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街とその不確かな壁
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街とその不確かな壁の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全221件 101~120 6/12ページ
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「この世」と「あの世」。 この世を生きる、つまり現実を生きるには、偶然だろうが必然だろうが、流されて生きるしかない側面もある。 あの世とは、普遍的な集合意識である。 集合意識であるからこそ、普遍的であり、かつ、時代によって基準が変わる。 主人公、子易さん、添田さん、喫茶店の彼女は、努力ではどうしようもない、「見えない壁(普遍かつ形を変える概念)」に流されるままに生きてきたという、共通点がある。 一方、「こう生きたい」と強く望む者、譲れない者とは、「現実を否定する者」、つまり、子易さんの奥さんやイエローサブマリンの少年のように、「あの世」に行き着くしかない。 主人公は、一回あの世に行って、普遍的な叡知を模索していた。 しかし、身体はこの世に引き戻されてしまう。 影の如くズルズルと生きていたが、流れ着く果てに彼女と出会う。 現実とは、選べない事だらけだが、主人公はここでついに、現実を折り合わせ、彼女と生きていく決心をする。 というお話で合ってる?? 今までの作品を切り取って、どこまでちゃんとした総集編が成立するか、という、意図的な試みを感じました。 文章も独特な感性から、シンプルな今風の文体への試行を感じます。 (それを没個性と感じるかどうかは、意見が分かれるかも知れない) キャラクターが、「ネット界隈では有名なあの人がモデル?」と感じる事もあったので、切り取り文化にも大きな興味を感じているのかな、と思いました。 紙マッチの製造はもう終わってるよ? とか、 コルセット付けた人を抱き締めるのって、男性側はそういう感触なのか、 とか、 男って幾つになっても基本アホなんだなー | ||||
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村上元素: カフェ、ジャズ、読書少年、孤独な中年。ストーリーの中に、村上の影が消えない。たくさんのインサイト独白と展開。 まあまあ読みやすい一冊でした。 | ||||
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精神世界や意識の世界に迷い込む系は、飽きてきます。 ただ、書かれている日本語はほんとうに美しく、今の日本の作家の中でダントツだと思っている。 | ||||
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いい本ですね。「このひとの新作を読むまではがんばって生きていこう」とか思わせてくれる作家さんは人生の宝物ですね。 | ||||
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1つ1つのエピソードは丁寧に書かれている。 非現実的なことが次々に起こるが、 丁寧に書かれているため、そういうことも起こるかもしれない と読者に思わせることができる力が、村上春樹にはある。 しかし、読み終えたところで全体を振り返ってみると、 何が起きていたのか、全然理解できない。 2回は読む必要がある。 1回目では気づかなかった所に、大きな意味が隠されていたことに気づく。 しかし、それでも理解できない。 但し、死者が出てくる話なので、普段意識していない死について考えさせられる。 例えば子安さんの「無がやって参りました。まったくの無です」(p.295)という発言に、 はっとさせられた。 ところで、本作では都合の良い女性も井戸も出てこない。 村上春樹が意識的に書かなかったとは思わないが、 都合の良い女性も井戸もたくさん出て来過ぎと批判されていたから、 それが村上春樹の無意識の領域に影響を与えたのだろう。 以下であらすじを書いていく。 ネタバレなので、嫌な人は読まないでください。 第一部 3歳の時に本体から離され、壁の外へ追い出された影である16歳の少女に 17歳の主人公(彼)が出会う。 彼女から壁に囲まれた街の話をきく話と、 45歳になった彼がその街で暮らしている話が交互に描かれていく。 やがて彼女は彼の前から消え、17歳の彼は彼女のいない現実の世界を生きていく。 一方壁の中の彼は自分の影と別々に暮らしていたが、 影から一緒に現実の世界に戻らないかと提案される。 溜まりが「意識と無意識の薄い接面であり」(p.176)、 彼は壁の中に残り、影は溜まりに飛び込んで現実の世界に戻ることを選ぶ。 第二部 彼は壁に囲まれた街に残ることを選んだが、気がつくと現実の世界に戻っている。 彼は街に行く前まで働いていた書籍取次の仕事をやめ、都会を離れ、 福島県の図書館で働くことにする。 その図書館は館長を募集しており、彼は新しい館長になった。 図書館のある町(村上春樹は書き分けている)は不思議な町で、 都会から移り住んできた新参者の彼に対して、町の人は誰ひとり注意も関心も払わなかった。 不思議なのは町だけでなく、実は彼が引継ぎを受けている前館長は亡くなっており、幽霊だった。 引継ぎを終えると前館長は消え、 彼はよく図書館に来ているサヴァン症候群のイエローサブマリンの服を着た少年と コミュニケーションをとるようになる。 現実の世界では生きづらい少年は、壁に囲まれた街に興味を示し、ある日突然姿を消してしまう。 第三部 彼は壁に囲まれた街にいる。 館長をつとめている図書館の記憶も、イエローサブマリンの服を着た少年の記憶もない。 しかし、少年は壁に囲まれた街に突然現れる。 少年と彼は話し、 少年は彼の影と何度も会ったことがあること、彼の影は現実の世界で元気に暮らしていることを告げる。 彼が現実の世界に戻ることを決めたところで、物語は終わった。 このことから、第二部は彼の影の話だったかもしれない。 p.587,588で彼の独白として、以下のように書かれている。 ガルシア=マルケス、生者と死者との分け隔てを必要とはしなかったコロンビアの小説家。 何が現実であり、何が現実ではないのか? いや、そもそも現実と非現実を隔てる壁のようなものは、この世界に実際に存在しているのだろうか? 壁は存在しているかもしれない、と私は思う。いや、間違いなく存在しているはずだ。でもそれはどこまでも不確かな壁なのだ。場合に応じて相手に応じて堅さを変え、形状を変えていく。まるで生き物のように。 本小説は、この言葉が物語化されたものであろう。 でも、だからといって、この小説は何なのだろう? 物語を通じて、村上春樹は読者に何を伝えたいのだろう? それが全く分からない。 | ||||
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相変わらず会話の部分は不自然さがかけらも無くさすがだと思いました。人物の描写も。ただ今回の作品はとても完結している様には思えず、読解力の無い自分には何をテーマとしたのか、何を描きたかったのかが不明です。海辺のカフカを筆頭に好きな作品は数多くありますが、自分としては今回のは厳しいかなと。読み終わるまでに結構時間もかかりました。 | ||||
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これこれ!これが読みたかったのよ! 久しぶりに満足しました。初期の作品に繰り返し現れるモチーフが「あっちの世界」では具体性と現実味を持っているんだろうなと想像しつつ、それを描いてくれるのを30年余りも待ちました。 そして、待った甲斐があった。嬉しい。 | ||||
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とても不思議な物語、おとぎ話の様な内容ながら、深く考えさせられてしまう。文章も上手く、「彼女は山の端に上ったばかりの月のような、淡い微笑みを口の脇に浮かべた」と読んだりすると、唸ってしまう。本当に魅力的な作家だと思います。 | ||||
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読みだして最初の70ページぐらい、情景描写が多すぎてわかりずらいなーと思ったら、急に面白くなって、一部終わりまでノンストップで読んでしまいました。 二部に入って、また100ページほどつまらなくなり、ブックオフに売ってしまおうかと考えたまさにその時に、粘り強く読んでいたら、あっという間に、彼の世界観に引き込まれてしまいました。 読み終えたときは、この本が村上春樹の集大成本ではないかなと、ふっと思いました。 もしかしたら、今まで読んだ村上春樹の中で一番いいかもしれない。 最後は涙が止まらなく溢れていました。 村上春樹自身が前半、世の中のコロナ脳自体に染まり、後半その呪縛から解かれて、覚醒されてきたのではないかな。 というよりも、本来の村上春樹らしい村上春樹に戻ったというべきか。 最後までちゃんと読み切れば、今までの中で最高本かもしれません。(^^) | ||||
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まあ、楽しめました。 でも、さすがに古希を過ぎてパワーが落ちてきた感じです。 (私が読み切れていないだけだと思うので、あくまで個人的な感想です) 私は、「街」は誰もが持つ深層心理だと読みました。 夢読みは深層心理の探り手で、誰もが自分自身について深く考えることかと。 パーカーの少年は本ばかり読んでいた自分の16歳の頃の投影でしょうか。 子易さんは父親の理想像かな。 コーヒーショップの女性は処女膜強靭症かな、なんてね。 でも、深層心理を探るのは、何度も井戸の中に入ったりしてやってるし、今回は「そうくるか」という驚きがなかったです。 ああ、またやってるな、という感じ。 比喩にしても、昔は畳の上をのたうち回らされたものですが、この本に関しては、逆にイメージがわかないものもあった。イメージがわかない比喩って何?(たぶん私の想像力があまりに乏しいためだと思うけど)。 かなり冗長だと感じました。でも、それを楽しむんですよね。たぶん。 | ||||
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第二部から面白くなり、そのまま終局部まで息をつかせない緊密な構成は見事だ。いつも通りの驚くべきアイディアが豊富にちりばめられ、飽きさせない。ディテールや設定はいつも通り意味不明だが、キャラクターの情感は明確に説明してるので、読みやすくて分かりやすい。今回はへルマン・ヘッセ風の教養小説的趣もあったのでは。質的には黒澤明に置き換えると「赤ひげ」に該当するような派手さはないけど重厚で良質な娯楽作品に仕上がってた。 | ||||
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村上ワールドの今と昔が混ざった感じがとても素敵で、心地いい時間をありがとう。 | ||||
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この作品について第1部を読み終わった段階で、ここまでのことを書き留めておくことにした。読了する前に、書き留めるということはぼくはフツーはしない。ただ、この作品は、それをすべきだと感じたのだ。 読み出してすぐ、ぼくは『おそらくこういうことではないのか』と思うことがあった。この作品は、3部構成になっていて、第1部の部分は、一度1980年に『文學界』で発表されたことがある。それを今回、書き直し、3部構成とし、リリースした作品なのだ。 つまり、第1部は、1970年代の村上春樹が書いたものであり、それを修正し、第2部・第3部を加えたのは、今の村上春樹である、ということだ。クラシックに例えると、『ヘンデルの主題による』とかのように、昔の自分の『主題』をもちいて変奏曲を書いている作曲家のようなものだ。 そのため読むのに第1部が最も理解できず、進まないだろうと予想した。第2部・第3部に入った段階で、一挙に読むスピードが上がる。そう予想したのだ。 実際、第1部を理解し、読み終わるのに今日までかかってしまった。この作品は4月10日にリリースされ、発売と同時に手に入れたので、2ヶ月と20日もかかってしまったことになる。 そして、第2部・第3部を2日で読み上げた。ある意味、これはこの作品を象徴している気がする。 この作品を音楽に例えると、第1部はまるでフリー・ジャズを聴いているようだった。そのフリー・ジャズの中に主題(テーマ)がいくつも登場する。そして、第2部・第3部は、その混沌とした第1部に隠されている主題(テーマ)を粛々と展開させている。その展開は、フリーではなく、まっすぐにまっすぐに『イン・ア・サイレント・ウエイ』を歩んでいるかのようだ。混沌で蓄積されたエナジーが、一挙に疾走していく。そんな読了感だった。そして、それは初めての経験だった気がする。 ぼくは『おそらくこういうことではないのか』と思ったことは概ね正しかった。 第1部は、1970年代の村上春樹が書いたものであり、それを修正し、第2部・第3部を加えたのは、今の村上春樹である、ということだ。クラシックに例えると、『ヘンデルの主題による』とかのように、昔の自分の『主題』をもちいて変奏曲を書いている作曲家のようなものだ、としたのだがもっと正しくは、『混沌に満ちた1970年代の村上春樹の主題による』変奏曲だったと感じている。 何しろ、第1部を読むのに2ヶ月と20日もかかった作品の第2部・第3部を2日で読み上げたのも初めてだ。おかげで本の表紙と裏表紙には、手の指の痕跡が残るまでになってしまった。それほど長く、手にしていた、ということでもある。 村上春樹以外に誰も書けないであろう圧倒的な構築力。おそらく、一行も読み逃さなかったと思う。 全くの余談だが・・・ぼくの誕生日も水曜日だ。 | ||||
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とても長いので少しずつ少しずつ読みました。読むたびに毎回こちらの世界に周波数をあわせるのが大変になるような奇妙な感覚に襲われました。全て読み終えて、そもそも私は今、この目に映る世界に存在していたのか、どこかに何かを置き忘れて来ていないかと、足元がずっとグラグラしています。 | ||||
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久しぶりの村上春樹長編小説である。この本を読む前に、国会図書館から「街と、その不確かな壁」の複写を入手し、「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を何度か読んでから、この小説をじっくりと、前2作と比較しながら読んだ。 村上春樹の最高傑作は「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」と感じており、「ノルウェイの森」には感情移入ができないので、この新作の中に、「ノルウェイの森」の直子と同様の記述が語られていることに、嫌悪感を感じていることい気付いた。「ノルウェイの森」は大傑作短編「蛍」を膨らませ、説明を加えて、「蛍」の余韻を焼き払ってしまった駄作なため、受け入れ難い作品であるからだ。その箇所を除けば、良い作品だったと思う。 「あとがき」で、第一部で終えようとしていたことが明らかとなった。これで終わらなくて良かったと思う。第一部だけでは、不完全燃焼の読後感になっていただろう。第三部は急ピッチな展開であった。こういう終わり方も一つの有り方なのだろう。じっくり時間をかけて読み進めたので楽しめたが終わってしまった喪失感もある。 村上春樹の小説は、何か自分の人生に影響を与えるものではないし、ノーベル賞を受賞できるような作品ではないだろう。しかし、とにかく面白いのだ。だから、今後も読み続けることは間違いない。 | ||||
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もちろん高いお金を出して読む、文化的体験が出来ることに感謝せねばならないが、いまさら感がぬぐい切れない、次回作に期待します。 | ||||
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村上春樹の作品はいつ何を読んでも村上春樹なので、分析的に読むよりただただ世界観を楽しむというライトな接し方しかしていませんが、本作もまたいかにも村上春樹であり、このパターンを楽しみたい往年の読者にとっては安心感をもって読めると思います。 個人的には村上春樹の小説は寝る前にちょっとずつ読む大人の童話という位置付け。近年は小説家としての活動より、翻訳家としての活動の方が好きです。 | ||||
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村上春樹さんの本の内容は全く問題ありません。簡易包装すぎて本の角が痛み潰れていました。Amazonの本に対する愛が全くないのが腹立たしい。本を愛するものとして今後Amazonでの購入は控えたいと思います。 | ||||
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村上春樹の作品は読んでいて楽しいですね。 考えさせられるシーンも多々あるので興味がつきないです。 お薦めです。 | ||||
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青春時代に「文學界」で同名の小作品を読んだ。 (この作品は国会図書館から取り寄せできる、 高い金を出して中古品を買わない方がいい) | ||||
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