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虚空遍歴
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【この小説が収録されている参考書籍】
虚空遍歴の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 21~28 2/2ページ
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芸術にしろ文学にしろ、「我とはなんぞや」との求道を経験した方はこの主人公沖也が きっと他人とは思えないでしょう。 あれこれ、独りよがりと言えば独りよがりですが、「沖也ぶしの浄瑠璃」をあくまで 完成させるべく、傷つき、ぶつかり、あるいは個性豊かな登場人物との間で、 触発を受けながらひたすらに求道を続け、彷徨います。 ラストが、こうとは思わずに読み進んできて驚いたのですが、これはスチーブン・フォスター の自伝が下敷きにあった事を知り納得をしたしだいで、読後感もこのラストにかかわらず、 爽やかに感じるのはなぜかなと思いました。 浄瑠璃や端唄など当時の娯楽背景がふんだんに登場しますが、それは筋の中で 「こういうものである」とこちらにわからせるようにされていますので、時代物になかなか手が 伸びない方へもオススメです。 | ||||
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お話の内容も重く、ページが中々進みませんでした。人生に意味があるか、ないかと言うことよりは冲也の「こうしてはいられない」「おれはこんなことをしてはいられない」と言う焦燥感を感じることはあります。確かに自問自答、自らと語っているのでしょう。主人公の生き方を振り返ると浄瑠璃、冲也ぶしに取り付かれたような死様です。その姿は純真で、寄り添うおけいの姿もあり、救われます。ただ、どうしても酒に溺れる姿、それも癖の一つか、計り知れない因果があるのでしょう。世の規範に則して自らを律して生きることも、内なるものに突き動かされひたすら求めつづけることも、ほどほども、私が幸せでありますように。 | ||||
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浄瑠璃ですとか、常磐津ですとかまったく趣味のない私で始まりには多少の戸惑いを感じましたが、どんどん物語りに引き込まれてしまいました。『実際に苦労をしてみろ。生きた生活を体験しろ。』身にしみます。勇気付けられます。冲也はいかに。下巻につづく。 | ||||
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この小説は浄瑠璃という特殊な世界の話であるが、 テーマは非常に普遍的であり、 おそらくオペラの作曲家の話に置き換えても、 同様な小説が書けるであろう。 世界的評価を得ている黒澤明監督が山本周五郎の作品を好んで映画化しているのも頷ける。(山本周五郎の作品があまり海外で翻訳されていないのは残念ですが・・) | ||||
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昨年、齢30を目前にして山本周五郎氏の作品に初めて触れました。 長編をいくつか読みましたが、ほぼ全ての主人公に共通する“信念を貫かんとする生き様”には、毎回イライラさせられています。 そして、私の中でそのイライラの頂点に君臨している主人公が、本作の中藤冲也です。 自らが望まぬ名声を捨て己の道を極めんと悪戦苦闘する冲也には、成功者特有の贅沢な悩みと己の才能への自惚れを感じました。 正直に言って、そんな冲也に対して同情はするものの共感はできませんでした。 が、そんな冲也がこの物語の中でどのような体験を経て、何に気づき、どこに到達するのか? という感じで、気がつけば他の著作同様、本作にもどっぷり引き込まれてしまいました。 なお下巻の冲也には上巻以上にイライラさせられましたが、物語としては納得のラストだったと思います。 | ||||
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虚空遍歴は、山本周五郎の長編では「樅ノ木は残った」「ながい坂」と並ぶ3大長編に数えられています。これら3つの中では文芸として最も厳しい作品だと思いました。主人公の中藤冲也は、端唄の作者として市井において評価を得ていたにもかかわらず、浄瑠璃の創作に足を踏み入れていきます。例えるなら、大衆歌謡の作曲家がオペラのような音楽舞台劇に取り組むようなものでしょうか。しかし、冲也にとっては、つらいいばらの路を歩くことになります。この下巻に至っては、上方から北陸への道行きは苦闘の連続で、読んでいても辛くなってきます。小説は、この冲也の生き方を三人称でたどる一方、おけいという随伴者の独白という一人称の部分を挿入して進められます。このおけいという女性の語りから読み手は主人公の心情に手を伸ばすことができ、おけいと同じ感情を主人公に合わせることもできるわけです。この構成が読み手から作品をつなぎ止めていきます。おけいの存在は主人公以上に重要な位置を占めているように思います。周五郎文学畢生の作品と思いました。 芸術にかぎらず、結果がすべての昨今。結果を残せなかった冲也は、いまなら「負け組」と言われるのでしょうか。おけい以外の誰からも理解されず、作品の完成も見なかったその生き方は、今の読者の心にどのような読後感を残すのでしょうか。 | ||||
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虚空遍歴は自分の芸術=一生をかけた仕事をやり抜くためにとことん身を削っていく男の悲劇というか、生き様のお話である、簡単に言えば。ただそれだけだったら、意固地で独りよがりで気むずかしいだけの変人の七転八倒紀であり、とてもやりきれない。我々が救われるのは時に独白を交えてストーリーに広がりと一般性の着地させてくれる「おけい」の存在があるからだ。おけいは男と女の状を全く抜きに冲也に尽くしまくる。それは冲也ぶしの完成という芸術に奉仕する心からなのだが、現実にはこんな人物は存在しないだろう。解説の奥野健男氏はこの二人を周五郎本人の芸術へ切り刻んでいく綿(冲也)と世間と折り合いをつけていこうとする面(おけい)の投影と位置づけているが、その通りだと思う。「酒みずく」というエッセイを読むと、まさしくあらゆる自作の精査につきあたり自信も粉々になりあえぎながら創作に向かう冲也的周五郎がかいま見えるのだが.....我々が好ましく、読み重ねていくのはやはり「おけい」的周五郎が照れ笑いして、まぁ読んでみ、とつぶやいているからに他ならない....虚空遍歴はある意味で創作者山本周五郎の心臓をさらけ出したような迫力ある一編である。 | ||||
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人間は、それぞれの精神世界の虚空を彷徨って生きていくしかないのだと、以前から思っていたことを他人の言葉で聞かされたようで、ガツンと来ました。現実的に何を成し遂げるかということももちろん大事なのですが、独自の虚空(=精神)を、いかに深く豊かにしていけるかということ、また、人生に何を求めるかということの重要さを、改めて考えさせられました。 山本周五郎さんの他の作品とは、作中に流れている空気間が全く違います。読み終った後、タイトルの意味深さにも驚きました。 | ||||
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