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ベル・カント
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ベル・カントの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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ある国の大使公邸でテロリストの占拠事件が起こり・・・というお話。 過去に実際あったペルーの日本大使公邸占拠事件を元にした小説。ですが、著者は謀略小説として占拠事件をネタにしないで、テロリストと人質の心の交流を主題にした小説に仕上げております。 それまで毛嫌いしていたハイクラスな人と交流する事で同じ人間なんだという理解を深める貧困層出身のテロリスト、テロリストの心情を理解して心を開く上流階級の人質、というお話はよくありますし、ペルーの事件でも実際にあったらしいですが、著者はその心と心の交流を扇情的エキセントリックで派手な表現をしないで、静かに描いて却ってインパクトのある作品に昇華しております。実際に読んだ単なる一読者の私も感銘を受け且つ感動しました。 特に著者は音楽が心と心を繋ぐ重要なツールとして小説に登場させており、音楽好きな私の様な輩が嬉しくなる様な小説を物して感心させられました。 各賞受賞も納得の心ある小説。是非ご一読を。 というような事をハードカバーで読んだ時に書き込みましたが、今回、再度文庫で読んでも似た様な感想を持ちました。やはり一読の価値のある小説だと思います。 前回読んだ際よりも登場人物にリアリティがある様に感じました。特にオペラ歌手の女性と通訳の男性のキャラが光っている様に感じました。 実際のペルーの事件の後日談としては、若い構成員を含めてテロリスト全て現場処刑されたり、大使をしていた方が評判の悪いのが判り左遷されたり、・・・とあまり歯切れのいい終わり方にはならなかったそうですが、この小説ではあまり悲惨にしたくなかった様で、読後感はあまり悪くありませんでした。現実の方がやはり残酷ですよね。 映画化されたそうですが、いい評判も悪い評判も聞こえてこないので、いずれ自分の目で観て確認したいと思います。 ともあれ今も読む価値のある小説だと思います。是非ご一読を。 | ||||
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2002年のPen/フォークナー賞を獲得した佳作である。渡辺謙主演で映画化もされたが、2019年秋の日本公開時は、時期を逸したためか、上映館も少なく、ひっそりと終わったのが残念だった。渡辺謙は公式HPの中で、企画は10年ほど前からあったが、「911の後、世界で様々なテロが起きている中で、この話が受け入れ」られるかどうかが問題となり、長い間中断されていた」と述べている。 「後書き」の原作者と訳者の対談で、アン・パテェットは、1996年のペルー日本大使館占拠事件にオペラを観るような強烈な印象を覚えたことが作品のモチーフとなったと述べている。物語内現在も1954年に11歳だったホソカワ少年が、53歳の誕生日パーティーを南米の小国から提供されたとあるから、1996年である。だが全能でメタ的なところもある語り手は、「何年もたって、現実にその場にいた人々がこの時期の幽閉生活を思い出したとき、彼らの目に映るその日々は二つにくっきり分かれていた。楽譜の箱が届く前と、届いた後と」と未来完了まで持ち出しているのが面白い。 ここまで時期を合わせているのだから、他の類似性をも探りたくなる。実事件との比較には、当時ペルー大使館員で人質に取られた小倉英敬氏の著書『封殺された対話 ペルー日本大使公邸占拠事件再考』(平凡社2000.5)が参考になる。 事件の発生した日;12月17日(小説は10月22日、以下同じ)、場所;リマにある日本大使館公邸(南米小国の副大統領公邸)、左翼ゲリラの数;14名うち女性2人(指揮官3名を含む18人うち女性2人)、人質;当初は現地職員も含めて621人、一部解放後は74人(来客191人と従業員等30余人、一部解放後は40人うち女性1人)、襲撃時の死者;2人(0人)、占拠期間127日(4ヶ月半)、救出手段;地下トンネルを掘る(地下トンネル)、ゲリラの末路;全員射殺うち何名かは投降現場で銃殺(全員射殺うち3名は投降現場で銃殺)。重大な違いは、発生場所が日本大使館公邸だったのに対し、小説は副大統領公邸であること。大使館は「治外法権地」であり、現地政府が勝手に立ち入ってはならないとされている。ペルー・フジモリ政府の取った治安部隊の突入は国際法上「違法」行為であった。作者はこういう政治的な問題に介入したくなかった、と読める。 物語は、南米の「神に見捨てられた」貧しい小国が主催する、日本の(ソニーを思わせる)世界企業社長ホソカワに投資を促すためのパーティーに、テロリストが乱入するところから始まる。ホソカワはこの国に投資する気は全くないのだが、オペラ好きの彼を呼ぶための人寄せとした、マリア・カラスすら足下にも及ばないと評判のソプラノ歌手ロクサーヌ・コスの歌声を聞きたいばかりに招待を受ける。だがテロリストが拉致しようとしたこの国の大統領は、大好きな連続テレビドラマを生放送で見るためにドタキャンしていた。目算が狂った彼らはパーティーにいた各国の著名人を人質に取り、投獄されている仲間の釈放を要求する。予期せぬ人質になってしまった互いに言葉の通じない各国の招待者たちが、同じく「価値ある」とされて囚われたロスが毎日歌う美しい歌声に癒やされつつ、互いに団結しあい協力しあって行くのだが、それがテロリストにまでも及んでしまうと言うのが眼目だ。実際、赤十字の交渉人ヨアヒム・メスネルがベンハミン司令官にもう「あなたに人質は殺せない」と言わせるまでにテロリストは軟化してしまう。公邸で初めて味わう、ふかふかのソファにも美味い料理にもまして世界的ソプラノ歌手の歌にも無縁だった無知で若いテロリストたちも、ドタキャンの大統領と同じテレビ番組に息を詰め、これが永遠に続けば良いと願うのも無理もない夢の状況が生まれる。膠着状態のなかでロスとホソカワとの恋、テロリスト少女のカルメンとホソカワの通訳ゲン・ワタナベとの恋が生まれ、普段は多忙の「貴賓」たちの自己省察や、テロリストの少年少女との生活では、底辺に生きる若者たちに別の可能性もあるかも知れないとの淡い夢すら生みだす。だがこんなことが長く続くはずがない。 ある日、交渉人の赤十字職員ヨアヒム・メスネルが「今夜中に投降しろ」と暗い顔で司令官を諭す。翌日テロリストたちが銃を置いてサッカーに興じる最中に、同国の対テロ特殊部隊の突撃が始まる。小説は権力側の政治的思惑には全く触ずにいて、「楽園のお楽しみ」はこれでおしまいとばかり、読者を現実に引き戻す。結末の衝撃は大きい。 治安部隊がホソカワへの誤射を始め、なぜ銃を捨てて投降するテロリストまでも無慈悲に射殺してしまったのか、小説は小倉書の、フジモリ大統領の強権主義を非難する論調とは違って、光景だけを詳しく述べるだけで政治的是非には介入しない。最後にアメリカ小説らしくテロリストは絶対悪だという言説に立ち戻って、襲撃を肯定してしまったのか。だがそう思われない証左がある。それはテロリスト18名の名前が全部挙げられていることである。彼らは無名で死んでいったのではない。著者は貧しく生まれ貧しく育ち、人生の楽しみを味わう前に殺されてしまった彼等若者に万感の弔意を手向けていると思われるのである。 | ||||
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2019/11/15、この小説の映画化作品が公開されます。 「ベル・カント "Bel Canto"」(アン・パチェット ハヤカワepi文庫)を読みました。 この小説は、その記憶が少し薄らいでいますが、1996年ペルーのリマで起きた日本大使公邸占拠事件を題材にしています。日本のエレクトロニクス企業の総帥の誕生パーティが<ある国>の副大統領官邸で行われ、そこでは熱狂的なオペラ・ファンである総帥・ホソカワのために世界最高のオペラ・ディーヴァ、ロクサーヌ・コスが密かに招待されています。世界中から多くの招待客を招き、そのパーティの最中、主催者側の<その国>の大統領を拉致すべく、空調ダクトを通って、テロリスト集団が乱入、官邸を占拠してしまいます。彼らは仲間の政治犯の釈放を要求しますが、あろうことか拉致すべき大統領はある理由から(笑)不在。 とは言え、テロリスト側と政府側の軍事的な、バリスティックな攻防が描かれているわけではありません。ほぼ全編、テロリストたちと人質たちとの<待ち続ける>共同生活が描写されていきます。「ストックホルム症候群」、「リマ症候群」とも呼ばれるある種のPTSDによって、特に年若いテロリストたちは苛立ちと恐怖を癒してくれるものに何故か縋るようになり、人質たちは様々な手管を使って、変わらない日常を取り戻そうとしながら振り幅の大きい「感情」と向き合いながらの生活を強いられていきます。そう、外に出ることができない以上、副大統領官邸が彼らの生きるべき「宇宙」になります。 前半はグランドホテル形式のように、主要な登場人物たちが次々と描かれていきます。取り残された副大統領、総帥・ホソカワ、歌手ロクサーヌ、カトリック神父、麗しいフランス人夫婦・ティボー、ロシア人たち、そして「美しい歌」に必要なピアノ弾きはどこにいる?3人の大人のテロリスト、何人もの子供のテロリストたち。「人はなんと迅速に自分の望みを低いほうへ修正できることか」 私には二人の人物がとても印象深い。ホソカワの通訳、ゲン。そして、テロリストと政府の間を行き来するレッド・クロスのメスネル。ゲンは何カ国語も話せるが故に「狂言回し」としての役割を担いながら、人が感情を乗せた会話を続けようとする時の「通訳」としての苦悩を受け止めながら、そこから逃れようとするように自分自身の「感情」の揺らぎを超えて、人を愛するようになります。 語れば語るほどストーリーに触れなくてはいけなくなりますので、ここまでにしておきたいと思いますが、レッド・クロス、メスネルの苦悩の側に焦点を当て直したとしたら、この物語もまた異なる様相を持った小説になったのかもしれません。 戻りましょう。この小説は、タイトルどおり「美しい歌」についての物語だったのでしょう。未来を描くことができない、でも永遠に続くとはとても思えない<小宇宙>の中で様々な「愛」が切実に、丁寧に、または通訳を通して語られる母国語のようにぎこちなく描かれていますが、そこにはホソカワの母国にある<恥>のようなものもまた受け取れます。そういう意味では、作者は物語のクライマックスを直接描かずに、もう一つのクライマックスによって本当のクライマックスを糊塗しています。とても奥ゆかしい。 そして、ミサにおける「カトリック」の祈りのように罪を告白し、聖書を朗読し、「アヴェ・マリア」が唱和され、いつまでも続くかに思われた<事件>は終わりを迎えます。 〝 歌に生き、恋に生き、けっして悪いことはしませんでした!〟 歌姫、ロクサーヌの歌う旋律が深い痛みと祝福をもたらします。 (実は、映画を見る予定はありません(笑)。上映時間が101分ということは、偏見ですがダイジェストだと思ってしまいます。) | ||||
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ある国の大使公邸でテロリストの占拠事件が起こり・・・というお話。 過去に実際あったペルーの日本大使公邸占拠事件を元にした小説。ですが、著者は謀略小説として占拠事件をネタにしないで、テロリストと人質の心の交流を主題にした小説に仕上げております。 それまで毛嫌いしていたハイクラスな人と交流する事で同じ人間なんだという理解を深める貧困層出身のテロリスト、テロリストの心情を理解して心を開く上流階級の人質、というお話はよくありますし、ペルーの事件でも実際にあったらしいですが、著者はその心と心の交流を扇情的エキセントリックで派手な表現をしないで、静かに描いて却ってインパクトのある作品に昇華しております。実際に読んだ単なる一読者の私も感銘を受け且つ感動しました。 特に著者は音楽が心と心を繋ぐ重要なツールとして小説に登場させており、音楽好きな私の様な輩が嬉しくなる様な小説を物して感心させられました。 各賞受賞も納得の心ある小説。是非ご一読を。 | ||||
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世界に稀なる歌姫・ロクサーヌ・ホスなるアメリカ人のプリマドンナを人質のうち、ただ一人の女性に据えたことで、音楽が人質、テロリスト双方の心を結びつける。 それは、まことに感動的である。が、しかし。 スペイン語、仏語、ギリシャ語、ロシア語までを操り、「自分の口から出た言葉には耳を貸さない」という天才的な日本人通訳・ゲン。 誰も知らなかったピアノの才能を披露することになる重役・カトウ。 チェスの才能を見せる10代のテロリスト。かてて加えて、これまた天才的な歌唱力を備えた、やはり10代のテロリスト・セサルーーと、とにかく、うじゃうじゃ天才が出現する。 その他、中盤を過ぎると、不自然さ、欠点が目立ってくる。 まず、時間の経過がよくわからない。いきなり、3ヶ月?4ヶ月?がたってしまう。 次に、いくら小学校の先生だったとはいえ、ジャングルを拠点にするテロリストの指揮官がチェスの達人? チェスなんて、どこで知ったのやら。 さらに。テロリストの数は「ペルー日本大使館占拠事件」とほぼ同じなのだが、兵士は全員少年少女で、指揮官が3人もいる。 この3人の指揮官の描き分けができておらず、私には帯状疱疹に悩むチェスの名手・アルフレードしか覚えられなかった。 さらに。オペラをこよなく愛する「ナンセイ」のホソカワ社長を初め、ピアニストに変身するカトウもそうだが、日本人人質が「グッド・モーニング」も解さないって? 日本企業の第一線で働く50代の実力者が、それはないでしょう。 作者は日本人とは、無言で微笑し、お辞儀をするだけの国民と思っているのだろうか。 翻訳が固く、こなれていない難点はあるものの、中盤までは一気に読ませる。 虜囚生活が長くなるにつれて、人質となった人々には、これまで働きづめだった人生を顧みる貴重な日々が与えられたことへの気づきが訪れ、そこへロクサーヌの歌が思いがけない「恩寵」として加味される。 家政に天職を見いだす副大統領、妻への愛と料理への情熱に目覚めるフランス人。ロクサーヌに愛の告白をする汗っかきで小心のロシア人の大男。人質になって初めて告解やミサを司ることができ、その機会を多いに楽しむ新米の神父などなど。人質側の造型は個性的かつ魅力的である。 が、それに比べて、テロリスト側は2人の少女(一人は向学心旺盛な美少女)と、帯状疱疹の指揮官以外、さっぱり「見えて」こない。これが一番致命的な欠点と思う。 不自然さは、まだある。ペルー大使館占拠事件と同じように軍がトンネルを掘っているのであれば、いくらなんでも手掘りであるはずがなく、騒音や振動があるはず(ペルー大使館事件では、削岩の騒音を消すため、大音量の軍歌が流された) 平和的解決の結果はペルー大使館事件とほぼ同じだが、突入に際して床を爆破するなどの音もなく、、、、 そして、最大の不自然さはエピローグである。どうしてこの2人が結婚するわけ?? 失ったものへの共通の哀惜から? いや、でも、「愛している」という言葉だけは使ったことのない彼が、はっきり「彼女を愛している」と言っているし…… 繰り返しになるが、中盤までは頁を繰るのがもどかしいほど。それゆえ、上記のもろもろが惜しい。 | ||||
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この中の登場人物2人の恋のゆくすえにはらはらしながら 読みました。 あまりおもしろいんで 物語フェチの実家の父に急送しましたが 父は「ペルー日本大使館公邸占拠事件の真相はこうだったか!」 と電話で興奮していました。 (実際にはそれにインスパイアされただけのまったくの別物、100%創作なので) おもわず訂正しましたが 几帳面に訂正しないほうがよかったか、と後悔。 「うん、そうだよ」とひとこと言えれば、 この本に出てくる夢のような夜の庭やキッチン、 皆眠っているなかで足音をしのばせてのぼる階段は、 父の頭のなかで「リアル」として存在し続けるわけで。 | ||||
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南米のとある小国の官邸がテロリストに占拠された話と聞けば、数年前実際に起きた「日本人大使公邸占拠事件」を思い出す人も多いだろう。そこで展開された状況は計り知れないが、少なくともこの小説の中では、奇妙な安らぎを湛える桃源郷を作り出したと言える。 外界から完全に閉ざされた状況の中で、人質となった各国の要人たちと、貧しい寒村で生まれ育ったテロリストたちは、まるで海を漂流していて無人島に辿り着いた人達の様に、いつしか協力し合い共に美しい楽園世界を作り上げていく。 『ストックホルム症候群』の様でもあるし、お伽話と言えなくもないが、綴られる一つ一つのエピソードが実に美しい。 事件そのものは、やはり悲劇なのだが、居合わせた人々にとっては、「きちんと生きること」を知る機会ともなり、人間はどんな状況からでも学ぶことが出来るのだなと改めて感じさせられる。 | ||||
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南米のとある国で、是非とも誘致したい日本企業の首を縦に振らせようと、その社長の大好きなソプラノ歌手を招き、誕生日のパーティを開いた。粛々と進んでいたプログラムだったが、突然のテロリストの乱入。彼らの目的は大統領だったが、生憎、彼は突然の欠席。引き際を間違えたテロリスト達は、大勢の招待客全てを人質とする事になる。・・・たまたま旅行でこの地を訪れていた赤十字の社員が、説得役にドアを叩く。それから4ヶ月。突入隊によるテロリスト全員+人質1名の射殺という解決をみるまでの、残虐になりきれないテロリストと、状況に適応してしまった人質達との交流。監禁された人質達の国籍が多岐に渡っている事から、同じ状況下で現される国民性が興味深い! | ||||
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南米の日本大使館で実際に起こった事件をヒントに書かれた小説。テロリストの心の動き、被害者の心情が細かく描写されており、まるで自分がそこにいるような臨場感。音楽の描写もリアルで、イメージの中で音さえ感じることのできる作品。情景描写、音、光、など細かいディテールが映像のように表現されていて、映画をみたような読後感。 | ||||
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