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シルバービュー荘にて
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シルバービュー荘にての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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ル・カレは、遺作である本書『シルバービュー荘にて』のなかでボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のなかで本当に起きた事件を背景にしています。 それは「スレブレニツァの虐殺」というセルビア人勢力がボシュニャク人を虐殺した事件です。 イギリス諜報員のフロリアン(エドワード・エイボン)は、そのボシュニャク人の村でヨルダン人の医師夫婦と十三歳の息子と親しくなっていました。 諜報活動で村から離れていた時にこの虐殺があり、村に帰った時には医師と息子は殺され、奥さん(サルマ)だけ生きていました。 フロリアンが医師と息子の埋葬を手伝ったのち奥さんをジープで連れ去ったことになっています。 優秀だったフロリアンが部(サービス)の助けを受けて帰国してからがこの物語が始まります。 思想信条が大きく方向を変えたエドワードと部(サービス)に忠誠を尽くす優秀な諜報員の妻(デボラ・エイボン)との確執から、ル・カレは、イギリスの諜報活動の瑕疵を描こうとしてこの『シルバービュー荘にて』を書いたと思います。 『スパイはいまも謀略の地に』が遺作として3年前に読んだのですが、『シルバービュー荘にて』という本当の遺作を興味深く読むことになりました。 | ||||
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内容がいい | ||||
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深い感慨を覚えた。 これはル•カレの最後に相応しい、「意図された」遺作であり、素晴らしい作品だった。 まず、舞台は本屋である。 それもサンクチュアリのような書店。 「紙で作られた本」に対する愛情やリスペクトが溢れんばかりに感じられた。 少し読むだけで、愚昧な米国リーダーに対する血潮のような怒りがほとばしっていた一つ前の作品(邦題「スパイは今も謀略の地に」、私はこれが遺作だと思い込んでいた)よりも、ずっと落ち着いた心持ちで書かれていることがわかる。 おそらく、本作が長い作家生活における「フィナーレ」であることを明確に意識して書いていたのではないだろうか。そんな風に思える。そしてそれは、巻末のルカレの息子による後書きからも伺える。 決して華々しくはない。 銃弾が飛び交うような荒々しさは全くない。 しかし、流れるような静寂の美と、時間や物理的な長い距離にまたがる切ない愛の哀愁が感じられる、奥ゆかしい作品だった。 どこか、古き良き日本の作家の作品のようでもあるのか、懐かしい感じがした。 この作品は240ページにおよぶエンドロールだったのか。ル読者を、世界中のファンを終幕へと誘う物語だったのか。 終盤のデボラ•エイヴォンの葬儀の描写は、自身のそれを想い、重ねられたものではないか。 死が迫る闘病の中で、過去に対して、現在と未来ついて何を思い描いたのか 冷戦、謀略、権力と闘争、血や死、別れ。 何が過ぎ去り、何が繰り返されようとしているのか。テキストは全てを語らない。 しかし、ル•カレは確実に、その中に何かを残し続けた。 ル•カレに、彼が鮮やかに物語った数多くの英雄たちに。 心から感謝と、長いお別れを。 | ||||
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エドワードがル・カレの投影であるなら、アニアは誰のそれなのか。 この作品が遺作になった理由はそこにあるように思う。 | ||||
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イギリス情報部のスチュアート・プロクターによる調査活動と、ロンドン金融街の仕事を辞めて田舎で書店経営を始めたジュリアン・ローンズリーの日常とが、交互に語られていく。やがて、2人の物語は、2重スパイを媒介にして結びつく。 “人はなぜ2重スパイになるのか”が本書のテーマだ。これは、デビュー作『死者にかかってきた電話』以来ずっと、作者が追及してきたテーマでもある。本書の2重スパイの場合、動機は思想信条にはなく、人間味にあふれている。ただしそうはいっても安易に共鳴できるものではない。この2重スパイの心の中は、2重スパイなら誰しもそうだろうが、極めて複雑だ。スチュアートはこの2重スパイに「あなたはいったい何者なのだ、あまりにも多くの人物でありながら、まだほかの人物であろうとしているあなたは?幾重もの偽装をはぎ取ったあとに残るのは誰だ?それとも、あなたはたんに偽装の合計にすぎないのか?」(本書247ページ)と問いかけた。2重スパイに「あなたは誰?」と問いかけても無意味だよと、読者は突っ込みをいれてはいけない。スチュアートは、この2重スパイを人として救おうとしているのだから。 夫婦間の騙し合いと隠し合い、ボスニア戦争、空軍基地にいまも眠る核施設、この救いようのない世界の中で、登場人物たちは、真っ当に生きている人たちを何とか救い出そうとしている。ジョン・ル・カレが描く作品のベースにはヒューマニズムがある。彼自身が人間味にあふれた人だったことは、息子による「あとがき」に書いてある。 | ||||
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スパイ小説が好きなのですが、ル・カレのカーラ三部作以上のものには巡り会えない、と 感じていたある日、この作品のタイトルが目に飛び込んできました。 恐る恐る注文し、何だかそーっと読み始めたら、あれ?!他の晩年のものと感じが違う! 三部作のように長大ではないけれど、注意して読まないと筋を見失いそうな、でも いい加減だからではもちろんない、念入りに仕組まれた構成の、れっきとしたスパイ小説なので、 大感激。三部作に書かれていたようなスパイ活動のアレコレもしっかり使われるけど、 銃撃戦なんか無しだし、古典的と言いたい感じです。 著者の息子による後書きである程度事情が分かりますが、書き始めたのが晩年になってからでなく、 悩み、手を入れ、とうとう出版が没後になった、のが頷ける、著者の思いの深さが感じられる 作品と考えます。 結末が、最も他の作品と違う点でしょうか。予想外、なのですが、「いっぱい食わされた」と 私はちょっと笑いました。続編を書いてくれたらよかったのに、という無いものねだりを 付け加えます。 | ||||
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味わい深い、良い作品だった。 | ||||
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夫も妻も、その娘までもスパイという職業家族の物語。 心ひとつの家族であるはずなのに、それぞれが秘密を持ち、お互いの秘密を共有しない。 スパイという職柄上、秘密を共有できない。 家族のプライバシーまで侵すスパイ稼業は残酷です。 「あたしがこれからもあなたに話さない、最後の秘密はそれ」(260頁) 恋人に向けた、こんな哀しいセリフで終わる物語。 秘密をひとりずつ、墓場まで持っていかざるを得ないスパイ家族。 どうか、あの世では家族みんなで秘密を明かしあって、打ち解けてくださいね。 本書は、スパイ小説作家「ジョン・ル・カレ」の遺作。 最後だと思って、いままで書けなかったことまで書いたのでしょうか? 著者の息子の「あとがき」によると、それはない。 ル・カレは「情報部時代の職務上の秘密については話さないという一線」(266頁) をきっちり引いて、生涯、厳格に守っていたそうです。根っからのスパイです。 それでは、本書は、自分の生涯をモデルにした自叙伝的小説でしょうか? それとも、もしかしたらル・カレの息子の創作でしょうか? ともかく、ル・カレの死を悼(いた)みましょう。 「悼みます」(22頁)。合掌。 まず、巻頭の「登場人物」(3頁)リストを、小説への <登場順に> 並べ替えてみました。 同一人物なのに、場面毎に違った呼び方をしていたりするので、 複数の名前がだぶってリストアップされてしまいました。 そのためか、巻頭のリストより、はるかに冗長で、 分かりにくい登場人物表になってしまいました。 でも、事件調書の証人の言葉ではないのですから、 小説の冒頭から登場人物をフルネームで表記するほうが不自然というものです。 フルネームが登場するのが、物語のずっと後、 物語がほとんど終わかけてきたときになることさえあります。 読者が作成した、《備考1》の<「登場人物」(登場順)>をご参照いただければ幸いです。 小説の中の会話では、<登場順>リストの呼び名は、ご覧のように、簡潔、リアルです。 小説家の息遣いみたいなものが自然に生き生きと感じられるので、迫力が違います。 例えば、リリー(5頁)。 フルネーム「リリー・エイヴォン」が登場するのは、全261頁の小説の中頃、161頁です。 チョイ役で登場する人物などは、巻頭の主な「登場人物」には絶対入れてもらえません。 例えば、205頁と260頁にしか登場しない「レズリーおばさん」は、クセモノなのに・・・ スパイにとっては、名前こそ大事。最高の秘密です。「心を傷つけないため」の秘密も含めて。 スパイは、「多くの人格を持っている」(175頁)。だから、多くの名前を持っている。 スパイたちは多くの偽装名を使います。 例えば、フロリアン。 誰だ、名を名乗れ! と怒鳴っても無駄というもの。 ゴースト・ライターが多くのペンネームを使い分け、本当の自分を隠すように。 《備考1》 <「登場人物」(登場順)> リリー(5頁) 「プロクター宛の」秘密の手紙を届けた女性。デボラの娘 プロクター(3頁) 部(サービス)の国内保安の責任者 サム(5頁) リリーの息子。「ジュールズ」 スチュアート(6頁) 「スチュアート・プロクター」 お母さん(6頁) リリーの「ママ」 デボラ マリー(6頁) 「この家の管理人」 父(10頁) リリーの「父」 パパ(13頁) リリーの「パパ」 ジュリアン・ローンズリー(14頁) 書店主。「本屋」。「ひとり息子」 エドワード・エイヴォン氏(16頁) デボラの夫 デボラ(3頁) 「シルバービュー荘の女主人」 ベラ(16頁) 「二十歳の見習い」「留守番」 ジェレミー(20頁) ジュリアン・ジェレミー・ローンズリー テッドまたはテディ(20頁) エドワード エドヴァルト(24頁) 「ポーランド人」 アドリアナ(25頁) 「豊満な」店主 ヘンリー・ケネス・ローンズリー(25頁) ジュリアンの亡き父上 テディ・エイヴォン(26頁) セリアの元「親友」 HK(27頁) ヘンリー・ケネス H・K・ローンズリー(28頁) 「聖職者」 エドワード・エイヴォン(28頁) 「ボスニアの援助活動家」 セリア(30頁) 「<セリア骨董店(こつとうてん)>のセリア」 ジュリアン・ジェレミー(30頁) 「HKの息子さん」 キリル(36頁) 看護師 エイヴォン、テッド(37頁) チョムスキー・N(38頁) 「ノーム・チョムスキー」 エレン(39頁) 「スチュアート・プロクター」の妻。「考古学者のつばめ」と・・・ ジャックとケイティ(39頁) 「双子」。「二十一歳」 ベンおじ(39頁) 「八十七歳」 ティモシー(39頁) 「生後三カ月の甥(おい)」 メーガンおばさん(43頁) ミス・セリア・メリデュー(49頁) 「骨董店の店主」 バーナード(51頁) 「セリアの夫」「王配(コンソート)」 ジョーンズ(51頁) 「青果物店」 デボラ・ガートン(55頁) 「<シルバービュー>の」 大佐(55頁) 「デボラの父親」 サイモン(62頁) アントニア(64頁) プロクターの「助手」 副部長(64頁) 「B」「クエンティン・バッテンビー」 ピアソン(64頁) プロクターの偽名? トッド(64頁) ミスター・ピアソン(65頁) 「プロクター」 エンリコ・ゴンザレス(67頁) 「特技官」 ミスター・トッド(67頁) ”ドクター”・プロクター(68頁) 「国内保安のトップ。魔女狩りのチーフ」 ベン(68頁) ジャニス(69頁) 女性。「彼女を愛している」 ドミニク(69頁) リズ(70頁) デビー・エイヴォン(77頁) 「デボラ」「部(サービス)のスター中東分析官」 マシュー(84頁) 「一時的に雇った二十二歳の失業中のデザイナー」 ファウスト(88頁) 「綽名」 エドワード(88頁) パトリシャン(92頁) メアリー(97頁) 「メアリーとでも?」「メアリーで大いにけっこう」 適当だなー ジョーン(105頁) 「フィリップの妻」 フィリップ(105頁) 「脳卒中にやられて杖に頼っている」 チャップマン(107頁) 「雌の黒いラブラドール・レトリーバー」 フロリアン(112頁) 「さまざまなペンネームを使って」寄稿。デボラの夫。 バーニー(112頁) アニア(112頁) 「バレリーナで、ポーランドからの亡命者」。学校の「校長」 ゲルダ(115頁) フィル(123頁) ファイサル(132頁) ヨルダン人の医師 サルマ(132頁) ファイサルの妻。「殺された少年の母親、殺された医師の妻」アニア? アーラヴ(132頁) ビリー(137頁) 「同国内監視部門の責任者」 バド氏(138頁) メアリー(140頁) エドワードの友人 テッドスキー(145頁) 「エドワード」 リリーの造語? ミルトン(148頁) 「デボラの介護者だった」黒人 ジュールズ(152頁) リリーの造語? 愛する人の意味? 大佐の父親(154頁) アンドルー(160頁) デボラの父の弟 リリー・エイヴォン(161頁) サンボ(164頁) 「″わたしのちびくろサンボ″」 バッテンビー(168頁) 「副部長」 フェリックス・バンクステッド(170頁) 「アニアの内縁の夫。平和活動家」 スティーヴン・ピアソン(171頁) 「身分証」 エドヴァルト(176頁) 「エドワード」 サルマ(178頁) 父親が長く交際している、「名前のない美しい女性」 名無しの権兵衛 マクミラン(182頁) 「看護師」 ソフィ(185頁) 「おばさん」「シルバービュー荘の家政婦」 オナー(190頁) 「専門は部(サービス)の葬儀全般」 マーガレット・サッチャー(190頁) 「喉(のど)にジャガイモが詰まった」 ハリー・ナイト(191頁) 部の幹部の名前。「ハリーは完璧に適任だ」 オリー(205頁) 精肉店 ジョージ(205頁) オリーのパートナー レズリー(205頁) デボラの妹。「レズリーおばさん」。 レジー(206頁) デビーの同僚 ポール・オーヴァーストランド(214頁) ジュリアンをシティで最初に雇う ジェリー・シーマン(214頁) スミス(216頁) スチュアート・プロクター(217頁) クエンティン(227頁) 「クエンティン・バッテンビー」 テリーザ(227頁) 「同法務課課長」 クエンティン・バッテンビー(228頁) 「部(サービス)の副部長」 ジョン・スミス(216頁) 「そういう偽名を使ったフロリアンによると」 トマス・エドワード・ロレンス(236頁) 「スパイ」 ガートルード・ベル(236頁) 「スパイ」 デビー(238頁) 「デボラ」 リトル・アンディ(257頁) 「郵便配達員」 《備考2》 <本書タイトルの由来について> 「ヴァイマルのニーチェの家は<ジルバーブリック>と呼ばれていた。だからこの家も<シルバービュー>」(158頁) 《備考3》 <ゼーバルト著の『土星の環(わ)』> 「英語読みの“シーボルド”でなく、ドイツ語読みの“ゼーバルト”で発音した」(21頁) 土星の環は、地球をとりまく <スパイ衛星の環> を象徴している、と感じました。 《備考4》 <正誤表> 箇所: 21頁 誤: 抑鬱症で、悲しいかな、亡くなってしまった。 正: 自動車事故で、悲しいかな、亡くなってしまった。 根拠: ゼーバルトが運転する車に同乗していて、事故後、生き残った娘の証言。 ゼーバルトは、運転中に心筋梗塞を起こした。 《備考5》 <表紙の写真に思う> 埠頭に、茫然と佇んで海の先を見つめている男の後ろ姿。 男は、プロクターだと思う。 「まもなく保釈保証書がもらえるというときに、手に入れようとしない理由があるだろうか」(251頁) 根っからのスパイのプロクターには分からない。 エドワードのような、中途半端なスパイもいることが、理解できない。 とうとう、ル・カレは死んでしまった。さみしいな、ル・カレの新作が読めないなんて。 | ||||
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ルカレは、引退宣言後も2冊出してくれて、しかもその一冊ではギラムとあの方まで出てきましたが、亡くなられた後にもう一冊出てくるとは思いもよりませんでした。いつもは原書を読んで加賀山さんの和訳を待つのですが、今回は原書の刊行に気づかず和訳で初めて読みました。読後の息子さんの文章も、私もBBCのカーラ3部作のラジオドラマをよく聞くこともあり、嬉しかったです。 | ||||
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2020/7月に読んだ「スパイは今も謀略の地に」(これが遺作だと思っていましたが)以来になります。「シルバービュー荘にて "Silverview"」(ジョン・ル・カレ 早川書房)を読み終えました。 <部(サービス)>の国内保安責任者、プロクターの視点。蹲るベオグラード。ポーランド人、バレリーナ・アニアの存在。「ああ、平和だ。疑問の余地なく」と即座に答えるベオグラード元支局長・フィリップ。書店主・ジュリアンの視点。そして、シルバービューの女主人・デボラとその夫・エドワード。エドワードの依頼を受けてジュリアンが手紙を渡す相手は、デボラの娘・リリーか?。何かが起きているようで、何も起きていない事件の中、導かれるようにして、シルバービュー荘に集うジュリアン、リリー、デボラ、エドワードの会話、そのダイアローグのすべてが圧巻でした。「ドクトル・ジバゴ」のスカーフのように。 リクルート、研修と管理、諜報技術(トレードクラフト)、その成果は? 「スマイリーの仲間たち」が繰り広げる冷戦以降の世界が、愛と信条と国家への忠節と平和への希求が、形のない場所で蜃気楼のように繰り広げられます。このような「スパイ小説」を構築できる作家の物語が、もう読めなくなってしまうのでしょうか?秘密は誰にでもあって、誰にでも話せるものではない。家庭劇のようでありながら、実は英国という国家を表現しながら、やはり誰もが望んでいるものがあるとすれば、それは「平和」だったのでしょうか? 巻末にル・カレの御子息、ニック・コーンウェルによる「あとがき」がアタッチされていますが、ル・カレへの愛に溢れた、しかしながらこの物語に描かれる「繊細な真実」を紐解いてみせて、とても興味深いものでした。ル・カレの数々の経験の歌は、エドワードのアイデンティティが国家のアイデンティティよりも確実に<部(サービス)>の役割を果たしていることを気づかせながら、幕切れを迎えます。 誰にでも「分かりやすい」日本という国家の中にいて、そして、その衰退を目の当たりにしながら、これから先、ル・カレ不在の「世界」を生き長らえることを憂いながら、読むことになりました。 | ||||
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