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ヘヴン
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ヘヴンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 61~80 4/5ページ
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斜視。日々見つけられる、気まぐれな「苛めの新しいたね」。「どれだけ考えてもけっきょくどうすればいいのかはわからな」い「なにをしても間違っているような気が」する中学生の日常。身近に同じような苦しみを抱える人がいるので、読んでいて胸が痛んだ。教室の中での苦しみがこんなふうにリアルに書かれていることに強い痛みを感じ、作者の持つ創造力の強度に圧倒される。 コジマは、ドストエフスキー文学に出てくるユロージヴァイ(聖なる白痴とも言うべき存在、魂とは逆に肉体は不潔なことが多い)みたいな存在で、ちょっと図式的に過ぎる人物だと思ったけれど、「僕」と美術館に「ヘヴン」という絵を見に行って、その絵を見ないで帰る夏の一日は、悲しい作品の中で、キラキラしている大切な場面だ。もちろん、ラスト前の雨の公園の場面は圧巻。 しかし、最もすごいのは160頁から180頁までの百瀬との対話だろう。ドストエフスキー風の悪魔的な人物のように描かれる百瀬って、実は今の中学生の多くの発想そのものを語っている。普通は言語化されないが、苛める側のあまりにもリアルな実感。もう、子どもたちはここまで追いつめられている。全ての苛められている中学生とその家族に読んでほしい場面だ。いや、文学を愛する全ての人に読んでほしい。 百瀬を造詣しただけでも、川上未映子は21世紀の文学の旗手だと思う。今後が最も楽しみな(最も怖い?)作家のひとり。 | ||||
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中学生の社会も大人の社会も突き詰めればみんな同じ人間がつくりだしたもの。 大人社会にだってこの中学生たちに負けず劣らずのイジメは存在しているし、今後なくなることもないはず。 なぜなら社会を構成している人間が変わらないのだから。 新聞やテレビはイジメをいけないと声高に叫ぶけど、新聞社にいた私が見た世界はこの物語の中の中学と大差なかったです、はいw ま、それは置いておくとして、イジメを受けるコジマが、神のような包容力を有しラストで全裸になる姿には感動を覚えた。 | ||||
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川上さんの作品をまとめて読むのは初めて。詩も書く人の小説としてはくせのない散文で読みやすい。斜視の中学生の「僕」が受ける激しいいじめ、「僕」に「仲間です」というメッセージを送ってくる、やはりいじめられっ子の同級生の女子「コジマ」との出会い、「コジマ」が語る「ヘヴン」。と、ある意味こんなに分かりやすくていいのかな、作者は本当にひりひりした心をもってこんな話を書いているのかなと、3分の2くらいまではちょっと眉に唾をつけつつ読んでいたのだけれど、偶然に「僕」が学校外で会ったいじめグループの「百瀬」が語る人間観(いじめには善悪のような意味はない)、いじめは選ばれた者がいつかヘヴンに辿りつくための試練だとする(いじめには意味がある)「コジマ」の辿る最期(?)には胸をえぐられる思いがした。 しかし、この展開は相当に作者の想像力による「作り物」という気もする。「いじめ」の陰湿さとはもっと違う、もっと静かで不気味なものではないかと。お話の上手さ、出来の良さはハイレベルだけれど、人間の怖さはもっと可視化できないところにあるのではという気持ちが残る。 | ||||
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非常に心を揺さぶられる小説でした。 才能があり、自分の世界観をしっかり持っている 作家です。 ラストシーンでは、胸が詰まって気がついたら涙を流していました。 しかしあえていいます。 いじめを行う側の論理が述べられていますが、 一言で言えば「たわごと」です。 よく読んでいる哲学者の言葉がそのまま出ているだけの幼稚なたわごとにすぎません。 小説で、登場人物にむぞうさにこのように他人の哲学を語らせてもいいのだろうか? 自分の言葉にさえなっていないこの「たわごと」はこの小説の 重要な部分でもあるのだが・・・。 レビューの方々も書いているように、 容易に、ニーチェとドストエフスキーを思い浮かべる。 すべて作者は承知して書いているのに違いないのだが・・・。 重松清氏の最新作「十字架」を読了したばかりなので、 「ヘヴン」とどうしても比較してしまう。 川上氏は、自分なりのニーチェ的言説とドストエフスキー的言説を 緻密な文章に構築するために、「いじめ」を単なる手段にした。 だから「ヘヴン」を読んでいじめを語ることはおそらくどうでもいいことだと感じる。 いじめという人間関係の係わり合いの中から、 人間はどのように変化してしまうものなのかを誠実に描ききった 「十字架」とはまったく異なる小説なのだと思う。 どちらが優れているかという比較そのものも意味は無い。 しかし、いじめに関する哲学好きの観念論者の「たわごと」を 別にすれば、非常にすぐれた作品だと思う。 次回作が楽しみです。 | ||||
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主人公と百瀬(苛める側の一員)のやり取りが印象的だった。 人間のもっている主観は人それぞれ違うものだ。だからお互いを本当に知ろうと思ってもそれはできないのかもしれない。 主人公の言い分が百瀬に通じなかったのもそのせいだろう。 百瀬と主人公はわかりあえなかった。 一度はわかりあえそうだった主人公とコジマも本当はわかりあえなかった、と思う。 だから悲しい、というわけではない。人間とは、そういうものだ。 そう感じた。 | ||||
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読了して、常識的な素直な感想を抱きました。 子供というのは、常に大人の監視下に置いて、へんな方向へ向かおうとしたら、 軌道修正させて導いてあげなくちゃいけないよな、ということです。 えらそうに、大人だって不完全じゃない、なんて意見は無用。大人は子供より偉いのだ。 状況を変えるための選択肢だって、子供より沢山知っているのだ。 前半はリアリティがありましたが、後半はファンタジー小説です。 村上龍が娼婦を描く小説同様、ファンタジーです。 百瀬なんて、少女漫画に出てきそうなキャラクター。中学生でしょ? おぼつかないファンタジーは、現実からこっぴどくやっつけられるんじゃないかな。 日本人がいじめを語るとき、なんでいじめられる側の物語にしてしまうんだろう、とずっと不満でした。 いじめを、いじめられる側が克服すべきもの、にしている。いじめられる側の成長の 物語にしてしまっている。本当はたかるハエを振り払うように、排除すべきものなのに。 克服の物語は、むしろいじめる側になるんじゃないでしょうか。 あと、いじめを描く小説って、どうして役割が固定しているのだろう。 馬鹿にしている筈の相手から、思いも寄らぬ屈辱を味わう、といった人間関係のダイナミズムがない。 そういう意味で、この小説には好感を抱きました。作者は百瀬もコジマも、同列に置いて否定している。 ちょっと贅沢な要望かもしれませんが、 ニーチェ的な力の理論と、キリスト教的な倫理観と、その対立をテーマに書くのだったら、 むしろ大人の複雑な世界で物語を展開させるべきでしょう。子供のいじめ問題を借りてそれを語るのは ちょっと危険な気がします。 | ||||
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いじめを肯定していたら、 出版できないでしょう。 いじめをなくすのは難しいから、希望を打ち出したら嘘くさくなる。 いい作品を書けば、今まで好きになれなくても覆ってしまうことがあります。 逆に、好きな作家であったとしても、上梓するたびにクォリティーが下がっていると嫌いになります。 ヘブンを読んでファンになりました。乳と卵は読みにくくて、秘すれば花である女性の生理現象を書いていたり、銭湯でいろんな女性の乳を描写していて、日本女性の奥ゆかしさはどこにいったと疑問をもち、嫌いでしたが。 ファンになったので、乳と卵を読み返して粗ではなく、良いところを探してみます。それが本来の読書の在り方だと、ヘブンを読んで立ち返ることができました。 次回作がとても楽しみです。 | ||||
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なんだか、この本について「善悪」について書かれている方が多いようですが。 自分は、全くそういうことではない、と思う。 即ち「このご時世に善悪二元論的内容を書くこと」で、その考え方そのものを打破しようとしているし、 その試みは当たらずも遠からずな印象。 と言っても、それ自体も目新しいものではない。 が、別にこれはポスト構造主義的な啓蒙書ではなく「それ自体」を加工せずに切り取るスタイルの文学、 として枠組みをすればそれなり以上だと感じた。 決して、いじめが云々、という教育的ものでもなければ、瑞々しさ故の歪んだリアルなんかでもない。 | ||||
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テレビドラマで見たことがあるノリを、上手な文章で奥の深い小説にしてしまっているので溜飲が下がる。 今までの作風は、題名や突飛な文体があざとくて取っつきにくかった。スタンダードに切り替えたことで、やっと川上さんの才能が見えた。 芥川賞は、取る前の実力、取った時の実力でなく、その後が大切だ。 審査員は、そこまで見越していたのだろうか。 | ||||
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ただ読んで見ると、単純なイジメについての小説だと思うと思います。けど背景には善と悪という問題があるのですね。善と悪は絶対的な物では無く相対的なものと私は思うのだけど、この難しい問題をうまく小説で表現しています。独特の表現がなくなり、個性が無くなったという批判もあるようですが、この表現方法も彼女の個性であるし、いろいろな表現方法を通じてこれからも良い本を書いてくれると思います。背景を知ってから読むと、見方が変わりますね。 | ||||
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まず、『乳と卵』のような独特の文体ではありません。私達が普段使っている言葉で書かれています。 『乳と卵』ではわかりにくかった、著者の言葉の使い方の上手さ、感性の鋭さを、私はこの作品からは感じることができました。 この著者は「上手い文章を書く人」というよりは、「上手く表現する人」なのかもしれませんね。 特に、「日頃、感じたり頭で考えたりはするけど、言葉で言い表すことはない感覚、感情」を言葉で表現する術を持っている方であると感じました。 この作品で取り上げているのは「いじめ問題」であり、残忍ないじめの光景も出てきますが、それは他の著者もやっていること。この作品は他にはないほど、「いじめをする者、される者の心理状態」に徹底的にフォーカスを当てています。それゆえ、コジマ(いじめをされる者)や百瀬(いじめをする者)が語る言葉が、小説が本来持つべき「ドラマ性」からちょっと離れて独り歩きしている印象がありますが、コジマの自分がおかれている立場を客観的に語っている言葉や、百瀬の矛盾した自己肯定だらけの言葉は、この「いじめをする者、される者の心理状態」をリアルに言い表しています。 ちなみに主人公はコジマと同級生である「僕」で、こちらもいじめを受けています。そして徹底的な「僕」目線で、いじめを受けることの苦痛と、心の動き、そしてコジマとの交流により、コジマに対する心情の移り変わり(同じ「いじめられっ子」として、そして、異性としても)も、他の著者の場合、言葉で描かず素振り等でなんとなく表すような些細な感情までをも、あますことなく描いている印象がありました。 | ||||
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どうも気になって川上氏の作品ははじめてだが読んでみた。なんと言ったらいいか分からないけど、日本語をまとめた文章から成り立つ作品としてはとてもスリリングだし、どこまで意識的かは分からないが(作者がこの作品中の人物の中でどこにアイデンティファイしているかも掴めない)、きわめてリアルで、きわめて意味深いテーマを秘めていることは間違いがないと思う。 かと言って読んでいてキツい作品であるのも間違いないので、誰でも彼でも「良い作品!」とは思わないだろうし、あちこちに散乱したイメージも、意味性も最終的に収斂できていないので(読後にカタルシスがないのはそのせいかと。それはリアルさの証でもある)、個人的にいわゆる「小説」としては☆5個にはならないかも。が、はじめから最後まで貫き通した言葉の連なりが持つテンションに多大なる敬意を表して。 | ||||
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素晴らしい感動をくれた作品です。読んでいってどんどん苦しくてなる・・・やるせなさと悲しさにさいなまれます。そして最後に救われます。だから「ヘブン」なんだ!こんな緊張をもって最後まで読むことができた作品は久しぶりです。著者の評価が変わりました。短編やエッセーを書く少し風変りなシンガーから「作家」へと印象が変わりました。川上さんは名を残せる作家になるかもしれません。期待します。 | ||||
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すばらしい小説です。苛めは大人の社会の縮図です。といわれますが、このテーマを単なる風俗や社会現象ではなく、神なき現代世界の構造としてリアルに書ききった作者に意志に敬意を表します。特にコジマは苛められつづけることに実の父親につながる弱者としての意味を見つけ、殉教者のような聖性を獲得します。百瀬はもっとも(イワンやスタビローギンに通ずる)ドフトエフスキー的人間で、現代ではもっとも現実的な説得力をもっています。ここには善悪の価値はなくすべてが自由です。そして現実に現代社会の多くの現象がそのような権力と暴力構造で動いていることも事実です。 僕はコジマを守るために二宮を殺すという人間的行為を止めた、コジマの聖性に限りなく惹かれつつ、百瀬ともコジマとも一線を隔すことになる。圧巻は最後のクライマックスでコジマと百瀬の声が重なる部分である。世界の意味に引き込もうとする点では両者とも同じなのである。主人公の僕は斜視を治して世界そのものを見ることを選ぶ。意味の以前の世界そのもの美しさを発見する。 この小説が単にいじめ現象を超えた広がりを感じさせるのは現代のわれわれの精神の深層を描いた作品であるからである。 | ||||
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天吾と青豆(村上春樹の1Q84)程に互いに絶対的な存在でなくとも、それに準じる関係の苛められっ子同士の中2のロンパリ(僕)とコジマ。二人がギュッと手を握るシーンには1Q84とのシンクロニシティを以下の文体には村上さんの影響を強く感じました。 「疲れているということと葬式の帰りということを別にすれば、それはとても気持ちの良い午後だった」 後世に残る傑作文学の域でなくとも、時折、以下のような琴線に触れる表現が忍び込み、小説を良く読む方でも、何か大切な物事の核心や本質を突く著者の表現を楽しめると思います。 「コジマが不安になったり、安心しすぎたり、そういう時には僕の髪を切るといいよ。もう家の人に隠れてちらしとかさ、そういうのをこっそり切らなくていいよ。いつでも、僕の髪を切っていいよ」 「ねえ、神様っていると思う?」「大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみには必ず意味があるってことなのよ」 | ||||
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新聞等で評価が高く紹介されていたので手にしてみた。 前半はいじめのシーンが多く、読み進めるのがつらく心に錘を乗せたまま読んでいる気分だった。 コジマは中学生にして、人間の心の弱さ、愚かさ、浅はかさを悟ってしまっているようだった。 知ってしまっているからこそ、同じようにいじめにあっている「ぼく」に近づき寄り添い、 悲観的なこの世にも、そうではない場所「へヴン」はあるんだよと「ぼく」に光を与えようとしたように思う。 そこには全てを包み受け入れようとする人類愛のようなものを感じる。 重い気持ちで読み終えた私に、「ぼく」を理解し大人として物事を見極める継母の存在が救いだった。 そしてこの継母が「ぼく」のそばにいる限り「ぼく」は前に歩いていける気がした。 | ||||
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「僕」と「コジマ」の奇跡のような交流場面が美しかった。はかなく無力なものは美しいのか。外見が醜い分、聖性を感じさせた。 どうストーリーを展開させていくのか、引き込まれた。中学生のコジマと百瀬が自己認識について十全に語るところが不自然で、違和感があるが、小説なのだから仕方がない。「僕」が石を持って迷うところで、ああ、この場面で作者も逃げを打って終わればいいのに…と思ったが、まだページが残っているのでハラハラして読んだ。 ラストの涙は、場面として美しい。でもちょっとちぐはぐな感じがした。 | ||||
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普段は哲学などに全く関わりのない僕なので、 後半部分の考えは自分の考えを広げてくれました。 また、社会問題をこの様に描写する事で、 自分なりの答えを出す機会を読者に与えてくれていると思いました | ||||
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薄汚れ周りから汚され続けたコジマ、後半、服を脱ぐというよりは脱皮というほうが正しいかもしれない彼女の姿は、周りの風景を凍らせ、言葉を奪い、セピア色のスローモーションが展開する。この場面、臨場感があり、ほかを圧倒して美しい。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のビョーク演じるセルマの躍動感が近いかもしれない。彼の自慰の描写も新鮮で、三島由紀夫の「仮面の告白」の類似の場面と比較しても表現力に遜色はない。言葉にするのは難しい表現をわかりやすく伝達しているところ、彼女は、人知れずブルペンで言葉の投げ込み練習をしてきたのだ。非常に的確な性描写に驚く。わかりやすいテーマで、彼女の過去の作品にいまひとつ馴染めなかった方、結果、彼女から距離をおいてしまった方がいるならば(私もその一人だが)この本を基点に、彼女の世界にもういちど飛び込んでみる価値は充分にあると申し上げておきたい。 | ||||
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「乳と卵」同様、今回もココロゆすぶられる力作だったけれど、今回は読み進めるのがとてもキツかったです。 前作の快いせつなさと違って、読後でさえ、どこか暗いやるせなさが重く残りました。村上龍さんみたく、いい気になってたガキ共が爆風で血だるまになって吹き飛ぶ、とかそういうのがあればよかったのだけれど。 でも、世界の圧倒的な美しさとすさまじい暴力の世界を同時に描く川上さんの力量に触れて、今後の活躍を期待せざるを得ませんでした。 | ||||
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