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HELLO WORLD
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HELLO WORLDの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.57pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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普通逆なんですが、劇場版を先に見てから原作を買った為こんな感想になりました。 劇場版は中盤以降の流れに全く付いていけず、世界観についても良く分からないまま終わってしまったので、理解を深めようと思い本書を後追いで読みましたが、相変わらず良く分からないままでした。あの映像を文章化したらこうなるんだな以上の感想は特に湧かず。 本作の世界観を最も分かり易く丁寧に解説しているのがスピンオフ作品の「if」なので、こちらは大変オススメです。 | ||||
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前半のボーイミーツガールの下りは悪くないのだが 中盤以降が超展開で、それも当事者たちが勝手に盛り上がっている印象が強い。 映像化前提というのもあるのだろうが、主人公に超能力めいた力を行使させたり仮面集団に追われたり サイバー空間の話とはいえどうにも地に足が着いてない感じでしっくりこない。 また、ラストをああいう形にした割にヒロインの魅力を今一つ描写しきれていないのも 個人的にはかなりマイナスである。 読者や視聴者に主人公の独りよがりにしか映らないのでは? | ||||
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理論物理学を専門に学んでいる身として、主に論理破綻について書く。 長くて読んでいられないという方には、4番だけでも見て欲しい。 この作品はおそらく、感動できる青春SF小説として書かれている。しかし、そもそも「彼女」や「先生」との生活や心情描写が極めて少ないため、感情移入しづらいという問題が発生している。加えて、度重なる論理破綻により、「論理破綻に見せかけた大規模な伏線」なのか、或いは「単なる著者の無知」なのかが判断できず、もやもやしたものを感じながら読まざるを得なかった。以下では、本作の問題点について具体的に解説する。 1. 「記録」と「シミュレーション」を混同している 「アルタラ」は飽くまで京都という街の情報を「記録」する装置とされている。つまり、アルタラは時間毎の情報を同時に持っている。例えば、11/27 13:18のこの座標の量子的な状態はAであり、12/04 22:41のこの座標の量子的な状態はBである、というように。それらはあくまで静的な情報であり、互いに独立している(*1)。つまり時間の流れというものは存在しない。確かにそれぞれの記録と、それらが記録された時間の情報は結び付けられているが、時間は止まったまま存在している。 一方で、(現実世界の)「シミュレーション」とは、ある時刻――例えば11/27 13:18:01――の情報を元に、次の時刻――例えばその0.00001秒後――の情報を再現(*2)することである。記録とは異なり、シミュレーションには「現在の時刻」という概念と、時間の流れが存在する。そして、これも記録とは異なり、現在時刻以降の情報は計算機内に存在しない。シミュレーションには「干渉」できるが、記録には「干渉」できない。記録に対して行えるのは、「改ざん」である。 作中でアルタラは記録装置となっているのに、実際には、過去の京都をシミュレートする計算機として働いている。これは設定の破綻である。この破綻を無くすには、「アルタラは記録装置であると共に高度なシミュレーション装置であり、次の時刻の状態の量子的な揺らぎまでを完全に再現(*3)するために、予め記録した次の時間の情報を補助的に用いている。記録の使用は補助的なものに留まるため、シミュレート結果がそれと大きく異なる場合には補正し切れない(*4)」とすれば良い。 2. なぜ直実は「先生」が見えるのか 基本的に、外部の存在は世界に干渉できないようであるし、アルタラのシステム上の存在――例えば狐面――も特殊な装置を使って初めて見えるものと描かれている。それなのに、直実は生身の体で初めから「先生」が見えている。それは何故か。個人的に最大の謎だが、SFであるから奇跡で片付けても良いのかも知れない。或いは、明示されてはいないが、そうなるように「先生」が試行錯誤を繰り返した可能性も否めない。 3. ブラックホールの記述が非現実的過ぎる 作中の描写(p.205)によると、直実は地球のようなものを1cmにまで圧縮し、ブラックホールを生成している。そしてこれは雷や川の水だけを都合良く処理している。そんなことが起きる訳はない。直実が創り出した物体は、世界に干渉できるという設定であるし、だからこそ「先生」は直実に手袋を使わせている。現実的には、直実も「彼女」も、それどころか京都全域さえ消し去られる。「彼女」を助けるための手段として、なぜブラックホールを描こうと思ったのかが理解できない。児童向けの漫画やライトノベルなら兎も角も。 4. 量子情報が観測後に変質するとしている p.225で、「彼女」の精神を手に入れるには、量子情報を高精度で観測する必要があり、その観測に伴って情報は壊れてしまうため、アルタラ内の世界から「彼女」は消えてしまった、と説明されている。これは、本作の中でも最も大きな論理破綻の一つである。量子情報は、観測後に破壊されるのではなく、観測時に破壊される。つまり観測によって得られる情報は、観測の影響を受けた後の情報に他ならず、高精度の観測を行ったところで真の、乃ち観測する前のものと本質的に等価な情報は決して得られない。量子力学の常識である。「彼女」を消してしまうほどの情報変化を伴う観測するのであれば、観測して得られた情報も全く使い物にならないほど破壊されている。 これは「彼女が消える」という大事件の根幹に関わるだけに、決して許されない論理破綻である。この破綻を解決するには、その事件そのものを無くさなければならない。そうすると、言うまでもなく、「彼女」を取り戻すために直実が奮闘する物語の後半部全てが書き直しの運命を辿る。 [脚注] (*1): アルタラに無限の容量を持たせるために、似た量子情報を結びつけて、効率良く記録している可能性は否めないが、少なくとも作中では一切語られていない。そもそも無限のものを圧縮して有限にできるかは自明でないが、その点はSFとして無視する。 (*2): 量子力学的な不確定性までは再現できない。 (*3): 厳密には、「再現」という言葉は不適切である。量子的な揺らぎは何らかの確定した値を持つものではないから、「過去に生じた量子揺らぎとシミュレーション結果を一致させる」と言うのが正しい。 (*4): 大きな干渉は結果を変え得るということである。「先生」がそうしたように。 ----- 浅い知識で現象を説明付けようとしており、下調べが圧倒的に足りていない。特に3や4は素人でもブルーバックスを一冊読めば知る――「理解」とは言っていない――ことができるのに、著者はその努力すらも惜しんだのだろう。 SF小説だと謳いながら、内容が現代の自然科学の範疇を超えていない。それゆえに、自然科学に精通している者ほど楽しめない作品だと思う。 評価できる部分もある。それは、量子情報と現実を区別できないものとしている点である。どこまで著者が理解していたのかは分からないが、任意の実体は素粒子が並んだものであると考えられているため、全ての座標における素粒子の状態と、それを次の状態に発展させるに足る物理法則の理論体系さえあれば、現実を全く再現してしまうことができるし、それは「現実」である。これはSFではなく、今自分たちが生きている世界が、一般市民の言うところの現実であるかを問うことは無意味であるし、哲学的命題であるが故に一意解は存在しない。 ただ、おそらく著者は、「先生」の世界すら仮想世界であることを明かして、「先生」の直実への過去の発言が伏線になっていたことを提示し、読者に大きな驚きを与えたかったのだと思うが、私は第一章の時点で、展開の一つとして予想できていた。同じような人も数多くいると思う。この世界がシミュレーションと区別できないという事実は、物理学に精通しておらずとも、SF好きなら知っている人は少なくないだろうし、きっと著者が想定したであろうほどの効果を見込める展開では無かったのではなかろうか。 全体的に薄っぺらい物語だった。 | ||||
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今まで読んだ野崎まど作品の中では一番つまらなかった。 SF要素で現実にはあり得ない現象が発生するが、「なにが起きたのか説明できない」「なにも解っていない」の一点張りで物語の最後までごり押しされるのが、キチンと解釈しようとするSF好きにとっては辛い。謎を残しつつも面白いSFは存在するし、全てを説明するのが良い小説だとは決して思わないが、本作は映画の脚本として描かれた弊害なのか、説明不足が目に余る。 SF小説の常であるどんでん返しも予想を超えてくることがなく、どちらかと言えば期待外れだった。物語の最後の締めも大味でパッとしない。野崎まどの新作かつ映画化ということで期待値が高すぎた感が否めない。 過去作と比較する是非は人それぞれだと思うが、本作では野崎まど作品で良く出てくる「なに考えているかわからない、ミステリアスで魅力的な女性」が出てこないのが個人的に残念だった。 また、野崎まどは狐面を使うのがよくよく好きだなと思う。過去作では別々の物語を関連させていくアイテムとして上手く機能していたし、登場する必要性があったように思う。しかし、本作は新作映画の脚本であり既刊との関係性を入れ込む必要はない筈で、狐面登場の必要性は全く感じない、狐面を大量発生させるに至ってはナンセンスに感じられて仕方がない。 | ||||
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