はどうして男で、女の羊女ではないのでしょうか。 | ||||
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記憶や記録によって人間は死者の死、作者の言葉を使えば、「死者の、さらなる死」を否定しようとしてきた。キリスト教は復活というエピソードによって、死者の死を認めようとしない行為と言う人もいるかもしれない。輪廻もそうだろう。本当に跡形もなく、いなくなってしまうということ、死者の生と死について描こうとしている点では、本作品はやはりノーベル賞級の問題意識を持った作家による小説と言えそうだ。 しかし、読んでいて「そこはもっと詳しく書くところなのでは?」と思った人はいなかっただろうか?私なんかは一角獣や特殊な能力についてもっと知りたくなりました。そこは読者が想像するところなのだろうか。 半地下にしてもそうだ。地上と地下の間、陽が当たる場所と当たらない場所の境目にある半地下という設定は素晴らしいなあと思う。しかし、半地下という言葉だけではなく、半地下とはどのような場所であるか、もっとハッとするような描写、表現を作家に期待してしまう。間違っているのだろうか。 レビューを読んでいると、あいまいな表現で、よくわからない感じをなんとなく村上ワールドと呼んでいる人も多くいるようだが、このような作品が、これってポエムですか?と言われてしまうのかもしれないと思った。 また、日常生活で自分が内側なのか外側なのかわからなくなる、境界が定まらないという事態と、作家による表現があいまいなために読んでいて内か外かどちらなのかわからないという現象とは性質が根本的に違うのではないだろうか。 一方で、この文はなくても成立するのでは?とたびたび感じた。退屈ではないが、無駄に長い、ただテーマはノーベル賞レベル、そんなアイデアばかりで具体的なことが決まらない会議のような印象を受けました。アイデアを形にするのが芸術家の仕事だとすると、この作品はどうなんでしょうか。 | ||||
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前作の騎士団長がイマイチだったので、読む前は面白いか半信半疑でしたが、読了後は村上春樹の最高傑作と確信しました 以下、ネタバレ含む 特に第二章から出てくるイエローサブマリンの少年は、現実社会で生きづらさを抱える人々の象徴であり、彼が壁の中で夢読みという居場所を見つける事で救いがもたらされるという構成です 自分も障害があるだけに、少年への感情移入からか読了後には優しい安堵感を覚えました 壁の中の街も決して楽園とはいえないが、現実社会が少しでもマイノリティに居場所がある生きやすい世の中になる事を願います コロナ禍という異様な緊張感が、村上春樹さんの文学を完成させたと思うと、決して無駄な期間ではなかったようにも感じます | ||||
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星五つだった。私には、あれが未だに春樹作品のベストである。今回は途中まで既視感を抱きながら辛抱の読書となった。2部の途中からどんどん頁がめくれるようになり、そのまま読了したが、読了と同時にモヤモヤが残ってしまった。それはたぶん、17歳の「僕」の恋愛対象であった「君」についての情報があまりに乏しかったせいである。他の登場人物と比較して、その存在感の希薄さはひどいものだ。まあ、最近の作品のように、レイプやレイプまがいの性的被害に遭うよりかは、ましだけれども。全体を振り返れば、春樹作品と言うよりも、春樹作品のパロディを読んだ気がする。 | ||||
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壁に囲まれた街の設定は、村上春樹さんの作品でもとても魅力的だと思っています。個人的には、同じ設定の出てくる「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の方が好きでしたが、著者が歳を重ねて書かれた作品と思うと、感慨深いものがありました。 | ||||
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色んな意見はあれど、村上春樹の作品を読んでいる期間は迷宮を彷徨うような不思議な快楽に包まれる。 まだ読んでいる途中だが新作を読める事に感謝。。。 | ||||
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集中できて楽しかった | ||||
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ハードボイルドワンダーランドには疾走感が有った。 本作は異なる。 読み物の要素を排除している。 本作はノルウェイの森以来の静謐さが全面に出ているが、再生の寓話とは言い難く酷薄さも漂う。 生きていくには物語が必要。 シンプルに、そう解釈した。 冬のストーブの必要性はシンプルで多面的だ。 | ||||
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話の内容が面白く一気に読んだ。 村上春樹の話は不思議な世界へ連れて行ってくれる。 | ||||
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どこかで読んだ。どうも既視感のある作品だ。壁に囲まれた一角獣のいる街。この長い小説である本書を読了した後に、書棚から取り出した作品『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を開く。やはりそうだ。その古い作品(谷崎潤一郎賞を受賞している!)は、二つの物語『世界の終わり』と『ハードボイルド・ワンダーランド』を別々に語り継いでどこかで合体させてゆく小説なのだが、『世界の終わり』こそが、この新作『街と不確かな壁』で構成し直された奇妙な街の原形である。 さらに言えば、専任作家になる前の村上春樹によって書かれ、文芸誌に掲載されたが書籍化はされなかった原形となる作品があったそうだ。壁に囲まれた一角獣のイメージを描いた<街>の物語だということである。デビュー作と言われる『風の歌を聴け』より前のエチュード的作品。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、1985年にその原型に肉付けを施した大作であったが、もう一つの形を遂げたのが、その四十年後に三年かけて書き上げたという本書ということになるらしい。 村上春樹も30代から70代に成熟した。ぼく自身も村上春樹を読み始めた20代から、気づいてみれば60代後半の年齢になってしまった。死の足音が少しずつだが確実に近づいてくるような、今となると残された生を考えねばならない微妙な時間軸に立っているのだ。 そう。ぼくの村上春樹作品にいつも強く抱く最大のイメージは、実は<死>である。若い頃の作品から、いつもずっと形を変えつつ、<死>と向かい合い、<死>を描いてきた作家であると言う概念を村上春樹という作家にぼくは抱き続けているのだ。 『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』そして、かの大ヒット作『羊をめぐる冒険』で完結する三部作でも、<死>は最大のテーマとされてきた感が強い。『ノルウェイの森』では<生(性)>と<死>が同様に強く浮き彫りにされていた。命のパーツとしての性描写は、死の対極である<生>の象徴として村上作品に執拗につき纏ってきたように思う。しかし作者の青春現役時代と70代になった現在は、村上春樹と言えども少しずつ変化を遂げているようだ。全体に動よりも静の描写が作品全体を覆っているかに見える。そして現在よりも過去を見つめているように捉えることもできるような気がする。 本作は、相対的にとても静なる作品と言っても良いだろう。とりわけ作品の大半を占める第二部は、静かな日常を送る主人公と、静かな山間の町の図書館を中心に描かれる。冬と雪と静けさ。静かな図書館でひたすら本を読み続けるとても無口な少年M**。小さなコーヒーショップでコーヒーとブルーベリー・マフィンを前にする主人公は、店を経営する女性と静かに心の交流を持ち始める。 そう言えば登場人物たちに名前がないのも不思議である。ぼく。きみ。私。M**。図書館にまつわる数名の人物は、幽霊を含めて名前が与えられたりしている。名前のある人とない人。この違いは何なのだろうか? 名前のない人の方が、より主体的な重要な役割を与えられている、というのがぼくの印象ではあるけれども。 そもそも作者からの特段の説明はどの作品においても特に与えられては来なかった気がする。どんな不思議な出来事も、その意味を説明はされて来なかったような気がする。村上作品においては、多くのことが特段の説明が与えられないままに進んでゆくように思える。それが村上春樹という作家の特徴であるのかもしれない。それでいて村上作品には不思議な迷路にも似た魅力がある。読み慣れた方にとっては、それらのことは、説明がなくても特に不都合ではないように感じられる。もちろんぼくにとっても。 さて、村上作品においてもうひとつ不思議かつ素敵なのは、読み易さ(Readability)だと思う。どの作品でもそうなのだが、その点はいつもながら抜群である。本書は他の作品に比べ、静けさに満ちた動きの少ない作品であるにも関わらず、とにかく読み進む。650ページ弱の長大な作品、かつ静かで動きの少ない物語であるにも関わらず。村上春樹入門者にも、村上作品は全部読むという熱烈読者にも自信をもって推奨したい(後者には不要だろうけれども)そういった作品なのである。 村上春樹はこの後も作品を書き続けるのだろう。しかし年齢から言って、このような大作をこの後、何作書いてくれるのか微妙なところだと思う。そんな想いを込めて大切に読んだつもりの一作であった。唯一無二の個性ある作品がまたひとつこの世に出現した。そんな印象とともに本を閉じた次第である。 | ||||
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まだ読み始めですが、楽しんで読みます。 | ||||
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とてもおもしろく読みました。 読みながら無意識の中にさらわれる体験と、コーヒーショップの彼女とのとても軽快な会話。 消えてしまった妻のモチーフはもちろん、 何より「僕」が帰ってきたことに、1番の懐かしさを感じました。 読み終えて、久しぶりに、「羊をめぐ冒険」を読みたくなりました。 新刊を読みながら、同時に過去を想起できることは、20年以上前から読み続けた特権かもしれません。 | ||||
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今までの村上春樹と比較して圧倒的に文体の変革が行われて書かれている印象がありました。 主人公の年代と社会的属性を踏まえ、巧みに文体と情景描写・時間軸や現実性を変幻させて読者の内面に感情や情景を位置付けて行くことで、終盤のシーンで読者の心を若返らせるような構造があります。 1000ページをゆうに越える大作で、その過程がもどかしいと感じる読者もいるかとは思いますが、全体として得られる体験は極上と言える素晴らしい小説だったと思います。 | ||||
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イエローサブマリンがそら恐ろしい。いつの間にか壁のなかの世界に入りこんで主に寄生し、うまいこと言って主は殺した。自らはそのままそこで生き続ける。古い夢を残さず隅々まで読みつくして、無尽蔵のデータを蓄積する、それで? 連休中、私も夜になるのを待って、自分の半地下にある真四角の小さくて心地のよい部屋で、古い夢を読むように少しずつ読んだ。30年以上前から大切にしてる部屋。たぶん多くのひとたちも同じように。すごく懐かしくて充足した。 メッセージは折にふれ思い出しながら、断片的に繋がっていくのだと思う。どこまでも未完で開かれた世界が村上春樹で、そこにいてくれる美しい獣たちには無事にいてほしいと願うばかり。 | ||||
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プラトンの魂と愛、モンテーニュの孤独を彷彿とさせる哲学的小説。村上春樹作品の中でも抽象的要素が多いが、主人公が年齢を重ねたあたりからストーリーが面白くなる。コロナ禍で人が外界との接触を絶ち、孤独に耐えていた中で書かれた作品であり、ひたすら何かを読み続ける作業の不思議な尊さ、夢の世界と死の近接を伝えているようにも思われる。 | ||||
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村上春樹ワールドは、入り込むと、読んだ後もしばらくは出られない。自分のココロの深いところに刺さった痛みはしばらくは消えない。 | ||||
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続編期待の気持ちはありつつも、筆者が完成と考えるものを受け止め、自分なりに想像するのも楽しみの一つ。 | ||||
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最後まで期待していましたが、超えることはできませんでした。主人公が70歳、2020年代で勝負してほしい。なんか、切ない。 | ||||
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