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(短編集)
熱帯魚
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熱帯魚の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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退屈な内容の本でした。 何処かに書いてあったらすみません。 時代背景が昭和なのでしょうか? 5~60代の人が若かった頃にありがちな映画を見た様なぐったり感です。 それこそカラーになりたての頃のフィルムカメラのざらざらした様な荒い画質の、俳優のくぐもった声が聞こえてきそうな感じでした。 決して若くなく、イマドキでもなく、どんより、煮えきらず、かっよくもなく、素敵でもありません。 各所に“昭和”がちりばめられていて、それが物凄く悪目立ちしており、没入感や感情移入は皆無でした。 強いて言うなら、“グリンピース”が一番若い時代設定なのかな?と感じましたが、 著者さんの書く“主人公の癖”なのか、著者さんの“思考の癖”なのか、 “熱帯魚”以外の主人公の性格、性質が似ている様に感じ、 3作品に共通する事は、“主人公は何も成し遂げない”事です。 どの話も何も解決せずに、ただただ気怠く終わります。(それを“リアリティ”だと表現するなら、まぁ“現実味のあるお話達”ではありますが…) 丁寧な表現と言うのか、生々しい表現と言うか、一言多い表現と言うか、“別にこの文書かなくても良くないか?”と言う、そういった言葉が、物語の気持ちの悪さを演出しています。 この方の作品を他にも触れたことがあるのですが、こう言った“どんより”、“煮えきらない”、“暗い”表現が得意と言うか、 同じ様な思考の雰囲気ばかりの作品なので正直退屈です。 個人的に、今まで情緒不安定になるくらいキツくて、暗くて、考えたくもないグチャグチャドロドロの目を背けたくなる様な酷い現実を味わって生きてきたので、こういった“明けない夜”、“降り止まない雨”の様な“暗い小説”はお腹いっぱいで。 トラウマを撫でられる様な雰囲気の作品達でストレスしか溜まらないので、今後は彼の作品は余程の事が無い限り触れない様にしようと思いました。 (※私の知人は、親にすんなり感謝出来る様な幸せな家庭の育ちで、心も安定している方なのですが、この方の書く“暗い物語”が、全く現実味の無いフィクションにしか思えないそうで、逆に“暗さ”を楽しむ様に、興味があるみたいで、こう言った作品が気になる様でした。) 私も“暗さ”を楽しめるぐらい、幸せかつ安定した心で本を楽しみたかったなぁ…なんて思う程、 私にとってはこの作品は、何処をとっても100%テンションが下がる、ある意味天才的作品です。(気分が最悪なので、★2つですみません) | ||||
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吉田修一の描く男をみていると なぜか ささくれ立つ。 なんとも言えないほどの頼りなさ。 そして、自分中心なのだ。それに愛想を尽かすオンナ。 いつの間にか ドロドロの関係になって、すすめなくなり 結果として 別れるしかないみたいだ。 この三つの短編も、底流は 似ている。 「熱帯魚」 大工さん。大輔。ある程度任せられるけど、任せきれないところがある。 吉田修一の男主人公としては、めずらしく 高給取り。 大工さんに、ボーナスで プーケットに4人が行けるほど出るのだろうか? 大輔は、ちょっと、おせっかい。『オレについてこい』系。 大家は 時先生で いつもむつかしいことを考えている先生。 歳をとっているが、ちょっとゲイっぽい。 大家から借りたマンションに、真実とその子供 麦子と一緒に住む。 真実は 天真爛漫系。何となくイメージがわく。 大輔の親はつれ子同志の結婚で、義理の弟 光男がいるが、 これは、箸にも棒にもかからない感じ。吉田修一が好きなタイプ。 ちょっとのろまで、しかし 羅生門の演劇をしたいと思っている。 熱帯魚を 見つめて ぶらぶらしていて、熱帯魚の顔のちがいまで分かるようになった。 光男も 転がり込んで居候となる。 4人の疑似家族ができ上がる。 大輔のついてこい系で、まわりは、それをどちらかと言うと 迷惑がっているが、 気がついているようで、気がつかない。 その光男が プーケットの代金と真実の貯めた50万円を盗んで 逃げた。 大輔は 家をつくっている家主の娘14歳とねんごろとなり、ぼやを起こす。 これは、完全に 淫行条例違反 ですね。ロリコンですまされない。 大輔は、棟梁に ボコボコにされるだけで、まわりは 簡単に受け止めている。 普通は クビ でしょう。 なぜか、読んでいると 気分がささくれ立ってくる。 余っている エネルギーと その扱い方が分からない青年たち。 吉田雄一の 男たちは なぜか そのような雰囲気をまとっている。 「グリンピース」 僕と千里。鷹野と椿。 カップル同士のつきあいで、鷹野と椿は マジメ。 千里は 冗談の分かる女。 僕は 失業中。千里が すきだけど、どうも気に食わない。 千里がカレーを作っているときに グリーンピースをぶつけ始める。 それで、千里が 家出する。そこから 物語は 奇妙になる。 吉田修一の『どろどろ』が始まる。 『許す』ことは、分かるが、『許さない』とは どうすればいいのか? 本来ならば 別れるという方向に行くはずだが、別れないで許さないを考える。 真っ白な雪が 降って すべてを覆い隠す。 「突風」 新田は どうも いい会社に勤めているが、休暇で 海辺の民宿でアルバイト。 民宿の 奥さん すみれさん。ふわふわと浮かんでいる女。 それに、ちょっかいを出す 新田。 吉田修一的ワールド。不安定な状態での不安定な感情。 | ||||
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「熱帯魚」、「グリーンピース」、「突風」の三作が収録された作品集。 作品そのものに関連性はないのだが、表向き優しさをまといながらも、芯のところで冷え冷えとしている男性主人公のキャラクターが共通しているように思う。自分本位とも違うし、わがままとも違う。なんとなく、イヤなヤツなんである。僕自身にもどうやら同じ部分があるらしく、同族嫌悪というに相応しい気分にさせられる。 「熱帯魚」の大工の大輔は、子連れの女性と同棲しながら、引きこもり気味の義弟光男の面倒を見始める。家族にも友人にも同僚にも愛想のいい憎めない男。日がな一日熱帯魚を見て暮らす光男は、そんな大輔に心を許さない。押しつけがましくもある大輔の優しさに信を置けないのではないか。後に大輔は、ちょっとした事故を起こすのだが、その顛末を含めて黒い部分を見てしまう。 「グリーンピース」の草介は喧嘩の挙句、浮気をしたカノジョの千里を持て余している。人を”許さない”方法を見いだせないでいる。心をどこかに置いてきたような草介の行動。千里にグリーンピースを執拗に投げつけるという、草介の怒りの表現にはいごこちの悪さを感じてしまう。 「突風」の新田は、ふと立ち寄った民宿の奥さんと、つかの間の逃避行を実行に移す。都会と郊外では、別の顔をもつ新田。何気ない行動で波紋をおこし、それが意図したものでないゆえに、その結果を振り返ることをしない。感情があらわにならない男の寒々しさが淡々と描かれる。 吉田修一さんは、何考えているのかわからん奴を書くのが上手いね。 | ||||
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冒頭からねっとりとした嫌な空気感を醸し出している その印象だけで、楽しい話ではないということは分かるのだけれど、なんだかそのまとわりつくような気持ちの悪い煮え切らない感じがずーっとつきまとう もやもやと燻っている 悪人にも善人にもなりきれず、豪快さがあるわけでもなく自信家でもない、少し狡獪さを持っている普通のひと この普通のひとというのが自分とオーバーラップするようでもあり、否定したくもあり… そういうところがこの何とも言えない気持ち悪さに繋がっている気がする… なんとも消化できない嫌悪感が残る このひとの作品はどれも新鮮で読みやすく手が止まらない 抽き出しの多さに驚かされる | ||||
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本書は『熱帯魚』『グリンピース』『突風』の三部で構成されている。 印象的だったのは、『グリンピース』で「僕」が千里にグリンピースを投げて喧嘩?(というか一方的なDV)をするシーンかな…。 「僕」みたいな人間は大嫌いで、千里は、どうして結局は「僕」から離れようとしないかも不思議だ(これも被DV女性の代表っぽい行動だ)。 後味も良くないし(途中味はもっと悪い)、読むのに少し疲れた。 他のレビューを見てもあまり評価が高くないのがすごく頷ける。 前回読んだ『横道世之介』が最高に良かった分、期待していたけれど、特に溜飲が下がる作品はなかったかな…次に読む吉田修一に期待したい。 著者:吉田修一(『最後の息子』で第84回文學界新人賞を受賞) 発行:2003.6.10~2004.8.10 第3刷 読了:2015/04(048/12)★3.1 | ||||
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3篇の中では最も短い「グリンピース」が好きだ。 気持ちの上澄みだけを描いたドラマの、なんとなく傷つけあった男や女たちが登場する 不自然な空気。ドロドロしないのは、吉田修一の得意技だから、読後がスッキリする。 ブルーワーカーが主役の表題作は、ティピカルな吉田修一ワールドすぎて、印象が薄い。 かと言って「突風」と比較すると、「熱帯魚」の癖のあるキャラクターたちはやはり 愛すべき者たちだ。吉田修一から目が離せない。 | ||||
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彼の作品は、なんとなく歪んでいて面白い・・・この作品もなかなかです。これからも出版される本はすべて読みたいと思います。 | ||||
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吉田修一の作品は好きで、何作か読んだことはあるが熱帯魚はなかでも お気に入りの作品だ。 本作は文章が読みやすく題名の魚が水中を泳ぐように滑らかに話が進む。 吉田作品に共通する寂しさと優しさが本作にも満ちていて、この作品は 特に周囲の人間から見られている主人公の姿が痛々しいくらいに優しい。 気が滅入ったときや真夏の夜の清涼剤に繰り返し読んでみたい作品です。 | ||||
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吉田修一は多彩なスタイルを持つ作家だ。「吉田修一なら全部好き」というファンもいると思うが、僕としては「あまり好きじゃない」作風がある。『最後の息子』『パーク・ライフ』あたりがそうで、本作『熱帯魚』もその系譜に属する。不思議なことに、文藝春秋から出ている本がその傾向にあるらしい。 いつもなら吉田修一の「何がすごいか」を力説するレビューになってしまうのだが、今回はあえて「何が好きじゃないのか」を考えてみた。で、結論から言うと、「ユーモアみたいなものが入ってくるのが好きじゃない」ということに気づいた。僕は、なるべくシリアスな路線のものが好きみたいだ。というか、吉田修一のユーモアのセンスを買っていないようなのだ。 本書には3つの短篇が収められていて、2つ目の『グリンピース』という作品が一番「好きじゃない」。ラスコーリニコフ型の屈託は分かるが、若さという恥部の描き方がいささか露悪的。そして、笑わそうとしている場面がどうにも笑えない。例えば顔にパックをした主人公の彼女が、「言いだいごとがあどぅんだっだら、はっぎり言いださいよ」などと言う。こんなのを延々と読まされて、つらかった。 表題作『熱帯魚』は、「親切」というものの不確かさを描いてそれなりに興味深いが、ガテン系の主人公があまり生きていない。十八番(?)のゲイ・テイストをやや抑え気味にしているのが、あだになっているように思う。3つ目の『突風』はカミュ風の不条理な味付けがあって、まあまあ面白い。僕はつねづね吉田修一を「不穏な空気を描かせるとうまい作家」と言っている。その意味では、本書の中で最も「嫌いじゃない」作品だった。 | ||||
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表題作「熱帯魚」は自分が愛されたい、もっと一般化していうと、実は自分がそうされたいのに、他人が自分にそれを望んでいるから、お節介にならない程度にそうしてやっているのだと自分で信じきっている青年(美人で子持ちの女と同棲中)のお話。なので、普通にイタイ。今回の主人公は無職ではなくガテン系でも高給取りの大工。が、まだ現場を任されたことはない。二年間だけ兄弟だった同居人の飼育している熱帯魚のイメージがラストでプールの底を舞い泳ぐ使い捨てライターの群れに変わる辺りは鮮やかだが、蘆花公園でカラスを捕まえるシーンに見られるように、全体的にはモノクロームで過ぎ去ってしまった夏の印象だった。 「グリーンピース」は、理由はないがグリーンピース好きの職探し中の青年が恋人に真剣にグリーンピースをぶつけたことがきっかけで、恋人に家を出て行かれるお話。もっとも出て行けといって車のキーを彼女に渡したのは主人公の方で、しかもそこは彼女のアパートで……といった辺りが巧み。缶コーヒーにマジックペンでそのときの偽らざる(しかし本気ではない)気持ちを書くのが癖だったりするところも…… 病気の祖父の年金で暮らしている情けなさが秀逸。彼女がキレて出て行って、共通の友人たちと浮気しまくろうと(ただし、実際にはひとり止まり)することころが良い。 「突風」は(詳しくは書いてないけど)証券会社勤務の高給取りの青年が休暇でたまたま出向いた千葉の田舎の民宿でアルバイトする様子を描いたお話。最後に少しだけ気の触れた民宿の中年だが美人の奥さんを何とかその状況から救い出そうと夜のドライブに出かけるのだが、主人公自身が自分から逃げ出せないことを悟って、帰りの電車賃(実は当面の生活費)を渡して新宿駅で奥さんを降ろすシーンの優しい残酷さが秀逸。一週間後に同じ場所で会おう、と奥さんの脱出を支援するためにした約束を思い出すのが三週間後という辺りが吉田節。当然、再会するシーンは描かれていない(しかも、待たれることがぞっとするくらいに嫌いという設定の主人公)。 これまで読んだ作品で共通していえるのは主人公(または語り手)と、場合によっては主人公周辺の人物の痛さで、続けて読んでいると本当に自殺したくなってくるところが太宰と似ているかもしれない。本当に死ぬ気がなかったのに死んでしまった太宰と違い、予定調和的な死を予感していた三島の作品に死の影がないのが面白い(もちろん登場人物が死なないということではない)。だから、口に出していうと「えっ!」という顔をされる「潮騒」が好きなのかもしれない。いま読めば印象が違うかもしれないが、人工的な生の見事な鮮やかさが、そこにはあった。 共通していえるといえば、おそらくそうはしないだろうけど、でも、もしかしたらそうするかもしれないという終わり方が多いような気がする。総じて情けない主人公の将来を読者に心配させる書き方とでもいうか…… | ||||
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パレードの冒頭-マンションの窓から甲州街道の車の 流れを見るシーン。この作者の「今」を切り取る うまさは、すべての作品に共通するように思えます。 本短編、特に「突風」は時を置いて読み返しても、 描かれている情景、蒸し暑さ、なま暖かい風、 やるせなさが伝わってくる。 | ||||
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「熱帯魚」「グリンピース」「突風」の3作品が収められています。最近、著者の本を読む機会が多くそのたびに感心させられます。その理由は流れるような文体にあります。登場人物の心理描写や視覚的な描写にしても細かいところまで描いているのにもかかわらず、これだけ流れるような文章が書ける小説家は少ないと思います。ただしどの本にも共通しているのが最後の締りが無いこと。本書の中の「突風」には珍しく最後の締りがあったので、この中では一番好きな作品です。 | ||||
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快楽は常に裏切られ、縮小され、骨抜きにされ、真理とか、 死とか、進歩とか、闘争とか、歓喜等等、強力で高尚な価値として名をなさしめている 。勝利を収める敵は欲望である。欲望にはエピステーメー(プラトン・アリストテレスが、 単なる感覚的知覚や日常的意見であるドクサ(=憶見)に対立させて、確かな理性的認識をさして呼んだ語。) にふさわしい威厳があるが、快楽にはないのだろう。 なるほどなあ〜〜と思った作中の文章であります。 | ||||
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ある人がいろんな苦痛やら喜びやらいろいろな感情を持ち、その人生の経験から自らの努力により成長してなにかを勝ち得るのが物語の目標であるのならば、決してそんなのんきな物語ではない作品。 驚くほど面白かった。グリンピースを彼女に投げちゃう男や一流サラリーマンが鄙びた民宿バイトする話やバカなんだか賢いのか(たぶんバカ)鳶職のなんでもない日常が描かれた短編集。 作家にあんた物語書く気ないだろうと思いながら、ニタニタして読んでしまうほど直木賞作家では味わえない小説の面白さを与えてくれる作品であった。 エンタメ系の作家は確かに読みきったという後読感をもたらしてくれるかもしれない、それは小説が漫画や映画というメディアに打ち勝つひとつの方法なのかもしれない。 しかし、漫画は漫画、映画は映画、そして小説は小説と考えたときに、極めて小説の面白さを体現したのがこの作品のような気がする。 東野圭吾・恩田陸・宮部みゆきも確かに面白い。しかし、吉田修一も確かに確かすぎるほど面白い。 | ||||
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とびっきりクールな青春小説!! と宣伝されているが…?? どこが?? 阿部和重の「グランドフィナーレ」もロリコンが現実とのつながりを取り戻す話、とか宣伝されていたりしたが、とんでもない誤読。基本的に帯って信用しないほうがいい、売るための文句だから、わりと中身が違う。 で、吉田修一。売れているぶんだけほかの純文学作家よりもめぐまれていると見られているかもしれない。が、このひと、下手にエンタメがかけちゃうものだから、一般読者からまともに評価されていないんじゃないのか、という気がする。ふつうの人が小説を手にとる場合、残念ながら、求めているのは「物語」であって、「小説」でない場合が多い。はっきり言って、「物語」と「小説」は、全然違うし、にも関わらずみんなあんまり区別がついていない。 「小説」はなんでもあり。だから、「物語」がある「小説」もあるし、「物語」がない「小説」だってある。にも関わらず、話がおもしろくない!とか、あとに残るものがない!とか平気で言われたりする。 話がおもしろい小説がおもしろい「小説」の条件では、全然ないんです。嘘だと思うなら、この短編集の最後の「突風」を読んでください。おそらく、何これ? と思うでしょう。何これ? が感想でいいんですよ、そう思って読んでみてください。 | ||||
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物語が面白くない。ただ人物の描き方は特出すべきものがあります。うますぎます。しかしいかんせん、物語がおもしろくない。難しい評価です。うまい作家なのだから、本短編集は失敗作であってほしい。 | ||||
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最近読みました。吉田さんの作品の中でこの作品が一番描写がよく出来ているのかと思います。もちろん他の作品だってとてもうまく書かれていますよ。買うまで知らなかったのですが、三つの話が入っています。 自分はやはり、熱帯魚が一番印象に残りました。 あの現場の男気臭さと汗臭さがすごく伝わってきましたし、光男君がカナリ気に入ってしまいました。毎度の事ですが、吉田さんファンならぜひとも購入を。好みに合わないような方は、短編なのでぜひ吉田修一ワールドに浸ってみてください。 | ||||
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この人の作品、ハッキリしないのが多いんだけど、その「リアルさ」っていうのが逃げ道だとしたら、どうかな?とはちょっと思う。そんなにそれっぽくはないんだけど。 最後の終わり方とか、ナルシズムだよなーって思うし。(主人公の感情に填まり込んだ人しか理解できない。) 文章だからかなーとも思うし。 映像にしたら全然面白そうなんだけどな。 でもまあ、好きっちゃ好きだった。 個人的には表題作より「グリンピース」の方が面白いと思ったけど。 | ||||
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それぞれのキャラクターが、優しいのか、無関心なのか、残酷なのか、さっぱり統一されていない。でも、人間ってこうだよなあ、と思ってしまう。優しい人、とか残酷な人、とか割り切られたってなあ、と思う。しかし作家とすればそういう人格整理は必要なはずなのだ。それが過ぎれは作為と感じられる。 ここに登場する人物のあっけらかんとした現代性とは、執着のなさである。目的とか熱意とかが継続しないのだ。古いタイプの人間のように、金をためたい、とか有名になりたい、とかいうわかりやすい目標がないのだ。執着するということは、カッコ悪いことだ。 性愛も軽い。お互いに無関心でいたい。それでも人は寄り添ってしまう。そんなモヤモヤが、くっきりと描かれていた。並の力量ではない。 3編とも、「パレード」「パーク・ライフ」と同じ作家とは思えないくらい純文学的な作品だった。いずれも印象的な場面でラストを飾って、きれいに小説の形を整えていた。これは、近作以後、徐々に吉田の作風から消えていく。 この後、吉田は徹底的な観察者となり、作中人物に影響を及ぼす作家の自我を、排除しようとしているように見える。 | ||||
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この作品には表題作他2編が収録されています。 こんな生活している人なんていないよ、と思いつつもどの作品もどこかしら現実味を帯びているのです。 全ての主人公はどこかかけていて、完璧な人間ではありません。それが人間臭さを感じさせます。 日常に起こる変化が淡々と描かれていますが、リアルで人間臭い人物達の演じる些細なストーリーにいつの間にか引き込まれています。 吉田修一さんは何気ない日常を描くのがうまいなあ、と思ってしまうのです。 | ||||
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