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同志少女よ、敵を撃て
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同志少女よ、敵を撃ての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全383件 281~300 15/20ページ
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しばらく読書から遠ざかっておりましたが、久しぶりに一気読みしました。 | ||||
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武力で他国の土地や民の尊厳を奪ってはなりませぬ。恐怖により抵抗力を奪われた私が敗走して、離婚調停に挑んでます。私の星屑作戦。 | ||||
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何かのちょっとした契機で理不尽な戦争にまで発展するが大国は大国なりの余裕を示せ。 軍事大国の背景を奢り、弱者を攻撃することは恥ずべきことだ。情けない大国を見てしまった。 | ||||
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衝撃的なウクライナ侵攻があった。そのことを想起させる本だ。 本書は、第2次世界大戦の独ソの戦争が舞台。1942年2月、モスクワ近郊の小さな農村イワノフスカヤでの出来事。母親をドイツ兵に殺された少女セラフィマは、18歳で猟師だった。ドイツ語を学び、モスクワの大学に行こうとしていた。ソビエト連邦とドイツとの橋渡しをする外交官になりたかったのだ。母の殺されたところに、赤軍の女性兵士、狙撃手のイリーナに救助される。 「戦う意思のない敗北者は必要ない。戦いたいか?死にたいか?」をセラフィマはイリーナに問われる。そして、イリーナは、家にある皿を割り、思い出の写真を捨てる。そして死んだ母親をも、踏んづけそして家に火を放つのだった。「戦うのか?死ぬのか?」の二者択一しかないのか? セラフィマは、イリーナが教官をしている訓練学校で、狙撃兵の訓練を受ける。そこには、女性ばかり集められていて、共通していたのは孤児だった。厳しい訓練に耐える。 貴族出身のシャルロッタは出自にこだわる。シャルロッタはモスクワ射撃大会の優勝者だった。ウクライナコサックのオリガ。カザフの遊牧民のアヤは狙撃においては凄腕、ただし部屋が片付けられない。狙撃者として、成長していくセラフィマ。なんのために、狙撃をするのか? 母を殺したドイツのスナイパーと母親を踏んづけたイリーナを敵として、撃とうとする。 本書が優れているのは、丹念に独ソ戦争を取り上げているが、スナイパーの女性の視点で描かれていることが、実に新鮮でもある。 セラフィマたちは、スターリングラード戦に投入される。戦車部隊であるが、戦車が故障して動いていない。戦車と戦う狙撃手たち。そして、戦車を爆破する爆弾を背負った犬たち。 オリガは、ウクライナについてセラフィマに語る。「ウクライナは、ソ連にとって、略奪すべき農地だ。ウクライナはソ連から解放されない」。なぜオリガがそのようなことを語るのか?が後でわかる。セラフィマは、射撃し殺した人数は85人にものぼる。立派なスナイパーになる。そして、イリーナと共に、309人を射撃した憧れのスナイパー、リュドミラの講演に参加する。スナイパーは、何を考えて人を射殺するのか?を問う。「何も考えない」。戦争が終わったら、人を愛することだと言う。戦争は、人を変えていく。セラフィマは、人をたくさん殺しながら、レイプするソ連の赤軍の行為を非難する。何が正しいのか?戦争の中で、正義はあるのか?殺さなければ、殺されるのだ。 そして、セラフィマは、ドイツ軍の捕虜となるも、母親を殺したスナイパーを殺すのだった。 この本を読みながら、壮絶な戦争シーンがある。それが、小説の世界ではなく、現実に起こっているのだ。その事実に戦慄せざるをえない。 | ||||
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まずはお読みになってみて。 | ||||
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長編小説はしばらく読んでいなかったが一気に引き込まれた。映像が浮かぶようだった。 男性がここまでフェミニズム的なラインを書けるのかと感動した一方で、百合的なサービス要素や、一部の母性信仰的なキャラクター造形が少し邪魔に思えた。 | ||||
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【エンタメ小説であり戦争小説】 戦争小説や時代小説特有の堅苦しさはそれほどなく、エンタメ小説としても楽しめる。時代性にもマッチしており、まさに今読むべき小説といえる。 【一貫したテーマ】 「戦争は女の顔をしていない】作中引用されているこのフレーズこそこの本のメインテーマであると私は感じた。セラフィマにとっての敵はドイツ兵、イリーナ、イエーガーと様々だ。しかし、終盤の展開から、この本における撃つべき「敵」として強調されているのは単に復讐対象や侵略者、敵国兵士ではない。最後のセラフィマの行動がそれを物語っている。 【評価】 総合4.5 読みやすさ4 テーマ性5 没入感4 読後感4 | ||||
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第二次世界大戦の独ソ戦を舞台に、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』などを参考に書かれた小説と思われます。 ただ、硬派な戦史ものではなく、良くも悪くもラノベ的な要素が感じられます。 歴史小説とラノベの中間、といった感じです。 物語にはエンターテイメント的な要素もあって読みやすいので、そのぶん広い読者を取り込めそうです。 硬派な内容を求める人には物足りないかもしれませんが、「戦争について知識の乏しい読者層に戦争の現実を知ってもらうための入り口」としては良いのではないでしょうか。 | ||||
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主人公の物語の進展似つれ、変化する様が巧みに描かれている。単なるアクションノベルでは無いですね。登場する人物との関係も合理的に描かれている。 | ||||
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話題になっていたので買いました。戦争ものは映画も本も苦手で、もしかしたら最後まで読めないかと思いましたが、引き込まれて最後まで読んでいました。この本の結末のまま、今も平和が続いていたらと願わずにはいられません。 | ||||
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信じられない悲惨な情況が毎日報道されているウクライナ情勢。その姿と重なり一気に読み終えてしまいました。生々しく悲惨で異常な戦場猫写、そして戦っている女性狙撃手達の苦悩と葛藤。本当に魅了されてしまいました。デビュー作とは思えない大作でした。 | ||||
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ラノベに近い設定、文体で読みやすい。後半の展開は前半に比べてフィクション感が強くなって ん? って思う時はあるけど、そういう物だと思えば面白く読めます。 | ||||
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独ソ戦には詳しくないが、戦争を題材にしたエンタメ小説として完成度は高いと思う。 特に、「読者に知識を説明→その知識が役に立つシーンがくる」の流れが徹底されていて、予備知識なしでもスルスル理解しながら読める点など、現代の読者にマッチしていると感じた。 「当たる音だ」という台詞とか、キャラクターと読者が同じセリフで「ハモる感じ」と言えば良いのか、ちゃんと知識レベルとして足並みを揃えて進んでいける感覚が心地よかった。 現代ジャパン作品風のキャラ付けも、創作のフレーバーとして個人的には抵抗なく楽しめた。 あまりにも面白かったのでレビューを覗いたのですが、識者の皆様の反応を見るに 独ソ戦に明るくない方が先入観なく楽しめるかもしれないですね。 | ||||
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狙撃手について描かれた映画はかなりありますが、狙撃の心理的解析、ネガティブな要素について描かれたものは知りません。 独ソ戦についてもよく調査されています。 最近の傑作である ”独ソ戦 絶滅戦争の惨禍” (岩波新書 2019年)はかなり参考にされているようです。 ウクライナ戦争の理解には役立ちません。それには ”物語 ウクライナの歴史” (中公新書 2003年)を読むべきでしょう。 個人的に銃マニアなので、その記述も面白いと思いました。たぶん、作者も銃マニアなのではないかと思います。 時流に合ってしまったのは偶然だろうと思います。しかし、面白いです。是非読むべき本の一つです。 | ||||
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久しぶりにいい本を読みました。 話題になっている本なので、デジタルで購入するか悩みましたが、買って正解でした。 | ||||
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物語は面白い。特に女性狙撃兵という想像しにくい人物像に焦点をあて、心理面の克明な描写は見事というしかない。ロシア ドイツ ベラルーシ ウクライナの歴史的背景も理解できるし、戦争とは何なのか?ロシアにおける女性である意味は?敵とは何なのか?最後に戦争によって、生存者も重い十字架を背負いながら互いに支え合って生きていく読み応えがある物語です。 今この時だからこそ読むべき書物だと思う。反戦の一助になると思う。 | ||||
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2022年本屋大賞を受賞をしたこの作品は以前から勧められていたのですが、大賞受賞をきっかけに興味が湧いたので購読しました。 時は1940年、旧ソ連がナチ・ドイツによって侵攻を受けていた時代に遡ります。主人公の少女ファティマはドイツ軍によって母を殺され、村を焼かれ母を撃った敵に復讐をするため自分の命を救ってくれたソ連赤軍のイリーナに師事し、軍の狙撃手になります。 この作品はロシアのウクライナ侵攻以前に発表されたものですが、ロシア(旧ソ連)が主に戦争の主役に登場し、現在の戦争映像が生々しく伝わってきます。 もちろん、時期が重なったのはたまたまの偶然ですが、戦争と重ならない時期に読んでいたら作品の捉え方はまた異なっていたかもしれません。 主人公ファティマは戦友の死や過酷な試練を乗り越えてついに目的を果たす訳ですが、その後に残されたものは戦争とはいかなる事かを考えさせられました。 ウクライナ戦争がなければこの作品はどのように世間に受け取られていたかわかりませんが、多くの史実を基に深く練られた考察は発表時期が異なっても高く評価されるべき作品だと思いました。 | ||||
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1942年、モスクワ近郊のイワノフスカヤ村に暮らす18歳のセラフィマ・マルコヴナ・アルスカヤは母エカチェリーナと狩りに出かける。鹿を仕留めて戻ったところ、村はドイツ兵の急襲を受け、村民は全滅。母も惨殺されるが、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。これをきっかけにセラフィマは、イリーナが教官を務める狙撃手訓練学校で特訓を受ける。訓練を終えたセラフィマは、イリーナに連れられ、同じように若い女性狙撃手とともに、スターリングラードの前線へと送られることになる……。 ----------------------- 先週4月6日に発表された今年(2022年)の本屋大賞に決まった長編小説です。早川書房主催のアガサ・クリスティー賞受賞作だといいますが、クリスティーの名が連想させるようなミステリー小説ではなく、がっしりとした戦争小説です。 それにしても作者の逢坂冬馬氏にとってはデビュー作だといいますが、あの苛烈な独ソ戦の息苦しい最前線を、徹頭徹尾、精緻に描出していく手腕には舌をまきます。新人作家の技量とはとても思えません。当時のソビエトの政治経済そして民族的状況、緻密なまでの銃器に関する知識によって構成される狙撃訓練の日々、スターリングラードとケーニヒスベルクの戦略上の位置づけなど、戦争フィクションとはいえ、あの時代の様子がつぶさに見渡すことができ、歴史書を読むような思いにとらわれます。 また、現在(2022年4月)ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のニュースを浴びる毎日を送りながら手にするこの小説の中で、ウクライナに関する情報にはいやがうえにも目が行きます。 「ウクライナがソヴィエト・ロシアにどんな扱いをされてきたか、知ってる? なんども飢饉に襲われたけれど、食料を奪われ続け、何百万人も死んだ。たった二〇年前に話よ。その結果ウクライナ民族主義が台頭すれば、今度はウクライナ語をロシア語に編入しようとする。ソ連にとってウクライナってなに? 略奪すべき農地よ」(78頁) 一方で、作者の逢坂氏自身が本屋大賞受賞後に次のように発言していることも目をひきました。 「ウクライナで起こっていることと重ね合わせて作品を読まれることはしょうがないと思いますが、今恐れているのは誤った読み取り方をされることです。この作品は防衛するために武器を取って勇ましく戦えと言っているようなものに読めなくもない。そうじゃないんだということは、読んでいただければ分かると思うんですけど、あまりにもタイムリーになりすぎたことが本当につらい」(NHKインタビュー 2022.04.06) 誤読のおそれは少なくともないと思います。 そのためにも、以下のくだりは、(たとえロシア人でなくとも)肝に銘じる必要があると思うのです。 「私の知る、誰かが……自分が何を経験したのか、自分は、なぜ戦ったのか、自分は、一体何を見て何を聞き、何を思い、何をしたのか……それを、ソ連人民の鼓舞のためではなく、自らの弁護のためでもなく、ただ伝えるためだけに話すことができれば……私の戦争は終わります」(101頁) 「たとえば船頭を替えても『大祖国戦争』の物語を美しく受け継ごうとするこの国には、それ以外の面を見ようとする日は、決して生まれ得ないのだろうか」(475頁) 最後の最後に、あの戦争の物語を伝える機会が、思わぬ人物によってもたらされる終幕には、心が震えました。大変見事な小説でした。 ----------------------- 以下の映画を紹介しておきます。 ◆アメリカ映画『 スターリングラード 』(2001年) :『同志少女よ、敵を撃て』の中で狙撃兵ユリアンの師がヴァシーリィ・グリゴーリエヴィッチ・ザイツェフであると紹介されています。映画『スターリングラード』でジュード・ロウが演じたのがこの実在の狙撃兵ザイツェフです。 ◆ドイツ映画『 スターリングラード 』1993年) :スターリングラード攻防戦をドイツ兵の視点から描いた映画です。 . | ||||
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女性スナイパーの表紙の絵も相まって、ラノベかと思ったけど、本屋大賞獲ったし試しに 冒頭だけでもと。でも、途中で参考文献も出てくるので、もしかして女性スナイパーって実在した? と思いネットで検索したら第二次世界大戦のソ連に確かにいた。まさかと言う思いと、無知ですみません でしたという思いと、日本人がソ連時代の物語に挑むリアリティへの挑戦心に 頭が下がった。そりゃリアリティってことで言ったらツッコミどころはいろいろあるだろう。 でも、現代人が書くという時点で、それはしょうがない。明治維新や戦国時代だって同じだ。誰も 本当の意味でリアルな物なんて書けない。それよりも物語を一気に読ませる展開力とキャラクター、 アクションシーンの描写力はエンターテインメントとして、十分楽しませてもらった。日本人キャストでは映画化不可能である。日本人が演じたらそれこそファンタジー、いやお笑いだ。 作者も映画化は想定せず書いたのであろう。その勇気と小説家としての意地も称えたい。 | ||||
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戦争という重いテーマですが、とても読みやすく、ページをめくる手が止まりませんでした。それでいて戦争、価値観、生と死について考えさせられます。読む価値は十分あると思います。ゴリゴリの戦争文学を期待している人にとっては物足りなく感じるかもしれません。 | ||||
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