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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全356件 161~180 9/18ページ
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たぶん3回目の読書です。 直前にトマピケティの「21世紀の資本」を読みました。 以前は貧乏学生の苦悩という様に読んでいたような気がします。 今回はラスコーリニコフやマラメラードフの窮状と何もせず遊んでいる地主階級の対比などもよりリアルに感じながら読むことができました。 | ||||
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学生時代に一回読んだだけなのですが、微かな記憶を頼りに本の内容を乱暴にまとめると(ネタバレ注意) 主人公のラスコーリニコフが「自分は天才だから何をしても許される」ていう厨二病じみた妄想に取り憑かれて、金貸しの老婆とその妹を斧で殺す。殺人を犯した当初は、それを自分の中で正当化してたけど、娼婦のソーニャに諭され罪を認めて自首する。 というような話だったと思います。 僕もラスコーリニコフのような考えを持っていた時期があったので、その当時は凄く共感出来ました。 (流石に斧で人を殺そうと思ったことはありませんがww) 人間誰しも「僕は何でも出来る、本気出していないだけ」「ひょっとして俺は天才かも」と自分の才能を過信して止まない痛々しい時期があるものです。 そういうような時期の真っ只中に生きている学生の方なら「私はラスコーリニコフだ!」と主人公に共鳴出来るかも....... 他の方が何やら難しい言葉でレビューを書かれていますが、ストーリー自体はアホみたいな感想しか書けない僕でも理解出来ますw 興味があるけど難解そうで手が出せない、という人はそういうことを一切気にせず一度読んでみることをお勧めします。 本を読んでどう思うかはその人次第、と言いますけど罪と罰が名作であることは間違いありません | ||||
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読みやすい さすがは世界の亀山モデル 学問としてだけではなく 娯楽としても十分楽しめる 批判を受けることもわかった上でのこの 訳 なのでしょう | ||||
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「何かを失えば、その分必ず何かを得る。 何かを得れば、その分必ず何かを失う。」(エマーソン)。 大義の為には、小義を犠牲にしてもって、『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル 著:早川書房)に通じる。 人間とは、かくも愚かなり。 払った代償に対し、失うモノは大きい。 | ||||
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問題なし 何回評価すればいいのですか ああああああああああいいいいいいいいいい | ||||
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問題なし何回も評価させないで ああああああああああいいいいいいいい | ||||
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これはギャグでそして文学だと思います。深く笑いながら読めるのではないでしょうか。 基本的に登場人物は駄目人間と言えそう。 マザコンかつシスコン過ぎて思想の矛盾に突き当たった主人公、深い洞察でもって家族を苦しめるアル中オヤジ、昔の栄光にしがみついて上品に振る舞うその妻、女に飼われている悪の権化等々… それらダメ人間が超魅力的に描かれているのですからすっごい。 著者の様な人間観を持てたら、と憧れずにはおれませんでした。 | ||||
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古典であると同時に、第一級の犯罪小説。ストーリーは他のレビューなどにも書いてあるので、ネタバレにならないと思い、本レビューに必要な範囲で書くが、主人公のラスコーリニコフ(学生)は、殺人を論理的に正当化し、その標的として金貸しの老婆を選び、実行する。そのときに、偶然居合わせた老婆の妹も成り行きで殺してしまい、罪の意識にさいなまれる…といったもの。こう書いてしまうとそっけないが、検察官(注:主人公とヒロインの名前しか覚えていないので、その他の登場人物の名前は省略)が主人公を次第に追い詰めていき、読んでいるほうは、「検察官がどこまで確証を得ているのか、いつ逮捕するのか」とハラハラドキドキさせられる。それと並行して、主人公の妹と金持ちで中年のストーカー(?)との対決、主人公と娼婦のソーニャとの恋(といっても恋愛話らしい話ではない)など複数のストーリーが展開されていく。 ドストエフスキーの小説は、文庫本になっているものはほとんど読んだが、この『罪と罰』に出てくる主人公が一番強烈で、小説の冒頭では、主人公が、自分の住まいから金貸しの老婆の家までの距離を歩数で数えている場面が描かれる。老婆を殺害するためのリハーサルであり、抜け目なさ、完璧主義、神経質という印象を受ける。 そして、「一人の老婆を殺し、奪った金で大勢の人が助かるのであれば、実行すべきだ」という考えのもとに、計画を綿密に立てて殺人を実行する。 このように書くと冷徹な人間のように思われるが、一方で、火事になった家から子供を救い出したり、家族からは慕われていたりして、悪い奴ではない。 また、学生としては優秀だが、金もなければコネもない。屋根裏部屋に下宿し、貧しくて食事もろくにとっていない。「天井の低い部屋は精神を圧迫するよ!」と、一人のたまう。 そして、常にくさくさしている。 たとえば、くさくさしているときに、「もっとくさくさしてやれ。」と言って、あえて街中の人ごみのほうに向かっていく。また、唯一の友人を街中の人ごみの中で見かけたときに(話すのが面倒くさくて?)気づかないふりをして、友人のほうもそれに気づいて、見て見ぬふりをする。(読んでいるほうは「なんなんだ、こいつらは。知り合いなら一言くらい、声をかけろよ。」と思わされたりする。) こんな調子でありつつ、検察官と一歩も譲らない対決をしている中で、貧しいがゆえに家族を養うために娼婦になったソーニャに出会い、その優しさにふれて、次第に主人公は変わってゆく。どう変わってゆくか、また、逮捕劇の結末は、小説を読んでのお楽しみ。 小林秀雄の批評が的を得ている(し、なんか、かっこいい)ので、以下、引用する。 「これは、いかに生くべきかを問うた、ある『猛り狂った良心』の記録である」「ただ『葦(あし)』であるには『考え』がありすぎ、ただ考えるには葦でありすぎる」「ラスコーリニコフの影は、一切の人間的なものの孤立と不安を語る異様な背景を背負っている。・・・聞こえる者には聞こえるであろう。『すべて信仰によらぬことは罪なり』(ロマ書)と」 | ||||
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経済にも愛にも飢えていた一人の青年が、犯罪をおかし、自供し、シベリアへ流刑になるが、彼を追ってシベリアまで来た一人の娼婦への愛により校正する物語を、ドストエフスキーは、ストーリーではなく文章で読者に感動を与えてくれる真の文学である。 また、江川 卓の翻訳も見事だ。 | ||||
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翻訳の加減もあるのだろうけど、言葉を詰め込み心の中や頭の中で考えたり思ったりしている事を微細に描写している感じが読むには難解なのだが味があっていい。 | ||||
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描写の微細さがすごくて重厚感がたまらない。文字での表現が主流だった時代は一つの出来事や物事に関してこれでもか!って感じで文章で描く事が当たり前だったんだろうか?今のエンターテインメントより濃厚。 | ||||
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すべりだしは、20代の主人公ラスコーリニコフの周辺描写とモノローグで構成されている。 彼は父なき後を支える一家の大黒柱となることを嘱望されていた。 しかし法律を学ぶ優秀な学生だった彼は、学費を工面出来なくなり、大学から遠ざかって久しい。 そればかりか食費や家賃にも事欠き教科書を質屋に入れてしまう始末。 食事もろくに取れず、物置きのような粗末な部屋に引きこもって誰とも会わずに過ごすラスコーリニコフは、ひとつの計画を脳内でもてあそび続けていた…。 始まるそうそう、ラスコーリニコフ青年の視点は、ロシアの都ペテルブルグの貧しい街角をさまよい歩く。 ときは7月、暑さと醜悪な町の様相に彼の病んだ心と体はますます蝕まれてゆく。 ウツウツとした自虐的つぶやきは高いプライドの裏返しだ。 彼は「頭が良すぎておかしくなった」と言われるタイプの人物だが、それゆえに体験よりも論理を重んじる傾向がある。 そんな彼が犯した「罪」。 その「罪」の現場から、刻々と変化してゆく彼の心境と身体の変化がこの1巻で徹底的に描かれる。 本書の訳者である亀山氏が以前出演したテレビ番組で発言していたことだが(爆笑問題の太田氏と話していた)、中学時代の亀山少年に影響を与えた「罪と罰」は、現代の少年たちが影響を受けるマンガ作品などにも共通するテーマが描かれている、とのことだった。 その時例に挙げられていた(と記憶している)『DEATH NOTE』(デスノート/原作 大場つぐみ・作画 小畑健)というマンガ作品を、この1巻を読みながら私も思い出していた。(読み比べてよく分かったが「デスノート」は「罪と罰」をリスペクトして描かれた変奏曲だと思う) 生きていても毒にしかならない人間とそれを見極めて大鉈をふるえる人間の話が、ふと立ち寄った店内でラスコーリニコフの耳に入ってくる。 人間の価値に上下はあるのか。 たとえあったとしても、殺人は罪にならないのか? そんな青臭い、でもそれだからこそ胸騒ぎのする問いかけを、多くのひとが見過ごせないだろう。 若い頃ほど「価値」や「上下」にこだわるものだと思う。それは自分の価値をこの社会で見出せるのか、試行錯誤の真っ最中の若者にとって死活問題だからだ。「価値」がなければ、生きている甲斐さえなくなってしまう。経験の浅さは0か1かの極端な選択を自分にせまってしまう。 そんな経験は誰もがいつか通った道だと思う。 そしてこの問いに辿り着くまで読んでしまった人は、もうこの本を下に置く事はできなくなっている。 ドストエフスキーの畳み掛けるようなプロットの波状攻撃の虜になっているに違いない。 哀しきアル中オヤジ・マルメラードフ、天使のような娼婦・ソーニャとの邂逅、友人ラズミーヒンは敵か味方か?妹の婚約者ルージンは真面目なバカか狡猾な悪党か? さあ、急げ2巻へ。 | ||||
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学生時代に読めなくて、40代になってようやく読み返しています。 | ||||
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昔挫折していたのですが、中年になってようやく読めるようになりました。 不変のテーマを見つけて興味深く読んでいます。 | ||||
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ここまで読後感に余韻を残す小説も久しぶりでした、、。読んだ勢いでレビューします。圧巻の下巻。息もつかぬ展開で、最後まで一気に読みまみした。場面がよく変わり、人もコロコロ変わりますが、ラスコーリニコフ、スヴィドリガロイフやソーニャそれぞれに、思惑や独自の行動があり、それがまた読者を引きつけ、読ませてくれます。上中巻で起きた場面ごとの伏線も一気に回収して、最後の最後に、ラスコーリニコフが救われたのが意外といえば意外な結末ではありました。深淵な愛の小説でもありました、、。色々な方のレビューが示す様に、推理小説、思想、哲学小説、恋愛小説、サスペンス劇場、場面毎に浮かぶロシアの情景、、いかようにも読めてしまう要素がてんこ盛りの、一大長編小説です。これは間違いないなく、再三再読に値します。繰り返し読んで、その度に色々な場面や箇所で、感銘や発見を得られる、稀有な小説だとおもいます。これを読まずして何を読む。流行りのダイエット本や、書店に置かれる平積み本も良いですが、ロシアの文豪、天才が遺した「罪と罰」、ぜひ色々な世代の人が書店でお取りになって、読んで欲しい小説ですね。 | ||||
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母、妹の為に殺人を犯した主人公。その思想の根底には、多くの人の為、善人の幸せの為なら、悪を働いてお金を稼いでいる者の命を犠牲にしても構わないという正義の心。 その強い正義感も、娼婦になりながらも、家族のために生活するという、ひとりの女性の姿をみて、自らの罪を告白しようと決心する。人間の生死を、まるで神になったように自分の正義で決定してはならない。 知的な予審判事ではなく、純粋な心の持ち主、自分と同じような境遇の人に心動かされるという、人間のあり方を感じさせてくれる。 | ||||
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ロシアの文豪ドストエフスキーの最高傑作。 世界文学全集にはかならずといって収録される名作です。 日本では明治時代から数人の翻訳家によって訳されています。 金に困った主人公は金貸しばあさんとその妹を斧で殺害し強盗します。 主人公は……、 この作品は、主人公を取り巻く人間ドラマもおもしろく、時代は変わっても人間社会の普遍的真理を命題にしているため、色あせない輝きを持っています。 難は、新潮文庫が上下二巻本なのに対して、上中下三巻本ということだろうか? 私は何人かの翻訳本を読んでいますが、個人的には、この江川訳が好きですね。 | ||||
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本当は1から買いたかったのですが、とりあえず3だけを求めました。 図書館で借りた初読では怪人の最後の行動からエピローグまで、ボロボロ涙がこぼれてたまりませんでした。偶然にも七月でした。 ドストエフスキーに挑戦させてくださった亀山氏に感謝しています。 3を読み直すうちに、カテリーナが夫の法事で銀のスプーンを気にかける台詞、それがスヴィドリガイロフに繋がっている……等、網のような複線がいったい幾つあるのだろうと、読むたびに頭の鈍さや教養のなさを嘆きたくなります。 寝る前にパラパラやると必ず一時間二時間経ってしまうので、手元に置かないようにしました。 | ||||
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中学生のころ、父の本棚に入っていたのをたまたま取り、夢中で読みました。一番の不幸は、それ以降、何を読んでも「罪と罰ほどには面白くない」と感じるようになったことです。 これから読む方がうらやましい。読了以降、これより面白い本を探す旅に出るという、宿題がワンセットになりますが。 旧版の米川訳です。文学全集だったので、当時の画家が描いたソーニャのイメージ画(すごい美少女)なんかもあり、楽しかったなあ。 再びドストがブームということで、今度は江川訳にしてみました。 当時の米川訳では、ラスコーリニコフの描写は「栗色の巻き毛の素晴らしい美青年」と書かれていた。いきなりイメージを想像できたので、まだ覚えています。 江川訳は「栗色の巻き毛のなかなかの美男子」となっています。 なんか、違う。 いや、すっごく、違う!!! 楽曲をいろいろな人がカバーしているのを聴いても、最初に聞いた歌手のが一番いいと感じるのと似ています。『星の王子様』とか、内藤あろう訳じゃないと、読めないもん。 違う、違うとぶつぶつ言いながら読んでいますが、客観的には、江川訳が読みやすく、19世紀ロシア文学の香りも失っていないように思いました。 | ||||
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本書の裏表紙に「犯罪小説の雄」と紹介されているものの、自分にはより青春小説としての色彩が強く残った作品だった。苦悩、打破、後悔、贖罪。求めるものが明確に分からないままに現在の姿を否定し、それを突き抜けたところに辿りつこうとするがあまりに取った自身の行動に苛まれる。ひょっとしたらラスコーリニコフのように最後に救いを得ることができれば良い方かもしれない。青春時代に、思想や行動こそ違えども、似たような不安や苦悩と向き合った人も少なくないのではないか。 上巻で一番好きな場面は、橋の上からネヴァ川の光景を眺めるところ。当時堕落が進んでいたというサンクトペテルブルグが描かれる中で、本作品中唯一とも言える美しい光景。このパノラマを前に、ラスコーリニコフはもはや戻ることの叶わない、川をわたってしまったことを理解する。 「空には一篇の雲もなく、ネヴァ川にはめずらしく、水はほとんどコバルト色に輝いていた。礼拝堂まで二十歩たらずのこの橋の上から見ると、聖堂の丸屋根は、ほかのどこの場所よりもきわだって美しく見えるのだが、その丸屋根がいまもまばゆく輝き、澄んだ空気をとおして、ひとつひとつの細かい装飾までがあざやかに見分けられるほどだった。(中略)ここに立てば、以前と同じように考えることができ、以前と同じテーマや光景に(中略)興味をもつことができると、それこそ本気で想像していたみたいだった。われながら、ほとんど滑稽な気分にさえなった。(中略)いまの彼には、過去のすべてがどこか得体の知れぬ深みに、底が見えるか見えないかの足元はるか下のほうに沈んでしまったように思えた。(中略)この瞬間、すべての人、すべてのものから、自分を鋏で切り落としたような気分だった。」(267-269頁) | ||||
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