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介護士K
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介護士Kの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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大変大きなテーマの小説だと思います。自分の意志で死ぬことは「自殺」でいいイメージはありませんが、安楽死の議論は必要だと思いますね。 | ||||
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介護の仕事を、少しだけ経験しました。働く人々は、懸命に働いていますが、きつい職場です。介護士Kさんは、さまざまな思いを、自分でも表しきれてないようです。そして、その思いを食いものにされてしまうようです。 高齢者は、今後どのように生きれば良いのでしょうか。 | ||||
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現実とSF ミステリーを混同したような小説。 介護関係の仕事をしているので、複雑な気分になったが、面白い‼️ | ||||
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「助けられる者は助ければいい、助けられない人を助けようとするところに煩いが生じる。あるがままを受け入れるとは、そういうことだ」 医療にも介護にも言える言葉だと思った。 高齢になり、施設に入所した利用者の多くの人が死にたい死にたいということはFacebookの介護グループの書き込みでもたびたび出くわす。 ・・・・・ 有料老人ホーム「アミカル蒲田」で入居者の転落死亡事故が発生し、ルポライターの美和は虐待の疑いを持ち、施設の周辺調査をはじめる。聞き込みののち虚言癖のある介護士小柳の関与を疑うようになり、深く追求していく。 そんな中、第二第三の事故が発生する、という筋書きだ。 この小説は去年の5月に発刊されたカドカワの「小説野生時代」に『老園の仔』というタイトルで第一回目が掲載されている。奇しくも著者久坂部羊氏の対談相手がノンフィクションライター中村淳彦氏であったことから私は知ることになり、これを読んでいた。 久坂部氏は現役の医者である。彼の論調はきれいごとをぶち破るもので、長生きなんていいことがない、死ぬことにもいい面がある、と強調する。 寝たきりで苦しくてつらくて情けなくて、という人を本人が気が付かないうちに葬ってあげたら本人のためだ、国のためだ、そして介護現場のことを考えるとそうすることがいいのだ、ということをこの小説に込めていると思える。 介護現場では虐待はあっても当然だともいう。介護士は社会的地位も低いし、給料も安い。だから優秀な人材が集まらないから、という。介護は生産性もないから、と繰り返し強調もする。 そういう現状の中、FB介護グループであふれるのはきれいごとというキラキラ論である。介護はやりがいがある、ありがとうと言われたらそれが報酬だ、介護は天職だと思う、と。 利用者に死んでほしいとか、もう助からないですよとか、なにをやっても無駄ですよと言うとか、そういうネガティブなことはなかなか言わない。 そして利用者ために、と自分たちを犠牲にしても構わないという人がほんとうに多い。 だから久坂部氏は介護士たちの言いにくい本音をこういう小説にしてくれたんだろうと思えた。 介護ってなんだろう、死なせる介護が理想なのだろうか。 死にたい死にたいという利用者たちに、治りますよ、と嘘をついてリハビリに力を入れることが正解なのだろうか、と考えさせられる。 冒頭の「助けられない人を助けようとするところに煩いが生じる」というのはここだと思う。介護士はどういう気持ちで利用者に向き合っているのだろうか。 本音と口から出る言葉は一致しているんだろうか。自分の気持ちを騙し騙しかかわっているのだろうか。 ここで小説の中に繰り返し出てくる「虚言癖」と言う言葉がちらつく。 今、高齢者による莫大な医療費で社会保障費が喰い潰されていることが問題になっている。 同時に介護現場の人手不足も騒がれている。 対策としてまずは医療現場にメスを入れ、介護される高齢者を減らすこと必要だと思わされた。 これからは「費用対効果」の医療が推し進められる必要があると思う。 「命は尊いものではない」 「命は平等ではない」 と書く久坂部氏は、 「あなたは治療を受けても治りません」こういった言葉が医療現場にも必要だと叫びたいのではなかろうか。 介護の小説でありながらどちらかと言えば医療関係者である私はたくさんのことを考え、また自分が漠然と感じていた「本能的に助けてしまうこと」に対する答えがようやく見つかったと思う。 小説の最後には意外なドンデン返しがあった。そこで新たに湧いてきた疑問に対する答えはまだわからない。もしかしたらずっとわからないかもしれない。 | ||||
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実際に介護職に携わっております。この本を読み共鳴する部分もありながら現実起きてしまったら大変な思いをする事を実感出来た気がしました。 ストーリーとしては最後が曖昧な内容なのがイマイチな気がしました。 ここまで書かれているのなら思い切った完結の方がスッキリした感が否めません。しかし、この本は実際現場で働いている者としては購読して損はないと私は思います。 | ||||
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つらい状態で生き続けるのなら死んだ方がよい、死なせるのは慈悲であるという、高齢者介護の実態が生々しく描かれており、考えることが多かった。 痛みがあるなら治療すべきだし、生活が不自由なら介護をもっと充実させるべき。文中に出てくるこんな正論を言うのは簡単だが、どんどん高齢者が増加する中で、正論を実行するのは困難だということがよく分かる内容になっていた。 きれいごとを言う前に、国民が交代で1週間介護施設で働いてみるというようなことを施策としてやってみると、どれだけ介護が大変かよく分かると思う。 虐待に対して、文中に出てくる介護従事者の言葉には考えさせられた。 「年寄りを施設に預けている家族も共犯。文句ばっかり言って、感謝のかの字もない。ここは気をつけて、こっちは丁寧に、なんて自分で世話もしないくせに、要求ばっかり突きつけてくる。それで介護士はストレスをため込んで、入居者に当たるんだ。虐待の原因のひとつはそんな家族だ。」 小柳と姉の関係の不自然さや、フリーライターの朝倉の小柳への入れ込み具合は気になるが、介護に携わる人にはぜひ読んでほしい内容だった。 | ||||
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私も施設で介護士をしています。文章1つ1つなんか考えさせる事がかいてあり、一気に読めました。 久々に素晴らしい作品に出会えました! | ||||
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介護士の小柳に虚言癖があるのでどれが真実なのかが判らないような結末になっているように思える。もしこんな人が実際に身近に居たら頭がおかしくなりそうだ。 | ||||
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久坂部羊なら介護がきれいごとじゃないことを上手く書いているんじゃないかと思ったけど期待外れ。 「生きているのがつらい」と実感するのは本人であり家族。日常一緒にいるとは言え、他人である介護士は直面し続ける義務がない。介護士が「生きているのがつらい」と実感して、行動に移すとすればただの狂気。 その狂気の描写も、狂気を狂気としてまぜっかえしているので、「書きかけか?」と思うような終わり方。 | ||||
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あ、あの事件ね という感じ。オチがないけど、この手のテーマはオチを求めるモンでもないのでそこはOK 「金を払っているからと言って、自分が出来なかった事を他人に押し付けて、自分以上の成果を求めるのは厚かましい」 ↑に、物凄く同意。 基本的に「『無理強い』はせんが、希望者は『安楽死』で良いだろうよ」派なので、自分は黒原、恭平側なんだろうなあ… 「苦しみから解放するために苦しめては本末転倒」と、すると、どうも4階ってのは低すぎる←が、自分の一番の気になりポイントだった。我ながら情緒ってモンに欠けている ちなみにこの気色悪い関係性の姉弟という設定は必要だったんだろうか?と、思わんでもなかった | ||||
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介護においてキレイ事を言わない人だけ見てください。なにが正しくてなにが間違っているのか、深く考えさせられる本です。 | ||||
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昔、父方の祖母が認知症になり家で介護していましたが、実際の介護は両親がしていましたので、私はただの手伝いにすぎず、介護を経験したとは言えません。何度も家を出ようとする祖母の頭を、普段は温厚な父がゲンコツで叩いた時には、家族全員が仰天しました。 現在、私自身は介護をしていませんが、親戚、友人で介護をしている人達の愚痴の聞き役をしています。とにかくどこの家の内情もすさまじく、いわゆる良い家の子弟で、高等教育を受けた人達でも思い詰めてしまうと、実の親に対して「さっさと死んでほしい」「一体いつまで生きてるの?」と言うのですから。昔の祖母の姿を思い出せば、「そんなこと、言うもんじゃないわよ」とは口が裂けても言えません。 今の高齢者の親世代は、大体60~70代で亡くなっていたように思います。それで特に早世というわけでもなく、現代のように、頭や体が不自由な状態でも「医学の進歩により無理に生かされている」なんてことはなかったのではないでしょうか。 実の家族でも疲弊しているというのに、介護士に聖母か天使のようであれと望むのは、無茶というものでしょう。 本書は結局、問題提起はしていますが、明確なオチはない話だと思います(オチのつけようがないというか)。自分で答えを考えるしかないのでしょうね。 余談ですが、作中で「ここなら虐待はないだろうという施設を2カ所見つけた」というくだりがあり、ひとつは杉並区のセレブ向けの超高級優良老人ホーム(入居一時金1億円!)で論外なのですが、もうひとつは(本書では実名は伏せられていますが)僧侶の釈徹宗さんが主催しておられるグループホームが挙げられていました。伺ったことはありませんが、地元なので存在はよく知っていたので驚きました。できることなら一度、見学させて頂きたいと思いました。 | ||||
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