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奇跡の人 The Miracle Worker
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奇跡の人 The Miracle Workerの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.87pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 1~20 1/2ページ
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教育とは…と考えさせられる。二重の意味で。教育が必要なほんとうの「けものの子」はれんの周りの人々なのでは? 解説にも書かれているように、奇跡の人とは安のことだろう。 | ||||
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とても感動しました | ||||
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原田マハによるヘレン・ケラーの話の日本バージョンだが、却って身近に感じられ、読みやすく、とても感動し、孫にも買ってあげた。 | ||||
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感情を大きく揺さぶられるシーンがあるけど、どこかいつも冷静で静けさもある不思議な文体。 読んでいるといつの間にか入り込んでしまう。 | ||||
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あの、かの有名な「ヘレン・ケラー」をモデルにした素敵なストーリーでした。獣の子と言われ、何も出来無い娘を閉じ込めたのを、主人公を必死になって育て、一心一体として育てあげるのに感銘を受けました。改めて見ると日本人は硬派だと思いました。 | ||||
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深夜、「異邦人」に続いて読破しました。 感動? やはり、ヘレン・ケラーの話が先にあって、2番煎じに感じられ、実際にあった話を書いてるのでは。それほど、リアリティがある。 狼野キワの存在が、フィクションぽさを出してる。生きた人間文化財といわれるほどの人物。明治時代、乞食・物乞い同然の少女が、はたして生きながらえたのだろうか。そうあって欲しい。 本筋とは違うことを書いてしまった。介良れんのような人が実在してたらいいな。人間、どんな不幸な肉体で生まれても、周囲の人の懸命な努力と愛情で、なんとかなる。可能性を提示してる。私も目が悪く、へたしたら失明するかもと不安になる。でも、あきらめなければ、何とかなるのかもしれない。 引き続き、「旅屋おかえり」を読もう。 | ||||
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奇跡の人「れん」と「去場安」先生。ヘレンケラーとサリバン先生の実話を日本版のフィクションにした小説のようです。通勤の電車内でkindle版を読み、不覚にも涙が出てしまいました。一度ならず4回くらいは泣いてしまったと思います。明治時代ならばあり得た理不尽な出来事の数々と、それを不屈の精神で乗り越える去場安。れんが只々無邪気な振る舞いを見せるので泣けたのかなあと思います。安のセリフがくどく感じる事もありますが、良い小説でお薦めします。 | ||||
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一気に読んでしまった! 原田マハ先生の作品を読んだのはこれで3作目ですが、どの作品も感動で目頭が熱くなったまま最終ページを迎えます。感動をありがとうございます。 | ||||
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様々な苦労に耐え、人知れず我慢を重ね、歯を食いしばり困難を乗り越える。はたして、未来が光あふれるものであってほしい…と誰もが願う。 奇跡の人とは努力の人である。 奇跡のような出来ごととは、類い稀な忍耐とたゆまぬ努力があってこそ起こり得る、証しのひとつなのだと思う。 私のように五体満足、十人並のものを授かっているにもかかわらず、棚からぼた餅みたいなことばかり考え、反省も反芻もせず、ただ漫然と生きているような人間には身につまされる話だった。 本書冒頭から何度も目頭が熱くなり、、読み進めるのが楽しくもあり、儚くもあり。 最後、物語は急加速して明治から昭和に。登場人物はいきなり年寄りか、またはすでに故人。明治20年4月、4月、5月、5月と…この小説ほどまるで足踏みのように時間が進まぬ話もないものだと思っていたので、最後のいきなり感にはたじろいでしまう。 しかし、これも手練手管の作者、原田マハ氏の狙いなのでしょう。 成人して立派になった主人公を覗いてみたかった。20年後、30年後の二人の暮らしぶりはどんなだったろう…。想像は本の世界を超え、テレビ化、映画化にも期待したい。 〈奇跡の人〉とは、足りないものを嘆くのではなく、あるものを生かす人。 さあ、いよいよ東京パラリンピックも開幕する。 | ||||
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読み始めて、あれ?あら?そーだったのか!っと驚きました。 読んでみてのお楽しみですが、内容も濃くて、とても素敵な物語でした。 | ||||
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なぜ日本を舞台にわざわざこの物語をと思いながら読んでいましたが、意図は解説で納得しました。 弱視の教師、三重苦の生徒、津軽三味線の奏者、イタコ。目に障がいを持つ女性たちが登場します。 「重要無形文化財(人間国宝)」という糸で数珠玉を繋ぐかのように物語が紡がれます。 解説の最後では 奇跡の人とは、三重苦を克服ししたヘレンのことだと思っている人も多いようだが、実際には<奇跡をもたらした人>サリヴァンを指す。ここでは安だ。 としていますが、P29には 「ええ、生きておいでです。……あの『奇跡の人』は」 とあって、これはヘレンであるところの れん を指しています。少なくてなくともこの作品ではヘレンを意味していると思われます。 なお、作品中にウグイスが登場しますが、P180 に かわいらしい小鳥の様子も、うつくしい鶯色も見ることはできない。 とありますが、ご存知の方も多いですがウグイスの色はグレーに近い色で、ウグイス豆などのようなきれいな緑の色をしているのはメジロです。 | ||||
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盲目の旅芸人が奏でる津軽三味線が津軽平野に鳴り響く。そんなBGMにれんの笑い声や泣き声、安の笑顔が重な り合う。難解な方言の一つである津軽弁が何とも柔らかで暖か味があり、時に切なく、読む人の心に沁み込んでく る。 不具者や貧しき者への差別と戦い、自分の教育理念を貫き通す安の姿。優しい心に触れあった瞬間に流れる涙を どうすることも出来なかった。 | ||||
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はじめての感覚でした。ヘレン・ケラーを明治の日本に置き換えることによって私は気づかされました。いろんな時代で彼女らのように、世間や偏見やどうにもならぬ境遇に立ち向かった女性達がいて、積み重なった結果に、今私たちがあたりまえに受けている平等や教育や価値観があることを。名もない幾千の先人たちがその生を全うしたから私がいる。血の流れとは別の、意識の流れのようなものがある。私の今も決して無駄ではなく、次の世代の誰かに繋がる。この小説に出逢えて感謝します。 | ||||
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ヘレンケラーの話と同じと言う書評がありますが、私はヘレンケラーの本を読んだことがないので、先入観なく読めてとても感動しました。 最後は涙なしでは読めません。 | ||||
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読み始めてすぐに、ヘレンケラーとサリバン先生の2人を模しているのだと気付きました。名前がダジャレっぽいですが、私のように疎い人でも気づくことができます。 私は本家?の本を読んだことがなかったので、とても新鮮に拝読しました。耳が聞こえない、もしくは、目が見えないといった1つのハンディだけでも大変だと思いますが、3つの大きなハンディを抱えているれんにどのように接していくのか、とても興味を惹かれました。 れんの教育係である安(あん)の、自分とれんを信じる心、うまくいかなくても諦めずに、厳しくも愛を持って根気強く接する姿に心打たれっぱなしでした。これからどんな困難があっても、諦めずに自分を信じて乗り越えていこうと思うほど大きな力をもらいました。 本書の舞台が青森県弘前市ということで、青森出身の私にとっては親しみを感じる地名や方言が多くありました。 イタコは知っていましたが、ボサマ(坊様)の存在は聞いたこともなかったので、青森の歴史を1つ知ることができました。 明るく楽しい話ではないけれど、読んで良かったと感じられる一冊です。困難に打ちひしがれている時、人生に絶望を感じる時、きっと心にしみて、一歩歩み出す勇気になるのではないかと感じます。 | ||||
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弘前に移り住み、昨年、本家『奇跡の人』を読んだ。最初はキワモノかなと思って読み始めたが、なかなか、どうして、日本でローマ字という無理はあったが、津軽の盲文化と重ね合わせたところはアイデアだと思った。 しかし、それにしても、母よしの言動は矛盾が多いなぁ。 | ||||
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解説を読むまでヘレンケラーのことを全く知りませんでした。「実話を元に青森を無台に作り直したお話」という形になりますが、そんなことはどうでもよく、安先生の一人の人間の可能性を信じて絶対に諦めない姿勢に強く感動しました。どんな生の形を持って生まれた人間でもいつか必ず花開く、弱さは必ず強みになる、と。それはれんのことであり、キワのことでもある。もちろん安自身も。そして、社会も。そしてそれは、自分の可能性を自分で信じていかなければならないとも読み取れます。はじめは誰かの加護の元育ちますが、いずれは自分自身の力で前へ進まなければならない。そのためには、どんなときでも己の可能性を信じていくことが何よりも歩む力となる。それを安先生は教えたかったのでしょう。「他人と比較して足りない部分は、別な形に変わってその人の長所になっている」というような意味合いのことを安先生は言っていました。私はいつも他人と比較してばかりの人間でしたから、この部分を読んだときは心を打たれました。もしかしたら――自分にもあるかもしれない。自分にしかもっていないものを、と。久しぶりに涙流して心が晴れ晴れしました。また一つ、素敵な作品に出会えたことを感謝します。 | ||||
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ことばを解さない故に“けものの子”とよばれていた介良男爵家令嬢・れんを 救うために、はるばる青森までやってきたのは、自らも弱視で失明の不安に 悩む安だった。 安は、見えず、聞こえず、話すこともできない子どもに、どのようにして ことばを教えるのか…。 多くの使用人の表の顔と裏の顔、愛憎うずまく家族、日本特有の社会習慣と 身分制度など、盲聾唖のテーマを咀嚼し自家薬籠中の物とした本書。 決してけっして、ヘレンケラーとサリバン先生の物語を日本に置き換えた だけの翻案小説だと、思わないで欲しい。 | ||||
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ヘレンケラーを知っているヒトには先が読める展開であるにもかかわらず、一気に読まされる文書力はさすがです。設定に違和感あるところで好き嫌い別れていますが、これも原田マハさんの世界です。 | ||||
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本の中の風景、人の表情などが眼に映る様な本です。見えず聴こえず喋れずでも、本の中から浮き出てくる感じです。 | ||||
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