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燃えあがる緑の木



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燃えあがる緑の木の評価: 4.30/5点 レビュー 20件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.30pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全20件 1~20 1/1ページ
No.20:
(2pt)

私には合わなかった。

初、大江健三郎さん。しかし。半分ほどで脱落しました。
山の中の集落。森。伝承。民俗学的なストーリーの中に、ときに哲学的なことが語られたり、はたまた主人公の私は両性具有!?だったり。なんというか、捉え所がない。感情移入ができないだけでなく、何やら気分が悪くなってくるような。すみません。私にはこの良さがわかりませんでした。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
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No.19:
(5pt)

大江の人生における宗教経験に対する「総括」

大江の雄渾な長編である。
本作品(三部作)の意図について、大江は1997年のプリンストン大学での講演で以下のように述べている。
「『燃えあがる緑の木』は、日本社会の宗教団体の教理、実践にあきたらぬ若者たちが、魂の救済を求め、混交宗教(シンクレティズム)的な新しい教会を作り出す物語です。その指導者は、学生運動の革命党派の抗争でテロリズムに加わった過去を持っていました。新しく作られた教会は社会と対立し、さらには内部抗争から分裂にいたります。そして続いて起る悲劇の辛い経験から新しい出発にいたるまでを、私は描こうとしたのでした。」

本作品は、大江の人生における宗教経験に対する「総括」であり、精神生活における「中仕切り」であったと評し得よう。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.18:
(5pt)

大江の人生における宗教経験に対する「総括」

大江の雄渾な長編である。
本作品(三部作)の意図について、大江は1997年のプリンストン大学での講演で以下のように述べている。
「『燃えあがる緑の木』は、日本社会の宗教団体の教理、実践にあきたらぬ若者たちが、魂の救済を求め、混交宗教(シンクレティズム)的な新しい教会を作り出す物語です。その指導者は、学生運動の革命党派の抗争でテロリズムに加わった過去を持っていました。新しく作られた教会は社会と対立し、さらには内部抗争から分裂にいたります。そして続いて起る悲劇の辛い経験から新しい出発にいたるまでを、私は描こうとしたのでした。」

本作品は、大江の人生における宗教経験に対する「総括」であり、精神生活における「中仕切り」であったと評し得よう。
燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)より
4101126194
No.17:
(5pt)

大江の人生における宗教経験に対する「総括」

大江の雄渾な長編である。
本作品(三部作)の意図について、大江は1997年のプリンストン大学での講演で以下のように述べている。
「『燃えあがる緑の木』は、日本社会の宗教団体の教理、実践にあきたらぬ若者たちが、魂の救済を求め、混交宗教(シンクレティズム)的な新しい教会を作り出す物語です。その指導者は、学生運動の革命党派の抗争でテロリズムに加わった過去を持っていました。新しく作られた教会は社会と対立し、さらには内部抗争から分裂にいたります。そして続いて起る悲劇の辛い経験から新しい出発にいたるまでを、私は描こうとしたのでした。」

本作品は、大江の人生における宗教経験に対する「総括」であり、精神生活における「中仕切り」であったと評し得よう。
燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)より
4101126208
No.16:
(5pt)

大江の人生における宗教経験に対する「総括」

大江の雄渾な長編である。
本作品(三部作)の意図について、大江は1997年のプリンストン大学での講演で以下のように述べている。
「『燃えあがる緑の木』は、日本社会の宗教団体の教理、実践にあきたらぬ若者たちが、魂の救済を求め、混交宗教(シンクレティズム)的な新しい教会を作り出す物語です。その指導者は、学生運動の革命党派の抗争でテロリズムに加わった過去を持っていました。新しく作られた教会は社会と対立し、さらには内部抗争から分裂にいたります。そして続いて起る悲劇の辛い経験から新しい出発にいたるまでを、私は描こうとしたのでした。」

本作品は、大江の人生における宗教経験に対する「総括」であり、精神生活における「中仕切り」であったと評し得よう。
『燃えあがる緑の木』 (大江健三郎小説)Amazon書評・レビュー:『燃えあがる緑の木』 (大江健三郎小説)より
4106408309
No.15:
(5pt)

大江の人生における宗教経験に対する「総括」

大江の雄渾な長編である。
本作品(三部作)の意図について、大江は1997年のプリンストン大学での講演で以下のように述べている。
「『燃えあがる緑の木』は、日本社会の宗教団体の教理、実践にあきたらぬ若者たちが、魂の救済を求め、混交宗教(シンクレティズム)的な新しい教会を作り出す物語です。その指導者は、学生運動の革命党派の抗争でテロリズムに加わった過去を持っていました。新しく作られた教会は社会と対立し、さらには内部抗争から分裂にいたります。そして続いて起る悲劇の辛い経験から新しい出発にいたるまでを、私は描こうとしたのでした。」

本作品は、大江の人生における宗教経験に対する「総括」であり、精神生活における「中仕切り」であったと評し得よう。
燃えあがる緑の木 全三部合本版(新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木 全三部合本版(新潮文庫)より
B07VCQT586
No.14:
(4pt)

尺たりてない

二巻までしか読んでいません。わたしはこの物語の主題に対して尺が短いように思います。あと話を展開させるための脇キャラ(ミツ、真木雄等)が都合よすぎ。
話しはしょるからもう教会できたんかい、もう信者200人に増えたんかいって感じました。
引用が確かに多いです。総領事の小説構想は、先生に申し訳ないが、とばした。
でも、三部も読むでしよう。
今の段階では、死者の奢りとかアナベルリィみたいな短編の方が好みかも。
燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)より
4101126194
No.13:
(5pt)

喜びを抱け、人間は破壊されない

壮大な『燃えあがる緑の木』の物語は、この第三部で完結します。第三部の序盤では、ギー兄さんに失望を覚えて教会を出たサッチャンの性の遍歴が綴られます。中盤の原子力発電所の場面は、原発事故を予言するかのような内容です。終盤ではギー兄さんの教会でゴタゴタが起こりますが、ラストは希望に満ちた終わり方になっています。第三部は物語の起伏が激しく、なおかつメッセージ性にも富んでいました。

・アウグスチヌスのオマージュ
第三部の序盤でサッチャンは、教父アウグスチヌスに心惹かれます。アウグスチヌスは母モニカが信じるキリスト教から逃れ、色んな女と関わって性の黒歴史を積み重ねました。第三部のサッチャンもギー兄さんの教会から離脱し、性的に堕落した日々を送りました。でも、アウグスチヌスは結局回心してキリスト教徒になりましたし、サッチャンも回心してギー兄さんの教会に戻りました。第三部では、サッチャンの生涯がアウグスチヌスのオマージュになっています。

・見出だされた「怪物的な悪」と「神」
294ページでは、核兵器や原発が極めて邪悪なものとして語られています。核兵器を使用することは「怪物的なほど大きい規模の、神に向けられた侮蔑」であり、原発は「核兵器の使用にひとしい惨禍をもたらす施設」だという。そしてギー兄さんは、「侮蔑を働きたくない相手の総称」を神と呼んでいます。長大な思考実験の末、終盤で浮上した「怪物的な悪」と「神」の存在には、大江の作家としての本心を垣間見たように思います。

・喜びを抱け!
『燃えあがる緑の木』の物語は、“Rejoice!”の一言で締め括られます。“Rejoice!”とはイェーツの詩句に出てくる言葉で、日本語では「喜びを抱け!」という意味があります。第二部では、人間の生を語るうえで喜びという感情が重視されていました。人間存在がいつまでも続いていくこと、大江が好きなエリアーデのいう「人間存在の破壊されえないこと」を感じさせるラストでした。
燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)より
4101126208
No.12:
(4pt)

イェーツと総領事が重要な役割を担う。

『燃えあがる緑の木』第二部では、実在するアイルランドの詩人・イェーツや、ギー兄さんの父・総領事が重要な役割を担います。第二部ではギー兄さんの教会に新しい仲間が次々に加わり、教会が繁栄します。教会に対する反対勢力の動向も描かれますが、第二部はかなり明るい印象を受けました。

・「集中」
ギー兄さんの教会には、信仰すべき神はいません。あらかじめ用意された神が存在しない「空家」のような教会で、人々は「集中」という行為に没頭します。第二部の時点で、ギー兄さんは神が存在するという「信仰」を持ちません。神が内在しているかどうかどうかわからない何かに集中し、その集中するという「行為」に価値を見出だします。神が存在するかどうかはともかく、その何かに集中して人生を充実させればそれだけで大したもうけだという話です。

・イェーツの注釈
第二部では、登場人物がイェーツの詩について語ります。イェーツは、第二部のサブタイトルになっている「ヴァシレーション」という題名の詩を書きました。第二部を読めば、イェーツの「ヴァシレーション」1節と2節が読めるようになると思います。また、『燃えあがる緑の木』で重要なRejoice!という言葉も、イェーツの詩から取られた言葉です。第二部は、小説としてだけでなくイェーツの注釈としても読めます。

・死者と共に生きよ
ギー兄さんは教会の礼拝堂で、「死者と共に生きよ」ということを説教します。第一部でも第二部でも死者が出ますが、私たちはそれらの死者たちと共に生きているとギー兄さんは説きます。四国の谷の森には、人々の魂が輪廻のように循環する伝承があります。
燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)より
4101126194
No.11:
(4pt)

壮大な思考実験の始まり

この小説では、「ギー兄さん」という指導者が四国の村で行った言行が語られます。この小説の語り手は、サッチャンという両性具有者です。サッチャンは小説家のK伯父さんに勧められて、ギー兄さんをめぐる物語を書くことになります。

・両性具有の語り手
語り手のサッチャンは女性的な乳房と女性器を持ち、なおかつ男性器も持つ両性具有者です。Eテレの「100分de名著」に出演した小野正嗣さんによれば、誰の心の中にも〈女性的なもの〉と〈男性的なもの〉が同居しており、そういう意味ではみんな両性具有者だそうです。そしてサッチャンは、〈女〉と〈男〉のうち、〈女〉であることを自ら選び取った。両性具有の語り手という設定には、大江健三郎のジェンダー観が現れているという説ですね。さらにサッチャンは〈女〉として生きることを決断した人間でありながら、〈男〉である作者=大江健三郎の代わりに物語を語る語り手だから、両性具有者なのかもしれないと私は思いました。

・〈永遠〉に対抗しうる〈瞬間〉
「永遠と対抗しうるのは、じつは瞬間じゃないか?ほとんど永遠にちかいほど永い時に対してさ、限られた生命の私らが対抗しようとすれば、自分が深く経験した、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景を頼りにするほかないのじゃないか?」(p.174)
〈永遠〉に対抗しうるのは、〈瞬間〉ではないかとギー兄さんはカジ少年に言います。ニーチェの『(権)力への意志』はギー兄さんの説教とはだいぶ違った内容ですが、〈瞬間〉を肯定することによって〈永遠〉をも肯定する思想でしたね。〈永遠〉に対抗できるのは、〈瞬間〉だ。だから、心に残る〈瞬間〉を記憶に刻むことが大事なのだ。ギー兄さんの説教やニーチェの哲学からは、このような教訓を得ることができます。

・「NHK批判」の予言!?
『燃えあがる緑の木』は平成に発売された小説ですが、発売後の未来の事件を予言した小説だと言われています。第一部には、ギー兄さんの超能力を報道したNHK特集がインチキだと批判される場面があります。私はこの場面を読んで、これは数年前から活発化した「NHK批判」の予言のようだと思いました。NHKを批判する某政党や、過去にNHKスペシャルで特集された某作曲家のことを私は思い浮かべました。なお、続きの第二部・第三部には、オウム真理教事件や原発事故を予言しているような場面があります。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.10:
(5pt)

新たな言葉を生み出す文学としての力

一部はサブタイトルでもある通り、救い主が殴られるまでが描かれています。
何の話をしているのかさっぱりわからないのに、
それを知りたくて先が気になって読んでしまう巻でした。

あらすじだけ掬い取ると物語のスジやキャラクターの設定からとてもおもしろそうに感じますが、
実際に読み進めていくと眉間に皺を寄せながらの読書が続きます。
難解な文章ではないのに何を言いたいのか理解できない状況が続きますが、
何かのきっかけや展開を迎えるごとにそのモヤは晴れていきます。
終盤へ向けてのめくるめく展開には読むのを止められなくなります。

最初は、これ読み切れるかなあ、と思っていた私もあっという間に三部まで読み切ってしまいました。
大江文学は短編がとてもおもしろいですが、長編もおもしろいです。
物語が進むにつれてどんどん大江健三郎の描く小さな村の壮大な物語へと惹きこまれていきました。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.9:
(5pt)

亀井のババア

二部は物語にエンジンがかかり動き始めます。が、そこに至るまでが我慢の読書になります。
一部よりさらに引用が多く、不思議な話もあり、哲学的な考察も多いです。
もう勘弁してくれえ、と思う部分は多々ありますが、登場人物に変化が起きたり物語に展開が起こると
話は途端におもしろくなり続きが気になり、また読み進めてしまいます。
三部は全ての集大成で非常におもしろくなります。
燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第2部〉揺れ動く(ヴァシレーション) (新潮文庫)より
4101126194
No.8:
(5pt)

サッチャンの冒険

三部は最初から最後まで物語が激しく動き、終幕へ向けて突っ走る怒涛の展開を迎えます。
読むのを途中で止められないほど惹きつけられてしまいます。
内容については触れませんが、読み終えた後は心を打たれますし、力も湧いてきます。
この長編を読んでよかったな、という心地良い余韻に浸れます。

解説もとても読みやすく丁寧で、最後まで気持ちの良い読書ができました。
評論家の解説は抽象的で読みにくかったり本筋からそれたりなどでがっかりさせられることが多いですが、
この本の解説は非常にわかりやすく要点がまとめられており、ぼやけていた部分が理解出来てありがたいです。
解説者であろうとする心意気が伝わってきました。

途中、教養のない私にとってはつらい引用だらけで投げ出したくなることもありましたが、
振り返ってみると夢中になれた読書でした。一部、二部も良いですが、三部は本当におもしろいです。

言いはれサッチャン、Rejoice!
燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)より
4101126208
No.7:
(2pt)

フランス文学の翻訳本みたい

「100分で名著」で取り上げられていたので読んだのですが、回りくどい表現が多くてストーリー展開の割に長い。内容は深いので、単に文体の好みの問題だと思いますが。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.6:
(4pt)

主題などどうでもいいのだ。

「魂の救い」などと惹句があるが、そんなことはどうでもいいのだ。大江の、現実と空想が入り混じる不可思議な世界を楽しめばいいのである。
 三部作の第一だけに、はじめもたつくが、男から女へと「転換」したサッチャンという、しかし完全に女になったわけではなくペニスも女陰も備えている人物が語り手で、オーバーという中上健次のオリュウノオバと『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老をあわせたような人物が死に、森の青年隆が「あとのギー兄さん」として指名され、治癒能力をもつと言われて新興宗教めいたものが始まり、本多勝一をモデルにした花田という新聞記者がいやらしい記事を書いて妨害、ギー兄さんは反感をもつ者たちから暴行を受ける。そしてクライマックスではギー兄さんとサッチャンがセックスするという、めくるめく展開になるのである。
 この谷崎を超える変態的想像力をこそ、大江においては楽しむべきものである。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.5:
(3pt)

本当は星4つ。でも…

読後10年以上経っている。
本書以前に、著者の小説を読んだのは、それからさらに20年ほど前。10冊ぐらいを、ほとんど高校時代に読んだのだが、20年経っての感想は、読みやすくなったということ。著者の初期の作品は、かなり大変だった。高校生だったこともあったのだろうが、文章も違っていると思う。
内容については、色々と考えさせられるところもあり、面白いところもありで、比較的満足した。高校時代に好きだった作品と比べても、同じほど、好意を持てた。
ただ一点、気になることがある。本書に登場するジャーナリスト、1980年代のことを知る人にとって簡単にモデルが想像できる。当時、著者を厳しく批判した人だ。どちらが正しいとか、言うつもりはない。しかし、こういった形で書くのはフェアではない。小説を意趣返しの道具として使っているようにしか思えない。
それが、星を一つ減らした理由。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.4:
(5pt)

サッチャンはギー兄さんのヨハネ?

ひとり夜空を見上げる際、私は不幸であったと思うことがある。私に存在自体が意味づけられず、昔呟いた早く死にたいという言葉が蘇る。私は良い生き方をしてこなかったし、それは定められた運命だと思っている。自らの存在を疑わない人間は一生幸福のまま死んでいくものだと思っていた。洗礼者ヨハネはキリストの道を準備するため荒野に現れた。キリストは神を信じれば永遠の命が得られると説いた。この無意味だった私の転換が救い主であるギー兄さんを支えるためだとしたら私の人生はどのような意味を持つこととなるのだろうか。それは私にはわからないが、転換は生き方の根幹として意味づけられたこととなった。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.3:
(5pt)

自分を救うのは自分

大江健三郎が、神とか宗教に頼らずに「魂のこと」を扱った作品。
この小説を読んで私が考えたのは、過ちや後悔に執着せず前向きに生きるためには、しっかり、自分の頭で考えて心の整理をすることが重要ということ。
たしかに宗教によって救われる者も多いだろう。
しかし「神」は人々を思考停止させる装置になり得るし、宗教は活動面に針が振れてしまうと目的を見失う恐れがあるので、人々が宗教で本当に救われているのか疑問だ。
やはり、一つひとつ自分の頭で考えて解決していかないと救いはないと私は考える。
その教科書はないが、この小説で引用されている多くの言葉はその助けになる。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.2:
(4pt)

救う人、救われる人

救い主と看做されたギー兄さんは己の奇跡的な治癒能力を懐疑しながらも、救いを求める人々に真摯な対応をする。重病の少年カジはギー兄さんとの対話の中で魂(精神)の安堵を得ていく。しかし、人々の求める救いは病気が治るというようなもっと可視的なことであった…。この物語を綴る両性具有のサッチャンの言葉を借りれば、村人たちはギー兄さんを救い主として「発見」しただけだった。「発見」だけでなく「理解」と「受容」を伴って初めて救う人と救われる人の関係は成り立つのであろう。特異な体験からギー兄さんを救う人として受容したサッチャンとギー兄さんの新たな活動が第二部へと続く。
燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第1部〉「救い主」が殴られるまで (新潮文庫)より
4101126186
No.1:
(4pt)

神と宗教をめぐる思考に満ちた作品

三部作を読み終えてのなによりの感想は、大江氏がこの作品であたかも実験をするかのように宗教をめぐる問題に真っ向から取り組んだ姿勢に圧倒された、ということである。古今東西の宗教の諸相をふんだんに盛りこんだだけでなく、四国の森の中で繰り広げられるギー兄さんを中心とした団体を描き出すことで、読者はなにが彼らを駆り立てるのかという問いを喚起させられる。人間の精神的な部分、それは魂と換言してもいいかもしれないが、その存在の価値や在り方を宗教というものを通して改めて考えさせられた。
燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:燃えあがる緑の木〈第3部〉大いなる日に (新潮文庫)より
4101126208

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