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活動寫眞の女
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活動寫眞の女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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作品全体に漂う昭和の匂いとオカルトな設定が融合して、不気味な世界観が作り上げられている。 昭和の映画にある独特の覇気と寂寥感。 古い映画を殆ど観たことがないのだが、これを機に観てみようと思う。 友情と恋愛の価値観などの、現代との相違がひしひしと伝わってくる。 | ||||
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私も京都で大学生活を過ごし、はや30年。自分の大学時代の生活 そのままの情景描写にまず心を奪われました。嵐電に乗って太秦にも よく行ったものです。懐かしい場所が思い浮かび、それだけで嬉しく なりました。ひねりはありますが、瑞々しい恋愛小説であるのですが、 同時に「カツドウ屋」達に対する愛惜の念、古きよき時代の映画に対する オマージュが一杯で胸が熱くなりました。浅田さんの小説は、ほんとに 心がありますね。忘れかけたものを思い出させてくれます。 | ||||
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残念ながら、活動写真や京都という題材に興味が持てずじまいでしたが、 いつもの「過去と現在」「あの世と現世」のシンクロに 引き込まれてつい読まされてしまうのが、浅田作品のすごさですね。 白けてしまった点がひとつあり、 主人公が京都を引き上げる決心をする動機づけが薄く、かなり 唐突に感じられたことです。 (これは「シェエラザード」のラスト、女主人公である元新聞記者の 決断に関しても同様の感想。) それでも。ラスト、自分が小説という媒体を読んでいるのを 忘れ、一緒に映画館にいてスクリーンを見ているのではないかと錯覚してしまう ほどの素晴らしさ。全部帳消し、となりました。BRAVO! | ||||
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当初は、あまり期待せずに読み始めたが、途中から作者の世界にどっぷりと浸かってしまい、 読み終えても少しばかり物語りの時代にいるような気がした。 TV時代に育った私であるが、先人の映画への情熱がどれほど強かったのか理解できた。 読み進めて、いつのまにか私もその時代にトリップしていた。 そこかしこに浅田節があり、この心に染み渡るような感覚は作者独自のものだと思う。 名作の一つだと感じた。 | ||||
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ミステリアスなストーリーそのものには余り触れない。 自分自身としては、浅田の作品は『壬生義心伝』のような時代物が好きで、『地下鉄に乗って』など、夢とうつつの世界の行き来を描く作品そのものはそれほど好きではないから。 ただ、この作品の舞台になった昭和44年、1969年という、当時の若者にとって特別な年あたりの時代を、それも同じ京都で学生時代を過ごした人間として、本作品で語られる京都の一コマ一コマが、まさに自分の青春を思い起こし、心が揺さぶられた。 大げさのようだけど、尋常には読めなかった。 主人公を自分に置き換えて読んでしまう。主人公の目に写る風景が、京都の学生の街としての町並みが鮮やかによみがえった。 もう掛け値なしの、☆5つです。 正直言って、最初に言った、あの世とこの世の行き来、のようなところは本音を言うと好きなジャンルではありません。それでも、この舞台設定は、私の年代で京都にいたモノにはこたえられない。 懐かしくって懐かしくって、本当に気持ちが高ぶった。 | ||||
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浅田次郎の作品を眺めていますと、過去と現在の人物が時空間を越えてシンクロする作品をよく見ることがあります。本書もそんなノスタルジアを醸し出す雰囲気を漂わせながら時代を越えて繰り広げられる青春と恋愛をテーマにして書かれた小説です。 昭和40年代の京都の学生と戦前期の映画俳優との美しいからみですから、そのまま映画になりそうな表現力でした。人物描写力に定評のある作家ですし、心の琴線に触れる言葉も散りばめられていますので、感傷的な気分にさせられもします。 大学紛争当時の京都大学をモティーフに黒谷、真如堂、南禅寺という東山界隈が舞台となって登場します。老舗の喫茶店も出てきますので、当時京都で学生時代を送った人には懐かしいシーンが数多く登場します。 学生の街であり映画発祥の地でもあり、世界的な観光歴史都市でもあり、今なお日本の古き景観を残す街として愛される京都が舞台ですから、それらの追体験という意味においても満足できるでしょう。 まだ太秦映画村として営業する以前の時代に繁栄した太秦界隈の各社の映画撮影所の姿が描写されています。東洋のハリウッドと称された太秦がテレビの到来と共に衰退していく頃でもありますので寂寥感も漂っていました。 著者の短編「オリヲン座への招待状」でも、昭和30年代の京都の廃れいく映画館と映画技術者の姿を描いており、この頃の京都と映画をテーマにした小説はかなり著者の心に深く根ざしたものだと言えるでしょう。 | ||||
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浅田次郎には『地下鉄に乗って』『椿山課長の七日間』など、この世とあの世を結ぶ作品があるが、1970年の頃の京都を舞台にした、この作品もそのひとつです。 浅田次郎は東大に行かず、自衛隊に入ったが、その理由は生活のためと言う事になっているが、1969年の安田講堂の占拠で東大の入試がなくなったためだとも考えられる。 そのため、京大文学部に入学した主人公に映画の世界を、京都の街を語らせたのであろう、と考えられます。よい作品です。 | ||||
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京都というのは大学生の多い町です。又、太秦にみられるような日本映画史の舞台でもあります。その二つの要素を巧く織り込んだ怪談じたての物語でした。東京生まれの主人公が、京都大学に入学し下宿生活を開始する場面から始まるのですが、京都を異国のように感じています。言葉になじめず疎外感を感じます。このあたり大学生活で初めて故郷を後にした若者の気持ちが非常に良く出ていると思いました。そして、友人ができ、恋人ができ、知り合いが増えてゆき、その町に同化してゆくわけです。映画少年である主人公は、友人の紹介で撮影所でアルバイトを始めます。その友人が、撮影所で女優の霊と出会い恋に落ちるという話になってゆくのですが、その女優の謎を探ってゆくことが、日本映画の創世記を振り返ってゆくことになっています。これと主人公の恋愛を対比させながら、青春時代の恋愛とは、実は幻なのではないか、という思いを起させるのです。日本映画へのオマージュ、古都、京都の大学生という魅惑的な要素を持った作品でした。味わえます。映画ファン、京都ファンの方にはお勧めです。 | ||||
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私の年齢からは、テレビや本でしか覗いたことのない昔の映画の世界。 ですが、懐古的に「活動写真」の世界を若者の恋愛などを織り交ぜながら読ませてくれるので面白かったし、勉強にもなりました。 全体的には、幽霊が出てくるだけあって陰鬱として、読後は、なんとなく寂しくなりましたが、浅田次郎さんの文章の巧みさで一気に読ませます。 おすすめです。 | ||||
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昭和40年代の京都太秦が舞台のミステリタッチの小説。ふとしたことから映画のエキストラに出た京大生3人が体験するひと夏のできごとを京都の四季・風情を織り交ぜながら叙情的に描いていく。主な登場人物は京大生の主人公・薫と先輩であり恋人の早苗、医学部の友人・清家、最後の活動屋を自認する辻、大部屋女優でしかもこの世の人ではない伏見夕霞。 読了して感じたことは、著者の出世作となった『鉄道員』と随分似通っている内容であるということだ。短編・長編の違いはあるが、対を成す作品であるような気がする。初版は1997年7月発行(『鉄道員』は同年4月発行)になっているので、『鉄道員』以後の作品となるが、ここでは脇役で出てくる活動屋・辻のいわゆる“職人気質モノ”を、更に内容を複雑化した長編と解釈できなくもない。 『鉄道員』で完成されたかに見えるお涙頂戴・職人路線を、作者が再度こだわる必要がなんだったのか分からない。『鉄道員』の中でも有名になった台詞『したって、俺はポッポヤだから』はこの作品では『俺、カツドウヤさかい』という言葉に置きかえられており、思わず(またか…)とげんなり。そして、大部屋女優の伏見夕霞が著者お得意の“幽霊”で出てくると、再度幻滅。最後のとどめは活動屋の辻の昇天が職場であるフィルム倉庫の試写室での殉職ということになると、開いた口が塞がらない。僕にとっては長い長い『鉄道員PArt2』を読まされたような気がした。…ということで、この手の話はあまり新鮮さがなく、二番煎じの感も強いが、そこは著者のうまさか、気がついたらあっという間に読まされてしまった。(うーん、やられた) | ||||
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なんと優しくなんと柔らかい語り口。 モノクロ映画の名品のごとき味わい。浅田次郎の古き良き時代と映画への憧憬が痛いほど伝わってくる。ついでにぼくが忘れかけていた映画への憧憬までもが呼び覚まされてしまった。 『活動寫眞の女』を読み終えた深夜、矢も立てもたまらなくなった。『人情紙風船』のビデオを引っ張り出し、深夜2時までかかって見てしまったのだ。ビデオで申し訳ない。>辻さん。 確かにこのラストシーンは絶品。山中貞雄の寫眞は、ほとんどが空襲で焼失している。非常に残念。 | ||||
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異界の者との交流を描く物語のプロットは、怪談として知られる「牡丹灯篭」や山田太一氏の「異人たちとの夏」などと同じくして、物語の終わりにはやがて、かくし世の存在に誘われるように、現世の存在である主人公や準主人公をこの世ならざる世界へ連れ去っていってしまう……そんな型通りの筋運びなのだが。 しかし、なんとはかなくも美しくたおやかな存在として余韻と哀愁をのこす、もののけであったろう。そして70年という栄枯盛衰の時間軸を辿って消えていった活動写真の、和製ハリウッド・京都での絶頂とその後の斜陽とぃう時代の雰囲気を巧みに織り込みながら語られる、この恋物語の切なさや胸苦しさは、もはや『恋い焦がれ死ぬ』ということが大時代なもの言いとしか聞かれない渇いた現在にあって、こころ騒がさずにはおれない情動となって泪をにじまさずにはいられなかった。 こころの琴線に触れるという言い回しがあるが、この著者ほどその勘所をとらえた文章をものする語り手はいないだろうと、ほんとに思う。ほんとに。 | ||||
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