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むらさきのスカートの女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全115件 81~100 5/6ページ
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主人公、むらさきスカートの女の物語が二人を含め登場人物皆がダメな中で紡がれている。皆のダメなところがちりばめられている。しかしそこには決して悲壮感はない、こちらあみ子にも通じるがダメがゆえにそれも感じられないという悲壮というかむしろ幸せというか。著者の独特の世界観が表現されています。 | ||||
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『むらさきのスカートの女』(今村夏子著、朝日新聞出版)では、「わたし」こと「黄色のカーディガンの女」が「むらさきのスカートの女」を執拗に観察し続けた経過報告が淡々と語られていきます。筆致は淡々としていても、観察される「むらさきのスカートの女」の行動も、観察する「黄色のカーディガンの女」の行動も、尋常ではなく、かなり異常です。実は、「むらさきのスカートの女」は「黄色いカーディガンの女」なのではないか、『黄色いカーディガンの女』と「むらさきのスカートの女」は「わたし」という一人の人間の半身なのではないか――と、読み手を惑わせることが作者の目的であるならば、その狙いは成功していると言えるでしょう。しかし、こういうテクニカルな作品で有名な文学賞を受賞したことを、してやったりと作者がほくそ笑んでいるとしたら、実に、もったいないことです。文学というのは、テクニックを駆使して、自分が訴えたい大切なものを読み手に伝えるものだと、頭の古い私は考えているからです。 | ||||
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ほんとに えっ何なに何ーって思いながらイッキによんでしまいました | ||||
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kindleのサンプルで読んだときは、「俺には合わないかな」と思ったが、買ってよかった。 読んでよかった。 毎日20分くらい読んで1週間で読めました。 | ||||
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タイトルとシュールな表紙に引き込まれて買ってしまいました。むらさきのスカートの女のことが、どんどん気になって、読んでいくうちに物語の世界にハマります。読みすすめていくと、おもしろさと同時に不思議な感覚が湧いてくるのですが、その不思議な気持ちが、一体何なのかもわからずに、どんどん読んでしまいます。 何かがおかしい、でも一体何がおかしいのかわからない、最後まで読むまでもなく「あー、これはすごい。おもしろい」と思うのですが、読み手の想像力と捉え方によって物語の世界が変わる気がします。 「もう一度読みたい」と思わされる一冊で、読み終えた時、物語の世界に完全に浸かってそこから抜け出せない自分がいるので驚きました。むらさきのスカートの女よりも、○○の女の方が気になって仕方がないわけなのです。 | ||||
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「わたしは、むらさきのスカートの女と友達になりたい」 傍観ばかりしてる私に友達?! 確かに、わたし(黄色いカーデガンの女)と むらさきのスカートの女には共通点がある。 Ⅰ.友達がいない。 2.フリーターである。 ただ知っているのは、わたしだけだ。 同じものへの片思い。 いや、憎らしさも拭えない。 淡々とした無機質な世界が、 ぞくぞくする氷の世界を秘めている。 不思議な後味の作品だ。 | ||||
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あっというまに読んでしまいました。そこで、90歳近い母にもすすめました。読んでしまったという満足できる書物だと思います。 | ||||
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初めて彼女の作品よみました。 なんかわかるな~ あるあるだとも思う。 みんな他人事と思っているかどうかわからないけども、なんか共感つーかみんなあるあるな部分はあると思う。 いつもいくお店で良く出会う名も知らない人にへんなあだ名つけたりとか。。。 装丁もすばらしかった! ただ最後の方はある意味キャッチャーなよくある売れ選を感じたが。。。 | ||||
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黄色いカーディガンの女は、むらさきのスカートの女の、ストーカーだつた。黄色いカーディガンの女は、むらさきのスカートの女なりたかった。そしてなった。 | ||||
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作者が紫のすかーとの女性をすとうかーする。読者はこの女性についていきながら、いつのまにか今村さんの世界にはまっていく。とにかく読んでいただいて、あとはみなさんのごそぞうにおまかせします。是非今村さんのせかいにはいってもらいたい。 | ||||
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今村夏子は世の中からちょっと外れた人間を描くのが物凄く(物凄くという言葉では足りない。これは才能の域)上手い。「こちらあみ子」を読んだ時の「この作家は凄いのでは?」という予感は「あひる」「星の子」で確信に変わった。流石にそろそろネタ切れを起こすのでは……と思っていたけど、本作もまた違った「少し変わった人」の視点で描かれている。 今村夏子の本は……びっくりするくらい、リアリティがある。胸が痛くなるほどに。切なくなる。読み手である自分自身がマイノリティだから、「今村夏子は〈わかってる〉」と泣きたくなる。 一般に受ける本だなんて思わないけど、今村夏子の小説に救われるような気持ちになるマイノリティはきっとたくさんいる。自分だけじゃなかったんだ……って硬質化した孤独が溶け出す。 ゆっくりでいいから、この先も小説を書き続けて欲しい。 この小説にどんでん返しとか、ストーリーそのものの面白さを期待するのは個人の自由だけれど、今村夏子の小説の面白さはそんなところではないのだ。最初から最後まで、どの本も私には面白かった。 今村夏子の才能は……非常に貴重なものです。社会が定義する「ふつう」から外れた人を特別扱いせずに描くのが上手い。日本で今この感性を持っている作家はとても珍しい。正直、賞なんて取らなくても良かった。関係ない。受賞歴なんて関係なく優れた作家だと思う。 | ||||
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前の芥川賞候補作『星の子』でいいなと思ってたら今回受賞、楽しみに読み始めた。 読み始めて最初、色が印象的。タイトルのむらさきのスカートにはじまり、クリームパン、黄色いカーディガン、青い衣装。このむらさきのスカートの女が色々な人に似て見えるのは、後から考えれば自分の憧れの人物像の投影か。 その憧れが近づくにつれ普通の人に見えてきて、今度は自分が憧れの人物そのものになると捉えるのが妥当か?その過程もいいテンポで語られ、最初むらさきのスカートの女が異常な人と思っていたら、徐々に主人公こそが異常であることに気付かされる流れは静かな表現なのになんとも不思議な迫力があった。 むらさきのスカートの女が忽然と姿を消すことでその実在さえもが疑わしく感じさせ、最後のシーンにつながることで余韻を持たせたのかな?ちょっと不思議な終わり方。 最後は何故か安部公房『箱男』を思い出した。 | ||||
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私にとって初読みとなる今が旬の人気作家・今村夏子さんの芥川賞受賞作です。良い悪いは別にして文学賞の受賞は作家の勢いと時の運が絶妙なバランスで微笑むのかなと思いましたね。スピン(栞紐)の色が紫で表紙イラストも奇妙な味わいでビジュアル的にも中々にインパクトがありますね。女主人公の「むらさきのスカートの女」に対するストーカー的な監視と献身は些か異常ですが理屈抜きでそれ程に運命の人だったのでしょうね。友達になる悲願の夢が消え去ったのは残念ですが、彼女の代役を務めて何時か帰って来る日を待つのが一生の仕事でしょうね。 「むらさきのスカートの女」日野まゆ子は惨めだった生活を脱して幸福な安定した人生を歩み始めたのに欲張り過ぎて道を踏み外してしまったのがとても惜しかったですね。彼女を静かに見守る「黄色いカーディガンの女」権藤チーフの行動を、滑稽を通り越して狂気と見る方もいるかも知れませんが私はそうは思いませんね。彼女の人生の好転を我が事の様に喜び身を削ってでも救いの手を差し伸べ例え裏切られても少しも恨まない、これはもう疑いなく真実の愛だと思いますし、とにかく貧しさに負けずに己を信じてしぶとく精一杯人生を全うして欲しいですね。 | ||||
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「むらさきのスカートの女」は、常に紫のスカートをはいているわけではない。子どもたちと視点人物にだけはには有名だが、実はそれほど世の中に認知されているわけではない。どれが客観的事実でどれが主観的意見なのか、判然としない部分がある。 視点人物にとって「ともだちになりたい」とはどういう感情なのだろうか。友達になりたい人に対して、肉屋のショウケースに激突するほどの勢いで全身で体当たりしに行くか?名前を知っているのに心の中で迄「むらさきのスカートの女」と呼んでいるのはなぜなのか。 謎だ。視点人物の容姿が想像できない。続編「黄色いカーディガンの女」執筆希望。 | ||||
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序盤あまり面白くないと思いましたが、黄色いカーディガンの女が誰か分かったあたりから どんどん読めてしまいました。 語り手の黄色いカーディガンの女は、むらさきのスカートの女にシンパシーを感じて友達になりたいと思ったと 思うのですが、ある出来事から黄色いカーディガンの女は彼女に裏切られたと感じた瞬間があったと感じました。 殺人犯?になってしまったむらさきのスカートの女を逃亡させる黄色いカーディガンの女の行動の裏には、冷酷さが隠れている気がします。 黄色いカーディガンの女が欲しかったのは、むらさきのスカートの女という「友達」ではなく、誰からも相手にされず誰とも関わろうとしない、自分の鏡のような人間だったのではと思いました。 | ||||
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23年間生きてきて人生で初めて小説を読みました。本を読むのが苦手な私でも一週間も掛からずに読み終えることが出来ました。 美しい言い回しや回想シーンなどがないためか、とても読み進めていきやすい作品でした むらさきのスカートの女は現実世界の街中でもたまに見かける風変わりな女性です。 「あの人って普段どんな生活しているんだろう?」という地味に気になる存在を、主人公の「わたし」が代わりに探っていってくれる感覚です。 最初から話しがおかしいのに、途中からそのおかしさが普通になっていき いつの間にか、「主人公→むらさきのスカートの女」という形が 「読み手→主人公→むらさきのスカートの女」 という私達が主人公のストーカーへとなっていきました。結局のところ私達は主人公のような人物にになり得るし、むらさきのスカートの女のような存在にもなり得るんだと思いました。 それをめちゃくちゃ激しく書いたような感じです。 初めて読む本をこの本で本当に良かったと思いました。これから本を読もうと思わせてくれる作品に出会えて本当に良かったです。 | ||||
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※ネタバレ 謎が謎のままでスッキリしない作品。 黄色のカーディガンの異常な女が、紫のスカートの普通の女をストーキングする話。 黄色のカーディガンの女はなかなかの策士で、紫のスカートの女を自分の職場に就職させたり、盗人の疑いを向けさせたり、所長が死んだことにしたり、させた。しかし、結局、1番の目的である紫のスカートの女と友達にはなれない。笑 コメディー? | ||||
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この著者の作品は初めて読みました。結論から言ってファンになってしまいました。 受賞を受けてあらすじが広く知らされることとなり、興味本意で読みました。あらすじに惹かれた方、読んで後悔はないんじゃないでしょうか。知らされたあらすじの通り、観察者の異常性、要は地の文の人物がどうかしてるという話なわけですが、その異常性がツボでした。滑稽劇と言っていいと思うんですが、ところどころ「お前どうしちゃったんだよ!」など心の中で突っ込み声を出して笑いながら一気に読んでしまいました。終わり方も好きですね。全く存在感なく生息しているかのようにおもえた地の文の人物ですが、終盤にさらっと所長が、彼女の異常性がごく一面だけではあるものの社会的にバレていることを伝えるところが特に好きです。 地の文の人物が徹底的に執着する「むらさきのスカートの女」に起こる顛末は、それだけ抜き出せば結構ありがちというか書き手によっては三文小説にでもなりそうな話です。また平易な文章も相まって、子供たちとのやりとりは絵本的ですらあります(リンゴのとことかね)。それでいて客室清掃業界モノっぽいところもあり。 なんとも不思議なバランスの作品だと思います。とりあえず芥川賞に、この作家を教えてくれたことに感謝します。他の作品も読んでみます。 | ||||
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頭が混乱している。それは私の読解力が弱いというのも関係しているだろうけど……。 一般的に、頭の混乱しやすいタイプの純文作品ってかんじだ、エンタメと純文の中間らへんだろうか? 物語的には、後半までは、どちらかといえば、退屈な話が、だらだらと続いているようにかんじた。 だがしかし、後半一気に物語が加速して、一気にひきこまれていくようだった。 ごちゃごちゃと話が絡まったまま、わからずじまいに終わったけれど、 なるほど、なかなか、名作っぽさの滲みでている作品だったような気がする。 | ||||
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平易な文体で書かれた、ある意味、スリラー作品です。むらさきのスカートの女が気になって、仕方がない主人公が、その女と同じ職場に勤めるようになり、次第に精神のバランスを崩していき、最後には、ある事件が起きてしまい、その事件と共に、むらさきのスカートの女の行方も不明になる、というのが、筋書きです。 今の時代、小説や映画を製作する人にとっては受難の時代なのかもしれません。この作品にしたところで、1960年代に製作された映画「コレクター」(監督はウィリアム・ワイラー)と基本的には同様のものです。即ち、「物語」が払底しているのです。もう、筋書きに関しては書き尽くされている感があります。最近のどの作品(小説にしろ映画にしろ)も既視感は拭えません。退屈な作品があまりに多過ぎます。 最近、新しい芥川賞受賞作を読むのが、苦痛でなりません。 | ||||
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