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同志少女よ、敵を撃て
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同志少女よ、敵を撃ての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全383件 81~100 5/20ページ
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第2次世界大戦が舞台で、視点が侵略されるロシア側でしたが、ロシアの悪い点もきちんと書かれていて、深く考えさせられる内容でした。ちょうど、今、ウクライナ戦争が行われていて、そちらはウクライナが侵略される側なので、本当に印象深い内容でした。 | ||||
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この小説を読んで、改めて、スターリングラードの長期の闘いが、スターリンの人災だったことがわかる。気に入らない有能な軍人を粛正すれば、ナチスにはなかなか勝てない。ヒットラーもスターリンも独裁者で同じだとわかる。他の映画で、旧ソ連の強制収容所は、ナチスの絶滅収容所と同じだったと描かれている。そんなスターリンに終戦工作を依頼した大本営は、「外交オンチ」としか言いようがなく、第二次世界大戦で、亡くなった方、人生を狂わされた方たちのことを思うと、この怒りは決して忘れてはいけないと心に誓う。 | ||||
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2022年の夏休みに、岸田総理が購入した本のうちの1冊。正直、もっと浅い政治的な小説と思って読み始めた。あるレビューを読んで「ソビエト政権を信じた少女たちが裏切られるストーリー」みたいなものかと予想して読み始めた。すみません、そんな浅いストーリーではなかったです。もっと深いテーマでした。それにしても、著者が1985年生まれというところが、気にくわない。自分と同世代以上の人物が描いたのならまだ納得できるのだが。ソビエト崩壊は君が何歳の時だった?アレクシエーヴィチの本を、君何歳の時に読んだ?と尋ねたくなる。単なる自分が年取っただけなのかもしれないが。 | ||||
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-- イリーナ | ||||
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読んでる間、苛烈な市街戦の中に投げ込まれたようだった。 | ||||
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今では考えられないような過酷な生きかたをしている。 それが良い悪いとかではなく、人間は時代や環境によって形成されていくんだと感じた。 普遍なのは、人は大切な人(パートナー、仲間)がそばにいることで心を支えあってるってことかな | ||||
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今回の本屋大賞はあまりの出来の良さで勝手に米澤穂信の『黒籠城』かと思っていたが結果は10候補中9位だった。直木賞は『黒籠城』が受賞したが『同志少女・・』も候補だった。各賞特色があって然るべきだし同じでは面白くない。 早速読んでみたが成る程「全国書店員が選んだ いちばん! 売りたい本」というのをキャッチコピーとして掲げているだけあって納得した。ロシアのウクライナ侵攻というタイミングの良さ(悪さか!)と言ったら不謹慎だがあまりにもタイムリーで作者も困惑とさぞ心を痛められているのではなかろうか。 エピローグにこんな一文がある、“ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか、とセラフィマ(主人公)は思った。”とある。出版時にはウクライナ侵攻は起こっていなかったので最悪の結果である。 現実はともかく作品は第二次世界大戦の最前線で戦う女性狙撃手セラフィマの成長譚が描かれるのだが、戦争のリアルさが戦慄に描かれ主人公がたどり着いた境地には感動せざる負えない。 それにしてもこれだけの作品を作り上げるのには、相当豊かな人生経験が必要かと思うが、作者の逢坂冬馬は1985年生まれの35歳だという。これがデビュー作とは俄かに信じがたい。 | ||||
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とても読みやすかった。ロシア人の名前覚えづらくて話の展開がわからなくなる‥ということも全然なかった。登場人物の女性達の一人ひとりの考え方や心の変化などがきめ細かに書かれていてどの人も魅力的だった。歴史を調べながら読み進めたので歴史の勉強にもなった。沢山の人に薦めたい。 | ||||
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取材に裏打ちされたリアリティをもって描かれているからこそ、80年後の今でさえ戦争をやめられない人間の愚かさに嫌になったりもして、読後感はあまり良いとは言えず、彼女らの戦争が終わっている気もしないのがやるせない。だからこそ意味があるのかもしれないが。 とある戦場にて、自分達に懐いていた子どもが戦いに利用された時に、子ども絡みの戦いで絶対にしゃしゃり出て◯ぬだろうと思われたママの感情が全く描かれてなかったのは今考えても不自然だったように思う。その後ちゃんとしゃしゃり出るからこそ余計に。 | ||||
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戦争の、そして人間の嫌な側面が、今までとはちょっと違う角度から描かれている。 言われてみると確かにそうなんだろうなと分かってはいるはずの現実が、文章で迫ってくる。 リアル過ぎるほどリアルな描写で、映像が頭の中にこびりついて離れない。 面白い、面白くない、ではなくて、凄い小説でした。 | ||||
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この本を読んで、元々の原作のドキュメンタリーの本にも興味が出てきて、 後ろに書いてあった関連の本をいくつか読んでしまうほど、当時の状況に興味が湧きました。 当時のソビエトとドイツの第二次世界大戦の状況を掴むのに臨場感と共に読みやすかったです。 少女がこのような状況に追い込まれていった社会の状況が2度と起きない事を願いつつ。。。 | ||||
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戦争の生々しさが伝わってきた。戦時中にも仲間内で同調圧力や差別的な扱いがあり、敵味方問わず不信感が生まれ、信念が重要だと感じた。主人公が最後に取った行動も、強い信念を持っていることが伺えた。 | ||||
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タイトルの「同志少女よ、敵を撃て」が文中に出てくるシーンは思いがけず、エンタメとして秀逸で、これだけ話題になったのも分かる。 ただこの本を読んだだけで独ソ戦における女性にとっての戦争を分かった気になっては決してならない。この本を絶賛する人にはアレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』も是非併せて読んで欲しいと思う。 | ||||
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男女の性差、主義主張の対立、死に対応する死生観など対立事項をきちんと物語内で昇華した上でこれだけ読みやすいのだからいろいろな賞に輝くのも納得。主人公たちが生きやすい国にならなかったことを知っている我々読者は、やや悲しげな彼女たちのその後の人生を最大限に祝福するしかない。楽しい読書ができました。 | ||||
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時は1942年。主人公はセラフィマという少女。ソ連に住んでおり、大学に行くことになっている。戦争が終わったら、外交官になるのが夢だ。 しかし、時代は第二次世界大戦の真っ只中である。セラフィマの家族もドイツ兵に殺され、セラフィマは軍隊に入り、ドイツ兵に復讐することを決意する。 イリーナという狙撃訓練学校教官長と出会い、その学校に連れて行かれる。イリーナは狙撃兵で、的を98人も倒したという。だが、戦っているときに右手の指を失って戦えなくなり、教官長になったのだ。 そして、狙撃兵の訓練が始まる。意外なことに、最初は銃を使わない。まず、「ミル」という単位を覚える。これは射撃の照準に使う単位で、360度が6000ミル、右に90度なら1500ミルである。「1000メートル先にある、幅1メートルのもの」が1ミルなのだ。この単位を使い慣れれば、狙撃の照準を合わせるのに役立つ。射撃をするときに使う3.5倍スコープを見て、見えるものの大きさと距離を覚えていく。 セラフィマは距離を間違えたが、アヤという訓練生は一度教えられただけで正確な位置に移動することができた。天性の才能であろう。 2日目からは、厳しい体力トレーニングと「なぜ弾丸は飛ぶのか」といったことを数式を用いて教える座学があった。 また、ドイツ兵のことは「フリッツ」、的の狙撃兵は「カッコー」と呼ぶ決まりがあった。 ボクシングやレスリングを基礎とした徒手格闘訓練もあった。セラフィマたちがトレーニングを積んで上達していく場面が最も面白い。 当たり前のことであるが、ナチスドイツとソ連の戦争について、オリガという訓練生は「異常な独裁国家同士の殺し合い」だという。そして、ウクライナから見た本音も語られる。本筋ではないが、読み終えて、この部分が最も心に残った。今でもロシアは独裁国家である。ウクライナ侵攻を中止することはありそうもないが、この本が発するメッセージが多くの人に伝わってほしいものである。戦争の非人間性、その空しさもよく分かる。 | ||||
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独ソ戦スターリングラード攻防戦を背景にソ連軍射撃手の生き様を描く。スリリングな展開に人としての生き方を描写。時間を忘れてのめり込める。 | ||||
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スピード感、臨場感が凄まじい。時間を忘れて読んでしまった。 きっとこのような物語を持った人は当時いたのだと思う。 そして今のウクライナ戦争のことも考えてしまった。 | ||||
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見ず知らずの人間同士殺し続けることを強いられる戦争 特に女性であるが故にさらに加えられる残虐 フィクションでありつつも多分こんな状況は実際に無数にあったんだろうし この瞬間にも世界のあちこちで起きている。 何故戦争が起きてしまうのか・・・ | ||||
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筆者は、本書がデビュー作という。 基本的には面白く読んだ。 ただ、デビュー作ゆえの粗削りな部分というか、気になる箇所がないでもない。 本書はWW2時の、旧ソ連における女性狙撃兵についての小説である。 イリーナという伝説の女性スナイパー(の相棒)に厳しく育成された女性だけの独立狙撃部隊が、各地を転戦するという話。 基本的には良くできていると思う。 ただ、相手側の「凄腕スナイパー」ハンス・イェーガーとの対決が、なんというか盛り上がり切らなかった印象がある。 いろいろと、お互いの数奇な縁が交錯するのだが… 狙撃手ものに特有の、ヒリつくような心理戦というか、凄惨な撃ち合いというか、そういう佳境を期待していたのだが。 前半部分の山場、天才少女のアヤが狙撃の基本を忘れて壮絶に戦死し、主人公のセラフィマが「変性状態」でスコープを覗いたあの戦いで描きたいことはほぼ描き切ってしまい、そこからどうにかこうにか一冊完結に持って行ったのかな、という印象を持った。 その後のマクシム隊長達との防衛戦なども、色々と面白かったのだが。 一つなるほどなと思ったのは、セラフィマが伝説の女性スナイパー、リュドミラに「狙撃の彼岸」について質問するくだりである。 狙撃というスキルを極めた先には、ある特別な境地というか、精神的な高みがあるのでは、と訊く彼女に対し、そんなものはないと一蹴するリュドミラ。 あるのは、無心の状態でターゲットに向けて引き金を引き、そして命中するという、ただそれだけのことだという。 フッと雑念が消え、集中ともリラックスともつかない、とても静かな心で的を射抜く。 別に達人でなくとも、普通の射手であっても時折は訪れるであろうそうした「会心の一射」があるだけで、あとは何も特別なことはないという。 つまり、それまでにセラフィマやアヤ、ユリアン達がなんとなく実感していた、いわゆる「ゾーンに入る」的な感覚が、すでにして「それ」だったのだ。 だから例えるなら、我々日本人が芸道の彼岸に期待するような、「無我」とか「明鏡止水」みたいな特別な悟りのようなものは、ないのである。 たとえあったとしても、人生観がまるごとひっくり返るような特別なものではなく、もっと些細な変容なのだ。 だからこそ、リュドミラは言う。 「愛するものか、生きがいを見つけろ」と。 全てを極め、伝説の狙撃手と仰がれても、戦争が終われば、後はただただ普通の人間として生きるだけなのである。 何か超人的な精神力が得られたり、特別な人生の意味が分かったりすることはない。 「凄惨な人殺し」として、時に周囲からさげすまれながら、ただただ余生を送るだけなのだ。 そして奇しくも、セラフィマは見つけた。 イリーナという、一度は殺したいほど憎んだはずの、愛する人を。 なんとなく、道元が言っていた「只管打座」というのも、リュドミラと似たような主張なんだろうなあ、と思った。 悟りたいとか思ってないで、特別な人間になりたいとか思ってないで、ひたすら座禅しなさいよ、それしかありませんよ、と。 また、テレビのインタビューなどで、競技や芸能などの熟達者に「あなたにとって〇〇(熟達した分野)とは何ですか」と聞くのも、あまり意味がないのだろうなあ、とも思った。 最後に一つ。 セラフィマは18歳とあったが。 彼女は「少女」なのだろうか。 現代日本ならともかく(この令和でも成人年齢だが)、WW2時の旧ソ連で、18は少女と言えたかどうか。 非情に些細な話だが、だが逆にこういう細かいところから、作品の時代設定や考証に対する信頼感が生まれたり、損なわれたりするものである。 | ||||
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「戦争は女の顔をしていない」を読んだあと、この本を知って手に取りました。 ロシアのウクライナ侵攻の報道などを気をつけて拾いながら、自分なりに戦争とは、正義とは、信義とは…と考え続けながら読みました。 どちらにより胸を衝かれたか、と言えばやはり「戦争は女の顔をしていない」の方ではありましたが、わたしが今までその存在さえ知らなかった女性狙撃兵という存在、そしてその存在を理解するための助けとはなりました。 物語としてもとてもよく描かれており、長編ではありますが一気に読みました。 読みはしましたが、やはり内容的にすぐに消化して胸に落ちる、とはなりませんね。 これを読んでからまた、「戦争は女の顔をしていない」に戻って、いろいろと考えています。 | ||||
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