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罪と罰



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罪と罰の評価: 4.34/5点 レビュー 425件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.34pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全356件 241~260 13/18ページ
No.116:
(4pt)

ソーニャに惚れました

マルメラードフの娘で一家を助けるために売春婦になったこのけなげさ。そして、殺人を告白したラスコーリニコフに自首を勧める気高い精神、そしてシベリアまでついていくと言う意志の強さ。私はそんなソーニャに惚れました。
私はエピローグにあるように、この作品の続編を期待したかった。続きが気になる。ラスコーリニコフとソーニャは結ばれるんでしょうか?
ちなみに罪と罰は5回読んだ。そのうち3回は新潮文庫だった。名作は何回読んでも味があるんですよね。
罪と罰 (下巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.115:
(5pt)

最高の『罪と罰』

これまで、岩波文庫、新潮文庫で読んできた『罪と罰』だが、今回の新訳は、やはり入魂の一書というしかないみごな出来栄えの『罪と罰』である。
冒頭の一文からして、その格調の高さは格段の開きがある。工藤訳の固い饒舌、江川訳のいわゆる江戸弁に対し、亀山訳はまさに翻訳とは思わせない完成度の高さを誇るものといえそうだ。解説もまた、読者の読みに寄り添い、なおかつ自己主張をできるだけ抑えながら、物語の深層部分へと見事にいざなっていく。これから20年間、『罪と罰』の新しいスタンダードとして読み継がれるべき翻訳だと思う。ただ、解説のなかで一か所気になったのは、ラスコーリニコフの聞き違い(「6時過ぎ」)のモチーフである。もしこの説が正しければ、『罪と罰』の物語は、ラスコーリニコフの意志のドラマというよりも、運命のドラマとしての意味を帯びてしまう。つまり、過去100年の読みは覆ってしまうということだ。ともかくも、『罪と罰』の現代的意味を蘇らせたという意味で、解説ともども本書のもつ意味は限りなく大きい。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.114:
(5pt)

登場キャラクターについて。

作品の本質については既に多くの方が言及しておられるので、ちょっと違った観点から一言。
この物語はとにかくキャラクター描写が濃いのである。
主人公は勿論のことだが、他の登場人物の多くも副主人公級に濃い。
濃い人物が多い反面、読んでいる途中で個々の人物の情報が錯綜してしまう恐れがあるので、
余程速く読めるとか余程記憶力に自信があるとかいう読者以外は、メモを取りつつ読むことを勧告したい。
本に書き込みをするのが嫌な人は、別の紙にメモれば宜しい。
何もせずに読み止してしまうと、挫折のもとになるだろう。
途中で登場人物の付加情報をこぼしてしまうと、物語の面白さが大幅に減る。
罪と罰・人物相関図
http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/kids/t-soukanzu.htmlなるサイトもあるようだが、自分で読み進めながら作るのも面白いと思う。
個人的には、物語冒頭で登場するセミョーン・ザハールイチ・マルメラードフの妻であるカテリーナ・イワーノヴナ、
予審判事ポルフィーリィ・ペトローヴィチの言動が面白かった。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.113:
(5pt)

描写の大半を占める主人公の苦悩に心打たれる。

ナポレオンのように「踏み越える権利」があると信じた一青年の、苦悩と挫折の物語。
是非とも一度は手にとって読んでほしいと思われる傑作です。

上・中・下全部で千ページ以上ある長さから、中々とっつきにくいように感じると思います。
しかし、長編を読むことが苦痛だと言う人であっても、始めの130ページ辺りまで頑張って読んでみて下さい。
以降は物語の中に惹き込まれて、一気に読み進めることができると、私は(無責任ながらも)保証します。

「罪」「罰」というと、現代社会においては刑事裁判を中心とした司法制度から連想して考えられることが多いですが、
西洋のキリスト文化においては、倫理的なもの・司法的なものはsin・crimeというように、認識において分けられてきました。
sinにおける「罪」と「罰」、crimeにおける「罪」と「罰」を別個のものとして考えながら読むと、また違った味が出てくるかと思います。
ちなみにsin側を理解するにあたっては、聖書についての知識があるとより理解が深まるものと思います。

この物語の一番の見どころは、主人公ラスコーリニコフの、病的な、狂気にも似た葛藤の描写です。
浮き沈みが激しく、安定することもなく、むしろ安定させることを望まないような彼の思考における模索の連続。
心が掻き毟られるような苦悩とはかくなるものなのかと、この辺りの描写は真に圧巻です。
それは、決して単純化できない、割り切ることのできない問題を意識させられます。
ドイツの哲学者I・カントの著書「純粋理性批判」の冒頭部分
「理性が退けることもできず、さりとてまた答えることもできないような問題に悩まされるという運命」
を私はこの物語の中に感じます。

洋書においては翻訳者によって物語の印象がだいぶ変わってくることが、「罪と罰」を読んで一層感じたことです。
日本語は語彙が豊かなので、多くの言葉の中から何を使うかは翻訳者によって変わってきてしまうことは当然かもしれません。
本書以外にも「罪と罰」はあるので、これから読もうとする方は、他の人から話を聞いたり、
(この場で書くことは気がひけますが)書店に足を運び読み比べてみて自分に合った「罪と罰」を選ぶことがベストです。
ちなみに私は本書の江川さん訳が、最も心情描写が巧い訳だと思っていますので、お勧めします。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.112:
(4pt)

意外な結末におどろいた

カラマーゾフに続いて、読破。
一度挫折していたので、読了自体がうれしいです。
結末が意外すぎるほど意外だったということです。
ネタばれになるので一切書きませんが、驚きのエピローグでした。
個人的には、カラマーゾフのスメルジャコフ以上のキャラクター
がいなかったので、★4つです。
カラマーゾフと違って、良い奴が結構出てきます。
私は、エルロイ好きなので、カラマーゾフのほうが好きです。
蛇足ながら、高校生で読もうとしている方へ:
・世の中に希望を持っている君たちへ:
 →カラマーゾフの兄弟を読んで、現実の汚さに衝撃を受けてください。
・世の中に絶望を感じている君たちへ:
 →罪と罰を読んで、世の中捨てたもんじゃないことを感じて下さい。
そして、できれば、両方読んだほうが楽しいと思います。
まあ、高校生なら、ドストエフスキーより先に、
中島敦の山月記と李陵を読みましょう。
罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751849
No.111:
(4pt)

学んだこと

ドストエフスキーは深層心理を言葉で表現する天才です。ですからこの本を読めば、他者の行動や言動の背景を推測する力が引き伸ばされると思います。またこのことにより人に対して寛容になれると思います。ただし読み進めるうちに、読み手の神経もやや細かくなるかもしれません。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.110:
(5pt)

初めて読んだドストエフスキー・・・・・・

初めてドストエフスキーを読んだ。

ドストエフスキーは僕の先入観で読みにくいと思っていて、しばらく読むことを遠ざけてたのだが、まさかこれほどまで読みやすく楽しめるとは予想してなかった。
主人公ラスコーリニコフが金貸し婆を殺す場面を読んだ後は、もう自分がやってしまったような心境にまで至ってしまい、それからの中下巻は一気に読み上げた。
そして僕は初めて本を読んで、本物の感動を味わったと心底思った。
今まで読んだ本でも感動したことはあったが、それとは違うものだった。
もしかしたらドストエフスキー独特のものなのかもしれない。
エピローグの最後を読んだ後は初めて本を読んで泣き、胸に本をあててしばらく目を閉じていた・・・・・・。
読んだ後に、これほどにまで自分が救われるような気持ちになったのは、奇妙なことだった。
いや僕は救われたのだと思う。
まだ僕は読んでいない・・・・・・『貧しき人々』『白痴』『悪霊』、そしてドストエフスキーの最高傑作であり、世界文学の頂点と言われる『カラマーゾフの兄弟』・・・・・・。

僕はこれから何度ドストエフスキーという人物に救われ、涙を流し、衝撃を受けるのだろうか?
彼を知らずに人生など果たして語れるだろうか?
その答えを僕はまだ見つけていない。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.109:
(4pt)

罪と罰

以前読んだ「カラマーゾフの兄弟」より読みやすいと感じました。 なぜか、呼吸が最小限になり、奥歯をかみ締めながら読み進めていたので、 ちょっと息苦しかったりした。 ラスコーリニコフの心の葛藤と行動に、目が離せなくなり引き込まれていきました。 相変わらず、ロシアの地域性とかわからない部分がたくさんあったけれど、 それでも何か心に共感するものがあるような不思議な感覚が残っています。 個人的に、カチェリーナが苦手で、彼女に照準が絞られていたときは ちょっと、読んでて辛かったりもしたけれど。 でも、また他の作品を読んでみたくなりました。 (2009.3読)
罪と罰〈下〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈下〉 (岩波文庫)より
4003261372
No.108:
(5pt)

罪と罰 高校時代、読破に挫折、三十余年後に成就

高校時代、有名どころの名作をかったっぱしから読んでやろうと意気込んでいた。赤と黒、戦争と平和、風と共に去りぬ。読めた読めた。だが、罪と罰。重たかった、あまりに重たかった。耐えられず金貸し老女を殺したあたりで挫折。あれから30余年たった。最近、新書の類の本しか(それも時々)読んでいなかった。老眼になって、根気もなくなっていた。こんなとき亀山氏の番組を偶然見た。食い入るように見てしまった。もしかして読み通せるかもしれない予感がした。恐る恐る第一巻だけを買って読んだ。すらすらと読めるじゃないか。そして、第二巻、第三巻あっという間にお盆休みに読んでしまった。ラスコーリニコフだけではなく彼を取り巻く人物が生き生きと縦横無尽に動き回る。五十を過ぎてやっと内容に頭が着いて来たか、はたまた亀山氏の名訳のおかげか。罪と罰読破挫折人間よ。もう一度挑戦してみては如何か。こうなったら、カラ兄いくっきゃないでしょう。
罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751849
No.107:
(4pt)

名作と呼ばれるゆえんが・・・。

分かる気がした。 この世界観に浸ってしまえば、中々抜けられない。 読書が苦手な方には、お勧めできないが、好きなら、一度読んでも損は無いはず。 ちなみに、今、下巻を読んでます。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.106:
(5pt)

傑作

言うまでもない傑作だが、トルストイの外に広がる客観的思想に対して この作品はドストエフスキーならではの内へと探求を深める主観的思想 につながっている。 そのために、より人間の内省的な部分を刺激している。 ドストエフスキーは小さな一室に閉じこもってこの作品を書いたというが 、そのとおり心の深淵にある洞窟に潜り込むような作品だ
罪と罰〈上〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.105:
(5pt)

上、中、下の中では、一番面白かったです。

この岩波文庫では、全三巻なのですがこの巻が一番引き込まれて読んだ気がします。 これだけの長編ですから、個人的な面白さの起伏は当然あります。 また、独特の表現法を用いたり、登場人物が多数いたりで、「あれ、何か良く分かんなくなってきたなぁ・・・」とか、「コイツ誰だっけ?」みたいなことは、しょっちゅうです。 まぁ、それが比較的少なく、一番集中して読めたっていうことですね。
罪と罰〈中〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈中〉 (岩波文庫)より
4003261364
No.104:
(4pt)

こういう終わり方をするのか・・・。

かなり、熱中して読んだ・・・。 ようやくこの巻で、ラスコーリニコフが、何故、高利貸しの老婆を殺したのかが、ハッキリする。 非凡人と凡人を分ける、明確な境界線とは・・・? 自ら課せられた使命のためならば、殺人を犯しても良いはずだ・・・、そして、自分は、それを出来る人間だろうか? ラスコーリニコフは、自らの運命をこの一事に賭けた。 しかし、激しい自責の念にかられた彼が、最期にとった行動とは・・・。 絶望の真っ暗闇の中、かすかな一条の光が差し込む、個人的に意外なラストが待っていた。
罪と罰〈下〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈下〉 (岩波文庫)より
4003261372
No.103:
(4pt)

新訳の善し悪しが如実に

あれは大学生の時、新潮文庫の「罪と罰」に手を出した。下宿の洋式便所に座ってウンウンうなりながら、何とか上巻を読み終えて、そして下巻は買わなかった。面白みを感じないどころか、苦痛だった。
10年後。「カラマーゾフの兄弟」で虜にさせられた亀山訳を買ってみた。本当にあれと同じ物語なのか。熱病の主人公がずぶりずぶりと沼に足をとられていく様。この読み手を捉える吸着力が新訳の魅力だ。
ただ、「カラマーゾフ」に比べ、いくらか訳が軽く、それでいて「新訳」になりきっていない、古い表現も目に付いた。たとえば、2巻の帯にある「ぼくをなぶりものにはさせませんよ」。なぶりものって、いかにも岩波文庫で使われそうな表現じゃないか。「ぼくを弄ばせたりはしませんよ」とかでいいんじゃないのかなあ。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.102:
(5pt)

本書が読み継がれるべきだと考えられる人類世界に生きることを思う

1865年、帝政ロシアの首都ペテルブルグは暑かった。青年ラスコーリニコフは金貸しの老婆とその妹を惨殺し、金品を奪う。この陰惨な殺人事件を犯した彼にはあるひとつの信念があった。

 1995年、ある新興宗教団体が日本を震撼させた時、私はその15年ほど前の中学時代に読んだ「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフのことを想い起こしていました。ロシアの青年が、大義のためには許される殺人があると考えるこの小説をドストエフスキーが著わしたのは19世紀中葉のこと。社会主義革命までまだ数十年があるという時代です。それなのにこの小説の中には20世紀末を生きる日本の私たちが描かれているのではないかという気持ちに強くとらわれ、めまいがしたものです。

 今回 ゆえあって再び、3巻合計で1200頁を超えるこの長編小説を手にしたのですが、ラスコーリニコフの物語は決して古びることなく、今も私たちを描いているといえます。

 「『非凡人』は権利をもつというのは公的な権利ではなくて、自分の良心に対してある種の障害をふみ越える権利を持つということなんで、それも、彼の思想の実現(ある場合には、全人類を救済するような思想かもしれませんがね)にとってそれが必要である場合に限るのです」(中巻 143頁)。

 この言葉が20世紀末のある教祖の言葉でもなく、今世紀初頭に中東の国の一部の人々を突き動かした言葉でもなく、そしてまたその中東の人々に向けて戦闘機を放った政権担当者たちの言葉でもなく、150年も前の帝政ロシアの青年の言葉であるということを、大きなため息とともに再認識するのはひとり私だけではないと思います。

 この小説が今も読み継がれるということが、果たして人類にとって書を読む喜びといえるのか。
 この小説を今も必要とする原野が世界に広がっているということに思いが至り、大変複雑な気持ちとともにこの書を閉じました。
罪と罰〈下〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈下〉 (岩波文庫)より
4003261372
No.101:
(5pt)

またやってくれました!

この『罪と罰』も同じ翻訳者による『カラマーゾフ』もすばらしい!と思います。ロシア語を勉強しておりますので『罪と罰』の原文を、いろいろな翻訳とつき合わせたりもしています。今までは江川卓氏の岩波版を標準としてましたが、亀山氏訳の方が原文の意図するところを、より生き生きと伝えているように感じます。『カラマーゾフ』同様、小さな誤訳はきっと発見出来るでしょう。翻訳者のクセもあるでしょう。でも、そんな誤訳やクセはどんな翻訳にも付きものだし、それで作品全体の意図が歪められたりはしないでしょう。ロシア語読解の実力はプロの翻訳家の先生方なら、誰にでもありあまるほどあるでしょう。でも、ロシア語の原文をこんなにわかりやすく、こんな自然な日本語に仕立て上げるセンスは誰にでもそなわっているわけではないでしょう。
世の中は広いので「この翻訳はダメだ!」とめくじらを立てる人もいるでしょう。私はそういう人達に「いや、この翻訳はいいんですよ!」と説得しようとするつもりも、詳細について議論するつもりも全くありません。そんなことは時間の無駄ですから…
これまで、私は亀山氏の翻訳に感動させてもらったとともに、翻訳というものについて深く考える絶好の機会を与えてもらったことに、いたく感謝しております。翻訳については、いろんな人がああだ、こうだ言いたがります。一種の野次馬的な快感すら伴います。推理小説の謎解きみたいでもあります。でも、私が一番面白いと思うのは、褒める人・批判する人によって全く正反対の主張をしている場合です。「真っ向から対立する価値観」とでも言えるでしょうか。例えば、哲学の理論についての議論であれば「真っ向から対立する価値観」がこんなに赤裸裸に表には出て来たりしないでしょう。翻訳についての議論の場合は、本当に「価値観が対立する」なんて生やさしいものでなくて、「人間の種類が違う」感じがします。だから、私は、私の反対の立場の人達(私とは違う種類の人種)に「これは良い翻訳ですよ!」なんて言えません。
恐らく、この『罪と罰』も前回の『カラマーゾフ』と同じく、ある人達から「目の敵」にされ、さんざんたたかれることでしょう。そして、再び、大変な話題作りをするでしょう。理由は? 一つは、彼らの嫌いな亀山氏の翻訳だから。もう一つは、ドストエフスキーの『罪と罰』だから! あの世ではきっとトルストイも、シェイクスピアも、ゲーテも、セルヴァンテスも、ダンテも「自分も翻訳のことであんな風に騒がれてみたいよ!」とつぶやいていることでしょう… そう、ドストエフスキーというのはそれぐらい偉大なのです。だから、読んでない人はぜひ読みましょう。私の書いてることにちょっとでも共感される方は、この版で、そうでない方は正反対とも言える工藤精一郎氏の版(新潮文庫)で。
罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751733
No.100:
(4pt)

ドスとエフスキーの感じを変えた新訳

ラスコーリニコフより下の年齢(高校・浪人・大学初年かのいずれかの時代)に、始めて「罪と罰」を読み、小説を読んで受ける満足感がそれまでと別のものになった。どの訳かは忘れたが、なにしろ自分がラスコーリニコフになった感じにさせられ、まだ知らなかったサンクトペテルブルグを熱病にうなされながら歩いている感じになった。小説とはこういうものか、と強く感じ、それ以後同じような「快感」を求めながら次々とロシア文学を読みあさった。何度も「罪と罰」には立ち戻った。多くの訳の中では、米川訳が好きで、読んだ回数も最も多いだろう。いずれにしても、最初の「罪と罰」読破を契機にして、ロシア文学への興味は当然として、最初に訪問したい外国が当時のソヴィエト連邦の、シベリアかサンクトペテルブルグ(当時はレーニングラード)になった。そういう意味で、私の小説の読み方の原点を与えてくれた「罪と罰」の亀山訳が出るというので、当然飛びついた。亀山訳は「カラマーゾフの兄弟」で感心したからである。少なくとも1巻を読んだ結果は、それなりの満足を覚えたが、不思議と過去の「罪と罰」を読んだときとは違った感覚だった。いうなら、「罪と罰」が私にとって特別な小説ではなく、普通の意味での面白い、かつ考えさせてくれる小説の仲間入りをはたしたのだ。もう今はラスコーリニコフの年齢をはるかに超えてしまったからかもしれないし、過去は名前でしか知らずにさまよい歩いたセンナヤ広場付近やフォンタンカ運河・ネヴァ河・ネフスキー大通りなどを実際に歩き回ってよく知っているからかは不明だが、過去の各種の訳本とは違っている。最大は、やはり訳語が現代的で読みやすくなっているのが原因なんだろうと肯定的に捕らえている。このために、どういう反応が出るのか。少なくとも私の場合である。なにしろ文脈を追いやすいがために、深く小説に没入しないのだろうが、グイグイ読める。そして、小説の背後を常に考えながら読めるようになる。読みながら、現代の世相を考えることができる。特に、強く思ったのは、金貸し老婆殺人での考え方だ。ラスコーリニコフが学生と士官から聞いた話にある、人を苦しめるだけで無用の人間を殺してもいいという殺人の論理だ。彼の殺人には、このような、優れた人間が悪質な人間を殺人しても許されるという「特異な」論理の裏づけがされている。これは、あくまで小説の中であって、ラスコーリニコフも、結局はあれこれさいなまれ、最後に福音書での助けによって再生するのだが、今の日本の世の中を見るとどうだろう。少し前までは考えもされなかったような殺人も多いし、人命軽視がはなはだしい。多くは、ラスコーリニコフのように苦悩もしないのだろうし、再生も望まない人たちが増えている。このような日本に何故なってしまったのだろう?多くの若者が、テストと偏差値で追いまくられ、夢も希望も持たなくなった国に誰がしたのだろう?こういうことを考えさせてくれるのが、亀山訳だ。改めて翻訳の重要さを思い知らせてもらった感じがする。「カラマーゾフの兄弟」でもそうだったが、この訳のお陰で、今まで「罪と罰」を敬遠していた人たちも読みやすくなるのではないだろうかと思う。どこかの国の総理大臣のように、漫画しか読まない人にはまだ難解なのだろうが。なお、1巻では巻末に読者用にセンナヤ広場近くの地図がつけてある。これは非常に便利だ。ここに、直接小説に関係しないから記入してないのだろうが、折角だから「ドストエフスキー博物館」の位置も加えてもらうといいと思う(「マリンスキー劇場」は入っているのだから)。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.99:
(4pt)

最後は

・・・・。がよかった。
人間ってきっとこういうものなんでしょうね。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.98:
(5pt)

ラスコーリニコフ君、万歳!

 「罪と罰」を読むのは、これで3回目である。いやいやながら読まされましたっていう感じの高校時代の第一回目、激しいお色気攻勢のさなか、学園騒動(決して紛争ではない!)のうごめきの中で読み進んだ第二回目、そして、今回社会人になって始めて読んだ第三回目、当然この三回目がいっちゃん面白かった。古典新訳の泰斗、亀山先生の真骨頂がこの文庫に現れているといっても過言ではない。言い過ぎても聞き取れないくらいのこの充実した翻訳内容である。
 第2部第3章のラスコーリニコフ、ラズミーヒン、ナスターシャ、というここでの若者三人組の会話文の翻訳の新鮮さったらない、21世紀日本のトレンディ・ドラマを観ているようだ。
 今まで読んできた「罪と罰」と同じあのドストエフスキー先生の書いたものかいなと勘ぐってしまうほど、ラスコーリニコフ自身のしゃべりも可笑しく、爽やか1粒300bである。ナスターシャって、ロージャに本当に気があるなあ・・・・・。
 「カラマーゾフ」の巻末の「読書ガイド」も充実していたが、今回もなかなかいい。当時の時代背景を勘案しつつ、21世紀の今の経済と比較するのに有意義で、ラスコーリニコフ君のお財布の中身を除くのに好都合な「1ルーブル=○○円」というこの○○、「読書ガイド」で確認してみましょう。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.97:
(5pt)

よく流れリズム感のある日本語に

賭博で一文無しになった44歳のドストエフスキーが、乾坤一擲の思いで書いた傑作。選ばれた者の例外的特権、大いなる善の為に小さな悪は許されるか否かなど、重い思想的テーマを扱うが、心理描写や推理小説のような緊張感が素晴らしい。亀山氏の新訳は、日本語としてとても読みやすい。日本語は関係代名詞をもつ西洋語と違い、複雑な構文を苦手としており、主語・述語、主語・述語と短い文章にバラして並列することによって、先へ先へと文章が流れるからである。たとえば、金貸しの老婆を殺した直後のラスコーリニコフの動揺場面を、既訳と比べてみよう。「けれども一種の放心が、瞑想ともいうべきものが、次第に彼を領しはじめた。そして彼は、ともすれば我を忘れて、というよりはむしろ大事なことを忘れて、瑣末な事にかかずらうというあんばいであった」(中村白葉訳、岩波文庫p135)。「ところが放心というか、瞑想とさえいえるような状態が、次第に彼の心を捉えはじめた。数分の間彼は自分を忘れたようになっていた。いやそれよりも、肝心なことを忘れて、つまらないことにばかりひっかかっていた」(工藤精一郎訳、新潮文庫p139)。「だが、ある種の放心といおうか、ある瞑想にも似た状態が、徐々に彼をとらえはじめた。ときおり、われを忘れたような状態に陥った。というより、大事なことを忘れつまらないことばかりこだわるのだった」(本訳p191)。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687

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