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火定
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火定の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全56件 41~56 3/3ページ
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圧倒的筆致の直木賞候補作。 まさに 人間の内なる「業」を見せつけられた。 「この世に生きる者たちはみな、心の奥底に他人には明かせぬ痛みを胸に、身を引き裂かれる思いとともに、地を這いずっているのだ」。 医師であろうが子どもであろうが、女であろうが、絶望の病いのもとでは何ら関係ない。 微かなる生命への光明のため、その先の「生」なる輝きのため、這いずってでも守り、明かせぬ痛みと共に。 「数えきれぬほどの死の中にあってこそ、たった一つの命は微かなる輝きを放つ。生と死、正と邪とは紙一重であり、腐りきった世の中にあってこそ」 諸男よ、色々と気づくのが遅すぎだ。まあ、気づいたから良いけれど。 綱手の精神、生き方に真の医師としての姿を見た。 名代には、綱手や諸男に負けぬ医師となってくれることを願う。 しかし、共感できる人物の少ないこと…。 パニックの中にあっては仕方ないのか。でも、そんな時だからこそ見える個々の人間性。 とにかく。 名代よ、頑張って生きて、生き抜いて、医師となれ! * * 正直、期待値ほどではなかったのだが、なんだかんだで後半は一気読み。圧巻とは、こういうことを言うのだろうな。欲を言えば、もう少し 藤原四兄弟の詳細を読みたかった。房前のことが少しだけしか語られず不完全燃焼… * 「人は生まれ、人は死ぬ。」 「死ねばそれまでだからこそ、自分は今なにをなすべきか。そして、なにが出来るのか。」 * 現代にも通ずる医学論、人生論。 そこから始まる「生」とは。 | ||||
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私の興味のある藤原四兄弟の時代を扱った歴史小説という事で期待して手に採ったのだが、全く期待外れの作品だった。歴史小説と言うよりは作者の何時もの抒情小説で、作者自身の殻を全く破っていないのである。 藤原四兄弟の時代に流行した天然痘を題材として、主に(四兄弟の妹の光明子が設立した)施薬院で働く医師・僧侶達の奮戦振りと京の騒乱とそれに伴う人間の業を描いた作品。諸男という元医師の数奇な運命がサブ・ストーリ-となっている(凡庸だが)。天然痘がもたらす悲惨さ・人間の理性を奪う怖さは描けてはいるものの、全体構成が良く練れていなくて物語に求心力がない上に、天然痘の元々の原因を新羅に求めている所に大きな疑問が残る(この時代、日本の方に先に感染者が出たという史実がある)。これでは関東大震災時のデマと大同小異である。更に、「白村江の戦い」、の後の時代なので、新羅が日本に朝貢するなんて有り得ないだろう。加えて、従来の巷説では、都の人々は、「天然痘が流行した原因は藤原四兄弟が長屋王を排除した祟り」、と噂したという事になっているが、作者がこの「祟り」には全く触れずに、藤原四兄弟の代りに新羅を元凶とした理由が皆目不明である。第一、伝染病の怖さや人間の業を語るならば、ワザワザ藤原四兄弟の時代にする必然性はなかっただろう。四兄弟の武智麻呂、房前(本作に名前だけ登場)、宇合及び麻呂の関係や政治的手腕の描写が皆無な点も奇異。即ち、時代設定を上手く活かしていないし、初めからその積りはなかったという印象を受けた。また、本作のラストで提示されている手法で天然痘のウィルスを退治出来たとは到底考えられない点も求心力の弱さを助長している。 対象時代の描写と医療行為とを組み合わせた歴史小説として飯嶋和一氏「出星前夜」や「狗賓童子の島」の重厚さ・骨太さと比較すると、本作は如何にも薄っぺらで安っぽい感が否めない。どんな時代を描いても、どんな題材を扱っても、結局、自身の抒情的世界に閉じ篭ってしまう作者の悪弊が出た駄作だと思った。 | ||||
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圧倒的に強靭な筆力で描かれている。 本書には渾身の力が注がれている。 天平時代を生きる人びとに直に教わった気分になる。 まさしく、ひとが生きている意味を教えられた。 凄惨な情景が怒涛のごとく次から次へと押し寄せてくる。 そこにはさまざまな形となって人間模様がうずまいている。 疫病の凄まじさはもとより、ひとの”業”が生々しく描かれている。 おぞましい姿があり、荒んでいくこころ。 疫病との戦いの日々であり、立ち上がるひとの姿がここにある。 読了し、感動のあまり、涙腺が弱くなる。 | ||||
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奈良時代の医療ドラマ。珍しい素材を扱い、それなりに面白かった。しかし、まず奈良時代のイメージが浮かんでこない。平城京のきらびやかさを、地方の標準的な村や暮らしと対比させれば描けるのだろうが、それがないので唐突で、言葉が浮いている。光景とか人の服装とかがうまくイメージできないまま現代イメージがスライドしてきてしまうので、うまく物語に入っていけなかった。 それから、人物の心情変化も不自然で説明不足。悪漢役のみ生き生きしていた。奈良時代の権力闘争をめぐる陰謀が、メインの救命医療ドラマとうまく噛み合わなかった感じ。 最後に、時代に比して疫学知識が進みすぎな印象。当時はもっと、たたりとか天罰といった迷信が、庶民はもちろん一部官僚や医療従事者さえ支配していたはず。疫学的な対応が、すんなり関係者に受け入れられルところに違和感を覚えた。直木賞選考会でも、歴史的事実と違うところが指摘されたと聞いている。 | ||||
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奈良時代、藤原不比等の息子で政権の重要ポストにいた藤原四兄弟が罹患し、次々と死んでいったことで有名な疫病(天然痘)の蔓延と、そこでの人間の生き様を描いています。著者の古代史の保有知識と医薬に関する探究心、そして人間心理への洞察が如何なく発揮された力作です。 奈良の都での天然痘流行という歴史的大事件、凄惨な状況が、物凄い筆致で読む者の眼前に提示されます。その状況下で、冤罪に苦しみ恨みを抱いている医者、病人の命を救おうとする施薬院の医者、施薬院勤務から抜け出したいと思っている若い役人、民衆を扇動し暴動をおこす者などの心の闇や人間としての成長が描かれて、心に強く訴えてきます。 特に私の心を打った文は次の通りです。 「己のために行ったことはみな、己の命とともに消え失せる。じゃが、他人のためになしたことは、たとえ自らが死んでもその者とともにこの世に留まり、わしの生きた証となってくれよう。」 「疫病はこの都を愛憎の奔流のただなかに叩き込み、人間の醜い本性も、どうしようもない愚かさも、共に白日の下にさらけ出した。さりながらこの灼熱と狂奔の夏にあってこそ、人は誰かを救い、そのために闘い続けられるのだ。」 本の最終章名は「慈雨」であり、疫病がやがて下火になっていくかもしれないという暗示がされています。しかし物語の主人公の一人である、冤罪に苦しみ恨みを抱いている医者の完全な心の解放までは書かれていません。著者の以前の作品『若冲』でも今回の『火定』でも感じたのですが、私はいつの日か著者の「完全なハッピーエンドの物語」を読みたいです。 | ||||
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面白い! 久しぶりに古本以外でほしくなった本です。 天平時代に入り込めます。 | ||||
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数多い疫病の中で、天然痘は人間の力で根絶された。 しかし、かつては世界のあちこちで猛威を振るった。 日本でも何度も大流行した疫病だ。 本書の舞台は平安時代。 主人公は、初めあまり仕事にモチベーションを感じないでいたのだが、 天然痘が京で大流行し、懸命に対応するうちに変わっていく。 どうしようもできない人たちは、怪しげな神に頼る。世間も殺伐としてくる。 この地獄絵図を作者は真正面から見つめ、真摯に綴っていく。 そして、「生と死」という重いテーマを問いかけるのだ。 地獄を描きながら「希望」も感じさせてくれる、読み応えのある一冊である。 | ||||
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とにかく後半につれて考えさせられる内容と濃い展開になっていく。 伝染病によって京都が壊滅になっていくなかで 生き延びようと隠れる者、自らの命より皆の命を救おうとする者、悪知恵を働かせて怪しいおふだを高額で売りさばく者。 様々な人間が現れる。 これは現在にも通じる。 | ||||
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「長屋王を陥れた藤原四兄弟が、天然痘で次々死んだ」という話は、日本史の授業などで知っていましたが、本書はその天然痘のパンデミックで大混乱に陥る市中の様子が描かれています。 薬草による民間療法レベルの治療法しかない時代、病に罹った庶民の治療、収容を行う施設・施薬院(はっきり言って、エリートが派遣されるところではない)で働く医師達の奮闘、意地と矜持、また、庶民のパニックに乗じ一儲けを企む悪党たち‥‥。 次々担ぎ込まれる病人になす術もなく、疲れ果て、「こんなこと無駄だ!」とキレてしまった医師見習いの青年に、施薬院の院長が諭します。 「己のために行ったことは、己の命とともに消えうせる。しかし、他人のために行ったことはその者とともにこの世に留まり、わしの生きた意味を継いでくれる。」 「火定」という言葉を知らなかったので、調べてみたところ、「仏道の修行者が、火の中に自らの身を投げて死ぬこと」と書いてありました。聖書の「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」と同じような精神なのでしょうか。 話は緊迫感にあふれ、一気に読了しましたが、終始騒々しい感じも受けました。パンデミックや、地震などの大災害の現場では実際にこんな状況なのでしょうが、小説としてはもう少しじっくりと落ち着いて考えさせられる部分も欲しかったように思います。 | ||||
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内容はとても良いのですが、舞台が天平時代なのに登場人物の言葉に違和感があり 物語の世界に入りきれなかったのが残念。 せめて現代の奈良の言葉遣いにでもして欲しかったです。 | ||||
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物語の展開が早くしかもドラマチックで一気に読了。改めて天然痘の脅威を思った。文化文明が進めば進むほどパンデミックへの対応は重要だ。そして国内外の歴史を丁寧に読み解けば現代でも大いに参考になる事象がまだまだあると気づかせてくれた。立身出世を夢見る若者、親から受けたトラウマを引きずっている人間、恋人の真意を信じられない男、個性豊かな登場人物に自分の気持ちを投影させ、時に痒みや不快感を覚えそうになるほどリアルな描写が圧巻だ。作家の資料収集と構成力、何よりその迫力ある筆致に圧倒された小説だった。 | ||||
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平城京で起こった天然痘のパンデミックを軸にした人間模様が本当に読ませます。今から千年以上も昔のトピックにもかかわらず、テーマは非常に今日的で、神仏にすがるだけでは何も解決しないというキャラクターたちの姿勢、数多の生死に際して覗く潔さあるいは執着心は作者の力量を存分に感じさせてくれました。さすが直木賞候補作といったところです。 受賞に関しては他の候補もありますし、また最後がややとっちらかってる面も否定できないので今の時点では何とも言えませんが、それでも十分読むに値する、価値の高い作品であると思います。感情のこもった歴史小説をお望みなら、きっと手に取って損はないでしょう。 | ||||
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この年末年始にじっくり読もうと温めていた一冊『火定』(澤田瞳子著、PHP研究所刊)を読み終えました。 奈良に都があった天平の時代、この国は天然痘のパンデミックに襲われていました。 施政者の藤原四兄弟までが相次いでなくなるほどで、人々は恐怖に慄いていたのです。 本書はその史実をもとに、人間の心に潜む光と闇を描き出した傑作です。 --------------------------------------------------------------- 京内の病人の治療にあたる施薬院につとめる蜂田名代は、ある日同僚とともに、宮城で行われる渡来品の払い下げに同行する。お目当ては遣新羅使が買い付けた甘草、桂心などの生薬だった。 ところがその場には先客がいて、すべての生薬を買い占めようとしていた。名は猪名部諸男といい、藤原房前の家令だという。 一方そのころ、施薬院には高熱を出す患者が続いていた。名代たちが診た女は、高熱で意識が朦朧とした二日後には、急に熱が下がり、病人には見えない回復を示していた。 だがそれは、身体中が豆のような疱疹に覆われ、膿を含んで腫れ上がり、やがては死に至る裳瘡(天然痘)という流行り病の初期症状に過ぎないことを誰も気づいていなかったーー。 これは疫神が跳梁する奈良の京で、必死にその万延を食い止めようとする医師と、医の道を外れかけた男が繰り広げる、天平の時代の医療人間ドラマなのだ。 --------------------------------------------------------------------------------- すでにご承知かもしれませんが、本作は、先ごろ第158回直木賞の候補に挙げられました。文芸誌『文蔵』連載時から評価が高く、ひょっとしたら、直木賞を受賞するやもしれません。 あなたの新春の読書タイムにぜひ加えていただきたく、紹介しました♪ | ||||
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これほど心を揺さぶられる物語には出会ったことがありません。この作品と引き合わせてくださった澤田瞳子先生には感謝しかありません。 天然痘の猛威が寧楽の都を地獄に変えようとするなか、苦しみ悩みながら危難を乗り越えようとする医師たち。 人々の不安につけ込み、怪しい神の護符を売りつける者。そればかりか更に憎悪を煽り立て、罪もない人間を虐殺に導く者。 極限下の人間群像が余す所なく描写されていきます。 患者を救おうと奮闘する医師の側にも嫉妬や羨望、鬱屈した思いがあり、決して聖人君子ではありません。彼らはその時々で苦しみもがきながらも、自分に出来る最善を尽くし、前へと突き進んでいくのです。 病を得て亡くなっていく人々の死は決して無駄ではありません。なぜなら彼らの死は別の人々を救うための糧となり、その命を継ぐことになるからです。 そして、タイトルの「火定」の意味、患者の死自体が、自らの身を炎に投じることによって御仏の世に近づかんとする火定入滅であると知ったとき、涙が溢れて止まりませんでした。 この作品は後世に長く伝えられて然るべきものです。直木賞の候補作になるのは当然ですし、受賞すべき作品だと思います。 | ||||
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西暦730年後半の藤原四兄弟が政権下、奈良で大流行した天然痘を扱ったパンデミックパニック小説。今は根絶された天然痘が猛威を振るい、次々と人を死に至らしめる恐怖と世の中の混乱の様子が迫力ある筆致で書かれています。 斯様な恐慌状態のなか、政治が機能しなくなると、怪しげなリーダーが現れ民衆の不安に付け入り思うままに操り暴動を引き起こすという集団行動も、感染症同様に恐ろしい。そこに、エリート侍医だった男の心理描写や哀しい人生も絡み、最後にそれが物語に厚みが加わります。 一方、下級官人である名代は、町医院の施薬院に勤務する自分の待遇に不貞腐れていたが、否でも応でも天然痘の猛威に対抗しなければならない。理不尽や自分の無力を感じながらも、町医者である綱手の叱咤を受け、人々の救助に立ち向かいます。そして、医療とは何か、生きるとは死ぬとはという意味に気付き、昔とは違い上を向いて進みます。また町医者のプライドや高官の誇りも読ませます。 リーダビリティーも高く、テーマもしっかりとした人間ドラマであり、本作に限って言えば直木賞に相応しい小説と思います。 | ||||
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平城京の姿が、これほど壮絶に描かれた作品があっただろうか。奈良・平安時代の作品に定評のある著者は、これでもかと、登場人物に絶望を与えながら、人間の「生と死」を、主人公の目を通して、現代人に訴えてくる。特に、「常世常虫の神」の存在は、現代でもあり得る現象で、この作品の核となっている。歴史の教科書には、奈良時代の政権担当者として、藤原武智麻呂以下4兄弟、疫病にて没。としか載っていない。 読み進みながら、どこまで疫病との闘いは続いていくのかと、医師や施薬院を応援している自分がいた。 この時の疫病の流行が、東大寺大仏の建立や国分寺の建立へと動きだし、やがて、平安京へ都を遷す一因になったことは、歴史上の事実である。 「火定入滅」、生きることを、考えさせられた作品でした。 | ||||
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